第4話 月夜の邂逅
ミナトに誘われて日暮れ後に仲間たちと訪れたのは、大通りから少し外れた所にひっそりと店を構える小さな洋食屋だった。
「『くじらのひげ』だって。おしゃれな名前だね」
タマさんが店名が彫られている看板の横に立って、皆んながわかりやすいように指を刺して教えてくれる。道中に店の存在を示す案内看板が一つとしてなかったところを鑑みるに、くじらのひげは客を積極的に呼び込む経営方針ではないようだ。
「こんな目立たない場所にある店、ミナトはどうやって知ったの?随分と暗くて狭い横道を歩いて来たけど、用事がなかったらこんな道には入らないよね?」
「知り合いが働いてるんだ。料理も美味しいし、値段もお手頃だから、最近はよく来るんだよ」
「そうそう、働いてるのはお前も知ってるやつなんだぜ」
「え、そうなの?う~ん、誰だろう……?」
自分が口元に手をやりながら一人悩んでいると、雑談の隙間から何やら内緒話が微かに聞こえてきた。
「ちょっとコウタ!先ほどミナトさんに言われたこと、もう忘れたんですか?」
「こいつの鳥頭具合は、呆れを通り越して尊敬するよ」
「あ、そうだった……。すまん、イズモ、クレア」
「…………何?働いてる知り合いって、ここに居る全員の知り合いなの?ほぼ初対面なのに、そんな偶然ってあるものかな?」
「まぁまぁ、そんなことは気にしなくても良いから!予約はしてあるんだ。外はまだ冷えるし、早く中に入ろう、ね?」
「う、うん。」
何を隠そうとしているのかは知らないが、秘密にしたいのなら、もう少し隠す努力をして欲しい。とは言うものの、口の軽い正直者の扱いは誰の手にも負えないくらいに厄介だと知っているから、彼女らには少しだけ同情心を抱いた。
挙動不審な致死部隊が内輪もめ、もといコウタを揃って責めている中、技術部隊の半端者たちはと言えば、一様に期待に満ちた表情を浮かべていた。
「楽しみだなぁ〜」
「私、こういう隠れ家みたいなお店に入るのは初めてです」
「私もです。最近は、協会のおかげで半端者を受け入れてくれる店舗も多くなってきましたが、この体格で遠慮なく入れる飲食店はそう多くないもので……。慣れないことをする時は、どうしても緊張してしまいますね」
「あ、ロクさんもですか?」
「いくら肉体を鍛えようとも、緊張くらい人並みにします」
「そうですね。これは失礼しました」
我が第六班の半端者たちは、慣れない外食の、それも大人数で同じ卓を囲んでの食事の機会に、どうも気分が浮ついている様子だ。見ていてとても微笑ましい光景である。
かく言う自分も、ミナトが連れてきてくれたお店にかなりの期待をしている一人だ。
……雰囲気の良いお店だなぁ。
街中心部以外は錆びた鉄の塊だけで構成されると言っても過言ではないギアフロータスの中で、このお店は珍しいことに建材に煉瓦を用いている。微妙に色味の異なる赤煉瓦の醸し出すどっしりとした重厚感と威厳ある風格は、部分的に風化した漆喰のような塗装も相まって、古くから軒を構えるお洒落な老舗とも取れなくもない。実際、この店はそれなりの年月をこの場所で過ごしてきたのだろう。石張りされた店先の地面からは、その隙間から疎らに蔦が伸びてきていて、店の外壁を程よく飾っていた。
しかし、そうやって自分が店の外装に見惚れている間、誰一人として中に入ろうとしないのは何故なのだろう。
まぁ、その時はその時である。
「……ミナト、全員で何人だっけ?」
「八人だよ。あまり大きなお店じゃないから、多分今夜は貸切なんじゃないかな」
「八人か。りょ〜かい」
「私の名前で予約してあるから、入る時にお店の人に言ってね」
「うん」
海上の街であるが故に吹き付ける冷たい風に耐えかねた自分は、結果的に皆んなの代表として店の扉に手をかけることになる。
格子が嵌まった小窓付きの木製扉を開いてみると、中から照明の暖かな光と共に鼻腔をくすぐる良い香りが漂ってきた。その匂いに釣られて、雑談に花を咲かせていた他の者たちも入口へぞろぞろとやってくる。
しかしながら、一人先行して店内に入ろうとするも、いくら見回しても表には人影が見つけられない。
「すみませ〜ん。八人で予約しているミナトですけど〜…………。誰かいませんか〜?」
予約を入れているのだから不在と言うことはないだろうと、バックヤードにも聞こえるように声を張り上げる。けれど、耳に届くのは店の角に置かれた古い蓄音機から流れるクラシックばかりで、他には物音ひとつとして聞こえてこない。
そうして自分が店員の不在に立ち往生をしていると、後ろからタマさんが両手で背中を押しながら文句を付けてくる。
「もう、早く入ってよアキラ。入口に立たれてたら、僕たち皆んな中に入れないよ」
「でも、お店の人がいなくて。勝手に入るのも悪いじゃないですか」
「本当にぃ?ちゃんとミナトさんが予約してくれてるんだから、アキラの声が小さくて聞こえなかっただけじゃない?……そうだ!僕が代わりに言ってあげるよ!」
そう言うや否や、タマさんは自分の体に飛びついてきて身を乗り出したかと思うと、大きく息を吸って耳元で元気よく声を上げる。
「すみませーーーーーん!!!!」
「うぅ、み、耳がぁぁぁ……!!」
「……あ、ごめん。うるさかった?」
「鼓膜が破れるかと思いましたよ……」
テヘヘと無邪気に笑って誤魔化そうとするタマさんに向けて、自分は力を入れずに彼の脳天へと軽く手刀を落とした。それを大袈裟に痛がって見せる彼は、またもロクさんの手に捕まり、身動きが取れないように宙吊りにされてしまう。彼の自業自得ではあるが、そのあまりにも情けない格好に、思わずくすりと笑いが漏れてしまった
「もうっ、やめてよロク!僕、小柄なの割と気にしてるんだからね!」
「アキラに迷惑をかけておいて、私に止められた時には自分の都合ですか?」
「……ご、ごめんなさい」
「自身の過ちを素直に認められるのは、タマさんの良いところですね」
「コハクちゃん、怒られた直後に褒められても喜べないよ……」
そうやって後ろでしょぼくれるタマさんはロクさんに任せるとして、自分は無人と思えるほど静かな店内へと向き直る。
すると、丁度タイミング良く、店員が焦って走ってくる足音が聞こえてきた。
「ほら、やっぱりアキラの声が小さかっただけだよ」
「それは結果論です」
「あ、ずるい!」
「わかってますよ。タマさん、ありがとうございます」
「いえいえ~」
