第36話 ゆめのありか
「「いただきます」」
テツとコウタが元気良く食事前の挨拶をする。それを真似して、わたしも恐る恐る手を合わせた。
テーブルの上には、今まで見たこともない美味しそうなご馳走が並べられている。そのどれも、盛り付けや彩りがとても綺麗で、本当に食べ物なのかなと悩んでしまうくらいだ。
「どうした?」
料理に中々手をつけないわたしに、コウタが心配をして声をかけてくれた。テツも、一旦食事の手を止めて様子を窺っている。
余所者のわたしに、どうして二人がそこまで気を遣ってくれるのだろう。こうしている間にも、苦労して手に入れた自分のご飯が他の誰かに取られてしまうかもしれないのに、なんで平気な顔をしているのか、頭の足りないわたしには想像もつかなかった。
だから、思い切って聞いてみる。
「……これ、わたしも食べていいの?」
でも、正直に言うのは不安で、怖くて。そんなわたしは、ちょっと遠回しな質問を口にするのさえ、かなりの勇気が必要だった。
考えてもわからないことは、いくら頑張っても一人では答えに辿り着けない。
そんな時は、わかる人を頼って素直に聞く。それは、玲から教わったことの一つだ。
わたしの前に置かれたお皿には、今までの生活では想像できないほどの量の食事が盛られていた。玲とわたしで食べれば、二日はもつ量だ。それが、たった一回の食事で出てくるのに、こんな贅沢をしても良いのかなと不安になる。
そんなわたしに、コウタは少しだけ辛そうに目を伏せてから、今度はこれ以上ないってくらいに優しい表情を浮かべて、楽しそうに笑いかけてくれた。
「遠慮しないでいいぜ。お腹空いてるだろ?好きなだけ食べな」
「……うん」
折角作ってくれた食べ物を粗末にしちゃいけない。だから、贅沢をするのに後ろめたさはあったけど、思い切って一口食べてみた。
「……おいしいっ!」
「だろ?料理はそれなりに自信あるんだ」
「コウタが作ったの?」
「ああ。おかわりならいくらでもあるから、気兼ねなく食ってくれよな。なんなら、食べたいもの、今から作ってもいいんだぜ?」
「ありがとう。でも、大丈夫だよ」
今ある分だけでも、わたしは食べ切れる自信がない。それに、作ってくれた料理がたくさんあるのに、わがままを言って他のものを欲しがるのは、食べ物にもコウタにも失礼だと思った。
玲が作ってくれた料理も、とっても美味しかった。
森に落ちている木の実や、人が捨てたまだ食べれるお肉やパンを食べて過ごしてきたわたしには、料理をすると言う発想がそもそもない。だから、人になってから初めて食べた魚の塩焼きの味は衝撃的で、忘れられない思い出だ。
けれど、コウタのはもっとすごかった。
匂いが良い。見た目が綺麗。食感も楽しくて、味も知らないものばかりだ。どれも複雑で、言葉で表現するのは難しいけど、味が濃くって、それなのにしつこくなくって。とにかく、気が緩んで頬が下に落ちてしまいそうなくらい、幸せな気持ちになれる味がした。
そんな料理を作れるコウタは、きっと良い人に違いない。
テツも、初めは怖かったけど、困ってたわたしたちを助けてくれた。コウタも、さっきは玲に怖い顔を向けたけど、それは玲を助けるためだったんだと思った。
だから、勇気を振り絞れば、お話はできる。まだ人は怖くて、社会の常識も全然わからないけれど、二人が相手なら、わたしは頑張れるような気がした。
「……ごめんなさい」
その日の夕食、わたしはお皿を空けることができなかった。
「気にしなくていいって。俺が何も考えずに、力仕事する男二人と同じ量を出したのが悪いんだ。次からは気をつける」
コウタは、わたしを責めない。それが少し、寂しかった。
「片付けは俺がやっておく。コウタは暖房を入れてくれ」
「まだ夏なのにか?」
