-Another View- テツ
「……おい、これはどう言うわけだ」
淹れたてのコーヒーの入ったカップを片手に朝日を浴びようと表へ出ると、コウタが驚いた表情を浮かべながら玄関の前で一人突っ立っていた。
「なんだ、コウタ。文句でもあるのか?これ以上ないってくらいの良い朝じゃないか」
俺はもう一方の手に持っていた、こちらも焼き立てでほんのり暖かいパンを頬張りながら、コウタに不満そうな表情の訳を尋ねる。
今朝は、気持ちの良い快晴だ。やや風が吹いているせいか少し冷えるが、それでも嘆くような嫌な空模様ではなかった。仕事をする上では雨も決して悪い要素ばかりではないが、気も体力も普段以上に消耗する雨天での仕事は可能な限り少なくあって欲しいと願うのが個人的な意見だ。だからと言うのも変だが、多少価値観に差があったとしても、コウタは俺の弟子だ。自分の考えに近しい意見を持っているはずである。
「まさか、雨を期待していたわけでもないだろう?」
「いや、だってよ!?予報では朝から嵐だって話だったのに……。一体どうなってるんだ?」
「気の良い誰かが好天を呼び寄せてくれたのかもな」
「……いい歳したおっさんが何言ってんだよ、気持ち悪りぃ」
口を開けばいつだって喧嘩腰のコウタだが、十数年も付き合えば、むしろないと調子が狂うのだから不思議ものだ。
「……ん?師匠、そのパンどうしたんだよ。」
「あぁ、ちょっとな。クロさんに手伝ってもらって焼いたんだ」
「なんだよ、見せびらかしに来たのか?子供かよ」
「お前の頭の中はどうなってるんだ……。心配するな、ちゃんとお前の分もある」
強がりながらも物惜しそうな目でチラチラと手元のパンを見てくるコウタは、否定はしているがまさに子供のそれだった。年甲斐に可愛げを見せるコウタの姿に笑いを堪えながらも、一先ず俺はパンを一口分だけコウタに譲ってやることにする。
「久しぶりにパンを食べたくなってな。焼こうかと台所で作っていたら、クロさんが興味を持ったみたいだ。それで作業を手伝ってもらったんだが……」
「……なんだよ、はぐらなすなよ。気になるだろ?何かアクシデントでもあったのか?」
「……いや。ただ、人は見かけによらないな。おっとりとして抜けているように見えて、他人のことをよく見ている。努力家なんだな、彼女は」
「なんだこれ
「……はぁ。喉に詰まっても知らんからな」
自分から聞いておいて、答えそっちのけでパンにかぶりつくコウタは、やはりまだまだ子供だ。歳を食った俺の話なんかよりも、同年代の女の子が作ったパンを食べる方がよっぽど大事なことなのだろう。
けれど、話を振っておいて放置されるのは、あまり良い気分はしない。
「聞けば、クロさんはパンが好物らしい。ご飯派のお前だが、今はパン派が二人だ。これからは気兼ねなく朝食にパンを食べられる」
「……ちっ、妙な策巡らせやがって。それが狙いかよ師匠」
「そんな回りくどいことはしない。今までだって、食べたい時は勝手に作って勝手に食ってきただろう?」
俺は元来、人に物を教えられるほど大層な男ではない。だから、今までコウタに特別何かを教えたことはないし、家での規則を設けたこともなかった。自炊しない俺を見かねて食事をコウタが作るようになってからは朝はご飯で統一されたが、しかしその程度だ。相手に迷惑をかけない範疇であれば、お互いに好き勝手やりたいようにしよう。これが俺とコウタの間にある唯一の暗黙の了解となっている。
けれど、これからはそれも変えていかなければならない。俺とコウタの男二人で続けてきた生活スタイルは、とても女の子が受け入れて良い内容のものではない。何をするにも、これからはお互いに配慮が必要だ。
それに、日常の何気ない行為にさえ、興味が尽きない彼女だ。俺たちには、その衝動の全てとはいかなくとも、可能な限りの願いに応える義務もある。