タマさんとのやり取りの間にも、ドタバタという不安になる足音が絶え間なく聞こえていた。だからだろうか、自分も他の魔者も無性に心配になってきて、店の奥へと繋がる唯一の通路を揃って見守ってしまう。
まもなく、店員が髪を振り乱しながら勢いよく通路から飛び出してきた。
「はぁ、はぁっ…………っん。」
「…………。」
この場の誰もが店員が来るのを待っていた。だから、君の登場は喜ばしいことのはずだった。
けれど、自分だけは違う。鈴の音と共に息を切らしながら目の前に現れた小柄な店員のその容姿に、一人不意を突かれて堪らず数歩後退っていた。
……そう言うことだったのか。
ミナトたちの目的に気が付くと、途端に緊張して声が出なくなった。居住まいを執拗に正して、必死に素知らぬ表情を顔に貼り付けて。そんなことを短い間に何度も何度も繰り返す自分は、側からみれば相当に挙動不審だったことだろう。そうわかってはいても、体は勝手に動いてしまって、どうやっても止めることは叶わなかった。
もう直に、嫌でも君と話さねばならない。そう思うと息苦しくなるほど億劫で、また懐かしい君の声を聞けるのが夢のようで、その時が訪れるのが堪らなく待ち遠しかった。
しかし、今はシックな制服に身を包んだ白髪の君は、真っ直ぐ走ることすらままならないほどの相当な運動音痴だ。加えて、今は焦って周りが見えなくなっている。そんな悪条件が重なって、君が無事で済む道理はないように思えた。
そして案の定、君は何の前触れもなく、段差も何もないところで派手に顔から転けて床に倒れ込んでしまう。
「うぐぅ……。ぃ、痛い…………」
「大丈夫?怪我はしてない?」
今にも泣き出してしまいそうな君の痛々しい声に、自分は恐ろしいほど自然と彼女の隣に腰を落とし、無意識に立ち上がるのに手を貸していた。
「……ご、ごめんなさい。…………まだ、このお仕事に慣れてなくって……」
そこまで言った君は、しかし、ハッとしたように頭を大きく左右に振る。仕事中であることを思い出したのだろう。痛みを耐えて精一杯の笑顔を浮かべながら、歓迎の言葉を辿々しくも口にする。
「……い、いらっしゃいませ。お待たせしてしまって、ごめんなさい」
急いで立ち上がり深々とお辞儀をして見せる君は、未だ自分には気が付いていない様子だ。だから、これ幸いと、自分は今のうちに彼女となるべく距離を置こうと、忍び足で体の大きいロクさんの背後へと移動を試みる。
けれど、動き出すのが一歩遅かった。
「…………ぁ、きら!?」
「…………っ」
透き通った銀色の瞳と、不意に視線が合う。その瞬間、まるで時が止まってしまったかのように体が動かなくなり、自分の中から逃げると言う選択肢が一瞬にして消え失せてしまった。自分の中にあった相反する二つの感情は、どうやら後者の方が体の主導権を握ったようだ。
だと言うのに、自分の中には彼女にかけるべき言葉が一つとして用意されてはおらず、長らく沈黙の時が続く。
「…………久しぶりだね、クロ」
どんな顔をして話せば良いのか全くわからず、必死で作った不細工な笑顔で何とかそう言葉にする。
困惑しているのは、何も自分だけではない。突然の再会に、クロも激しく動揺していた。
「……どうして?」
そう問うクロは、心なしか怒っているようにも見えて、自分は次にかける言葉にまた迷う。
けれど、考えても考えても一つとして妙案は思いつかず、結局自分は無難な返答をするしかない。
「皆んなで夕ご飯を食べに来たんだ。……ミナトから予約の連絡が来てない?」
「……でも、何でアキラも一緖なの……?」
自分の言葉に、しかし、クロは落ち着きなくそわそわとしていて、理解が追いついていない様子だった。
そんなクロの動揺の一因に心当たりがあった自分は、まだ店の外にいるミナトへと視線を向けてみる。すると、予想通りと言うべきか、ミナトは後ろめたいことでもあるかのように、咄嗟に自分から顔を背けた。
「……ミナト。自分が同じチームになったこと、クロに隠してたの?」
「う、うん……。その方が驚いてくれるかと思って……」
「なるほど。致死部隊の実質的なリーダーはミナトだったんだね。まぁ、そんな気はしてたけど」
人見知りの魔者にリーダーなど務まるわけもない。そんなことはクロ自身十分理解しているだろうし、だからこそミナトを代役として立てているのだろう。けれど、これは明らかな職権濫用だ。二度と妙な真似をしないように、後できつく注意をせねばなるまい。
しかし、今は目の前で不安そうに立ち尽くす君の相手が優先だ。
「驚かせちゃってごめん。でも、クロがお店で働いてるなんて知らなかったんだ」
「…………」
クロは俯いて、自分と視線を合わせようとしてくれない。黙り込んだまま、まるで祈るように胸元で手を握り込んでいる。そんな弱々しい姿は、自分の記憶の中にあるクロの姿と同じだった。
「……何?この子、アキラの知り合いなの?」
「タマは気付きませんか?」
「彼女はクロさん。致死部隊第三班のリーダーですよ」
「えぇ!?この子が!?」
タマさんの大きな声に体をびくつかせるクロに、自分は味方をしてあげようとする。
けれど、どうしたことだろう。クロは逃げも隠れもせず、勇気を出して顔を上げてみせた。
「……はじめまして。クロ。好きなものはパン……です」
とても上手とは言えない自己紹介だった。けれど、クロは誰の力も借りずにそれを成し遂げてみせた。そんなクロの姿に、まるで自分だけ置いて行かれてしまったように感じられてしまって、どうしようもなく不安にさせられる。きっと自分は、酷く情けない顔をしていたことだろう。
けれど、自分にとっては幸いなことに、魔者たちの視線はクロの方へと向いてくれている。
「ご丁寧にどうも!僕はタマだよ。趣味は機械弄り!」
「ロクと申します。私は特別趣味というものはありませんが、パンは好物の一つです。あなたとは気が合いそうだ」
「私は第六班のリーダーを任されているコハクです。これからお互い長い付き合いになるかと思います。どうぞよろしくお願いしますね」
「……よろしくね。タマ、ロク、コハク」
「はい。仲良くしていただけると嬉しいです」
「……うん」
図らずもクロと第六班との顔合わせが叶う。流れるように握手を交わしているところを見ると、どうやら技術部隊の仲間はクロの性格を受け入れてくれたようだ。
三人と握手を終えた頃、厨房から一人の男性が現れた。
「クロ。お客さんを立たせっぱなしにして、君は何をしているんだ?」
「……ご、ごめんなさい」
店長の注意に、クロは申し訳なさそうに頭を下げる。
