第41話 何度でも、人は同じ罪を繰り返す

「本日のギアフロータスの天気は快晴。気温は21度と、秋のように過ごしやすい気候となっております」


海の上を軽快に走る列車は、もうじきに目的地へと到着するようだ。


 目的地は金属で溢れた工業で栄える街、ギアフロータス。巨大生物を調査するために研究者がキャンプを作ったことから始まったこの機械街は、今では月の中心とも言える規模の移動都市だ。


「地図を作るのも一苦労しそうだなぁ」


車内に流れるどこぞのラジオ音声が、終始他愛ない情報を乗客へと垂れ流し続ける。


 そんな列車に乗るのも、もう今回で四度目だ。いい加減景色も見慣れてきている。と言うか、海しか見えない。海は綺麗だ。だが流石に飽きた。窓からルアー投げ込んだら魚釣れるかななどと、下らない考えが頭に浮かぶくらいにはだ。

 

 だから、ここまでの間、興味もないラジオ放送に耳を傾けて暇を潰していた。話を聞く限り、どうやら今季のギアフロータスは街外縁部が海面上昇で浸水しているようだ。


 でも、それが今の自分に必要な情報かと言えば、そんなこともまたないのだ。


「なんか面白いことないかなぁ……」


そんな愚痴は、本来なら列車の走行音と潮風に流されて、誰の耳に届くこともなく消えていくはずだった。


 しかし、不本意ながら、自分は一人ではない。


「文句ばっかり言ってると、楽しめるものも楽しめない頑固オヤジに成り果てるわよ」

「言ってろ」


向かいの席から皮肉を言ってくる神様に、自分は顔を合わせることなく雑に返す。この態度が失礼なことは重々承知の上である。けれど、同じ姿勢でずっと座りっぱなしだった自分には、疲労を知らない神様の相手をするほどの気力は残っていなかった。


「あんたも、神相手に随分と生意気な口叩くようになったじゃない。どんな心境の変化?それとも、それがあなたの素なのかしら?」

「あのねぇ……」

「あら、気に障った?悪気はなかったんだけど」

「ぁぁ、うるさいわっ!ラジオが聞こえないでしょうが!」

「……なによ、どうせ聞いてない癖に」


三日と経たずに再会した神様は、相変わらず自分のことを意味もなく引っ掻き回してくる。だからと言って、こちらが言い返したら負けなような気がしてならない。だから、この場は渋々、反論の言葉を大人しく飲み込むことにした。


 けれど、それはただの独り相撲で、向こうはどうやら、鼻っからこちらを言いまかす気はないようだ。


「…………暇ね」


そう、窓に頬杖をついてつまらなそうに呟く神様こそ、彼女の本当の感情に違いなかった。




「で、今日は何しに来たのよ」


ギアフロータスの駅に降り立って早々に、間髪入れず次の目的地の話をし始める神様にうんざりしながらも、自分は頭の中のスケジュールをざっと確認する。


「もしかして、またあの狐の所とか言い出さないでしょうね?」

「それだけじゃないけど……。そうだね、まずはミナトさんのとこかなぁ」

「えぇ〜……」


心底嫌そうに表情を歪ませる神様だけれど、本当は自分だって行きたくはなかった。相手は異性で、所詮は友人の友人でしかない彼女だ。正直何を話していいのか、さっぱり検討もつかない。


 それに、自分たちは前回、ひどい喧嘩別れをしている。だから、話すにはまず最低まで下がってしまった関係値をある程度回復するところから取り組まなければならないのだ。


 でも、他に魔者の知り合いがいない以上、頼れる相手も医者の彼女の他にない。だから、たとえ背中を刺されかねないとわかってはいても、訪ねないと言う選択肢はなかった。


 そんな、自分勝手で薄情な自分だ。だから、またもや神様の考えを読み間違える。


「……今度置いて行こうとしたら、あんたの魂丸ごと吸い取ってやるから」

「さて、どうだろうね」

「冗談じゃないわよ、本気だから!」


そして、犯した過ちを素直に謝れないのも、また自分らしくて憎かった。


「でも、住む場所としては、私はこっちの方が好きね」

「確かに、便利ではあるかな」


横長の改札を二人並んで悠々と出ると、相変わらず街は多くの人で溢れかえっていた。


 よく観察すれば、土木関係者のような格好をした人たちがちらほらと見える。この辺りで近いうち、何か大きな事業でもあるのだろう。そんな、何かが大きく変わる前兆に、街の部外者とは言え、期待が膨らむのを隠すことはなかなかに難しかった。