「彼のいう通り、彼女はまだ世の中のことを何も知らない。だから、お前も知ってることはできる限り教えてやってくれ。それに、約束したのはお前だろ、コウタ」
「……わかっちゃいるさ」
そんなことは重々承知の上だと言うコウタは、しかし、それにしてはなんとも歯切れが悪い。
だが、コウタの年齢なら、それも致し方ないことだろう。
「……クロは、事あるごとにあいつの名前を出すよな」
コウタがクロを見る目は、明らかに普通ではない。それもそのはずだ。幼馴染を失って負った傷が、そう簡単に塞がる代物であるはずもなかった。
そして、そんな心の痛みや不安を癒すのは、信頼できる家族との時間だ。
しかし、彼の本当の家族は病によって既に他界してしまっている。だから、コウタが同年代の異性を頼ってしまうのもわからなくもない。不甲斐ない話ではあるが、自分の力不足を認めなければならないだろう。
「比べられるのは嫌か?」
「そんなんじゃねぇよ。……ただ、俺のことなんてどうでも良いって、そう言われてる気がしてよ。少し……。いや、すごく気に食わない」
「男の嫉妬か。朝飯のおかずにもならんな」
「……うっせぇ」
クロさんは、コウタが好きだった彼女に少なからず似ている。だから、その影に自分とは別の男の姿がチラつく度に、どうしても気になってしまうのだろう。
かく言う俺も、コウタの同類だった。
……娘がいたら、こんな感じなのだろうか。
クロさんと接していると、常に彼の面影が見て取れる。それは、彼自身が意図したものではないのだろうが、それだけ彼女に大きな影響を与えていたのだと、気をかけていたのだと知るには事足りた。
「にしても、意外だな」
「クロさんは女の子だ。料理に興味を持ったって何らおかしくないだろう?」
「いや、そう言うことじゃなくてさ。……俺、クロに初めて会った時、もっと消極的で静かな子だと思ってたんだ。それは、二日一緒にいて間違いじゃないってわかる」
「それは同感だ。俺が初めて会った時も、似たような印象だった」
森の中で初めて顔を合わせた時は、彼の背中に隠れ、まるで世の中の全てに怯えるような不安気な表情をしていた。とても今のクロさんからは想像もできない姿だ。
「クロは俺に自分から話しかけてくるし、師匠とは朝から一緒に料理なんてしてよ。……その、なんて言えば良いのか分からないけど。とにかく、変じゃねぇか?」
「彼女も適応しようと努力しているんだ。その意図を汲んでやれ」
「……無理してるってことか」
「ああ、だからお前はなるべく優しくしてやれ。厳しくするのは俺の役目だ」
「やめろよ、そう言う押し付けは嫌いだ」
「……そうか」
クロさんは変わろうと、成長しようと努力している。それを手助けする義務を、俺たちは彼から彼女を取り上げた時に一緒に背負ったのだと改めて自分に言い聞かせた。
それに俺は、一人を選んだ彼に報いなければならない。
人を守りたいと願うのに力を持つことを拒む彼が、内心で何を思っているのかは計り知れない。ただでさえ、魔者と人間という差がある。その上価値観まで違うとなれば、もう同じ生き物として考えない方が恐らく正しいのだろう。
だが、それでも彼は、へまをして歩けなくなっていた俺に恐れながらも近寄ってきた。助けようとして力及ばなかった時はひどく悔い悲しみ、けれど、だからと言って見捨てることもせず、ただじっと隣にいることを迷わず選べる男だ。そんな男と同じだけの想いやりを彼女に注がねばならないと言うプレッシャーは、思いの外自分の背中に重たくのしかかっているようだった。
しかし、今は何よりも優先すべき仕事が控えている。それは、クロさんにとっても、彼にとっても、そして俺たちにとっても非常に重要なことだ。
