第43話 おまつり
人の姿になって、もうすぐ一年が経とうとしていた。
昔は、こんなに時の流れが早く感じたことはなかった。今は毎日が新しい発見の連続で、村でできたたくさんのお友達に囲まれながら過ごす時間はどれもかけがえのない思い出だ。
それでも、他人と上手く話すことは、なかなか慣れなくて難しい。
「ごめんね、もう少しで終わるから」
「…………うん」
緊張しているわたしに、チハルが気を遣って声をかけてくれる。なのに、自分でも聞き逃してしまうような小さな声でしか返事ができない。
わたしはチハルのお店の更衣室で、新しいお洋服を着せてもらっていた。
もう細かい調整は済んでいたから、なぜこの場で着替える必要があるのか、わたしにはよくわからない。でも、チハルには実際に服を着てみて、これで良いか確認してもらわないといけないんだと、そう言われた。だから、きっとこれは、お店として欠かしてはいけない大事な約束なんだろう。
「今日までにクロちゃんの服を完成させることができて本当に良かったわ。一年に一度のお祭りの日だもの。女の子ならお洒落したいものね」
そう言って微笑むチハルは、不器用なわたしのために、できるだけ簡単に着られるようにってデザインをいっぱい工夫してくれた。けれど、それでもわたしには難しくて、チハルの助けを借りながら少しずつ袖を通していく。
新しいものに触れるのは、たくさんの勇気が必要だった。なのに、不思議だ。お洋服は窮屈で苦手なはずなのに、どうしてか安心感が湧いてくる。
「……なんでかな、とっても懐かしい感じがする」
そんな私の感想を聞いたチハルは、嬉しそうに微笑んだ。
「クロちゃん、気に入ってくれてたみたいだから。裏地には前のものと同じものを使ってみたの」
「……もしかして、玲がくれた服もチハルが作ってくれたの?」
「そうよ。テツさんから女物の服を頼まれた時は驚いたわ。だから、私の作った服がこんなに可愛らしい女の子に着てもらえるなんて想像もつかなかった」
テツさんやコウタが着るのかと一瞬考えちゃったのは内緒よ?
そう悪戯っぽく言うチハルは、最後に外出用のコートをわたしの肩にかけると、大きく一度頷く。
でも、それは満足からくるものではないみたいだ。
「彼には敵わないわね。ほとんど前と同じような作りになってしまったわ」
「……そんなことない!チハルは、いっぱい考えてくれたよ」
「ありがとう、クロちゃん。……でも、やっぱりちょっと悔しいな。前の服の方が、クロちゃんって感じがするのよね」
わたしは、チハルが落ち込む理由がわからない。
お洋服にとって、何が大事で、何がいけないのか。わたしには見当もつかないけど、でも、前の服も、今着ている服も、どちらもチハルが作ってくれた、とっても素敵なお洋服だ。
だから、チハルが気落ちしている原因は他のところにあるんだろう。
「……チハルは、わたしのために服を作って、みんなにいじめられたりしない?村の人たちに、嫌われたりしない?」
「なに?そんなことを気にしてたの?他人の目を気にして怯えるような私だったら、初めからお仕事は受けてないわよ」
チハルは戯けるように、努めて明るくそう言った。
それでもわたしは、実はチハルに迷惑をかけてしまったんじゃないかと、不安で申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「私、クロちゃんには感謝してるの」
チハルは、そっとわたしの肩に手を置いたかと思うと、お洋服を作ろうと思ったわけを教えてくれた。
「彼からの発注のメモを見たときね、この想いは絶対に形にしたいって思ったの!本気で服を作ろうって、そう心から思えたのは本当に久しぶりだったわ」
それに、と。チハルは慈愛に満ちた表情で続ける。
「クロちゃんは、ハーちゃんのことを信じてくれた。この仕事を経験して、あの子はもしかすると、私とは違う道を選ぶのかもしれない。……でも、それでもね、自分で選んだ道ならやっていけるって、そう思うの」
魔者の多くは、自分の持っている才能で目指す将来を決める。それはごくごく当たり前のことで、むしろ叶う可能性が低い夢を抱くのは無謀とさえチハルは言った。だから、才能によって約束された道ではなく、自分でやりたいことを見つけて未来に選ぶ。その先に待ち受けているのは、誰もが避けて通るような荒れ果てた茨の道なんだろう。