「もう秋だろう。それに、そうこう言っているうちに冬になるぞ。夜は冷える。お客さんに風邪を引かせたいのか?」
そう言ってテツは、おっきな腕に器用に食器を乗せて部屋の奥に行ってしまう。
「あんなこと言ってるけどな、自分が寒いのダメなだけなんだぜ?」
言うだけ言って引っ込んでしまったテツに、コウタは小さな反抗心で、わたしに秘密を教えてくれる。
でも、愚痴を漏らしていたコウタだったけど、最後にはテツに頼まれた通りに暖房を付けることにしたみたいだった。
「よし」
コウタが小さな箱に付いた突起を押し込むと、ジーッと何かが震えるような音が中から聞こえてくる。
「火はつけなくていいの?」
「電源を入れてもすぐにはつかないよ。もう少し待ってな」
火の番はわたしにもできるお仕事だ。だから、綺麗なこのお家が燃えてしまわないように、前に座ってじっと様子を見守る。
でも、相変わらず箱は異音を鳴らすばかりで、一向に火がつく気配を見せない。
「つかないか?」
テツの質問に、わたしは助けを求めるように答える。
「うん。ずっとね、とっても痛そうな音がしてるんだ」
「何百年物の骨董品だからな。今でも平気で使える方が不気味なくらいだ。でも、まだまだ現役だよ。流石にガタは来てるがな……!」
両手に持ったマグカップの片方をわたしにくれたテツは、おもむろに空いた手で箱の頭をバンと叩いた。あまりに突然のことに、わたしはびっくりして、その拍子にカップの中身を少し溢してしまう。
「……ら、乱暴はダメだよ!壊れちゃう」
「それがな、古い機械は軽く叩けば大抵治るんだ」
最初は、そんな訳ないと疑っていた。
でも、テツの言う通り、叩かれた箱はすぐに機嫌の良い音を奏でながら、暖かい風を吐き出し始める。
「……あったかい」
焚き火とは違う、そこにあって当然のような安心できる暖かさに包まれたわたしは、その場から動くことができなくなってしまった。
「猫の魔者は寒がりだと聞くが、お前さんを見ていると、どちらかと言うと暖かいのが好きと言う方が正しいように思える」
「……どうしよう。テツ、なんだかね、力が抜けてくるんだ」
「はっは!すっかり虜だな」
「笑い事じゃないよ!このまま動けなくなっちゃったらどうしよう……」
「今コウタが風呂沸かしてる所だ。体の芯まで温まれば、こいつのそばにへばりつく必要もなくなる。安心しろ」
そんなテツの言葉を、わたしは一先ず信じることにした。
この金属の箱は、ストーブと言うらしい。薪もマッチも使わずに火をつけ、安全にあったまることができる機械は、人間が発明した画期的な暖房器具なのだと、テツが誇らしげに教えてくれる。
他にも、テツたちの住処は、たくさんの不思議な物で溢れていた。
人の入った箱から聞こえる知らない人の声が、明日の天気を教えてくれた。
夜なのに部屋を明るく照らしてくれる透明の球体は、わたしには眩しくて目が冴えてしまって、いつものお布団に入る時間には寝られそうにない。
機械ではなくても、地面や切り株とは違って座り心地の良い椅子に、しっかりと戸締りできる扉、どれも初めて見るものばかりで、二人の家に着いてからはずっと驚いてばかりだ。
でも、そんな立派なお家の中でも、微かに獣の臭いがした。それが、烏の頃や小屋の毎日を思い起こさせて、わたしはちょっぴり安心できた。
「お風呂沸いたぜ~」
「ああ、今行く」
「……何言ってんだ師匠。レディーファーストだ。オヤジの入った湯船になんかクロを入れられるかっての」
「……そうか」
微妙な表情のテツを置いて、コウタに連れられて、わたしはお風呂場へと来る。
「着替えは明日買いに行って来な。今日は、その……。これで我慢してくれ」
そう言ってコウタが貸してくれたのは、黒くておっきなシャツだった。
「ありがとう、コウタ」
「お、おう。じゃあ、俺は行くから」