 とにもかくにも、街はいつにもまして賑やかである。


「まずは御狐様への奉納品ね」

「その通り。とりあえずプリンは買って行こうか」


医者の彼女との面倒ごとはさて置き、一先ず意気揚々と大通りを自分たちは突き進む。背負っていた刀が、心なしか軽くなった気がしたが、きっとそれは勘違いだ。そうでなければ、自分はとんだ人でなしである。


 ……さて、今日も今日とて、海上に浮かぶ街ギアフロータスには、留まることを知らない足速な潮風の清々しさと、鉄が錆びついたような鈍色の重たい空気が入り混じっていた。


 そんな二つがいかにして共存しているかは、改めて言うまでもない。そもそも、他の生き物の背中で快適に暮らそうなどと言う発想自体、ちゃんちゃらおかしい話なのだ。


 けれど、そんな絶妙な均衡は、過去から現在まで健在である。強いて言うなれば、外縁部の浸水具合が所謂バロメーターの役割を果たしているのかもしれないが、居住区である中心部は海抜が比較的高いためか人々は呑気にも平常運転だ。


 そんなことを一人考えているうちに、気付けば、お目当ての銘菓を販売している海亀亭へと到着していた。


 しかし、そこには目を疑うほどの長蛇の列が、大通りに沿って遥か後方まで続いていた。


「……これ並ぶの?」

「いやぁ……」


正直、終始大通りを歩いている際、視界の端に妙に長い列があるなと気付いてはいたのだ。けれど、認めるのが怖くて、今の今まで見て見ぬ振りを続けてきた。


 つまり、だ。この列に並ぶためには、今来た道を相当な距離戻らなければならない。


「ねぇ、アキラ?ミナトは味音痴だから、その辺の安物持っていってもバレないって」

「その言い訳に頷きたい自分がいる。……が、謝罪とは誠意から。これも越えるべき壁なのかも。」

「なら、いっそのこと、この人の壁をひょいと飛び越えて、ちゃっちゃと先頭に入って買ってきてちょうだい」

「それはいけないことだよ」

「何よ、良い子ぶっちゃってさ。実行に移す勇気がないだけなくせに」

「……そのさ、いちいち人を小馬鹿にするのやめて欲しいんだけど」


何かにつけて人の行動に難癖付けてくる神様に、自分は小さな抗議に出る。


 でも、相手は感情を盗み見ることができる神様だ。準備もなしに、敵うはずもない。


「どうせ私の言葉なんて気にしてないんでしょ?なら、モヤモヤした気持ちは吐き出した方が、私の健康には良いじゃない」

「……プリン一個で手を打とう」

「図星ね。……あと、串カツも追加」

「……わかったよ」

「やりぃ!交渉成立ね!そうと決まれば、さぁ!早く並びましょ!」

「それでいいのか、神様よ……」


食べ物に簡単に釣られるなんて、神様として情けないとは思わないのだろうか。


 しかし、こちらとしては、扱いやすい方が大いに助かると言うものだ。だから、あえて直すように指摘をするような自分の首を絞める真似は、考えるまでもなく即座に却下である。


