第45話 ゆめをじゅうりんせしまもの -前編-
朝一番、玄関横のポストに新聞を取りに行くと、そこにわたし宛の手紙が一通混じっていることに気が付いた。
誰からだろう……。
差出人の書かれていない綺麗な封筒の中身について、興味と不安が同時に生まれた。それでも、まずはテツのいるリビングまで戻って、自分の役目を果たすことにする。
「……テツ」
「おう、ありがとう。助かる」
「……うん」
パンを頬張るテツへと朝刊の新聞を手渡すのも早々に、わたしは謎の手紙の封を切り始めた。
「友達からか?」
「……わからない」
「直接ポストに入れにきたってことか。それなら、近所の誰かだろう」
「……イロハかな?」
「そうだと良いな」
それだけ聞くと、テツは二枚目のパンに手を伸ばして、また大きな口で気味良い音を立てながら香ばしい小麦色を頬張る。
そこへ、大きなため息をつきながらコウタがやってきた。
「……パンが嫌いなわけじゃないけどよ。こう毎日続くと飽きるな」
「そうは言うがな、コウタ。お前の料理な腕が生半可に良いのも原因だぞ」
テツは、まるでコウタが悪者のように言う。けれど、その表現はどうしてか、わたしの抱いている思いとそれほど遠く離れてはいなかった。
コウタが作ってくれるパンが日に日に美味しくなっていくのは、素人のわたしからでも明らかなことだった。そして今では、毎朝彼の出してくれる焼き立てのパンが楽しみで早起きをしていると言っても過言じゃない。
そんな、どこに出しても恥ずかしくない美味しいパンを一度だって口にしたら、誰だってもっと欲しくなるに決まっている。つまり、テツは、それがわかっていながらも腕を磨き、こうしてぐうの音もでないすごい結果を出してみせたコウタを心から褒めてはいるけれど、同じくらい、彼の言っていることとやっていることの矛盾に対しては白い目を向けているのだ。
わたしは、どうしてコウタが自分の好みではないパン作りを頑張れたのだろうと想像してみた。
それは、きっと、わたしやテツが、パンを食べたいと彼にねだったからなんだろう。
「正直に美味いって言えないのかよ。クロは毎日言ってくれてるって言うのに、師匠からは感謝の気持ちが伝わってこない」
コウタは、わたしを良い人のように言ってくれたけれど、それは少し違う。わたしはただ、自分の願いを叶えるために努力をしてくれた彼に、ちゃんとお礼をするべきだと、そう考えたんだ。それに、その言葉で彼が喜ぶだろうかと、そんな打算もだ。
だから、彼の求める素直な言葉を渡せないことが、わたしは少し後ろめたい。
でも、美味しいと言う感想に嘘はない。それは、テツも同じだと、そう信じたかった。
しかし、テツは頑なに思いを形にすることを拒む。
「そう言うものを俺に求めるな。そもそも言葉にしたところで、気持ち悪そうな顔をされるのが落ちだ」
「……屁理屈かよ」
「だが、事実そうだ」
二人の間に、生温い空気が漂う。それと、ほんの少しの羞恥の色もだ。
「で、誰からだったんだ?」
何とも言えない居心地の悪さに、テツは思い出したように話題を変えた。
コウタも、これ以上テツを責める気はないんだろう。席に着いて、不承不承と言った様子で朝食を取り始める。
名無しの封筒の中には、三つ折りの手紙が一枚だけ入っていた。
「洒落っ気のない、随分と畏まった手紙だな」
「それに、妙な香りまでしやがる。紙に香水か何かを振りかけたんだろうが、加減ってもんがあるだろうに。鼻が曲がりそうだ」
コウタは、手紙からする香りを酷く嫌っていたけれど、わたしには、心安らぐ花の甘い香り似たそれが、言うほどきつい匂いだとは思えない。
けれど、今は朝食の時間だ。いくらお腹が減っていたって、わたしでもゴミ捨て場の横ではご飯は食べない。静かで落ち着く場所で、味わいながら食事は摂るべきだと思う。
だから、可能な限り手短に内容を確認する。
「……仕事をしませんかって」
拙い頭を悩ませながらなんとか理解できる単語だけをまとめると、わたしにとって重要なことは、この一言にまとめられた。
「仕事?クロにか?良かったじゃないか」
「自分の名前も書かないような相手だぞ。疑ってかかるべきだ」
「確かに、香水の趣味は悪い。……でも、クロみたいな半端者を雇いたいって言うんだ。頭ごなしに悪人だと決めつけるのは違うだろ」
