§032 「カップル……シート……」
「はぁーっ?! チケット買ってないとかどんだけ童貞なのよ」
「初めてだからわからないって言っただろ」
「チケットを事前に買っておくなんてネットで調べればすぐにわかるでしょ。どんだけ情弱なのよ童貞!」
「童貞童貞言うな。このしょ……」
言わせねーよとばかりに俺の襟首をキュッとしてくる希沙良と、既に意識が遠退きつつある俺は、最近、新設されたばかりの映画館に足を運んでいた。
ここは広島市の中心部に位置する映画館。
壁には紅葉や鹿など広島ならではの風景が彩られ、全体的にモダンな雰囲気が漂う内観となっている。
映画館としては珍しくアルコールの提供を行っているようで、日曜の昼間だというのにワイングラスを持った大人の男女が多く見受けられる。
「それにしてもなんかちょっと場違いな感じだな」
「仕方ないじゃない。私が見たかった映画はこの映画館でしかやってなかったんだから」
ふん、と顔を背ける希沙良。
最近ではこうやってツンツンする彼女にも見慣れてきた気がする。
それに俺のことは置いておくとして希沙良は全然場違いな感じではない。
白い膝丈のワンピースに、緑と黄のパステルカラーのカーディガンを羽織った彼女は、いつもの制服姿からは想像できないくらい何倍も大人に見えた。
私服姿を見るのはショッピングセンター以来だが、彼女は本当にこういう落ち着いた服装がよく似合う。
学校生活では想像ができないような大人の彼女を見れるのが自分だけだと思うと、いくら『恋人のふり』だとしても決して悪い気持ちはしなかった。
「なにボーっとしてるの? 早くチケット買いなさいよ」
ジトっとした目で俺の顔を覗き込んでくる彼女と目が合う。
照れくさくなってつい顔を背けると、彼女はちょっとだけ不満そうに顔をしかめる。
俺は慣れない手付きで、券売機を操作する。
希沙良が見たいって言ってた映画は……確かこれだな。
『ぼくは明日、あの日見た君と、恋に落ちる』
彼女曰く、過去に戻れる特殊な能力を持った女子高生とゆくりなくも彼女と関わってしまった主人公の切ない運命を描いた恋愛映画だそうだ。
あまり恋愛映画を見ない俺だが、人気小説の映画化ということでタイトルくらいは聞いたことがあった。
それに彼女からあらすじを聞かされて、俺はこの映画に少なからず興味が湧いていた。
特殊能力を持った女子高生と付き合っていくというのはいったいどんな気持ちなのだろうと……。
もちろん俺にも希沙良にも特殊能力など無いのだから俺とこの映画の主人公の境遇は全然違うだろう。
それでも、『恋人のふり』という特殊な恋愛をしている俺たちだからこそ、何か今後の二人の関係において参考になる点があるのではと期待している部分はあった。
えーっと……まずはこの映画を選択して、時間は……11:30開演と……。
ってあれ?
「悪い……なんかほとんどの席埋まっちゃってるんだけど」
は~?と言って画面を覗き込む希沙良。
「あ……ほんとだ……」
目に見えて落ち込んだ様子の希沙良は、悔しさを滲ませながら券売機の画面をじっと見つめている。
彼女から「だからチケット買っておけって言ったのに!」っていう悪態が返ってこないところが、逆に落胆の深さを物語っているようだった。
俺もなんともやりきれない思いになって、券売機の画面をスクロールしてみる。
あっ……かなり後方だが空いてる席がある。
しかも連番で……。
でも……これって……
「なあ……希沙良。この席なら空いてるっぽいけど」
俺は券売機に指を差す。
「カップル……シート……」
指差した先を小さな声で復唱すると、急にうろたえだして頬を真っ赤に染める彼女。
いや、そうだよな。
いくら『恋人のふり』と言っても今日は休日で学校の誰かに見られてるわけでもないし。
それに見る時間帯を変えれば、きっと席も空いてると思うから、わざわざカップルシートに座ってまで見る必要もないし。
「あの……やっぱりやめておこうか。どこかで時間潰して別の時間帯で見ればいいだけだし」
「(……いいよ)」
「えっ?」
「だからいいよって言ってるの!」
さっきよりもさらに顔を赤らめた彼女は、俺のことをドンっと押しのけると、自らカップルシートのボタンをタップする。
「ほら、早くお金出しなさい。早くしないと誰かに取られちゃうかもしれないでしょ」
「おっ……おう」
そう言って彼女は俺からお金を奪い取ると、勢いまかせに券売機にお金を投入し、出てきたチケットを手に取る。
そのチケットを見た彼女は一瞬嬉しそうな顔を見せたが、すぐにツンツンした表情に戻すと、俺に向かって言う。
「勘違いしないでよね。私はいますぐこの映画が見たかっただけよ」
「いや、なんも言ってねーだろ」
「なに変な意識してるのよ。顔に書いてあるわよ」
「別にしてねーから」
「未知人くんがどんなの想像してるのか知らないけど、カップルシートって言っても普通の椅子から手すりを取り外したくらいのものよ。それなのにそんなに必死になっちゃって」
そう言って彼女は口元を押さえてくすくすと笑う。
「そっ……そうだよな。それならいつも弁当食ってる時とそんなに変わらないよな」
そう思って、映画館のホールに入ったのも束の間。
俺はその光景に言葉を失っていた。
いや、希沙良もきっと同じような状態だったと思う。
というのも、カップル―シートは俺たちの想像を遥かに超えていた。
それは『椅子』というよりは『ソファ』、誤解を恐れずに言うなら『ベッド』にかなり近いものだった。
赤いベロア生地のソファは、ゆったりとくつろげるようにするためか後ろに大きくリクライニングしており、ご丁寧にも寝転がって観るためのものと思われるフットレストまでが準備されている。
「こっ……これは……」
「ふっ……ふん! お姫様である私にはこれくらいの席がちょうどいいわね」
そうやって強気な発言をする希沙良の顔は心なしか強張っているように見えた。
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