-Another View- クロ1

 わたしは、コウタとテツには黙って、朝からこっそりとボロボロのお家へと帰ってきていた。


「……玲?」


藁の上で横になっていた彼の横にわたしは静かに膝をつき、びっくりさせないようにそっと体を揺らしてみる。けれど、玲が目を覚ます様子はなかった。


「……ねぇ、もう朝だよ?ご飯の時間だ」


ゆさゆさ、ゆさゆさと。怒られないように、でも起きて欲しくて、諦めずに何度も体を揺すった。名前も呼んだ。試しに頬も突いてみた。けれど、玲の眠りはよっぽど深いのか、わたしの言葉に応えてはくれない。


 でも、起きたらすぐに村に追い返されてしまうかもしれない。そう気がついたわたしは、まだ一緒の時間を失いたくはなくて、玲を起こす手を渋々ながら止めた。


「…………っ」


早起きしていたわたしは、しばらく玲の寝顔を眺めていたせいか、眠気が移り大きなあくびを吐く。その眠気に負けて、わたしは玲の側でこっそりと横になることにした。


「うっ……」

「ご、ごめんなさい……」


けれど、いつかの懐かしい温もりに手を出したわたしは、もう小さな鳥ではない。人の体は、玲の上に乗るには少し重く、また大き過ぎた。


 そんな重さに苦しそうに呻く玲は、わたしが人の姿になってからは、どうしてか近づくことを頑なに許してくれなくなってしまった。


 だけど、眠っている今なら大丈夫かもしれない。後でたくさん怒られても良い。わたしは、わたしとしての願いに今だけは嘘をつきたくなかった。


「…………ん」


結局わたしは、玲の腕を枕にして、彼に背を向けた姿勢で落ち着いた。


「……わたしね、お友達ができたんだ。今日も遊ぶ約束をしたんだよ?」


わたしは、昨日までの出来事を一つずつ思い出しながら言葉にしてみる。


 美味しいご飯の話。


 あったかいお風呂の話。


 ふかふかの布団の話。


 新しくできたお友達の話。


 しかし、それらを口にする度に、わたしは自分が何をしたいのか、少しずつわからなくなっていった。


「……ねぇ、わたし頑張ったよ。ちゃんとした人になれるように、まだまだ上手くはいかないけど、たくさん、たくさん頑張ったんだ」


玲は褒めてくれるだろうか。もしかすると、この努力は間違ってると、そう教えてくれるかもしれない。


 とにかく、わたしは知りたかった。


「……わたしは、何になればいいのかな?」


新しいことに挑戦する度に、何か別者へと変わってしまっているようで怖い。


 だから、教えて欲しいんだ。


「玲は、人のわたしにも、前みたいに優しくしてくれる?」


けれど、眠っている玲は返事をしてくれない。例え起きていたとしても、彼は適当な事を言ってはぐらかしてしまうだろう。


 でも、お願いだ。これだけでいい。わたしはもう、失いたくないんだ。


「……食べて。ひとくちで、良いんだ」


わたしはおもむろに体を起こし、持ってきていた朝焼いたばかりのパンを玲の口元に運ぶ。昔、彼がわたしにしてくれたように、食べてくれるまでじっと待った。


 なのに、玲は口を開けるどころか、逆に顔を背けてしまう。


 それはきっと、わたしがパンを焦がしてしまったからだと思った。一度目は上手くいったのに、どうしてか二回目は大失敗してしまったんだ。


 でも、今わたしには、これを食べてもらう他に良い考えが思いつかなかった。だから、わたしは、眠る玲にゆっくりとパンを食べさせる。


「…………んっ」


溢してお洋服を汚さないように、わたしはそっと玲に餌付けをする。小さい頃の記憶を頼りに、たくさん恥ずかしかったけど、それも我慢して精一杯頑張った。


 ……玲は、優しくして欲しいから、わたしに優しくしてくれたんだよね?


なら、わたしの想いも受け取って欲しい。そうすれば、玲だってわたしの夢に気が付いてくれたなら、きっと考えを変えてくれるはずだ。


「……おいしい?」


その答えは、わたしが嫌と言うほど知っていた。


 なのに、どうしても聞かずにはいられない。


 そうだ。わたしは、一言でいい。玲の声を聴きたかった。


 でも、今日は諦めなければならないみたいだ。


「……また来てもいいかな?」


本当は、ずっと、ずっと。わたしは彼の隣に居たい。


 でも、それはいけないこと。


「わたし、待ってるよ。玲が夢を見つける邪魔をしないように、頑張って待ってるから。……だから、お願い、玲。わたしにも、その夢の応援をさせて欲しいんだ」


わたしの夢は、叶わなくたって構わない。けど、君の夢だけは、叶わなきゃいけないんだ。


「わたし、元気だよ?大丈夫だから。だから、心配しないで。寂しくなっても、君は一人じゃないよ」


できる限り大人っぽく、玲を心配させないように、わたしはめいいっぱい背伸びして言う。


 起きた時、きっと玲はわたしの言葉なんて覚えていないんだろう。


 でも、それでも彼は、決して手を抜く人ではなかったから。


「ばいばい、玲。またね」


次は、もっと美味しいパンを焼いてくるよ。だから、その時は、感想を聞かせて欲しいな。


「わたしは、一人でも平気だから。これ返すね」


わたしは、彼の隣に布に包んで持ってきていた刀を置いてから、ボロボロのお家を後にした。


 でも、ダメだ。離れようと足を動かす度に、体がどんどんと重たくなっていく。


「……いや、いやだよっ!」


わたしは走った。走れば気にならなくなるって、そう思ったから。


 しかし、すぐに足がもつれてしまって、地面に勢いよく顔をぶつけてしまう。


「ひぐぅっ!う、うぅ……」


ついに、わたしは泣いてしまった。弱音は吐かない、涙は流さないって決めて来たのに、ダメだ。わたしには、たったそれだけのことすらままならないほど心が弱い。


 でも、そんなわたしを、笑わずに優しく抱き止めてくれた人がいた。他にもたくさんいるのに、ダメなわたしの方を選んでくれた人がいたんだ。


 少し意地悪で、わたしをすぐに不安にさせてきて。でも、わたしが困っているときは、真っ先に助けようとしてくれる。そんな、不器用だけど、でもとっても優しい人間の男の子。


「…………ぁ」


その温もりを失いたくなくて、忘れたくなくて。わたしはぎゅっときつく目を瞑る。


 そして、先ほど言えなかった後悔の言葉を、暗闇の中で小さく呟いた。


「…………ごめんなさい」


 わたしのバサバサな白い髪を、硬い指がゆっくりと梳いていく。そんな、頭を撫でるひどくぎこちない優しさに、少しの間だけ、わたしは溺れるように浸った。

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