コウタは、ひと言断ってから手紙を手に取ると、文字が得意ではないわたしの代わりに中身を読んでくれる。
「あ〜、長ったらしい季節の挨拶は飛ばすぜ。差出人は……マジか、村長かよ!?」
「……どう言うことだ?」
「屋敷で働いていたやつが抜けて、穴が空いたから人を探してるんだと。待遇とか給料の話も簡単だけど書いてある。これ以上ないってくらいの好条件だ」
そう言ってコウタは、嬉しそうにわたしの方を向いて微笑んでくれた。仕事がしたいと願ったわたしの夢が早くも叶いそうなことを、彼は自分のことのように祝福してくれる。
でも、当のわたしは、あまりに現実感のない機会の訪れに、少なからず戸惑っていた。
こんなことが、現実に起こるものなんだろうか。昨日の今日で願いが叶うだなんて、なら、今までの孤独な日々はなんだったんだと、そう神様にごねたくなる。
だから、怖かった。手紙の内容が嬉しい反面、気付かぬうちに何か取り返しのつかないものを神様に支払ってしまっていて、そのおかげで巡ってきた幸運なんじゃないかって、そう思えて不気味で、堪らなく恐ろしい。
手紙を怪しんでいるのは、何もわたしだけじゃない。むしろ、わたしやコウタの幾倍も警戒心を露わにしているのはテツだ。これ以上ないってくらいの不機嫌で手紙を睨め付けていた。
「なぜ、クロなんだ?そもそも、アイツはどこで彼女のことを知った?」
悍ましいものを嫌々見せられているかのように、テツの表情は見ているわたしまで辛くなるくらいに酷く歪んでいる。
「おいおい師匠。いくら何でも毛嫌いしすぎなんじゃないか?それが親に対する態度かよ」
「とうの昔に縁は切った。アイツは家族でも何でもない」
「そう思う理由は知ってるけどさ、村長だってあれから変わったんだよ。大っぴらにはされてないが、屋敷で積極的に仕事に困ってる半端者を受け入れてることくらい、流石に知ってるだろ?昨日だって、生贄が廃止されたのは村長の一声があったからだ。そう邪険にすることないだろ」
どうしてか、コウタは怒鳴るように言う。それに、テツは少なからず動揺しているように見えた。
テツとコウタ、村長さんの間にある関係性を、わたしは想像することしかできない。想像できても、心の色まではわからなかった。
でも、一つ確かなのは、この手紙がわたしの未来を大きく変えうる可能性を秘めていると言うこと。その重大な選択に、わたしは他人の助けを借りることは、きっと許されない。
「身寄りのない俺やクロを本気で心配してくれるのは、本当にありがたいことだ。感謝してる。でも、師匠もわかってるだろ?子供を過保護にしたところで、良いことなんてろくにねぇんだ。……師匠も、クロのためを思うなら、少しは応援してやってくれよ」
そんなコウタの心からの言葉に、テツは面を食らったのか、言い返す言葉が見つからずに固まってしまっていた。
その隙に、コウタはしたり顔で悪戯っぽい笑みを浮かべながらわたしに向けて言う。
「好きにすれば良いからな。何かあったときは、ちゃんと俺たちが助けてやるからさ」
「………うん。ありがとう、コウタ」
コウタは、自分で道を選べるようにって、わたしに気を配ってくれている。
でも、そんな優しさが、わたしは嬉しいようで、また見捨てられたようにも思えてしまって、とっても心細くて堪らない。
それでも、いつかは決めなくてはいけない、他ならぬ自分の未来だ。幸運に嫌われているわたしに、次いつ機会が巡ってくるかもわからない。自分の心は、昨夜の間に決まっている。なら、この衝動に身を任せることが、きっと正しいことなんだろう。
でも、どうしても一抹の不安が消えてくれなくて、ダメだ。この期に及んで、見苦しくも決めきれない。
そんなわたしを焦らせるかのように、突然家のチャイムが来客を告げる。
「なんだよ、こんな時間に。まだ電車の始発だって走ってないぞ」
時計の短針は、ようやく真下を通り過ぎようとしていた。
コウタの言葉に釣られて、壁のコルクボードに貼られてあった時刻表の方へと目を向ける。彼の言う通り、最寄りの駅に汽車が来るには、まだ数時間の余裕があるみたいだ。
「宗教勧誘だけは勘弁してくれよ。殺生をするなとか言われたら、商売上がったりだ」
そうやって面倒臭がりながらも、コウタはお客さんを迎えるために行ってしまう。