お風呂場の使い方を簡単に教わってから、わたしはお気に入りの服をそっと脱いで、中にお邪魔させてもらう。
お風呂には、鍋でお水をあっためたようなお湯が、湯船いっぱいに張ってあった。
最初は、わたしまで茹で鳥になってしまうんじゃないかって不安だったけど、好奇心に負けて手のひらを湯に浸けてみると、そんな恐怖はすぐに消えてなくなった。
「あったかい」
本当はずっと入っていたかった。
でも、テツが入りたがっていたのを思い出して、わたしは長湯はせず、お風呂を早めに上がることにする。
「……一緒に入りたいな」
玲には断られちゃったけど、テツとコウタなら。
そんな期待を胸に、明日のお風呂の時間を楽しみにしながら、わたしのためにと用意してくれたお部屋に敷かれたふかふかのお布団へと入ることにした。
すると、浮かぶのは玲との思い出だ。
「……これでいいんだ」
そう口にすると、なぜだか涙が溢れてきて止まらなくなってしまった。
泣くつもりなんてなかった。泣く資格も、わたしにはない。そうわかってはいても、自分ではどうしようもなかった。
「わたしは、邪魔者だ。わたしがそばにいたら、玲が不幸になる」
もっと早く、あの場所を離れるべきだった。そうすれば、白も、玲も、辛い思いをせずに、二人で楽しい毎日を送れていたのかもしれない。
わたしは、人を不幸にしてしまう。そんな感覚を持ってからは、玲と白と一緒にいることに、後ろめたさを感じていた。
あの人と、ずっと、ずっと。可能な限り一緒にいたい。彼のそばにいられれば、それだけでわたしは充分だった。
でも、唯一わたしを嫌わずに手を差し伸べてくれた玲を、わたし自身のわがままで不幸にしてしまうのは絶対に嫌だった。
それに、白もだ。お腹が減ったわたしに、自分のご飯を分けてくれた。それは、とってもとっても嬉しくて、そんな気持ちを仇で返すようなことはしたくない。
だから、距離を置いていたのに。
「玲は、白が大事なんだ……」
あの日玲は、白のために何かを頑張ろうとしていた。
だから、その邪魔をしようとする白に、わたしは玲に近づかないように必死で意地悪をした。やめてって、玲は白のために頑張ってるんだよって、大声で叫んだ。
なのに、言葉は伝わらなくて、白は止まってくれない。
それでもと、体当たりをしたり、齧ってみたり、思いつく限りの嫌がらせは全部やった。
でも、結局わたしは何の役にも立てなかった。
それどころか、危うくわたしは、玲を殺しかけていたのだと、後になって気付く。
「……わたし、おばかだ」
そんな簡単なことにも気が付けないなんて、その時のわたしは何を考えていたのだろう。
白は、玲を助けようとしていたんだ。
邪魔をしていたのは、わたしの方だった。
……それだけじゃない。
その日の夜、お空の星は一層に瞬いていた。広大な空一面に散りばめられたキラキラは息を呑むほど綺麗で、空を飛ぶのが嫌いなわたしでさえ、思わず夜空に飛び込んでしまったくらいだ。
でも、それがいけなかった。
静かな夜空は、とっても綺麗だったけれど、心の隙間を埋めてはくれなかった。むしろ、自分は今一人なのだと、そう強く意識してしまったんだ。
だから、わたしは、彼の声が、その腕に抱かれた時の温もりが、恋しくて、寂しくて。我慢できずに、あの小屋へと戻ってきてしまった。
でも、そこにはもう、わたしの居場所はなくなっていた。
「…………っ!」
不意に脳裏に浮かんだ夜の景色に、わたしは声もなく悲鳴を上げた。
「いやだ、やだよっ……!思い出したくなんかない!」
それでも景色は消えるどころか、どんどんと鮮明になっていく。
それが堪らなく辛くて、消えて消えてとお願いしながら、首が取れそうになるほど頭を振り続けた。この苦しさが消えてくれるのなら、頭の中身がぐちゃぐちゃになって、もっとおバカになってしまっても構わないとさえ思った。