だけど、その先でしか見られない新たな景色や、得難い感情もあるはずで、そんな素敵なものにイロハがたくさん出会えるような未来が、チハルにとっての密かな夢のようだった。
「それに、これからは森の獣に怯えなくて済むのよ。誰を犠牲にすることなく、安心して楽しい夜を迎えられる。それってとっても素敵なことよね?」
チハルはわたしの頭を撫でながら、嬉しそうに語る。
「テツさんとコウタくんのおかげで、生贄なんていう恐ろしいものと訣別をすることができた。だから、これを機に、私たちもいい加減半端者たちと向き合わなきゃね」
半端者を無条件に嫌うことを誰が始めたのか、今はもうわからない。
けれど、何も、その人がいなければ差別を終わらせることができないわけじゃない。誰でも、今の状態に違和感を抱けた人なら、今を変える力を持っているんだ。そしてチハルは、そんな素晴らしい力を持っているに違いない。
「これからは、きっと色々なことが良い方に向かう。……もしかすると、アキラくんと一緒に村で過ごせる未来もあるかもしれないわね」
「……どうして?」
魔者は、半端者や人間を嫌っている。なのに、なぜチハルがそこまで言ってくれるのか、わたしはわからない。
でも、きっとチハルにもわからないんだ。
「……そうね。今まで冷たく当たってきた半端者の人たちへの罪滅ぼしのつもりなのかも」
ただ、胸の中に大きなもどかしさがあって、それを解消したくて、がむしゃらに手を動かす。その相手が、きっかけが、たまたまわたしだったというだけ。そのことを、チハルはとても申し訳なく思っているみたいだった。
でも、わたしには、そんな優しさが、チハルが言うような悪いものであるようには思えない。
「……チハルは悪くないよ」
「どうしてそう思うの?……私は最初、あなたに酷いことを言った。それなのに、許してくれるの?」
「チハルは、初めて会ったわたしに甘いお菓子を分けてくれた。半端者なのに、こうやって新しいお洋服まで作ってくれたよ。だから、チハルはいじめる人たちとは違う。とっても優しい人だ」
他人に優しくすることは、きっとチハルが考えているよりもずっとずっと大変なことだ。周りの人が皆んな嫌っている相手になら、もっともっと難しくなる。
だから、理由なんて関係ない。わたしに優しくしてくれた、その事実だけが、わたしにとっては何より大切なんだ。
そんな思いが伝わったのか、チハルは小さく笑ってくれる。
けれど、それだけだった。
「ありがとう。本当に、優しくて良い子ね。……でも、クロちゃんはもう少し、他人を疑うことを覚えた方が良さそう」
そう言うチハルは、どうしてか悔しそうに唇を噛んで震えている。その理由を、わたしは見つけることができなかった。
「ねぇ、まだぁ?私も早くクロお姉ちゃんに着てもらいたいんだけど!」
更衣室でのんびりと着替えていると、外から催促の声が聞こえてくる。
「もう終わったわ、開けても平気よ!」
「本当、お母さん?じゃあ、開けるからね!……えいっ!!」
チハルの返事に、イロハは、わたしが心の準備をする間もなく、勢いよく更衣室のカーテンを開け放つ。
「わぁ…………」
「……へ、変じゃない?」
イロハの沈黙が怖くて、わたしは体を半身に構えて縮こまる。
新しいお洋服も、白色を基調としていた。けれど、以前のものとは違い、明らかに細部まで凝られているのがわかる。だから、そんな素晴らしい服が、わたしなんかに似合うのかなと、臆病に気遅れしてしまった。
でも、そんな不安が消し飛んでしまうくらい、イロハは興奮した様子で嬉しそうに笑う。
「そ、そんなことない!可愛いよ、すっごく似合ってるよ!!……ね、二人もそう思うでしょ?」
同意を求めるように、イロハは後ろを振り返った。
そこには、イロハと一緒にわたしの着替えを待ってくれていた、テツとコウタがいる。
それと、スズメと、そのお友達の”イチ”もだ。
「うん、僕もイロハと同意見だ。今日は毛並みも綺麗にしてて、とってもイイと思うよ!」
「いきなりスズメに誘われた時は、どうしようかなって思ったけど……。でも、人のお洒落を見るのも楽しいものね。来た甲斐があったわ」
……相手が女の子なのは、少し癪だけど。
