§059 「私の涙は宝石よりも高いんだからね」

 私は国分くんの話があまりにも衝撃的すぎて、しばらくの間、言葉を失っていた。


 国分くんが話してくれたことは、ほとんどが私の知らない事実だった。


 未知人がぼっちの理由が『あの事件』のせい……。 

 未知人が大怪我をしたのが渋谷先輩のせい……。


 私の頭はパニック寸前になっていた。


 そんな中でも、1つだけすんなりと理解できたことがあった。

 それは『未知人の人生を狂わせてしまったのは私』という事実だ。


 だって、そうじゃない。

 渋谷先輩の狙いは私だった。

 それに未知人と朱理を巻き込んだ。


 私の『能力』が渋谷先輩を狂わし、その渋谷先輩が未知人たちの人生をめちゃくちゃにした。


 そうだったんだね……。

 どうりで朱理が私に辛く当たってくるわけだ……。

 『あの事件』って、結局のところは、私の『能力』が引き起こした事件だったんだね……。


「更科、なぜオレが今日お前のところに来たと思う?」


 国分くんが私に真剣なまなざしを向けてくる。


 もうわかったよ。

 国分くんは私の『能力』のことを知っている。

 だから、この事件の真実にもたどり着いちゃってる。


 すべての元凶が私であることに……。


「……未知人の人生を狂わしたのは私だと伝えにきたんでしょ」


 私は力なく俯いた。

 きっと声は震えていたと思う。

 私にはもうこの話を聞く前の彼とのやり取りのように、気丈に振る舞う気力は残っていなかった。


「……わかってるから。もう未知人には近付かないから。それで許してよ……本当に……ごめんなさい」


 どんな叱責でも受ける覚悟だった。

 だって、国分くんが未知人のことを本当に本当に大切に思ってるのがわかったから……。


 でも、彼は静かに首を横に振った。


「むしろ逆かな」


「……えっ?」


「オレは未知人が『あの事件』のときですらという事実を伝えにきたんだ」


「…………」


「渋谷が暴走したのはおそらくお前の『能力』のせいだろう。そして、その結果、未知人が渋谷に襲われて怪我をしたというのも事実だ。でもな……」


 そう言って、彼は一瞬間を置くと、私の目をまっすぐ見つめてこう言った。


「未知人が渋谷から更科のことを守ったというのも紛れもない事実なんだよ」


「そっ……そんなの……違うよ」


 私は首をブンブンと横に振る。


「……事実だ。あのとき未知人が渋谷を止めていなかったら、あいつはお前のところに現れていたはずだ」


「……だって……未知人はそんなこと一度も話してくれなかった」


「更科のことを思って敢えて黙ってたんだろ。あいつはそういうやつだよ」


「それじゃあ……」


「未知人はあの時から……お前にとってのヒーローだったんだよ」


 その言葉を聞いた瞬間、私はもう涙を堪えることができなかった。


 ひくひくと嗚咽を漏らす私を国分くんはどういう気持ちで見ているのだろうか。

 どうして未知人を振った女が泣いているのだろうと思うのだろうか。


 ううん……きっと彼はすべてを理解した上で、私のところに来てくれてるんだ。

 その上で、私にこの事実を伝えるために……。

 

