§007 「今日は特別に付き合ってあげるわよ」
「ちょっとなんなのよ。あっち行ってよ。しっしっ」
(ガルルルル)
「ひぃ!」
俺が悲鳴を聞いて駆けつけた先には、ビルの壁を背に野良犬に追い込まれた更科希沙良の姿があった。
野良犬を前にして、恐怖の表情を浮かべている更科は、もう半べそ状態だ。
ああ、どこかで聞いたことある悲鳴だと思ったけど、やっぱりあいつだったか。
まったくお姫様はしょうがね~な。
俺は大きなため息をつくと、ワンワン吠え続けている犬に近づき、スッと犬の目を手で覆う。
すると、犬は急に静かになった。
「未知人くん……どうして」
突然の俺の登場に、更科は目を真ん丸にして俺と犬を交互に見比べる。
「簡単は話だよ。犬が『ワンワン』吠えてるときは興奮しているときなんだ。だから、その興奮を起こしている対象を視界から遮ってやればこんな感じに落ち着くんだよ」
そう言って、そのまま犬を抱きかかえると、ムツゴロウさんのごとくよしよしする。
いや~可愛いやつだなお前は。
そうかそうか。お前も怖いお姉さんがいきなり現れて脅えてたんだな。
(くぅ~んくぅ~ん)
更科は犬がよほど怖かったのか、口をパクパクさせながら、地面にへたり込んでしまった。
「それにしても、更科が犬を苦手なのは意外だったな」
更科から視線を外し、俺の腕に小さく収まっている犬に目をやる。
「それにこいつ“豆柴”だぞ。むしろ女子高生に大人気の超小型犬じゃんか」
「うっ……うるさいわね。苦手なものは苦手なんだからしょうがないじゃない」
更科は涙を目に溜めながらも、どうにか気丈に振る舞おうと躍起になっているように見える。
それが俺には少し意外だった。
いままで俺が目にしてきた更科は、自信に満ち溢れて、すべてが自分の思い通りになるような余裕綽々な姿ばかりだったから。
それなのに今は怖い気持ちを必死に隠そうとしてる。
なんだよ、可愛らしいところあるじゃないかと不覚にも思ってしまった。
別にそんなに無理して自分を強く見せようとしなくてもいいのに。
「それよりも、私がさっき『どうして』って聞いたのは、『どうして犬が静かになったのか』ではなく、『どうして私のことを助けてくれたのか』ってこと。だって、昼間の一件で、私と未知人くんは……その……なんとなく気まずい感じになってたはずだし」
まだ、本調子じゃない更科は、少し伏し目がちになりながら、俺に問いかける。
「いや、助けたってほどじゃないだろこんなの。“豆柴”だし」
「いいから答えなさいよ。私はあなたに借りを作りたくないの」
ふむ。そうやって真正面から聞かれると、なかなか返しづらい質問だ。
確かに俺は悲鳴を聞いたとき、これは更科の悲鳴だなというのはぼんやりとわかっていた。
大方、俺に何かしようと後をつけてきて、トラブったんじゃないかと。
そして、俺と更科はどちらかというと険悪な状態。
俺に更科を助ける義理はなかったかもしれない。
それでも、更科を助けた理由は何か。
そうだな。敢えて理由付けをするのであれば……
「女の子が悲鳴をあげてるのに助けない方がおかしいだろ」
「えっ?」
「たとえそれが絶賛戦闘継続中の“勘違いお姫様”だとしてもね」
おそらく予想とは違う答えだったのだろう。
更科からは驚きとも困惑とも取れる言葉が漏れた。
ちょっとキザなことを言い過ぎたかなと更科の顔を見るが、表情からは感情は推し量れない。
一瞬の沈黙が流れたが、更科は何かにハッとしたように、俺の方を見る。
「ふん、ちょっと小動物を手懐けたくらいで王子様気取りはやめて」
俺はハァとため息をつく。
本当に素直じゃないやつだな。
まあ、なんて言われようが俺は構わない。
感謝されなくたって別にいい。
『助ける』か『助けない』かで迷うくらいなら、俺は絶対に『助ける』方を選ぶ。
ただ、それだけのことだ。