そう不満そうに呟くイチに、スズメはひどく焦った様子で、しばらくの間言い訳を続けていた。けれど、スズメよりも一回りも二回りも大きな体のイチだ。何をするにも、スズメの動きが小さく可愛らしく見えてしまって、側から見ると、構って欲しくて気を引いているようにしか見えない。
でも、そんな賑やかで楽しげなやりとりは、わたし以外のみんなには聞こえていないみたいだ。
「……ほら、二人とも黙ってないで!早くクロお姉ちゃんに感想言ってあげてよ!」
「あ、あぁ……。そんなこと、言われなくてもわかってるさ」
「……しかしな。何か言わなくてはとは思うんだが、どう言葉にするか迷う」
テツもコウタも、すぐに感想を言ってはくれなかった。
だけど、わたしは、二人の口から否定の言葉が出てこなかったことに、心の底からホッとする。
でも、イロハには、テツとコウタの態度が不満だったようだ。
「二人とも、それでも男?ガタイがいいだけで、肝は小さいんだね」
「もう、イロハ!?失礼でしょ!」
「人が頑張っておしゃれしてるんだよ?それを何も言わずに無視するなんて、そっちの方が絶対失礼っ!」
チハルの静止も無視して、イロハは責めるようにピシャリと言い放つ。わたしのためにって、ここまで語気を強めてくれるなんて予想もしていなくて、不意打ちだけど、本当に嬉しかった。
だから、なおさら止めなきゃって思った。
「…………イロハ。テツとコウタを怒らないで」
「なんで!?クロお姉ちゃんは、本当にそれで良いの?」
「……うん」
わたしは、二人がこうして一緒の時間を作ってくれただけで、もう十分だった。
本来なら、今日はお祭りの日で、お仕事はみんなお休みになる。毎日朝から晩まで働き詰めな二人だ。本当は疲れていて、今だって休みたいに違いない。
けれど、それでも、二人はこうしてお店について来てくれた。
でも、一番は違う。
わたしは、イロハが、みんなに嫌われて欲しくなかった。
「わたしは平気だよ。だから、イロハが無理をして悪者になってくれなくても良いんだ」
「……別に、そんなつもりじゃ!」
そうやって、自分よりも他人の気持ちを優先してくれるイロハだ。そんな優しい彼女に、わたしのせいで嫌な気持ちにはなって欲しくない。
だから、この思いが伝わるまでは、イロハから目を逸らさなかった。
「…………わかった。私からは、もう何も言わない」
「……うん。ありがとう、イロハ」
わたしの気持ちが通じたのか、イロハは怒りの矛を収めてくれたように見えた。
でも、あのイロハが、わたしの言葉だけで簡単に引くわけもない。
「クロお姉ちゃんって、そういうとこは頑固なんだね。すごいと思う。……それに比べてこの二人は!女々しいったらないんだから!」
「あのな、そう急かすなって。俺も師匠も、初めから言うつもりだったってのに、タイミング逃しちまったじゃねぇか」
「……怪しい。けど、クロお姉ちゃんにも止められちゃったし。嘘じゃないなら、ちゃんと言ってあげてよ。ほら」
イロハは、いきなりこちらに駆け寄って来たかと思うと、わたしの背中をぐいっと押して、二人の前まで連れて行く。
「…………」
「ほら、恥ずかしがり屋なクロお姉ちゃんが頑張ってるんだから、二人も覚悟決めて!」
色々と無茶苦茶で、あまりに一方的なイロハの要求に、テツもコウタも困ったように頭を抱える。
「……恥ずかしがるも何も、お前が一人で暴走してるだけだろうが」
「そこ、文句言わない!だから彼女の一人もできないのよ!」
「おまっ!?なぜそれをっ……!?」
そうやって、今にも喧嘩を始めそうな二人だったけど、チハルとテツが間に入ってくれたおかげで、何事もなく終わる。
その後は、テツもコウタも、口を揃えて似合ってるって、わたしのことをすごく褒めてくれた。
けれど、どうしてかコウタは、わたしの方をまっすぐ見てはくれない。
「……あの、チハルさん?いや、クロが良いなら、俺は別に構わないんですが……。その、なんて言うか。……少し丈が短すぎやしませんかね?」
「……コウタのエッチ。なんで男って、素直に可愛いって言えないのよ」
「あのな!?お前は少し口を閉じてろ!」
「……ふん!」
茶々を入れてくるイロハに、コウタは今にも爆発しそうな勢いだ。
でも、コウタもイロハの性格は知っているんだろう。諦めたようにため息をついて、気持ちを切り替えている。