 最後尾に到着すると、間もなくすることもなくなり、意味もなく周囲を見回して時間を潰そうと試みた。


 けれど、すぐに連れの声に遮られてしまい、やむを得ず神様の相手に戻らされる。


「でも、案外慣れるのも早いものね。私も少しずつ、人間のあんたの思考を読めるようになってきたわ」

「どうせまた、他人の心を読んだんでしょ?ズルだよズル」

「それはあんた自身が一番よく知ってるはずよ?」

「自分のことを深く知るのは、そう簡単にできることじゃないよ」


無実を訴える神様に、しかし、日頃から苦労させられている自分だ。到底折れてやる気にはなれず、ふと思いついた屁理屈で押し通すことにする。


「そうそう、灯台下暗しなんて言うけどさ。そもそも灯台には、足元を照らす機能なんてない。だから、その暗闇に紛れた、あるかもわからない何かを見つけろだなんて言うのは、外から見る他人の傲慢だよ。そうは思わない?」

「そうかもしれないけど。……でも、今私たちには関係ない話よ。せいぜい余裕ぶってることね。いつかあんたの秘密を盗み見て、その生意気な表情が二度とできないようにしてやるんだから。覚悟してなさい」

「Oh , my God…………」

「……ふざけるのも大概にしなさい。いつ私があんたの女になったってのよ、本気でぶん殴るわよ」

「あ、はい」


他人の心が読めるのは、コミュニケーションを取るにあたって大きなアドバンテージだ。自分でなくとも、無茶苦茶な力だと、そうごねたくなるに違いない。


 しかし、それを抜きにしても、長い時を生き、多くのことを見聞きしてきた神様である。そんな彼女をぐうの音も出ないほどに言い負かすには、やはり自分は屁理屈を使ってすらまだまだ遠く及ばないようだ。


 そして、寛大な心と、思いやりの気持ちもまた、敵いそうもない。


「辛いなら、いつでも言いなさいね」


七面倒くさい自分の相手をしてくれるだけでなく、さりげなく気を遣ってもくれる。こんなに話しやすくて良い人は、探しても滅多にはいないだろう。


 だからこそ、なぜこの子は血ばかり見る宿命に囚われているのかと、そう嘆かずにはいられない。


「……ねぇ、ソラ」

「何?遠慮はいらないわよ。どれを消して欲しい?白との生活の記憶?コウタに言われた悪口?それとも、クロのこと?責めないからなんでも言って!」

「……足痛い、もう無理」

「ぁ、あんたねぇ……」


眉根を引き攣らせている神様は、そろそろ怒りの限界と見える。


 でも、こちらとて我慢の限界なのだ。


「本当、他人を殴れないこの体がこんなに忌々しいと思ったのは初めてよ」

「だって、痛いものは痛いんだもん!それに、刀も背負ってるんだからさ。そこは多めに見て欲しいなぁ〜って」

「この期に及んで私のせいにするか!……いいわ、かかってきなさいよ。その天邪鬼な性格を綺麗さっぱり私の力で洗い落としてやる」

「……人はそれをブレーンウォッシュと呼ぶ」

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!誰でもいいから、今すぐこいつをはったおしてっ!!」


とまぁ、誰も得しない上にくだらないときた三文芝居を挟みつつ、自分たちはあり余る時間をそれなりに楽しく潰していた。


 だが、その間に進んだ距離はといえば、列の半分にもいっていなかった。席の空きを待つような飲食店ではない以上、待機時間は遊園地のアトラクションほど長くはならない。それを推して、なお進む気配のない列に、気付けば二人してため息を吐いていた。


