第33話 縁

「白にバラしたの、アメでしょ」


ギアフロータスの雑踏に紛れて前触れもなく姿を現した神様に、自分は不機嫌を隠しもせず苛立ちを吐き出した。


 正午を回った鉄臭い街は、買い物客や昼食を愉しむ人々で溢れている。中には、見覚えのある容器の並んだスイーツ店も見つけられた。海亀亭の甘味を求めて作られた長蛇の列は、少なからず大通りの往来の邪魔となっている。けれど、それに誰も文句を言わないあたり、街の人々は皆あの店の味の虜なのだろう。


 出かける前こそ人間だとバレやしないかと心配していたものの、所詮は他人事なのか、自分のことを気に留める者は一人としていなかった。


 とにかく、約半年ぶりに訪れたギアフロータスには、特に代わり映えのしない以前の景色が広がっていた。


 でも、変わってしまったこともある。


「……久しぶりの再会だってのに、随分な口の利き方ね。……あと、その名前で呼ぶのは止めてってさっき言った」

「……で、質問の答えは、”ソラ”?」


遠出から帰ってきた神様が初めに口にしたのは、ソラと言う新しい名前だった。


 そんな、見た目も雰囲気も完全にラフになって、身軽で楽しそうにしている神様に、余裕のない自分は少し腹が立ってしまったのだ。


「ミナトに怒鳴られて気が沈んでるかと思って出てきてみれば……。まったく、これじゃあ魔力の使い損よ」

「……言いたいことはそれだけ?」

「なに、それで怒ってるつもりなの?それともあれ?白のこと、思ったほどショックでもなかった?」

「…………」

「……ごめん。カッとなって言い過ぎた」

「……こっちこそ」


自分の器の小ささに、心底嫌気が差す。


 今日ギアフロータスにまで足を運んだのは、彼女に大切な友人の死を伝えるためだった。


 本来なら、すぐにでも会いに来るべきだったのだろう。


 でも、真実を詳らかに話せば、彼女が激怒することは明らかだ。その感情を心を壊さずに受け止めるためには、ほんの少し時間が必要だった。


 けれど、それも彼女の側からしてみれば、見苦しいただの言い訳でしかない。


「……なんでこう、上手くいかないんでしょうね。挙げ句の果てに、ソラさんに逆ギレする始末ですよ。ほんと、下らないです」

「今更口調を戻さなくてもいいわ。もう私たち、喧嘩した仲よ。繕うのも面倒だしね。……それに、あんたには本音で話せる相手他にいないでしょ?」

「残念なことにね」

「……は?」

「じょ、冗談だよ」

「厄介払い出来なくて悪かったわね」


神様が文句を言っているのは、自分がこの街に来たもう一つの理由が原因だ。


 魔杖の返却。どうやらそれが、神様の不機嫌を買ってしまったようだった。


「何も相談もされなかった私の気持ち、考えたことある?私は、あんたの言葉で自分らしく生きる決心がついた。わがままに生きてみようって、そう思えたから私は頑張ったのに、帰ってきたら誰もいませんでしたじゃ独り相撲もいいとこよ」

「そんな大層なこと言った記憶、まったくないんですけど」

「あんた、いつか後ろから刺されるわよ……」


今もこうして神様と話せているのは、彼女が魔杖の受け取りを拒否したからだ。


 彼女は親友の死に酷く動揺し、また落ち込んでいた。そんなタイミングで魔杖を返すなどといきなり言われても、知るかボケと突き返されるのは当然と言えば当然の結果だった。


「あの調子だと、ミナトと仲直りするにはしばらく時間がかかりそうね」

「…………」

「……え、なに?しないの、仲直り」

「だって……」


神様は、時の流れが解決してくれることを期待しているようだった。


 でも、彼女との関係に固執しなければ、わざわざ仲直りをする必要はない。


 そんな冷めた思いが表情に出てしまったのか、神様に目敏く心を見抜かれてしまう。


「……薄情な男」

「悪かったね、薄情で」

「まぁ、いいんだけどね。私もミナトは苦手だったし。誰だって不得意なことはある。そうでしょ?」

「それで慰めてくれてるつもり?」

「ええ、もちろん」

「際で」


実体がなく清々しいほど気持ちに正直な神様は、自分以外には姿も声も認知されない。そんな不可思議な存在となら肩肘を張らずに気軽に喋ってもいいのではという思いが、いつの間にか自分の中に芽生えていることに気がついた。