そんなコウタが気にしていたのは、どうやらチハルが作った服のデザインみたいだった。
「もう次期、この辺りでも雪が降る。森の奥の方はもう積もり始めてるくらいだ。寒さが厳しくなるのに、こんなデザインにしたんですか?」
コウタは、大人のチハルにも気後れすることなく、はっきりとした物言いで尋ねる。
「そうね。どちらにしても、攻め過ぎかとは思ったわ。……でも、着る本人が心地良い服を作るのが一番」
「……クロは、了承したんですね?」
「ええ。むしろ、これだけの布面積を確保した私を褒めて欲しいくらい」
「どんな希望を出したんだよ……。なぁ、クロ?前は知らないが、お願いだからここでは、まともな格好をしてくれな?」
「安心して。その辺は私とハーちゃんで言い聞かせたから、心配いらないわ」
そう誇らしげに言うチハルだけれど、わたしはやっぱり不満だ。
……動きにくい。
チハルは、服だけでは風邪を引くからと、暖かいコートも作ってくれていた。
それに、耳や尻尾、翼のある半端者の私のために、世間からの見た目が少しでも良くなるようにと、工夫を凝らしてくれている。
でも、それでも、窮屈なのはどうしても苦手だ。
だから、イロハの提案は、わたしにとって渡りに船だった。
「ねぇ、お母さん。そろそろ良いよね?私も早く、クロお姉ちゃんに着てもらいたいよ!」
「そうね」
そう言う二人は、おもむろにテツとコウタの方を向いたかと思うと、部屋から出て行くように命令した。
「は?どうしてだよ。どうせ更衣室の中で着替えるんだろ?なら、ここに居ても問題ねぇじゃねぇか」
「何?そこまでして、クロお姉ちゃんの下着姿が覗きたいわけ?」
「な!?そう言うことは先に言え!」
そう言って部屋を駆け足で出て行くコウタに、チハルとテツも続く。
「……チハルさんもですか?」
「はい。うちの娘の初仕事ですから。邪魔したら悪いじゃない?」
「そうでしたか」
その後を追って、スズメとイチもいなくなってしまう。
そうして残ったのは、わたしとイロハの二人だけだ。
「……ねぇ、イロハ。わたし、ちゃんと白く見えるかな?」
気付くと、わたしはそんな不安を口からこぼしていた。
「えっと……。どう言うこと?」
「…………」
自分から尋ねたというのに、わたしには、この胸の中で渦巻く感情をイロハに打ち明ける勇気が出なかった。だから、狡いとは分かっていても、彼女の答えを待ち続ける他に方法がない。
「……似合ってるんだから、それで良いよ。他人からは、よくイメージカラーみたいなものを押し付けられるけど、気にすることない。好きな服を着れば良いって、わたしは思う」
イロハは、面倒くさそうな表情はしていたけれど、彼女なりの答えを教えてくれた。
けれど、その答えに、尚更わたしは怖くなる。
「でも、玲は白が……」
「……ごめん。どうしてクロお姉ちゃんが白くなりたがるのか、私にはわからない。……でもね、アキラくんが選んだ色なんだから、きっとクロお姉ちゃんに似合う色なんだと思うの」
イロハは、わたしを励ますように言ってくれた。でも、まるで正反対の白と黒が同時に在ることを許されるなんて、どうしても信じることができない。
なのに、イロハは重ねて言うんだ。
「クロお姉ちゃんのお洋服はね、ほとんどお母さんは手を加えてないんだよ。本当にただ、彼の理想を形にしただけ」
それを形にできるお母さんも、もちろんすごいんだけどね。
そう言って笑うイロハの言葉に、嘘はないように思う。
だから、悪いのは、きっとわたしだ。
……イロハは、わたしよりも玲のことをわかるんだね。
頭が足りないわたしには、他人が考えていることがわからない。
でも、玲の考えていることは、もっともっと難しくて、想像もできなかった。
だけど、そんなおバカなわたしでも、目の前で見せつけられたら、流石に気が付くんだ。
「……玲は、わたしのことが、嫌いなんだ」
ずっと考えないようにしてきた。でも、一度言葉にしてしまうと、もう止まらない。
「だから、変わらなきゃって!少しでも嫌われないようにって!……でも、そんなの無理だよ……できない」
どうしてイロハにこんな話をしているのか、わたしにもわからない。
だけど、わたしはまた他人に頼ろうとしている。そのことに気が付いて、そんな自分が情けなくて、息が詰まるほど悲しくなった。