 そんな、半ば心折れかけていた時、ふと見覚えのある顔が視界に入った。


「ぁ、あなたは!」


向こうもこちらに気が付いたようで、駆け足で近寄ってくる。


 茶色の落ち着いた生地に白いフリルが特徴的な制服に身を包んでいる彼女は、確か以前夕食でお世話になったポンコツ面白従業員だ。


「どうも。お久しぶりです」

「あなたは……。えっと、誰さんでしたっけ?」


大きく首を傾げる彼女の頭上には、あるはずもないのだが、大きなクエッションマークが浮かんでいるように見えるから不思議だ。


 ともかく、曖昧な記憶を頼りに、彼女に出会った日のことを思い起こす。すると、我ながら珍しいことに、彼女の名前を思い出すことに成功した。


「モミジさん、で合ってます?」

「はっ!なぜ私の名前を!?まさか、忍者……!?」


出会って早速の謎発言に、人違いではないことは確信できた。


 しかしながら、精神をすり減らした者にとっては、彼女の存在は苦痛でしかない。


「流石に、二人目は勘弁してちょうだい……。私も、もう限界よ」

「ロールチェンジする?」

「えぇ、そうね。助かるわ。ついでにギアもいくつか落として」

「おっけい。わかったよ」


本当に苦しそうな神様に、さしもの自分もふざけ過ぎたと反省した。


 だから、彼女との会話は丸ごと自分が引き受けようと決める。もとい、神様は他人には見えないし、会話もできないのだけれど。


 しかし、生粋の本物を前に、偽りの冷静は呆気なく崩れ落ちた。


「あなたが夢の中のアキラさんでしたか!」

「……ん?夢??」


言わんとしたいことがさっぱりわからず、自分はアホみたいに彼女の言葉をおうむ返しする。それは、悩む姿勢を見せれば言葉の意味について詳しく教えてくれるかもしれないと、そんな期待を込めての行動でもあった。


 しかし、そんな事情は、向こうさんには関係ない話なようだ。不思議彼女は、ただ自分の話したいことだけを一方的に口にしてくる。


「いやいや、この前は空腹のところを助けていただいた上、お店までお手伝いしていただいて、本当にありがとうございました!」

「いえ、そんな……」

「また食べたいなぁ、味噌田楽。味噌の優しい甘みと、こんにゃくの独特の食感がもう病み付きです。ぁ、こんにゃくを揚げたら美味しいかもしれませんね!うん、帰ったらヒナタちゃんと店長に相談してみよっ!その時は、また一緒に手伝ってくださいね、アキラさん!」

「……ねぇ、これ会話の流れおかしくない?」

「やっ。私に振らないで。あんたの仕事でしょ」

「……因果応報と言うやつですか」

「もしそうなら、神様も案外ちゃんと見てくれてるものね」


情けは他人のためならずなどとよく言うが、その逆もまた然りだ。他人へ加えた危害も、巡り巡って自分の元へと返ってくる。それに対して逆ギレするようなクズではないつもりでいるが、それでも、不思議彼女の相手を務めるのは中々に苦労させられた。


 しかし、要らぬ苦労もあらば、その逆もまた起こり得る。


「そうだ!今プリン買ってきたんですけど、よかったらどうぞ!」

「いや、お気持ちはありがたいですけど……。この列に並んでようやく買えたんですよ?簡単に貰うわけにはいきませんよ」


不思議彼女は気軽にそう提案してくれたけれど、現在列の半ばまで来ていると強気に仮定しても、目算あと一時間強はかかるかと言う待機列だ。はいそうですかと、気安く受け取るのは違う気がした。


 それに、道端で空腹で倒れるような彼女だ。食欲の権化たる、と言う表現は失礼に当たるだろうが、そんな彼女が、街一の人気スイーツを他人に譲ろうとする理由がわからなかったと言うのもある。


 けれど、その訳は至極単純なものだった。


「でも、まだ大分先がありますよ?それに、私もちょっと買い過ぎちゃって」

「いやぁ……。いくつ買ったんですか、それ」

「たくさん、ですよ!だから、このまま持って返ったら、ヒナタちゃんに怒られちゃうなって思ってたんです」

「あぁ、バイトへの差し入れでしたか。そう言うの、なんか良いですね」


両手いっぱいに袋を下げる不思議彼女に、自分はふと昔のことを思い出した。自分もバイト時代、パートの人からよくお土産を貰ったものだ。そして、そういう小さな気持ちが、案外一日の活力になったりするのも知っている。