けれど、店長の穏やかな表情からして、どうやら怒っているわけではないようだ。
「……少し言い過ぎたかな。ミナトさんから話は聞いている。一年振りの再会だ。仕事に気が回らなくなってしまうのは仕方がないことだ」
落ち込むクロの頭に店長は節くれた手を乗せて、慰めるようにくしゃくしゃに撫でる。そんな彼は、ロクさんほどではないにしても、かなり背丈の高い男性だった。
それよりも自分が驚いたのは、店長が半端者ではないことだ。協会ができてからと言うもの、半端者は魔王討伐のための優秀な人材として認識されるようになった。しかし、未だに差別はなくなっておらず、むしろ、人目のつかない場所での陰湿な暴行は日を追うごとに増している。そんな中で、彼はクロに触れることさえ躊躇わなかった。どうやら彼は、半端者に理解ある優しい魔者のようだった。
「クロ。お客さまを席に案内して注文を取ったら、店のプレートを裏返しにしてきてくれ。今日は彼女たちが最後のお客さまだから」
「……うん」
初っ端で盛大にやらかしたクロではあったが、それ以降は目立つ失敗もなく、自分たちは食器が丁寧に並べられた席へと通された。
「部隊ごとに半々に分かれようか。特に意見がなければ、男女でわかれてみる?」
「でもミナト、それだと席のスペースが足りなさそうだぞ」
「面目ない……」
「ロクは大っきいからね。僕と合わせてちょうど二人分ってところかな」
「なら、タマとロクには一緒に座ってもらおう。二人はそれでもいいか?」
「うん。いいよ〜」
「タマが良いのなら、私も構いません」
「だってよ、ミナト」
「ごめんね。助かるよ」
なんだかんだで仲の良いタマさんとロクさんは、二つ返事でコウタの提案を承諾した。
それからしばらく席割を話し合った結果、タマさんたちはミナトとコウタと一緖に奥の席へ、それ以外は入口側の席へと座ることとなった。
「ようやく一息つけますね」
こちらの四人が全員席に着いたところで、イズモさんが雑談のきっかけを作ってくれる。
「式だ顔合わせだと、なんだかんだで一日バタバタしてましたからね」
「実は言うと、顔合わせは今日の予定ではなかったんですよ」
「そうなんですか?」
「はい。ミナトさんが、中々捕まらないアキラさんがチームメイトになったと知って、これ以上疎遠にならないようにと無理に通したことなんです」
「それは、とんだご迷惑をお掛けしてしまったようで……」
「いいえ、構いませんよ。……ですが、私に謝るのなら、是非この機会にミナトさんやクロさん、コウタたちと楽しいひと時を過ごしていただきたいものですね」
自分のフォローどころか、他の者の気遣いまでできるイズモさんだ。顔立ちが良いこともあって、接する人たち皆から親愛、信頼共に多く集めているに違いない。
「しかし、その話を聞くと、この席割りはあまり好ましくないようですね……」
「全員で話し合って決めたことです。コハクさんが気に止む必要はありませんよ」
「ですが……」
「少々卑怯な言い方になりますが、出会ってまだ数時間のあなたから気を遣われても、お二人も困ってしまわれると思いますよ」
今からでもミナトやコウタと席を変わった方が良いのではと席を立とうとするコハクさんに、イズモさんは小さく首を振って彼女を諌める。
けれど、イズモさんはコハクさんの善意を否定するばかりではない。
「でも、そうですね。席の移動をしてはいけないルールはありません。折を見て席を移るのも良いかもしれませんね。もちろん、食事中に無闇に席を立つことは褒められたことではありませんが」
「……意外です。イズモさんは礼儀を重んじる方かと思っていました」
「はは!確かに、家では厳しく指導されましたがね。ですが、最低限の常識さえ守っていれば、マナーなど別に破ってしまっても構わないのです。何事も優先順位というものがある。私が言いたいのは、そういう話です」
貴族の威厳か、はたまたイズモさんの人柄がなせる技なのか。とにかく、彼の言葉には妙な説得力があり、すんなりと心の中に入ってきた。
「そんなことより、早めに食事を選んでしまいましょう。どうやらあちらは、大方決まっているようですから」
「そうですね。待たせてしまっても悪いです」
「無理に決める必要はありません。しかし、せめて前菜くらいは一度に注文できるようにしておきましょう」
そこから先は、予定通り前菜だけは手早く決めて、その後は各々メニュー表を眺めながら食べたいものを探した。
メニューに載っている料理は、どれも洋食屋で見かける馴染みのあるものばかりだった。具体的に言えば、人間でも手の出し易い味の想像できる料理が数多く揃っていた。それも、安直な名前ではなく、思わず食べてみたくなるようなお洒落な料理名が、可愛らしい手書きのイラストと共に綴られている。なんとも興味が引かれる品々ばかりだ。
「う〜ん。どうしよう」
「どれも美味しそうで迷ってしまいますね」
「ですね」
ハンバーグステーキやオムライス、グラタンにローストビーフ、カレーライスに至るまで、どれも名前を見ただけでお腹が減ってくる魅力的な一品ばかりで、中々一つに絞れない。知らない料理もいくつかあった。けれど、初めて訪れる店で冒険するのは無謀だろう。こういう時は、一度は口にしたことがある料理を選ぶのが定石だ。
でも、セオリーに縛られていても何か面白くない。だから、注文を取りに来たクロに、今晩の夕食を任せてみることにした。
「クロのおすすめを」
「……わたしの?」
「そう。クロのおすすめ」
注文を取りに席に来たクロに、自分は無茶振りをする。悪意はない。ただ、無性にそうしたいと思っての衝動的行動だった。
「料理が多過ぎて選べなくって。……ダメ?」
「…………アキラは、私が選んだ料理でも良いの?」
「うん。それが良い」
「…………」
自分の注文に、クロは黙って伝票の片隅に何かを書き留めると、そのままお辞儀をして小走りで厨房へと引っ込んでしまう。
「……アキラさん。いくらクロさんとお知り合いだとしても、いきなりお任せは意地悪ではありませんか?」
「そうですよ。クロさん、悩んでいるように見えました」
「やっぱりそうですよね……。次から気を付けます」
「口だけで反省なんてしてない癖に」
「……まぁ、何が出てくるのか楽しみだなぁとは思ってるかな」
三人全員から責められて肩身が狭くなり、それを誤魔化すように自分はテーブルの上の水の入ったグラスに手を伸ばす。しかし、手に取る寸前でクレアに掠め取られてしまい、自分の手はあてどなく宙を彷徨うことになってしまった。