 私に責任を感じさせないように『あの事件』のことを話さなかった未知人と、私と未知人のことを真剣に考えて『あの事件』のことを話してくれた国分くん。


 私がもし違う立場で彼らと出会っていたら、普通にカラオケに行ったり、花火大会に行ったりできたのかな……。

 いまとは違った未来を見ることができたのかな……。

 ああ、本当に本当に悔しいよ……未知人の彼女でいられないことが……。


「情報屋さん、素敵な情報をありがとう」


 私はもう隠すことなく、涙を流していた。

 国分くんにはもう嘘をつけないことを悟ったから。


 本当にありがとう国分くん。

 『あの事件』の真実を教えてくれて。

 未知人の人生を狂わせてしまった事実はもちろん受け止める。

 でも、未知人が私を助けてくれた事実もちゃんと受け入れる。


 冷え切っていた心がほんの少しだけ温かくなるのを感じた。

 うん……ちょっとだけ……元気出たかな。


 やっぱり未知人は私の王子様だ。

 一緒にいなくても私をこんなに元気づけてくれる。

 本当に本当に大切な……本当に本当に大好きな人。


「ふぅ~ん、なるほどね」


 そんなに私は締まりのない顔をしていたのだろうか。

 国分くんが私の顔を覗き込むように見つめ、突然ニヤッとした笑みを浮かべる。


「なっ……なによ」


「未知人を陥落させた笑顔はこれか~って思ってね」


「なっ……突然何言ってるのよ。私はいま泣いてるのよ」


「だっていまの顔とびきり可愛かったぞ」


 私の顔が見る見る紅潮していくのを感じた。


「ばっ……バッカじゃないのっ! 親友の彼女を口説くとかマジ最低ね! 不潔! 変態!」


「いまはまだ彼女じゃないだろ。だからオレが更科を口説くのは合法だ」


 私と国分くんは声を出して笑った。

 こんなに心の底から笑ったのは久々だったからなんか変な気持ち。

 やっぱりね……未知人のことを考えると、いまでも顔がニヤケてしまうの。

 これはもう止められないことなんだと思う。


 私はこの気持ちにしっかりと決着をつけなければいけないんだね……きっと。

 だって、こんなにみんなが支えてくれてるんだもの。


「そういえば、まだ情報料をもらってなかったな」


 国分くんが思い出したかのように意地悪な表情を浮かべる。


「こんなに素敵なものをもらっちゃったんだから、エッチなこと以外なら何でも許しちゃうかもしれないよ?」


 ふふっと微笑む私に対して、「そうだな」と言って考え込む仕草を見せる国分くん。


「じゃあ……更科から未知人に『ありがとう』を言うっていうのはどうだ?」


「ありがとう……? 何に対してのありがとう?」


「別に何に対してでもいいさ。『あの事件』のときに助けてくれてありがとうでもいいし、私のことを好きになってくれてありがとうでもいい」


「でもそれって……」


 私にそんな資格はあるのだろうか。

 私は未知人を振っている。

 「好きじゃない」とも言ってしまっている。

 彼を意図的に突き放してるのに、今更、どの面を下げて彼に『ありがとう』なんて言えばいいのか……。


 私が逡巡してるのがわかったのだろう。

 国分くんが続ける。


「オレはな……正直なことを言うと、更科にもう一度『好き』という気持ちに真剣に向き合ってもらいたいと思ってるんだ」


「好きという気持ち……」


「もちろん、今回の件は更科が真剣に考えて、未知人のことを想って出した結論であることはオレもわかってる」


「…………」


「でもな……オレには更科が『好き』という気持ちから逃げているように見えるんだ。おそらくこれは意識しているわけではなくて、更科がいままで生きてきた中での習慣みたいものなんだと思う。思い当たることはないか? 例えば、告白されてもすべては『能力』のせいと片付けて、相手の気持ちにも自分の気持ちにも真剣に向き合わないとか」


「…………」


「もちろんそんな『能力』を持っていたら仕方ないと思うところもある。でも、ちょっとキツイ言い方になるかもしれないが、それは『好き』という気持ちを信じられない更科の心の弱さも影響しているんじゃないか」


「…………」


「別に未知人が親友だからって肩を持つわけじゃないけどさ……オレには未知人が更科を想う気持ちがには到底思えないんだ」


「…………」


「だからさ……今日のオレの話を聞いて少しでも更科の考え方が変わったならさ……その気持ちを未知人にもちゃんと伝えてあげてほしいんだ。そして、その言葉は『ごめんね』じゃなくて『ありがとう』だと嬉しい。これが更科に求めるオレの情報料だ」


 彼は『情報料』という言葉を殊更に強調していたが、彼の言葉は『情報屋』としての国分くんではなく、未知人の『親友』としての国分くんの言葉に聞こえた。


「わかったよ。ちょっといまはまだ勇気が出ないけど、いつか……自分のことを許せるときが来たら……」


 彼は優しく微笑みながらコクリと頷いた。


「あっ……あとさ国分くん」


「ん? なんだ?」


「あの……今日泣いたことは未知人には言わないでほしいんだけど……?」


 それを聞くと国分くんは目を丸くして、いかにも愉快そうに笑った。


「ははは、そんなの当たり前だろ。オレが何でも言うやつに見えるか?」


「バッティングセンターのときだって私に恥をかかせてくれたじゃない。それに今日だって未知人には内緒で私に会いに来てるんでしょ?」


「まあ、そう言われちゃうと返す言葉もないが、更科の涙はトップシークレットだ。この情報料は未知人の野郎じゃ一生かかっても払えないだろうな」


「ふふ、私の涙は宝石よりも高いんだからね」


「違いねぇ」

 

 こうして、私と国分くんは教室で別れた。

 帰る頃にはしとしとと降り続いていた雨もすっかり上がっていた。

 

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