 けれど、不思議彼女の言う通り、何事にも限度というものがあるものだ。


「もうすぐ休憩の時間も終わっちゃいますし、急いでここで食べちゃおうかなって悩んでいたところなので。太っちゃっても嫌ですし、だから気にしないでください。」

「そう言うことでしたら、ぜひ。証拠隠滅のお手伝いとして、ありがたくいただきますね」

「はい!遠慮しないでどうぞ!」


片手に下げていた袋を丸ごと譲ってくれるつもりなのだろう。彼女は笑顔で迫ってきたかと思うと、おもむろに自分の手を取り、プリンの入った袋を持たせてくれた。


「おいしく食べてくださいね!」

「それはもちろん。……で、おいくらでしたか?」

「いいんですいいんです!……でも、そうですね。お仕事代わっていただいたお礼ということにはなりませんか?」

「なるほど。では、確かに。お礼は貰いました」

「やったっ!!」


そうやって楽しそうにはしゃぐ彼女からは、欠片も邪な考えが感じ取れない。それは、あえて言うまでもなく、とても素敵なことだ。


 けれど、どうも自分には、彼女が無理をしているように見えてならない。


 ……無視もできただろうに。


 それでも進んで近寄ってきてくれた彼女には、果たしてどのような打算があったのだろうか。その打算の結果、彼女は目的を達成するために、少なくない労力を割くことになった。本当にお礼をすることが目的だったのだとしたら、大成功と言えるだろう。そして、目的が達せられたのなら、多少なりとも嬉しいはずである。


 なのに、どうしてか彼女の言葉は、まるで街の喧騒の如く、たちまち記憶から掠れて薄らいでいってしまう。


 つまるところ、自分は今の一連のやり取りに、彼女の心模様がどうしても透けて見えなかったのだ。


「……他人のこと言えないな」

「どうかしましたか?」

「いえ、なんでも。気にしないでください」


他人の心がわからないと言うのは、心を不安にさせられるものである。けれど、その不安は、本人にとっては下暗しだ。他人からの指摘以外に、知る手段を持たない。


「またお店にも来てくださいね!みんな喜びますから!」


時間に追われる身の彼女は、肩から大きく手を振って土筆のある方へと元気よく駆けていく。


「土筆のみんなは、相当苦労してるようね」

「その解釈を否定できないのが、また悩ましいね」


彼女には、付き合い難いと感じてしまうほどの、不思議ちゃんな一面がある。


 しかし、それはあくまでも一側面なのだ。人は誰しも、暗い過去を持っている。


 だから、彼女の明るさが、どうかそういった類から生まれた仮面でないことを密かに祈る。


「で、クロとどっちが好みよ」

「は?どういう意味?」

「ミナトも、あのねちっこい性格がなければ、割と良いと思うんだけど?」

「…………。」

「……そのさ、困ったら黙るのやめてくれない?私がいじめてるみたいじゃない」

「どの口で言ってるのやら……」


ともかく、粗品の準備はつつがなく終えることができた。


 そして次に超えるべきは、本日最大の難関。つまり、医者の彼女との、平和的な仲直りである。




 店の扉を開くと、すぐに彼女と目があった。


「…………何しに来たのかな」

「話をしに、ですかね」


彼女からの視線がどうにも落ち着かなくて、自分は店に入ることができず、扉の柄を握ったまま外から返事をする。側から見れば、さぞ奇怪に見えたことだろう。


「……入って。私も話をしたいと思ってたんだ」


幸いなことに、彼女に入店を拒否されることはなかった。


「奥に行ってて。私も後で行くから」

「わかりました」


カウンターの横から自宅へ繋がる廊下を進むと、すぐにリビングへと着く。


 途中、表の扉が開く音がした。きっと、一時的にお店を閉めるのだろう。商売で生きている彼女には悪いことをしてしまった。そんな罪悪感もあり、自分は部屋の端で立ったまま家主を待つことにする。