そんなやり取りを横で見ていたイズモさんは、半ば確信をもって尋ねてくる。
「先ほどからずっと気になっていたのですが、もしやアキラさんはクレアとお知り合いなのでは?」
「えぇ、まぁ」
別に隠すようなことでもないので、自分はイズモさんの質問に素直に頷いた。
「でも、先ほどミナトさんは、アキラさんは皆さんの住む家には帰ってこないと仰ってましたよね?」
「昔してた仕事で知り合ったんです。ミナトやコウタも自分たちが顔見知りなことを知らないと思いますよ」
「あんたが言ってないのなら、そうだろうな」
クレアは、ぶっきらぼうに言う。しかし、両手で持ったグラスに刺さったストローを咥えながら話しているせいで、もごもごと喋りに締まりがない。
「その包帯を巻いている右腕も、前の仕事で?」
「違いますよ。これはもっと前のものですから。大した怪我ではないのですが、他人様の目に入れるのも悪いので、こうして包帯で隠しているんです」
「アキラさんは、そのころから魔杖を肌身離さず持ち歩いていたんですよね」
「はい」
「しかし、彼は魔法が苦手だと。今では多少見栄えの良い街になりましたが、一歩通りを外れれば変わらず治安が悪い。例え護身用だとしても、使えなければ意味がないのでは?」
イズモさんの指摘は尤もだ。魔杖で武装をしているからと言って、犯罪に巻き込まれずに済むかと言えば、そんなことはない。むしろ、いざ危険に晒された時、自分では扱えない武器は不利に働く可能性のほうが高いだろう。魔法が苦手と公言している自分だ。魔杖を持ち歩く理由に、彼が疑念を抱くのは当然のことだった。
「……もう話しても良いんじゃない?」
ふと、隣から神様の声が聞こえてくる。それは、暗に自分は仲間に対してあまりにも隠し事が多過ぎるだろうと、そう責めるような口ぶりだった。
けれど、クレアの時と同じく、自分は神様のことを隠し通すつもりはなかった。彼女自身が望むなら、仲間にならば秘密を打ち明けることも吝かではない。
だから、自分はそれとなく神様の意思を確認する。
「……ソラは良いんだね?」
「まぁ、信じてはもらえないだろうけど。でも、今の私なら、あんたの生命力をちょびっと貰えれば、皆んなに姿を見せることもできる。そこはあんた次第だけど」
「初期投資ってやつか。痛い出費だなぁ……」
「あら、言ってみるものね。大丈夫、命には手をつけないわ。無くなっても困らない記憶から拝借させてもらうから」
「そんなこと言われても、こっちは何してるかわからないんだからね?」
「自己申告制万歳っ。ジャンジャン貢いで頂戴な」
「そのうち無断で使われそうで怖いよ……」
そんなふざけたやり取りはともかくとして、神様の言い分に少なからず納得した自分は、今後彼らとの友好的な関係を築くためにと、一つ秘密を打ち明けることに決めた。
「……あの、アキラさん?今、誰かとお話しをしていらっしゃいませんでしたか?」
「私にはソラさんと聞こえましたが……」
「はい。今日は秘密大特価のバーゲンセールです。今紹介しますね」
そう言って自分は、神様のいる方へと視線を向ける。
すると、神様が自分の何かの記憶を魔力へと変換して、自分以外の他人にも姿が見えるようにと魔法を使った。自分には変化がないように見える。けれど、イズモさんとコハクさんの驚いた表情を見れば、神様の魔法が成功していることはすぐにわかった。
「うん、ちゃんと見えてそうね。どうも。ご紹介に預かりました、こいつの魔杖に憑いてるソラよ。よろしく」
「「なっ……!?」」
コハクさんとイズモさんは、突然姿を現した浮遊する神様を見ると、唖然として石化されたように固まってしまった。
二人の驚く声に、向こうの席の面子も様子が気になったのだろう。席から顔だけひょっこり出してこちらを覗いてくる。
「おぉ、な、なんだそいつ。お前らの知り合いか?」
「こ、コウタくん、そんなこと言ってる場合じゃないよ!だって体が浮いてるんだよ!?……ねぇ、その人誰なの!?もしかして、ゆ、幽霊!?」
「タマ、動揺しすぎです!お店の中ですよ、高価な調度品も多いんです。少し落ち着いてください」
「でも、でもっ!!ロクにも見えるんだよね?なら、教えてよ!あれは何!?」
「いやぁ……幽霊、でしょうか」
「ほら、やっぱりっ!?」
皆が皆面白いくらいに予想通りの反応をするのに、自分と神様は仲間たちが慌てふためく光景を黙ってにやにやと愉しむ。
そこに、少し遅れてミナトが顔を出してきた。
「あ、ソラ。どうしたの?何か用事?」
早々にネタバレをされて、加えて用件を済ませたら帰ってくれとも取れる台詞を言うミナトに、心配になって神様の方を見てみると、彼女は未だかつてないほどに不機嫌な表情を浮かべていた。
「……何?用事がなかったら出てきちゃダメなわけ?」
「そんなことはないけど……と言いたいところだけど。君の力の源が無尽蔵じゃないこと、知ってるはずだ。それに、いきなり出てきたらこうなることはわかってたはずだよ?もう少しタイミングを考えて欲しかったな」
他人から魔力を貰わなければ生きていけない神様と、そんな魔杖に生命力を取られる自分を守ろうとしてくれる生粋の医者だ。あえて言うまでもなく、馬が合うはずもない。二人の言葉遣いは、常に喧嘩腰だった。
「ど、どうしよう……。止めた方が良いよね?」
他の仲間たちは神様のことを知っているミナトから話を聞きたそうにしていたが、喧嘩に無策で割って入るわけにもいかず、言うに言い出せない様子だ。
「コウタくん……」
「一応言っておくけど、下手に口出ししない方が身のためだぜ。ああ見えてミナトは、怒ったら手がつけられなくなるからな」
「それで良いのかなぁ……」
「……先人の知恵です。タマ、ここは大人しくしておきましょう」
「ロクがそう言うなら……わ、わかったよ……」
そう言って頭を引っ込める彼らを責められる者はいないだろう。正直、自分ですら息をするのが辛いくらいに空気が悪かった。
「ソラが何をしようが、それは君の権利だ。文句は言わないよ。でも、アキラを唆して好き勝手するのは自重して」
「いちいちうるさいわねぇ。アキラが了承してるんだから、ミナトが文句を言う必要ないでしょ」
「そう言う態度を注意してるんだ。たまには感謝の言葉くらい口に出したらどうなの?君はそれだけのものを無償で貰ってるんだ。それくらい自覚はあるはずだよ」
「あぁ、もう!ミナトに私の何がわかるって言うのよ!私だって悪いとは思ってるわよ!それでも仕方ないじゃない!あんたたちがご飯を食べて寝る代わりに、私には魔力が必要なんだから!」