「確かめたの?」
「……え?」
イロハは、怒ったようにわたしに聞いてくる。
「クロお姉ちゃんは、一度でもアキラくんから嫌いだって言われたの?」
わたしは、必死に横に首を振った。
「……玲は、言わないよ」
「なんだ。それじゃあ、ただの思い込みじゃない」
「…………」
わたしは、もう何が間違っていて何が正しいのか、よくわからなくなってしまった。
イロハは、他人の夢を邪魔しちゃいけないって、そう言ったはずだ。
そして、玲の選んだ相手は、わたしじゃなかった。
なのに、それなのに、二人ともわたしの夢を応援してくれる。
……わたし、どうすればいいの?わからないよ……。
まるで、心の中に希望と絶望が同時に生まれたかのようで、酷く気持ちが悪い。
たくさん、本当にたくさんの夢を見た。幸せな日々を想像して、思わずニヤけてしまいそうになるくらいにだ。
でも、何を望んでも、最後には必ず壊れていく。他ならぬわたしの手で、そんな未来はあり得ないって、全部かき消されてしまうんだ。
そして胸に残るのは、大きな虚しさと、いっぱいの寂しさだ。
もう一人は、嫌だよ……。
でも、肝心の答えが見つからない。どうすればこの気持ちと折り合いをつけることができるのか、見当も付かなかった。
「悩んでも答えは出ないよ!」
考え込むわたしに、イロハは優しく手を差し伸べてくれる。ただ助けてくれるのを待っているだけのわたしにも、笑顔で近づいてきてくれた。
「今夜聞いてきなよ!特別な日の夜っていうのは、誰だって口が軽くなるんだ。お互いに自分をさらけ出すには、七星祭はピッタリの日だよ」
「でも……」
「お祭りってだけじゃ足りないなら、何か他にも理由を作れば良いの。そうよ、服を見せに行くのも立派な理由になる!」
可愛いって、褒めてくれるかもよ?
甘えたら、撫でてくれたりして。
そして、あわよくば、ギュッて抱きしめてもらえるといいね。
そんな台詞たちは、一様にイロハらしい桃色だ。
もちろん、全部冗談だって知ってるし、望むだけ意味のないことだって言うこともわかってる。
でも、今心が揺れているわたしが答えを決めるには、イロハの言葉は少し強過ぎるくらいの後押しだった。
「……わたし、頑張ってみるよ」
「うん、決まりだね!」
返事を聞いたイロハは、わたしの手を握って言う。
「時間は待ってくれないからね。早く着替えないと。クロお姉ちゃんに寂しい思いをさせたこと、後悔させてやるんだから!」
「……ありがとう、イロハ」
「なに、気にしないで!友達でしょ!」
わたしは、再び入った更衣室の中で、イロハとチハルの作ってくれたお洋服に身を包む。今夜のお祭りのために着る一張羅は、変わらず窮屈だったけど、不思議と心強くも感じられた。
「お待たせ!……あれ、何かお話し中だった?」
着替えを済ませたわたしとイロハがリビングに戻ると、みんなが机を囲んで楽しそうに談笑をしていた。
「気にしなくても平気よ?村長さんには感謝しないとねって、そう話してたの」
チハルに促されて席に座ると、すぐに飲み物とお菓子が出てくる。やっぱり人には、食べ物を分け合う習慣があるみたいだ。
「そう言えば、生贄を廃止するのを決めたのは村長さんなんだっけ?」
「おいおい、そりゃないぜ」
イロハの何気ない言葉に、コウタは不満そうにため息を吐いた。
「森の中駆けずり回って証拠集めをしたのは俺らなんだぜ?その頑張りは無視ってかよ。やってらんねぇな」
「もう、そうは言ってないでしょ!……ただ、なんで二人の言葉を村長さんが信じたのかなって、不思議に思っただけ」
「……まぁ、言いたいことはわかるぜ」
そんな二人の言葉は、わたし以外の全員の共通意見みたいだ。みんな腑に落ちないといった様子で、気持ち悪そうに眉根を顰めている。
「今までだって、いるかいないかもわからない、正体不明の森の主に怯えてきたんだよ?それが怖くて、生贄なんてものをずっと捧げてきた。……なのに、今更いないって言う証拠を渡されたくらいで、はいそうですかって止められるものなのかな?」
「ハーちゃんの言う通り、村の会議では生贄の儀式は継続される予定だったわ。それこそ、今年は誰を生贄として選出するかまで話し合いは進んでたの」