 そうは言っても、彼女が戻ってくるのに、そう多くの時間はかからなかった。


「お待たせ。……久しぶりだね、アキラ」

「はい。お元気でしたか?」

「私は医者だよ?自分の体調管理くらいできる。……って、何の話をしてるんだろうね」


苦笑いをする彼女に促されるまま、自分は近くの椅子へと腰掛けた。その向かいに彼女も座る。


「すみません。こういう時、なんて言ったらいいのか思いつかなくて……」

「……ねぇ、私たち、前はどんな風に話してたのかな?」


白と一緒に来た時は、お互い挨拶も早々に、まるで最初から友達だったかのように普通に会話できていた。けれど、今は話題に思考を巡らせ、相手の機嫌を窺い、当てもなく視線を泳がせている始末だ。彼女の方も、大きな耳だけをこちらに向けて、視線は先ほどから斜め下で固定されている。どんな顔をして良いのかわからないのは、どうやら向こうも同じようだった。


 そして、高々一日を共に過ごした程度の関係だ。できる話題は、必然的に一つに絞られてしまう。


「まだ一年なのに、色々な記憶が抜けていくんだ。とても楽しかったって言うのは覚えてる。……でも、何をしたかとか、その時の白の表情がね、紙にインクをこぼしたみたいに、滲んで見えない」

「もう一年ですよ。人が変わるには十分な時間です」


人は、都合の悪い記憶を忘れることができるから、前を向いて歩くことができる。時間が解決してくれるとはよく言ったもので、実の所、人はただ記憶を失くしているだけに過ぎないと言えなくもない。


 けれど、忘れたくない記憶もまた、時間と共に徐々に掠れて消えていってしまう。その癖して、幸せだったことだけは忘れることができないのだから、救いのない話だ。


「……白。ごめんね」

「…………」


人は他人のことを想い、悲しみに涙を流す。


 けれど、彼女を悲しませる記憶が、他の嫌な記憶と同じように綺麗さっぱり消えてくれたなら、どれだけ心は救われただろうか。


 そんな、ともすれば薄情だと罵られかねないようなことを真剣に思ってしまうのは、ひとえに、彼女が白のことを強く想ってると知っているからだ。


 でも、悲しみに立ち止まってしまっては、何も成すことはできない。だからこそ、自分は大きな覚悟を持って、この場に足を運んだのだ。


「今日は、折り入って頼みたいことがあって来ました」


今の自分は、言ってしまえば、勢いだけでここまで来ている腑抜け者だ。謝罪はせず、関係の回復を図るでもなく、真っ先に口にするのは自分の欲。


 当然、彼女の機嫌は芳しくない。


「話は聞くよ。でも、勘違いしないで。私は別に、君という人間を許したわけじゃない」

「……はい。そこはわかってるつもりです」


でも、これはきっと、彼女のためにもなる。


 彼女が負った傷を、自分は恐らく癒すことはできない。


 けれど、できることがないかと言えば、そんなこともなかった。


「魔杖を作って欲しいんです」


自分は彼女に、単刀直入にそう伝えた。


「……ごめんなさい。そう言うことなら、他をあたって」

「ダメですか?」

「何を言い出すかと思えば、人間が魔杖を作って欲しい?君が何を考えてるのか知らないけど、私が医者だってこと忘れてないよね?魔杖が欲しいなら、専門の業者に頼むべきだ」

「……確かに、その通りですね」


ほんの、ほんの少しだ。彼女なら気前良く頷いてくれるのではないかと、自分は密かに期待していた。


 けれど、現実はそう甘くはない。案の定彼女には断られ、今にも店を追い出されそうな雰囲気になってしまう。


 しかし、諦めるわけにはいかなかった。


 それに、これは彼女にしか頼めない仕事なのだ。


「夢を、叶えてあげたいんです」


誰も寂しい思いのしない、優しい世界を創りたい。


 それは、白が死ぬ間際、虚ながら確かに願った夢だった。誰も助けてくれない冷たい世界で、自分と同じ思いをしている子たちを助けたい。そんな願いは、自分が終わると理解したからこそ口にできた誠実で裏のない夢の一つだったのだろう。