「まぁまぁ、落ち着いて……」
「私はアキラのために言ってるんだ。少し黙っててくれるかな」
「そんなことより、アキラからもミナトに何か言ってやってよ。まさか、ミナトの味方をするつもりじゃないわよね?」
「え、ええと…………」
ここで言葉が詰まる自分は、言うまでもなくどちらの味方でもない。喧嘩を止めようと口を開いたのに、単に火に油を注ぐ結果となってしまった。
仲良くして欲しいだけなんだけどな……。
そんな修羅場の傍で、息を潜めてヒソヒソ話をする者もいる。
「…………ほらな。黙っておいて正解だろ?」
「う、うん」
「コハクも時折、闇を湛えたような瞳になって手が負えなくなりますが、もしや私たちの班には普通の女性はいないのでは……?」
「その辺は期待するなよ。だからこその補欠だ」
「……僕、今になって補欠って言葉が嫌に感じてきたよ」
「私もです……」
「「そこ、少し黙っててっ!」」
「「「ぁ、はい……すみません」」」
放っておけばいつまでも言い争いを続けそうな二人に、この場の誰もがどうしたものかと頭を抱えていると、運良く救いの女神がやってきてくれた。
「……お待たせしました」
クロの手の中には料理が一つだけある。まだいくつもの料理を同時に運ぶことは難しいようだ。
「ソラ。ご飯きたよ」
「ミナトさんも、何を怒っているのかは私にはわかりませんが、クロさんの職場に迷惑をかけるのは本意ではないですよね?」
自分とイズモさんの言葉に、二人は一旦ではあるが矛を大人しく収めてくれた。
ほっと胸を撫で下ろした皆んなは、先ほどの嫌な空気を吹き飛ばさんとするほど賑やかだ。クロの手で少しずつ並べられていく料理の数々に、誰も表情にパッと花が咲いたように幸せそうに微笑んでいる。
「どれも美味しそうですね。色も鮮やかで、見ているだけでも楽しい気持ちになります」
「はい。味だけではなく見た目もこだわっているそうですよ。上から物を言うようですが、こう言った繊細な仕事をコンスタントにこなせる店はとても好感が持てますね」
「随分とお上品な感想だな」
「気持ちはわかるけど、せめて乾杯くらいはしようよ」
「……まぁ、あんたがそう言うなら」
「ソラは少し待っててね」
「はいはい。お気遣いをどうも」
テーブルに置かれた前菜を小皿に取り分けた後、自分たちはコウタに乾杯の音頭を取ってもらい、そっとグラスを突き合せた。本来ならクロを交えて行うべきものだが、彼女には仕事があり、またそれは自分たちが注文した料理の調理だ。無理を言うことはできるはずもなく、クロ抜きでの乾杯となった。
葉物野菜と魚介のサラダや具沢山のスープらを食べ終えた頃には、今度は各自頼んだメイン料理が運ばれてくる。
けれど、それは他の皆んなに限った話だ。
「アキラのだけ来ないねぇ……」
「因みに、アキラは何を頼んだの?」
「そう言えば、彼はクロさんのおすすめが食べたいと注文していましたね」
「随分無茶を言ったね。今頃クロ、どれにしようかなって、きっと悩んでるよ」
「悪気はなかったんですけど……」
「悪気以前に、調子に乗って人に任せるような、他人とは違う道を行こうと奇を衒うその性格が問題だって気が付かないのか?」
「いやぁ、そこに関してはぐうの音もでないよ……」
注文した時には心から良い考えだと思っていたのだが、今思えば誰も得をしない意味不明な発言だったかと反省する。
けれど、それでも自分は、クロが選んでくれる料理への期待は捨て切れていない。だから、例え周りからきつい言葉で責められようとも、痛い目でも見ない限りは後悔だけはできそうもなかった。
「大丈夫ですよ。すぐにアキラさんの料理も来ますから」
コハクさんはそう励ましてくれるが、クレアの方は甘やかし過ぎだと彼女のことを静かに睨みつける。
「根拠もなしに人を慰めるのか?随分といい加減で身内に甘いリーダーだな」
「根拠はありますよ。女の勘と言うやつです」
「おいおい、頭イカれてるのか?これ以上ないってくらい当てにならない根拠じゃないか」
「ですが……ほら。噂をすれば、料理がきましたよ」
「……頭の上の長い耳が動いてたの、しっかりと見えていたんだが?」
「あら、バレてしまいましたか」
くすりと小さく笑うコハクさんは、無用に当たりの強いクレアの言葉を特に気にしている様子はない。
ともかく、待ち侘びた自分の料理がクロの手で運ばれてきた。
しかし、どうもクロの様子がおかしい。自分と目線を合わせようとしてくれず、いや、それはこの店を訪れた当初から変わることのない悲しい現実なのだけれど、それ以上にクロの目は当て所なく泳いでいて、壁に体を隠してこちらの機嫌を窺ってきたり、かと思えば笑いかけると引っ込んでしまったりと、彼女は明らかに挙動不審だった。
「……クロ。そこで何をしているんだ?」
「え!?ぁ……その…………」
「そこで恥ずかしがっていても、料理が冷めてしまうだけだ。今日は、君が作った料理をお友達に食べてもらうんじゃなかったのか?」
「でも…………」
「覚悟を決めて行ってきなさい」
「ぁ、店長……!?」
肩を掴まれ厨房から表へと放り出されるクロは、まだ心が決まっていないのか、恥ずかしそうに身を縮こめている。
けれど、やがて自分が人の視線を集めていることに気が付いたのだろう。するとクロは、今度は打って変わってそそくさと自分の前に料理を置いたかと思うと、その勢いのまま厨房へと蜻蛉返りしてしまった。
クロが黙って戻ってしまったことは、昔の口数が極端に少ない彼女を知っている自分としては、予想の範囲内であったから特に気にすることはない。むしろ、普通に魔者らと会話し、接客業のアルバイトをしながら調理技術も身につけて、また一人でも人前に出ることができるようになった彼女の成長は本当に喜ばしい。
……しかし、しかしだ。恥ずかしがり屋ながらも人知れず努力を重ねる君には、本来いっぱいの褒め言葉を贈るべきなのだろうけれど、どうしても自分にはそれが叶いそうになかった。
それは、何も自分が天邪鬼だからと言う訳ではない。
「な、何じゃこりゃ……」
自分にとクロが持ってきたのは、料理という名を冠した極めて謎の物体だった。辛うじて食べ物と思しき形状を有してはいるものの、周囲の光を吸収しているのかと疑われるほどに真っ黒なその料理は、ひと目見ただけで完璧に炭化していていることがわかる。例えクロが自分のためにと作ってくれたものだとしても、とても口の中には運ぶ気になれないほどのひどい出来だった。これを商品として提供することを許した店長の正気も疑いたくなってくる。