そう言うチハルと、どうしてかわたしは一瞬だけ目が合う。更衣室で見た時と同じで、とても辛そうな表情だ。でも、すぐに目線は逸らされてしまい、言葉の一つもくれない。そして、次の瞬間には普段通りの笑顔を浮かべているチハルだ。察しの悪いわたしは、今回もまた、力になれそうにない。
「会議に参加している人たちの中で、テツさんとコウタくんの主張に賛同する人は、本当に一握りだったわ。それも、みんな半端者を家族に持つ人たちばかりだったから、誰も相手にしなかった」
「……それが、あいつの一言で一転。廃止になった」
テツは、村長のことをひどく訝しんでいた。
わたしには、テツがどうして村長に対して当たりが強いのか、理由がわからない。でも、コウタやチハルが俯いて言葉を失っているのを見ると、昔、二人の間に何かあったんだってことだけは理解した。
「…………」
どっしりと重たい空気が、みんなにのしかかるようにして居座る。
そんな時間が嫌なのは、わたしだけじゃなかった。
「……ともかくだ。誰がなんと言おうと、森の主は実際にいた。師匠なんて、前の儀式の時に殺されかけたって話だ。その師匠が、この森から嫌な気配が消えたって言ってるんだ。俺からも保証する。もう安心だ」
「そうよね。良い話題だったはずなのに、どうして暗くなっちゃってたのかしら」
「確かに、素直に喜ぶべきだった。突然、変なことを言ってしまって済まない」
そんなテツの言葉で、また微妙な空気になりかけるも、コウタが笑って吹き飛ばす。
「師匠のコレはいつものことだから気にしないとして、だ。ぶっちゃけ、奴はまだ生きてるのかもしれない。でも、こことは違う別の場所でだ」
「それでも十分だよ!終わり良ければ全てよし、だよね!」
「ああ、お前もたまには良いこと言うじゃねぇか」
「たまには余計!……あ、でもテツさんとコウタはお仕事無くなっちゃうんじゃない?」
「ちょっと、ハーちゃん!?そう言うことは、人前で気軽に話して良い話題じゃないでしょ?」
「あ……。ごめんなさい」
「気にするな。平和なら、それが一番だ。だろう、コウタ?」
「なんだよ、俺は今日からニートってか?……お祝いの流れだって言うのに、みんな俺にだけ当たりがひどいぜ、まったく」
困ったように頭を抱える素振りをしてみせるコウタに、くすくすと、みんなの間に和やかな笑いがふっと湧く。
そして、そこからは、もう暗い話題が上がることはなかった。
「でも、七星祭か。今日は仕事も休みだし、何するかなぁ〜」
「あら?コウタくんには、普段一緒に遊ぶような子はいないの?」
「毎日仕事仕事ですよ。祭りに誘えるような親しい相手は一人もいませんって」
「寂しいコウタ。私は、”みんなとクロお姉ちゃんとで夜の星を見るよ”」
そう言って目配せをしてくるイロハに、わたしは合わせて頷く。
「そう言うチハルさんはどうなんです?」
「私を誘ってくれるの?でも、ごめんなさいね。今日は主人が出張から久しぶりに帰ってくるの。みんなに混じってお祭りもいいけど、今夜はのんびり晩酌でもするつもり」
「なんだよ、予定がないのは俺と師匠だけか!?」
「俺は仕事道具の手入れをするぞ?」
「ちっ、仕事人間め!」
「そう言うコウタもでしょ」
「うるせぇ!」
そうやって、みんなはコウタを面白がって揶揄う。
でも、わたしには、恥ずかしそうに顔を真っ赤にしているコウタが、だんだんとかわいそうに見えてきてしまった。
だから、わたしにできることがあればって、そう思ったから。
「……コウタ。夜まで、今日のお祭り、案内してくれる?」
「……ぁ、ああ!任せろ!!」
「……コウタ、はしゃぎすぎ。子供みたい」
「はっ、言ってろ!」
「ちゃんと夜までには返してね!独り占めしないでよ!」
「わ〜ってるって。心配すんな」
口ではそう言うコウタだったけど、イロハの言う通り、だらしない笑みを浮かべていて少し不安だ。
そんなコウタに連れられて、早速わたしは、チハルのお店を出ることになる。
「羽目を外すなよ」
「言われなくても。ちゃんと夜の仕事は手伝うさ」
「なら良い。楽しんでこいよ」
「ああ、行ってくる!!」
「……いってきます。」
「二人とも気をつけてな。」
こうして、わたしの初めてのお祭りは、慌ただしく幕を開けた。
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