「俺はお前の弱点を知れただけで今日のところは満足だ。明日からは犬を連れて登校することにするよ」
俺は最大限の皮肉をこめて更科に言う。
「獣の分際に、私の美しさはわからないのよ」
(ガルルルル)
「ひぃぃ!」
「こらダメだぞ。あんまりお姉さんを怖がらせたら。今度はお漏らししちゃうかもしれないから」
(くぅ~んくぅ~ん)
「誰がお漏らしよ!」
(ガルルルル)
「ふひぃぃ!」
そんなやり取りを何回か繰り返していると、犬の首元に銀色のプレートのようなものが光ってるのに気付いた。
これは……ネームプレートか……。
『広島県広島市西区〇〇〇-〇〇-〇〇』
どうやら、犬が逃げたときのために飼い主の住所を記載した首輪のようだ。
西区か……。
住所的にはそんなに遠くはなさそうだけど、いまいちどこかわからないな。
そうだ。スマホの地図アプリを使えば……ってあれ? こんな時に電池切れか。
「なぁ……更科」
「なによ」
「スマホの地図アプリあるか?」
「地図アプリ? あるけど」
更科は俺の質問の意図が汲み取れないようで、不思議そうに小首を傾げる。
「ちょっと起動してくれないか」
「……なんで私があなたに命令されなきゃいけないのよ」
更科はへたり込んでいた状態から立ち上がり、パンパンとスカートについた砂を払い落とすと、不服そうにもスマホを取り出して地図アプリを起動してくれる。
その仕草は、スラリと伸びた足を強調され、なんとも魅惑的だったことは更科には黙っておこうと思う。
「これでいい?」
「おお、サンキュー!ってなんでそんなに距離を置いてるんだよ」
「だって、近付いたらその猛獣が何をするかわかったものじゃないわ」
(ガルルルル)
「じゃあ悪いけど、お前もこの犬を飼い主のもとに届けるのを手伝ってくれないか? どうやらこの家から逃げてきたみたいなんだ」
そう言って更科に犬のネームプレートを見せる。
「はぁ? なんで私がそんなことしなきゃいけないのよ。そんなのあなただけでやりなさいよ」
「俺も一人でやりたいところなんだが、あいにくスマホの充電が切れちゃって場所がわからないんだ。更科がスマホを貸してくれるならそれでも構わないが」
「ちょ……なに言ってるの! あんたみたいなケダモノにスマホを貸せるわけないじゃない! なにされるかわかったものじゃない!」
「スマホをペロペロする趣味はないから安心しろよ」
「それでもさすがにスマホは……」
「じゃあやっぱりお前がついてこいよ。今日のうちに届けてやらないと飼い主も心配してるだろうし、『豆太』もかわいそうだろ」
「『豆太』って……勝手に人様の犬に名前つけてるんじゃないわよ」
(くぅ~んくぅ~ん)
豆太と見つめあう更科。
よくある犬の円らな瞳に感情が動いてしまうシチュエーションのやつだ。
ナイスだ、豆太。
お前には人たらしの素質がある。
「…………」
「…………」
「あーもうわかったわよ。あなたに借りを作ったままにしておくのも癪だし、今日は特別に付き合ってあげるわよ。その代わり、その猛獣を私に近付けないようにしてよね」
「へいへい」
更科は不満げにふんと鼻を鳴らす。
「そういえば、更科はなんでこんなところを一人で歩いてたんだ?」
「なっ……そんなの私の勝手でしょ」
「大方、俺にパンツ見られたのが許せなくて、俺の後をつけてきたとかそんな感じだろうけど」
「ちっ……違うわよ! 自信過剰はどっちよ!」
「あっ、やっぱりその言葉気にしてた?」
「うるさい」
「ちなみに『青』は高校生っぽくてありだと思うぞ」
みるみる顔が真っ赤になる更科。
「はぁぁぁああっっっ――――っ!? やっぱり殺す」
(ガルルルル)
「ひゃっ!」
以下、この繰り返しが行われたのは言うまでもない。
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