 そして、それは今では、自分の夢にもなっている。


「馬鹿げた理想だって言うのはわかってるつもりです。でも、誰かがやらなければ叶わない夢だとも思うから」

「……だからって、君が世界を変えるって言うの?白の代わりに、私たち半端者が平和に暮らせる世の中を実現する?……そんなの無理だよ」


自分の夢が。いや、二人の夢が、だ。絵空事だってことくらい、嫌と言うほどわかっているつもりだ。


 でも、自分は叶えなくてはいけない。白のために、他にもいるたくさんの半端者のために。そしてなにより、自分のために諦めるわけにはいかなかった。


「もう何もしないのは嫌なんです。この命を無意味に使い果たすのだけは、絶対に嫌なんですよ」

「……君はその夢に、命を賭けるとでも言いたいの?」

「…………はい。文字通りに」


自分はある秘策を彼女に話した。


 成功するかは愚か、この発想が実現可能かもわからない。そんな、単なる思いつきと一蹴されてもおかしくない奇策だけれど、しかし、自分にとっては今支払える最大の切り札でもあった。


 更に言えば、秘策が成功したところで、勝算は限りなくゼロに近い。


 それに加えて、この夢は、彼女の人生を食い潰すものでもあった。


「魔剣の鍛造をお願いしたいんです。」

「なっ…………!?」


魔剣。


 読んで字の如く、自分が望んだのは魔の剣である。


 魔杖の中でも、特に危険な力を有するものを、人々は魔剣と呼称している。それは、半端者が忌み嫌われる原因ともなった諸悪の根源でもあった。


 そして現在、この世界において、その危険性から魔剣の鍛造は固く禁じられている。世間にバレれば、良くて監獄行き。最悪の場合、命を取られることになる。つまり、これはテロ同然の行為だ。武力行使で世界を変えようと、そう言う類の犯罪である。


 そんな悪行を、はいそうですかと許す彼女ではもちろんない。


「私が許すとでも思ったの?私、言ったよね?病気を治して、他人を幸せにしたいって!……それなのに、それに気付かせてくれた君自身はどうしようもない死にたがりだ!白と一緒、もう病気だよ!これじゃあ、また私の前から友達がいなくなっちゃう!」

「自分だって、簡単に死ぬつもりはありませんよ。……ただ、こう言う言い方は卑怯ですが、成功するか失敗するかはミナトさんの腕次第ですかね」

「今は冗談は聞きたくない!そうじゃなくても、死のうとする他人の言うことなんて、私聞かないからね!……これも君が教えてくれたことだよ、忘れちゃったの?」


目を覚ますようにと強く訴えかけてくる彼女は、自分が悲しみに乱心していると思い込んでいるのだろう。必死に正気に戻そうと、普段は動くことのない硬い表情もフル活用して、自分の内面に向かって頻りに語りかけてくる。


 確かに、彼女が言ったような臭いことを、この口で言ったような覚えもあるにはあった。だが、それは彼女への言葉で、彼女の周りにだけ適応される話だ。自分とは一切関係ない。


 そして、何より自分は至って平常運転だ。


「ねぇ、本当に何を考えてるの?余計なことはしなくて良いよ。だから、お願い。危ないことはしないで」

「……ここに、人間にとって安全な場所なんてありませんよ。誰にも見つからないように隠れて過ごすか、人間性を捨てて魔者として振る舞うか。どちらにしろ、終わりは来ます」


この世に生きとし生けるもの、いつか命は潰える。その理がもたらす全ての結果に、あらゆる生命は納得をしなければならない。


 けれど、自分はまだ生きてすらいない。まだ自分を見つけられていないのだ。


「夢から覚めるためには、痛みが必要です。自ら頬をつねり、他人には叩かれ、最後には地べたに這いつくばる。そうして終わりを意識した時、初めて人は本物の覚悟を決めることができるようになる気がするんです」