しかし、どうしたことか、クロが運んできた料理に疑問を抱いているのは自分だけだ。
「……アキラさん、ひどい汗ですが、ご体調が優れないんですか?顔色もかなり悪いですよ?」
「え?……あ、本当だ」
「クロさんが料理を運んできてから、ずっとその調子ではないですか」
「まさか、人任せ運任せで出てきた料理をいざ前にして、今更苦手だ、食べられないなんて泣き言は言うまいな」
「そうは言いますが、クレアさん。私には彼にとクロさんが作られた料理は、他のどれと比べても一番美味しそうに見えますよ?」
この席に座る自分以外の全ての魔者が、クロの持ってきた暗黒物質を褒め称えては、羨ましいと口を揃えて言う。まるで悪い夢でも見ているような気分だ。
「アキラさんは、クロさんとは久しぶりに再会なされたんですよね?」
「そうですね。言っても一年程度ですけど」
「一年は十分に長い時間ですよ。クロさんは感情を言葉にするのが苦手なようでいらっしゃいますが、内心ではとても喜んでいるのだと私は思います。だから、再会のお祝いも兼ねて、アキラさんの料理は特に腕によりをかけて作ってくれたのではないですか?」
「私たちの中でも、クロさんは特に料理が上手なんですよ。家でも彼女が食事当番の日には、全員無言で食べるのに夢中になっているくらいです」
「あのクロがですか…………?」
「あんたがクロを放って好き勝手してる間、クロが寂しがって何もしてないとでも思ってたのか?ああ見えてクロは、こうと決めたらちょっとやそっとのことでは揺るぐことのないほどの頑固者なんだ」
「疎遠になってしまった相手でも、手料理で胃袋を掴めば、また一緒にいられるかもしれない。もしそう期待しての努力だとしたら、とても可愛らしい方ですね」
「……いや、こんなの食べたら胃袋を破壊されかねませんよ」
「冗談がお上手ですね。ですが、クロさんには是非正直な感想を伝えてあげてください。きっと飛んで喜んでくれると思いますから」
「は、はぁ…………」
彼らの能天気な言葉の数々に、堪らず自分は頭を抱える。
見た限り、皿の上の料理には異常しか認められない。質感は触るまでもなく岩のそれだ。調味料の香りもなく、あるのはただ物が焦げた匂いだけである。それなのに、皆が皆微笑ましげに自分とクロを見てくるものだから、本当に不気味でならない。
それに、クロの態度は明らかに何かを隠している者のそれだ。
……まさか、ね。
魔者たちには、魔法という特別な力がある。その中には、認識を歪める魔法なるものもあったはずだ。もしかするとクロは、料理の失敗を魔法で誤魔化しているのかもしれなかった。
けれど、それでは説明のつかないことが多い。
話を聞くところによると、どうやら今日はクロが料理を作っているらしいのだ。つまり、他の料理は見栄え良く味も申し分ないのだから、彼女が技術不足故に失敗することなど万に一つも有り得ない。加えて、自分にだけ失敗料理に見える理屈も全くの不明だ。
だから、考えれば考えるほど、なおさら自分を威圧してくる漆黒の物体への謎は深まるばかりである。
「…………クロ。一応確かめておきたいんだけど、これは何を作ってくれたの?」
壁で身体を隠そうとしているのだろうクロだけれど。時折猫の尻尾が顔を出すものだから、近くにいることはわかっていた。だから、思い切って本人に謎の答えを尋ねてみる。
すると、クロの尻尾が驚いた様子で一瞬ぴんと伸びた。上手に隠れられている自信があったのだろう。ひょいと尻尾の位置が下がったあたり、こそこそしているのがバレて恥ずかしくなって、その場で屈み込んでいるに違いない。
それでも、蚊の鳴くような小さな声だったけれど、クロは自分の声に応えてくれた。
「ぉ…………すと……ぁーぐ」
「……ごめん、聴き取れなくって。もう一回お願いできる?」
「……ぉ、オムライスと、ハンバーグっ!」
自分が何度も尋ねてくるのに、クロは怒っている時のような大きな声でそう言うと、今度こそ店の奥へと完全に引っ込んでしまった。
「アキラさん。クロさんに何かしたんですか?」
「……イズモさんにはそう見えます?」
「……いいえ。しかし、クロさんは普段はとても大人しくて温厚な方です。ミナトさんともまた方向性が違いますが、彼女も感情をあまり表に出そうとしません。それが、あなたの前ではどうでしょう。まるで人が変わってしまったかのように私には見えます」
「……そういえば、自分はクロに嫌われているんでした。すっかり忘れていましたよ」
「例えその言葉が真実だとしても、嫌いな相手に限って弱みを見せてしまうだなんて、そんなことが現実にあるのでしょうか……」
「アキラさんには、他に思い当たることはないのですか?」
「いや、特には……」
「……どの口が言ってるんだか」
流れるように嘘を吐く自分に、神様が呆れてため息を漏らしながらにそう責めてくる。その声が他の魔者たちに聞こえていなかったのは、自分にとってはとても幸運なことだった。
しかし、避けられない悪夢もある。
「アキラさんの料理も無事きましたし、冷めないうちに食べ始めましょうか」
「コハクさんのおっしゃる通りですね。では、雑談は一旦食後まで休憩ということにしましょう」
こちらの気も知らずに、周りの魔者たちは、とても美味しそうなご飯をとても美味しそうに食べ始める。
それに対して、自分の前にあるのは、魔者の五感をも狂わせるほどに強力な禍々しいオーラを放つクロお手製のオムライスとハンバーグだ。大変失礼だと理解はしているが、ここはあえて言わさせて頂こう。食べて確かめるまでもなく、美味しくないことだけは確実である。
けれど、食物アレルギーでもない限りは、口をつけずに残すことを周囲は許さないだろう。それでも、明らかに人が食べるものではない黒い塊は、ただ見ているだけでも胃液が逆流してくるほどの化け物だ。体のダメージとバランスを取らねば、命を取られかねない。
それに、懲りずにいつの間にか戻ってきていたクロが、物陰で自分が料理に手をつけるのを不安そうな目をしてじっと待っている。そんな彼女を無視してばっくれることなど、自分にはとても無理だ。
「い、頂きます……」
クロに見守られながら、自分は恐る恐る料理を口へ運ぶ。それがオムライスなのか、はたまたハンバーグなのかもわからない。ともかく、ボイラー用の
「にっ…………!?」
……苦い!渋い!ちっとも美味しくない!!ってか不味い!!!!