「…………心配しすぎなのかも知れない。それくらい、俺だってわかってる」
そんな、今にも切れそうな細い糸の奏でる音のように体を震わせながら声を漏らすテツに、不意に声をかける男の人がいた。
「心配をするのは楽で良いな」
熱の感じられない、突き刺すような恨み籠ったその声は、わたしの知らない人のものだった。
けれど、彼が現れたと同時にパッと広がった華やかな香りには覚えがある。
「……人の家に勝手に上がり込んで、何様のつもりだ、親父」
テツは、まるで親の仇を見るような目で、村長さんの礼の無い行動を非難した。
しかし、村長さんの表情は変わることなく、屋台のお面のように張り付いて離れない。
「ちょっと、困りますよ村長!」
駆け足で戻ってきたコウタも、テツほどじゃなかったけど、動揺は隠せない様子だ。
「いくらあんたでも、笑って見過ごせることとそうじゃないことくらいある!」
「すみません。だが、こうでもしなければ、この遊び人が私を家に上げることを許すはずがありませんでしたからね。無礼はお詫びいたします」
村長さんは、言葉の通り、申し訳なさそうに深々と頭を下げる。それが、コウタに二の句を継がせてはくれなかった。
「……で、ご用件はなんです?師匠にですか?それとも、俺でしょうか」
本当なら戸口で済ませるはずの質問を、コウタが口にする。しかし、村長さんはそのどちらにも返事をすることもなく、ただ、じっと。わたしの方を懐かしそうな目つきで見ているだけだ。
「……もしかして、クロにですか?」
コウタは、相手の返事を待つことなく、村長さんの目的に気がついたみたいだった。
「いや、さっき手紙を読んだばかりなんですよ?流石に急ぎ過ぎじゃないですか?クロにだって考える時間は必要です。そんな簡単なことがわからない人じゃないはずだ」
「……こちらも立て込んでいてね。可能なら今日からでも力をお借りしたい。無理を承知で、無礼とはわかりつつも、誠意を示すにはこうして直接頼む他なかった」
「違う、そう言うことじゃない!ただ、こんなやり方は、人を騙す輩と同じだ!退路を塞いで焦らせるような真似は、あんただって本意じゃないだろう?時間をあけて、改めて場を設けるのが筋ってもんじゃないのか?」
コウタは、一呼吸置いて冷静に言葉を選びながら、正直な気持ちを声にする。
「社会に爪弾きにされている半端者を雇う。それは、簡単にできないことだ。尊敬するよ。でも、こんなんじゃ安心してクロを送り出せない」
「……そもそも、本気で半端者に罪滅ぼしをしようと思っているのかも怪しいな」
「……なぁ、どうしてそんな捻くれた考えしか持てないんだよ。自分の親だろ?少しは思うところはないのかよ」
「なら、この体に流れる血が、お前と同じだと認めたなら、同じ考えに辿り着くのは道理だろう。周りは勘違いしているようだが、所詮はただ費用が普通の人よりも安く上がるからと、それだけが理由じゃないのか?……それとも、口では言えないようなことでもしているのか」
「師匠!!」
コウタは、弾けるように勢いよくテツに駆け寄ったかと思うと、思い切り顔を殴りつけた。
「あんたは、誰のために怒ってるんだ?自分のためだろう!こんな機会がなきゃ、因縁のある親父と面と向かって意見も言えないような男のくせに、一丁前に親父面すんじゃねぇよ!」
「今まで面倒を見てきたのは誰だ?お前はどうして今朝も飯にありつける?さっきお前も言っただろう。他ならぬ俺が面倒を見てきたからだ」
「話を逸らすなよ師匠!俺、知ってるんだからな!アキラに銃なんか持たせて、どう言うつもりだよ。……まさか、あいつが人を殺すのを望んでるなんて言い出さないよな?」
「さあな」
「くそっ、すかした態度とりやがって!」
「…………コウタ、テツ」
喧嘩を始める二人に、わたしは動けずにいた。
怖かった。短いとは言え、同じお家で一緒に暮らした相手なのに、まるで別人のように豹変してしまった二人の表情と声色に、体の震えが止まらない。
「……怒らないで。お願いだ」
「クロ……」
「……すまない。怯えさせるつもりはなかった」
二人は他人の目を思い出して、一旦は矛を収めてくれたけれど、いつまた言い争いが始まってもおかしくはなかった。
…………ねぇ、どうして?