だから、命は何のためにあるのかと。そう誰かが問うたなら、自分はきっとこう答える。


「未来を棄てる覚悟がない人には、きっとどんな小さな夢だって叶えることはできない。だから、これは対価なんです」

「……おかしいよ。そんな覚悟の決め方は、絶対に間違ってる」

「そうかもしれませんね。でも自分、他人より馬鹿ですから」


カチリ、カチリと、部屋の時計が時間を刻む小気味いい音と共に、胸の中の心臓も静かに時を数える。


 けれど、命の単位と言うのは、きっと時間ではない。徐々に減っていくことはなく、消費しない限り価値は常に一定だ。


 そして、多くの者は、その命を使い尽くすことなく死にゆくのだろう。それが悪いことだとは言わない。むしろ、健全なあり方だと、憧れもする。


 しかし、これは何も持たない自分に見つけた、唯一の希望なのだ。自分に許された可能性の残高は、人一人分の人生が丸々と残されている。ならば、この身の全て使い果たすことになろうとも、世界に挑戦するべきだろう。


 ……万人に優しい世界の実現を。


 なんて言う思いは、言うまでもなく、ただの綺麗事である。でも、それでも。これだけは諦めきれない夢なのだ。


 だから、何度でも自分は頼み込む。


「誰が何と言おうと、それだけの犠牲を払う価値が、この夢にはあると思うんです。……だから、手を貸してくれないかな、ミナト」

「……こう言う時ばっかり、君は私の名前を呼ぶんだね」


それについては、こちらは弁明のしようがない。自分でも小賢しいことをしていることくらいわかっている。


「あの日のアキラに戻ってよ」

「でも、白は戻って来ませんよ」

「……意地悪言わないで」

「それでも、もう前を向くべきです」


以前の関係に戻る。それが不可能だと言うことは、彼女だって理解しているはずだ。


 しかし、結局彼女は、医者としての自分を棄てることはとうとうなかった。


「どこで魔剣のことを知ったのかは聞かない。他の人にバラすつもりもないよ。……だから、今の話はなかったことにして」

「……そうですか。わかりました」


残念ながら、当ては外れてしまった。


 それと同時に、ここに残る理由もなくなる。


「お邪魔しました。いきなり来て変な話をしてしまってすみません」


渡しそびれていた海亀亭のプリンを彼女に押し付けて、自分は帰り支度を始める。


 そのまま、静かにお別れをするつもりだった。


 しかし、刀を背負い、廊下を抜けて店に出たと同時、おもむろに彼女に服の裾を掴まれて引き留められる。


「……アキラ」


彼女は、自分の背中で小さく泣いていた。


「……君はずるいよ」

「……よく言われます」


自分は、自らが犯した罪を直視することができなかった。


 ……ごめんなさい。


 しかし、これは自分が決めたやり方だ。右足が折れたなら、左足を折ればいい。そんなことを言ったら、彼女はまた激怒することだろうけれど、自分は彼女とは違い、他人の病を治すような力はないのだ。


 でも、彼女の悲しみの傷に塩を塗り、収まりかけた怒りの炎に再び油を注ぐ。行き場のない感情を、救いのない人生に、恨むべき悪を生み出すことならば、今の自分には容易に叶う。


 そして、自分は彼女が恨む悪になるべく、行動を起こしてしまった。もう、後には引けない。


「いつか君を治してみせる」

「治すのは自分じゃなくて、世の中の方ですよ」

「それでも、私は君の医者だ。私が治ったと判断するまで、逃げるような真似は許さないからね」

「善処はします」


自分たちは、歪ながらも、仲直りをすることが叶った、のだと思う。


 これから先、どれだけの苦痛が待ち受けているのかは神のみぞ知る。そして、その全てに自分たちは耐えなければならない。


 でも、今日はまだ、弱気でいてもいいはずだ。


「……馬鹿」

「ミナトさんだけ一人にしてしまって、すみませんでした」

「そう思うなら、誠意を見せて欲しいな。」


だから、今だけは、一年越しの旧友との再会に、他人の温もりの尊さを二度と忘れないようにと、まるでズレた心音を調律し重ね合うような穏やかな時間を人知れず過ごした。

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