そんな正直な感想は、なんとか料理と一緒に水で無理やり胃袋へと流し込む。
「ぅ、うぅ…………」
「……大丈夫ですか?急に背筋を伸ばしたかと思えば、今度は天を仰いだりして」
体が料理の消化を拒絶し外へ出そうとするのを必死で耐える自分の姿に、コハクさんが心配して背中を摩ってくれる。相変わらず吐き気は消えないが、いくらか気持ちは楽になった。
けれど、イズモさんの余計な一言で、コハクさんから距離を置かれてしまう。
「コハクさん。きっとアキラさんは、クロさんの料理のあまりの美味しさに泣きそうなほど感動しているんですよ。今はそっとしておいてあげましょう」
「これは、そう言うものなのでしょうか……」
イズモさんが自信たっぷりに口にした事実無根の戯言に、コハクさんは違和感を覚えつつも、しかし自分へと疑いの目を向けてきた。
出来ることなら、その場で疑惑を否定するのが誤解を生まず最善だろう。しかし、自分は襲いくる吐き気を堪えるのに精一杯で口が開けない。そんな自分の状況もあって、誰からも邪魔されないイズモさんは調子付き始めて、謎の決めつけは更にエスカレートしていく。
「クロさんの料理が美味しくないわけありませんからね!こんなに素晴らしい料理に難癖をつけるような者がいるのなら、それはもう魔者ではありません!」
「また随分と過激な意見ですね……」
クロの料理を盲信的なまでに過剰に賛美するイズモさんの言葉を聞いていると、まるで何処ぞの新興宗教に勧誘されているかのような気分にさせられる。普段ならよっぽどのことがない限り口籠ることのないコハクさんも、彼の前では何と言葉を返すべきか悩んでいる様子だ。気付けば彼はクロを神とまで崇め奉り始める始末で、出会って間もないコハクさんは困り果ててしまって顔に苦笑いが張り付いていた。
そんな仲間の醜態を見ていられなくなったのだろう。クレアは蔑みを込めた視線で半目でイズモさんを睨みつけながら、彼の取る気色の悪い行動を常識的に、また客観的に責める。
「……イズモがクロの料理を好きなのはわかる。だが、自分の趣向を他人に押し付けるところまで行くと、流石にあたしらでも見るに耐えないほど気持ち悪いぞ」
「……え?そ、そんなに酷いですか?」
「普通なら付き合ってもいない異性の手料理を異常に褒め称えたりはしない。それに、お前は一応貴族で、許嫁もいるんだろ?妙な疑いをかけられても、今の風じゃ文句は言えないな」
「…………そ、そうでしたか。ご指摘ありがとうございます。今後は自重することにしましょう」
「そうしてくれ。イズモ自身のためにも、それが一番良い」
「……そうですね」
そんな一連の流れは、静かに自分の首を絞めつけてきていた。他に人がいなければ、自分は文句を喚き散らかしていたに違いない。
そもそも、他の魔者に運ばれてきた料理は至って普通だと言うのに、自分のものだけ見るも無惨なほど完膚なきまでに炭化しているのは、一体全体どう言う訳なのだろう。魔者たちの味覚は、人間のそれとかけ離れているのかもしれないし、実は魔者は魔法を複雑な滋味として愉しむことができるという可能性もある。しかしながら、今まで魔者の月で生活してきて食事で困ったことはなかった。故に、考えれば考えるほどより一層謎は深まるばかりだ。
ともかく、自分に課せられた義務は、変わらず目の前に鎮座している。今自分に必要なのは、どうやら鋭い閃きでも弛まぬ努力でもない。心を無にし、皿の上の物体を胃の中へと流し込む覚悟、それだけが現状を切り抜ける唯一の手のようだった。
いや、まだ一つだけ策が残っていなくもない。
「……ソラ」
「ダ~メ。責任施工よ。自力でなんとかしなさい」
「そうは言うけどさぁ……」
自分が助けを求めるよりも先に、神様には協力を拒まれる。
それでも、自分は藁をも縋る思いでダメ元で頼み込む。
「ねぇ、ソラも一口食べてみてよ。そうしたら言ってる気持ちがわかると思うからさ」
「さっきサラダを貰ったけど、ちゃんと美味しかったわよ?……何?そんなにあの子と関わるのが嫌なわけ?」
「……ソラは信じてくれないの?」
「卑怯な言い方ね。……ともかく、これはアキラが望んで得た結果でしょう?それに応えてくれたクロの気持ちも考えてもみなさいよ。あんたのためにって丹精込めて作った手料理を口もつけずに否定でもしたら、今度こそ完璧に嫌われて会話すらしてもらえなくなるんだから」
「うぅ……」
周りの魔者の平然とした様子と、神様の厳しい言葉に、段々と自分が我儘を言っているだけのように思えてきた。そうして、一度でも心の中に罪悪感が生まれると、他人の指摘を拒めなくなる。
「……まさか協会に入った目的を忘れたわけでもないでしょう?クロにこれ以上嫌われたくないのなら、男らしいところを見せることね」
「……わかったよ。食べるよ」
「うんうん、その意気」
神様に叱咤激励されて、自分はようやく覚悟を決めた。
「ええい、ままよ!」
自分は覚悟が鈍らぬ内にと皿を手に取り、空いた方の手でせっせと掻きこむようにして料理を口の中へと放り込む。途中激しく咽せたり、炭化した料理に口内の水分を持っていかれて喉につっかえることもあったが、最終的には残さず平らげることができた。
けれど、それが叶ったのは、陰ながら応援してくれていた神様のおかげだ。
「……なんだよ。結局助けてくれるんじゃん」
「一応私のご主人様ですから。少しくらいは、ね?」
「思ってもないことを……」
助けてくれたとは言っても、自分の体から防御機能を奪った上に、ちゃっかりと魔力に変えている神様だ。あまり感謝し過ぎても調子に乗るだけなので、自分の寿命を守るためにも、これ以上何かを言うことはしない。
……とまぁ、そんなこんなをしている内に、他の皆んなも食事を終えたようだ。
「ご馳走様でした」
自分は両手を合わせて、炭にされた食材たちを追悼する。それを真似て、周りの者たちも一緒になって手を合わせて、しかし普通の挨拶を口にした。
「ミナト様御一行、本日はご満足いただけましたか?」
奥から様子を見に来たのだろう店長さんは、食べ残しひとつない気持ちの良いテーブルの状況を一瞥すると、ふっと大人っぽい静かな笑みを浮かべる。
「店長も、毎度急な予約なのに対応してくれて、いつも感謝してるよ」
「この店は立地のこともあって、客入りが良いとは言えないですから。むしろ、ご贔屓にして下さり大変助かっています」
「そんなこと言って、この前は満席だったじゃない」
「だとしたら、それは私の腕ではなくクロさんのおかげです」
「店長の腕あってのものだよ。近いうちに、またお願いするね」
「はい。是非に」
店長さんは一通り話終えた後、ミナトに伝票を渡して、空になった皿を抱えて厨房へと帰っていった。
その代わりに、制服から私服に着替えたクロが出てくる。
「店長、今日も一緒に帰っていいって?」
「……うん」
「じゃあ、会計だけ済ませちゃおうか」
そう言うミナトは、けれど全額一人で支払ってしまう。
「いち、にぃ、さん……。うん、ちょうど」
「あ、クロ。領収書をお願いできるかな」
ミナトの注文にこくりと頷くクロは、お金を持ってレジの方へと走って行く。
「ミナトさん。お金の方は……」
「ああ、心配しなくていいよ。必要経費として、ちゃんと協会に請求しておくから」
「ちゃっかりしてるなぁ、ミナトは。流石はウチのサブリーダーだ」
「そんなこと言って、コウタは何もしてくれないんだから。たまには事務仕事を手伝ってくれてもいいんだよ?」
「……すまん。俺、機械だけはマジで無理なんだ」
「はぁ……。これからは協会関連の書類作成もしないといけないし、忙しくなるなぁ……」
そう言ってがっくりと肩を落とすミナトの目には、生気がなく光が灯っていない。協会と医者の仕事を両立しなければならない今の生活スタイルに、どうやら相当苦労をしているようだった。