でも、ダメだ。忘れたいのに、他ならぬわたしの心が、忘れることを許してくれない。
たった、たった半日だ。太陽が昇ってから沈むまでの間に、きっとわたしは、何かとんでもない過ちを犯してしまったんだ。
だから、玲は悪くない。悪いのは、全部わたしだ。
でも、だったら……。
「……ねぇ、玲。わたし、苦しいよ。どうしたらいいか、わからないんだ」
じくじくと、胸に棘が刺さってるみたいに痛い。痛みに体がひどく軋んで、今にもバラバラに壊れてしまいそうだった。
それはきっと、体の中で心が暴れてるからだ。わがままなわたしが、叶わない夢を必死に叫んでるからなんだと思った。
……違う。
一度は、わたしにも機会が巡ってきたんだ。白がくれたこの命と人の体なら、わたしの夢は叶えられた。
でも、そんなことできるわけない。
だって、白の抱いていた強い想いを、わたしは知ってるんだ。そんな想いに対する玲の答えも、白の喜びようも、脳裏に焼き付いて離れてくれない。
わたしは、勢いよく布団の中に潜った。いつもならすぐに寝られるのに、今日ばかり変なことを考えてしまうのは、きっと夜更かしをしたせいだと思った。
瞼をきつく閉じて、睡魔が来るのを待ち侘びる。
でも、誰もに訪れる睡魔にさえ、どうやらわたしは嫌われてしまったようだった。
カチリ、カチリと。聞いたことのない規則的な音が耳を叩く。まるでわたしを責めるように止まない音色に、気が狂ってしまいそうで、堪らず耳を塞いだ。
「玲、玲……」
この家は、たくさんの物で溢れている。
雨風が入ってこないちゃんとした屋根や壁があって、おいしいご飯もお腹いっぱい食べられる。
冷えてきたら、またテツにストーブを付けてもらえるだろう。
食後には、コウタがお風呂も沸かしてくれた。
夜寝る時には、あったかいお布団がわたしを待ってくれている。
とにかく、穴だらけの小屋には無かった全てのものが、この場所には揃っていた。以前の生活に比べたら、この家はさながら天国のようだと思った。
なのに、どうしてなんだろう。心に隙間ができてしまったように、体から止めどなく熱が漏れていく。
「……一人は、やだよ」
どうしてそんな言葉が出てくるのか、わたしのことのはずなのに、わからない。
きっと玲は、わたしと一緒にいるのが嫌になったんだ。
……違う。
玲は、白を奪ったわたしに怒ってる。
違う。
玲は、わたしのことが、嫌いになっちゃんたんだ。
「違う!!……………………違うよ」
わたしは、わたしの言葉を否定しきれなかった。
……明日は、どうしよう。
こんなことを考えたのは久しぶりだ。
それからは、ぐるぐると思考が回り続けて、余計に眠れなくなってしまった。
意味のない問答を永遠と繰り返した。見えない明日に、これから続くだろう長い未来に怯えながら、お布団の中で体を丸めて縮こまる。
でも、いくら隠れても、忘れることなんてできない。
“夢をあきらめないで”
そんな、別れ際に玲が言った言葉を思い出して、わたしはとっても腹が立った。
「……玲は、意地悪だ」
…………夢はもう、叶わないんだよ。
それは、絶対的にわかっていることの一つだ。
けれど、玲から贈られた言葉に無視はしたくなくて、そんなわたしは、新しい夢を探した。
でも、見つからない。頑張って考えて、悩んで、必死に探したけれど、どうしても夢が見つけられない。
「………………っ」
いくら時間を使っても、やっぱり答えは出てこなかった。
でも、何も知らないわたしでも、一つだけわかったこともある。
「…………わたしの夢は、もう、ここにはないんだ」
そんな簡単なことに、おバカなわたしは、今更ながらに気がついた。
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