こんなはずじゃなかった。
そんな言葉が、胸の中で言い訳のように繰り返しこだまする。
手紙をくれた村長さんの提案は、疑いようがないくらいにわたしの夢を叶えるための近道だった。偶然とは思えないほどの都合の良い話に、何か裏があるんじゃないかって心配に感じているのはわたしも同じだ。けれど、半端者を受け入れてくれる先が他にあるのかもわからない状況で、村長さんの厚意を断る勇気もまた、わたしにはなかった。
「何と言われようと、今は構わない。……ただ、私には”時間がない”。そこに嘘はないことを、ここは目を瞑って信じていただきたい」
きっと村長さんは、テツとコウタの言葉で針の筵に座るような思いをしているんだろう。できることなら、今すぐにでもこの場から逃げ出したいはずだ。それでも、二人の叱責の全てを受け入れて、初めからこうなることも承知の上で朝早くに訪ねてきたのだとしたら、わたしは彼を無下にあしらうことはできそうもない。
「……ひとつ、聞いても良い?」
「ええ、もちろん。どんな些細なことでも、不安に感じることがあるなら、遠慮なく質問してください」
村長さんの言葉に甘えて、わたしは思い切って尋ねる。
「……なんで、わたしなの?」
「半端者を迫害するような風潮に流されて村民を扇動したのは、他ならぬ私です。ですから、何様だと言われてしまえば、そこまでなのですが……」
村長さんの品定めするようなねちっこい視線が、わたしの体を舐め回すように這う。その瞳に耳と尻尾を捉えると、村長さんは憐れむような目で慈愛に満ちた微笑みを浮かべるのがわかった。
「責任を、感じているんですよ。けれど、私は一人では無力だ」
「……でも、お祭りの生贄は村長さんがなくしてくれたんだよね?」
「確かにそうですが、多くの人の力を借りなければ、物事の一つも判断を下せない小心者です。彼らが確かな証拠を集めて説明してくれたからこそ、私は決断ができた。私は、そう言う魔者です」
驕り高ぶることなく、謙虚で、少し弱気な面が目立つ村長さんは、それでも自分にできることをと、なんとか村をまとめてきたんだろう。なのに、テツのように執拗に過去に犯した罪で責められて、コウタのように理解を示しながらも警戒されて。彼が葛藤の末に前に進もうと振り絞った勇気は誰にも届かず、ひたすらに自分の良心を焼き続ける。
「……ひとりぼっちは、辛いよね」
村長さんは、きっとわたしと同じだ。玲と出会う前の、気が狂いそうなほどの孤独に心を蝕まれて生きることに投げやりになっていた一羽の黒い烏だと思った。
「この歳になって、もうまともに取り合ってくれる相手もいなくなってしまいました。けれど、半端者の中にだけは、まだ優しい言葉をかけてくれる人がいる」
「……ううん。それは違うよ」
「違う、とは?」
「……うまく言えないけど。村長さんを応援してくれる人は、目に見えるよりもたくさんいるんだ」
自分は孤独で、誰にも見向きもされないような卑しい生き物だと感じられても、世の中は思いの外冷たくはなくて。とりとめがないほど広々とした青空さえ、その隅々まで至ることは叶わないのなら、わたしがこれまで見てきた、感じてきた物事の全ては、わたしがこれと決めた小さな箱の中での出来事とも言えるんじゃないかって、今はそう思っている。
外には望みがないと心の殻に閉じこもって、嫌なことから距離を置いた。それが悪いことだとは思わない。でも、わたしが捨てた世界には、そうやって駄々を捏ねて頑張ることを諦めたわたしにさえ優しくしてくれる物好きさんがいて、お節介な人がいて、わたしの下手な歌や絵を気に入ってくれる人がいた。そして、そんな心優しい温もりをわたしにくれる人は、決してこの世に一人だけじゃない。
わたしは教えてもらった。悲観することばかりしていても、世界は変わらない。他ならぬ自分自身がそれを拒んでいたら、夢は永遠に世界の外の絵空事で終わってしまう。そうして臆病にも手を伸ばす勇気を振り絞った先にだけ、欲しいものがあるんだと知ることができた。
しかし、そんな理想は確かに現実にあるけれど、どうしてか手の届く場所には置いてあることはなくて。自分が周りにいじめられてるんじゃないって、そう不安は止めどなく溢れてくるけれど。
……玲。
あの人には、何か特別なものがあるわけじゃない。こうして家に住むことを許してくれたテツとコウタや、お仕事のお誘いをしてくれる村長さんの方が、わたしに多くのものをもたらしてくれた。