かくして、今日の顔合わせ兼親睦会はお開きとなる。
「ご来店ありがとうございました。またのご利用をお待ちしています」
店長に見送られて表へと出ると、夜はすっかりと更けていて、あまりの寒さに堪らず身震いをする。
「どうしようか。一先ず大通りまで出て、そこで解散でいいかな?」
ミナトの提案に全員が頷いた。
「もう春なのに、ギアフロータスは寒いね」
タマさんが何気なくそう言った。
「私の体を風避けにしながら言わないでください」
「タマさんもロクさんも聞きましたか?新しい寮は個室にシャワーが備え付けられているそうですよ」
「え?本当!?それは楽しみだ!」
「広々とした大浴場で寛ぐのも良いものですが、毎日通うには不都合が多いですからね。協会の配慮に感謝せねばならないでしょう」
研修時代の苦労を思い出したのか、ロクさんは苦笑いを浮かべていた。
それを知ってか知らずか、タマさんがとある提案をする。
「じゃあさ、毎週決めた日にみんなで大浴場に行くのはどう?」
「楽しそうですね。私は構いませんよ」
「大浴場のことは私が言い出したことですからね。右に同じです」
「わ〜い!あっ、その日はアキラもちゃんと誘うから、寮まで来てね!」
「他に用事がなければ、まぁ、はい」
人間とは文化の違う魔者たちと共に風呂に入るのは、自分にとっては意外と無視できないストレスだったりする。けれど、協会に正式に入った以上、こう言った機会も増えることだろう。あまり毛嫌いせず、少しずつ慣れておくべきなのかもしれない。
そうやって他愛ない雑談に花を咲かせていると、気付けば既に大通りは目前に迫っていた。
潮風吹き荒ぶ夜の街は、否応にも足取りが早くなる。来る時にはいい加減かかった時間も、帰路はあっという間の時間だった。
「今日は突然のことなのに、みんな集まってくれてありがとう」
「お誘いいただけて嬉しかったです。こんなに良くしていただけるなんて、私たち第六班は恵まれていますね」
ミナトとコハクさんが簡単に別れの挨拶を済ませると、手早く連絡先を交換した上で解散となる。
「私たちの仕事は明後日からだよ。列車で陸の方まで泊まりがけで出るから、そのつもりで準備しておいて。詳しくは書類データを送るつもりだよ」
そんなミナトのリーダーシップを前にして、クロは何を思うのだろうと、ふと彼女の様子を窺ってみる。けれど、クロには他の心配事があるようで、自分の後ろの方を見て不機嫌そうな顔をしていた。
背後から何かが音を立てて近づいてくる気配がして、ふと振り返ってみる。するとそこには、歩行者天国が終わった大通りを悠々と走り迫ってくる一台の黒塗りの外車があった。
黒塗りの外車は、徐々に減速しているように見える。そして、ちょうど自分たちの前で停止した。
突然の出来事に魔者たちが戸惑う中、運転席から一人の女性が出てくる。
「……楓さん?」
「はい、楓です。こんばんは、玲さん」
楓さんは、上品ながら可愛らしい制服のスカートの裾を持ち上げながら、無駄のない綺麗なカーテシーで返してくれる。
「奇遇ですね。楓さんも夕食ですか?それともたまたま通りがかっただけとか?」
「玲さんの言う通り、ただの偶然であったら良かったのですが…………残念ながら、仕事のお話です」
「……なるほど。そう言うことでしたか」
「はい。急な呼び出しではお困りになるかと思いまして。ドライブがてらに、玲さんをお迎えにあがりました」
楓さんは、自分が同乗を断るという考えがないのだろう。それ以上何かを言うことはなく、助手席のドアを開けて笑顔で待っている。
そして、彼女の予想は正しい。自分は迷わず車へと乗り込んだ。
「すみません。急用ができたので、自分はここで失礼しますね。今日はお疲れ様でした」
ドアの窓を開けてみんなにそう言い残してから、自分は追求から逃げるように楓さんに車を出してもらう。バックミラーには、何が起こったのかと不思議そうな顔を浮かべる魔者たちの姿が映っていた。
「……私が言うのは違うとは思いますが、その……良かったのですか?」
「……と言うと?」
楓さんに話しかけられて、自分は鏡から視線を外す。
「実はですね、今日の仕事はそれほど急ぎではないんです。ですから、アキラさんが望めば、もう少し後で、改めて迎えに来るということもできたんですよ。今更言われてもと言う話ではありましょうし、私としては素直に乗ってくれた方が楽ができて助かるのですけど」
「それなら良かったです。楓さんに迷惑はかけられませんから。それに、今後は四六時中顔を合わせることになる人たちです。あまり気にしないでください」
「……私が言っているのは、彼らのことではないのですけどね」
楓さんは、申し訳なさそうに目を伏せる。
「貴方たちにとっては、夜だけが救いの時間のはずです。その時間を私たちのために割いてくれることは、本当に心から感謝しているのですよ」
「……ありがとうございます。でも、少しだけですが、久しぶりに話すこともできました。……だから、今日はもう良いんです」
「……そうですか」
そう言う楓さんの運転する車は、ギアフロータスの中心に向かって加速しながら走っている。自分も彼女も、もう降りることは叶わないと知っていた。だからこそ、互いに余計なことは口にしない。
「言い損ねていましたが、この度は協会での正式採用、おめでとうございます。制服も似合っておいでですよ」
「ありがとうございます。それもこれも、楓さんが魔法を教えてくれたからですね」
「ふふっ。お役に立てたようで何よりです」
夜更け行くギアフロータスの街に張り巡らされた高架橋を走りながら、自分たちは思いつくままにぶつ切りの会話を繰り返しては小さく笑う。
その間も走り続ける車の行先は、以前にも訪れたことのある木造のお屋敷だ。屋敷と言えば、檜さんに使われていた頃の嫌な思い出ばかりが脳裏を過る。けれど、今自分の抱える仕事の中では、切なる夢を叶えるための一番の近道であり、また自分の夢を応援してくれる強力な助っ人もいる。
しかし、そんな理想的な状況は、決して安くはない。
おもむろに右腕を上げると、裾の隙間から包帯が覗いて見える。一度千切れて失われたはずの腕は、完璧なまでに元通りだ。
いや、良くも悪くも、それ以上である。
「……ようやくですね」
「ええ。これまでよく頑張られました」
「でも、今後はもっともっと頑張らなきゃですから。……時間は有限です。大切に使わないと」
「その通りです。無駄遣いはいけませんよ。それが仮に、彼女のためであっても」
「わかってるつもりです」
自分の中には、あと何回分魔法を使えるだけの生命力が残っているのだろう。些細なことなら支障はない。しかし、大量の魔力が必要となる事態に遭遇した時、自分は数回で役立たずになる。
そして、同時に自分は、夢を叶える唯一の手段を永久に失うことになる。魔王に、神に、世界に抗う術は、自分にしか抜けない魔剣の中にのみ生きているのだから。
自分には、あと何年も猶予がない。この機会を逃せば、死ぬまで後悔することになるだろう。
「……あなたの努力が、誰にも邪魔されることなく無事結実することを心から祈っていますよ」
「その願いが叶うのなら、この世界に魔王なんて存在はきっといませんよ」
そんな理不尽な世界だから、夢を叶えるためには決して手を抜いてはならない。誰になんと言われようとも無視して、どんなに汚い手を使ってでも、目的のためならいくらでも犠牲を払う。
……必ず成し遂げる。
自分は二度、この世界を優しいものに変えてみせると誓った。一度目は失敗した。二度目の失敗は許されない。
故に、夜に紛れて今日も彼女に力を借りに行く。世を変え得る唯一の可能性は、光ではなく闇の下にこそ燦然と輝いているのだと、そう自分は強く信じていたから。
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