「……さて、どうすれば受け入れてもらえるものか」
「秋に入れば、もう七星祭か。それが終われば冬……。早いもんだな」
この季節が巡ってくる度、俺たちは憂鬱な気分に苛まれる。なんと言っても、人の命を捨てさせに行く仕事だ。魂を削らずしてこなせる仕事ではなかった。
しかし、今年は違う。今年からは必要がなくなった。
だが、生贄が不要だと考えているのは、残念ながらこの村では俺たち二人だけだ。
「村の連中は臆病過ぎるんだよ。なんだ、存在しない相手に生贄を捧げるって言うのか?馬鹿だろ」
「俺たちは知っているが、彼らは知らない。それを鼻に掛けて相手を小馬鹿にするのは良くない」
「はいはい、朝からご説教をどうも」
手のひらを煙たそうに動かして逃げていくコウタではあるが、そんなあいつも俺の隣で何人もの生贄たちを湖で送ってきた。だから、物分かりの悪い村の上層部への怒り用も理解できないわけではない。
ともかく、去年の七星祭の日、どうしてか森の主は忽然と姿を消した。
突如現れたかと思えば、消える時もまた唐突であった森の主だ。いつまた現れるかわからないのも確かである。しかし、だからといって、無意味に生贄を継続するなど言語道断だ。故に、今年も引き続き生贄を続行すると言って聞かないバカ親父の説得のために、俺たちは早急に森の主が存在しない証拠を揃えなければならなかった。
けれど、七星祭の話は、朝からするにはあまりに暗過ぎる話題だ。折角の晴天が台無しになるようで、俺たちはどちらともなく話題を変えた。
「……で、クロはどうしたんだよ。台所に置いてきたのか?」
「いや、さっきまで二回目のパン作りをしてたんだが……」
「どんだけ食いたいんだよ……」
「でも、さっき出る時には、クロさんの靴がもう無くなってたな」
「おいおい、ただことじゃねぇじゃねぇかよ!早速家出か!?」
「騒ぎすぎだ、みっともないぞ。あんまり心配し過ぎるな。昨日友達ができたって言ってただろ?用事が済んだら帰ってくるさ。信じて待つのも俺たちの仕事だ」
それに、クロさんが外で学んだ色々なことを、夜にゆっくりと聞かせてもらう。そんな時間も、ああ、決して悪くはない気がした。
だから今は、彼女に怪我がないようにと願い、無事に帰ってくることを祈ることしかできない。
けれど、生贄の話となれば別だ。前年のように目を瞑り、祈るだけの時間はもう繰り返さない。彼女らに危害が及ぶ可能性は、この手で悉く排除する。それが今の俺たちにできる、彼に託された最も重要な仕事である。
「さて、仕事の準備を始めるぞ」
「はぁ〜あ。雨天用の装備抜くの面倒だ……」
「泣き言を言うな。一日の成果を決めるのは、初めの準備なんだからな」
「へい了解しましたよ師匠」
相変わらず敬う気のないコウタだが、けれど頼りになる一番弟子だ。そんなコウタと俺を信用してくれた彼と彼女を裏切らないために、一際気合を入れて今日は仕事に臨もうと決意する。
「師匠、どうしたんだ?いつもより五割増しで顔が厳ついけど」
「……いいから準備してこい」
「へ~い」
「まったく……。少しは彼女を見習って欲しいものだ。」
コウタに続いて家の中に戻る際、一気に煽ったコーヒーが普段より苦く感じられた。いつにもまして冴えわたる感覚に、この調子でいけばどんな些細な痕跡でも発見できると、そんな自信が湧いてくる。
「……お前なのか、今日を晴れにしてくれたのは。」
おもむろに、そう青空へと問いかけた。けれど、当然返事はない。それなのに、ああ、どうにも彼女に背中を押してもらえているように感じられてしまうあたり、やはり俺もコウタと同様に今朝の好天に少なからず驚いているようだった。
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