ただ、わたしは思う。彼はきっと、誰かの特別でありたいと願っていたような気がする。分け隔てなく、無差別に相手を選び、遂には種族が違うだけじゃない、言葉の通じない相手にさえ手当たり次第に優しさを配っていたあの人は、イロハの言う通り、きっとどこかがおかしい。
でも、歪だとしても、周りの誰がなんと言ったって、わたしの欲しい特別を思い出させてくれたのは、玲だけだ。他の誰でもない、人間の男の子。
そして、そんな君は、わたしの憧れる人だ。
「怖がらずに顔を上げよう」
自分の心に住み着いた不安は、見て見ぬ振りをしよう。だって、目の前にはわたしと同じように苦しんでいる人がいるんだから。
わたしは、自分の心へと鋭利な刃物を入れる覚悟が欲しくて、お守り代わりに首にかけている天気管へと手を伸ばした。
そして、ゆっくりと。わたしの心の中から相手の求める夢を探して、少しずつ言葉として丁寧に削ぎ落とす。
「世界は一人で生きていくには広過ぎて、怖くてお家に閉じこもりたくなったりもするけど……。それでも、きっと村長さんの欲しいものは、そこにはないんだ」
「……あなたは、何でもお見通しなんですね」
「そんなことない。明日の未来も、人の心も、わたしには全然わからないよ……。でも、きっと、明日はいい日になるよ。信じて」
なんて軽い言葉なんだろう。ふぅっと息を吹けば飛んでしまいそうなくらい、中身のない未来だ。そして、何よりも、そう口にするわたし自身、明るい明日を信じ切れていない。むしろ、明日も、一月後も、一年後も、今と変わらぬ毎日がつつがなく続いていくことこそを、強く信じて疑わないんだから、わたしは酷い嘘つきだ。
でも、そんなわたしでも、他人の幸せを願うことはできる。幸せにしたいと、そんな衝動が溢れてきた。
だから、この言葉は、約束だ。自分のついた嘘を、現実にするために生きる。そんな生き方も、きっとあって良いよねと、わたしは誰にともなく呟く。
「自分の犯した罪に向き合うために、赦しを乞いたい。過去を横に置き、未来をより良くするために見栄を張る手助けを、どうかあなたにお願いしたいんです」
村長さんは、深々と頭を下げてまでお願いしてくる。そんな彼の震える手を、わたしは取ることに決めた。
わたしは、早速お仕事をするために、村長さんの住む大きなお屋敷へと出かけることになる。
「……いってきます」
「気をつけてな。あんまり無理すんなよ」
「……うん。ありがとう、コウタ」
テツも、コウタみたいにお見送りの言葉はくれなかったけど、表まで出てきてくれている。
「いってきます」
わたしは、改めてそう言葉にする。今は、ここがわたしの帰る場所だから。
準備をする間、外で待っていてくれていた村長さんの横にわたしは駆け寄る。忙しそうな村長さんのことだ。少しの時間も惜しいかと思って、できる限り素早く動いた。
けれど、なぜだか村長さんは歩き出す気配を見せない。
「……どうしたの?」
そうわたしが声をかけても、まったく反応がなかった。テツとコウタも不審に思っているんだろう。顔を見合わせて、どうしようかと悩んでいるみたいだった。
そんな時、村長さんが、無理矢理絞り出したような苦しげな声を漏らしながら、突然一歩後退る。
「そんな馬鹿な!”あり得ない”!」
後ろで黙って棒立ちしていたわたしは、村長さんにぶつかった勢いで数歩後ろによろめいた。
「……え?」
体勢を立て直そうとしたわたしは、偶然にも、村長さんの見ている景色と同じものを見た。そして、驚きに固まってしまっていた彼と同じように、まるで信じがたい状況に、わたしの上擦った声が静かな朝に嫌に響く。
「おはようございます」
わたしたちの動揺だらけな声とは正反対の落ち着いた挨拶は逆に不気味で、よりわたしの心を不安にさせた。肝が据わっていると言うのとは違う。そもそも最初からわたしたちを驚かせるためにこうして姿を現したのかもわからない。ただ、ひとえに、目前に立つ一人の男の子が何を考えているのかわからなくて、ひたすらにわたしは戸惑った。
「……アキラ、お前どうして?」
コウタも玲に気が付いたのか、間もなくそう尋ねていた。
けれど、ただ疑問に思ったから質問したんじゃないってことくらい、流石のわたしにだってわかる。
……そんなもの持って、何しに来たの、玲?
ふらりと、なんの前触れもなく現れた彼は、白の使っていた無骨な猟銃と古びた刀を一振り携えていた。
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