 当然、本音を全て神様に吐き出そうなどとは考えてはいない。


 けれど、神様の言う通り、自分の心の毒気を適度に抜くためには、神様のような人ならざる相手が適任だとも思う。


 つまり、だ。今は自分だけの神様だ。ならば、都合の良いように使ってやろうと、そんな最低な考えを自分は抱いていた。


「で、この後のご予定は?もう帰る?」

「いや、いい加減ちゃんと仕事を探さないと」


鞄の中から駅で貰ってきた黄色い求人雑誌を取り出して、思うがままに適当なページを開いてみる。


「どこもかしこも、人手不足なのは同じね」

「この雑誌に載ってる良さげなところの下見に行く予定。……つまらないと思うけど、来る?」

「他にどこに行けって言うのよ。むしろ、置いていかれたら大声で泣いてやるんだから」

「はは、それもそうか」


神様に見守られながら初めに向かったのは、ギアフロータス近海で水揚げされた魚介類を一挙に捌く大規模の魚市場だった。


「魚臭ぁっ!」

「でも、それもまたをかし」

「……好き者め」


海の男たちが大荷物を抱えて縦横無尽に動き回る市場は、外から眺めているだけでも飽きない。


 それに加えて、中央付近で行われているせりの迫力も中々のものだった。互いに良い獲物を安く手中にするべく繰り広げられるそれは、さながら格闘技の試合だ。ルールはわからなくとも、彼らが全力でぶつかり合う様は、見ていてとても気持ちが良い。


「……でも、自分には無理かな」

「ひ弱な人間はお断り、って感じね」

「そうそう。入る余地が見つからないよ」


あんなに筋骨隆々な人たちに混じって同じ仕事をこなす自信は、自分にはとても持てそうにない。求人欄には初心者歓迎などと書かれていたが、そんなものは全くの嘘っぱちに思えた。


「ダメならダメで、ちゃんと明記しておいて欲しいんだけど」

「むしろ好都合じゃない。人間がダメとも、魔者じゃなきゃダメとも書いてないんだから。違う?」

「違わないけどさぁ……」


他人はそれを屁理屈と呼ぶんですよ、神様。


 とは言え、神様の言うことにも一理ある。可能性が潰えた訳ではないのだから、まだ落ち込むには早いだろう。


「ほら、良いから早く次行くわよ。そうじゃなきゃ私、臭くて鼻が曲がっちゃいそう」

「りょ〜かい。次は少し登るみたい」


それから先は、歩くのが面倒だと言って不気味にぷかぷかと浮遊する神様を連れて、自分でも働けそうな職場をあちこち探して回った。


 その結果。


「ダメだぁ〜」


早々に心が折れてしまった自分は、元いた大通りまで戻って来ていた。


 休憩のために立ち寄った喫茶店で、頼んだアイスティーに刺さったストローを加えたまま一人そう愚痴る自分は、側からみれば相当な変人に見えたことだろう。


「それにしても、悉く空振りに終わったわね。選り好みするあんたに非がある気もするけど」

「そもそも、自分がここで働こうと思うこと自体場違いなんだよ」

「まぁ、あんた人間だしね。魔法が使えない、力もない、専門知識もない。そりゃ仕事ないわよ」

「……今から海鮮市場に捨てて来てもいいんだけど?」

「すみませんお願いですからやめて下さい」


そう言ってわざとらしくわなわなと震えて見せる血嫌いな神様を放って、自分は再び求人雑誌へと視線を落とした。


 そこには、数え切れないほどの求人が掲載されている。並んでいる業種も、飲食業に配送業、力仕事から研究職まで、無いものを探す方が大変に思えるほど多岐に渡っていた。


 それなのに、しっくりくるものが一つもない。むしろ、自分を拒んでいる職場の方が簡単に見つけられる始末だ。


「ホント、これからどうしよう……」


働かざるもの食うべからずなどと言うけれど。それ以前に、働けないから飢え死になんてことがあり得そうで怖い。


「こんにちは」


長いこと一人でうんうんと唸っていると、大通りの方から不意に声をかけられた。


 顔を上げると、そこには電車で出会った売店の店員さんが片手に買い物袋を下げて立っていた。


「お久しぶりですね、アキラさん。お仕事探しですか?」

「あ、カエデさん。お久しぶりです。この前は本当にお世話になりました」

「いいえ。お役に立てたようで何よりです」


座ったまま話すのも失礼かと、一旦席を離れて店員さんの側まで近寄った。


 その拍子に、無地の落ち着いた袋の中身がチラッと目に入ってしまう。真っ赤で宝石のように輝く林檎に、それを剥くための小ぶりなナイフを見るに、これから誰かのお見舞いに行くのかもしれない。


「迷いませんでしたか?慣れないうちは、お店を一つ探すにもこの街は少々複雑でしょう?」

「はい。あっ、でも、何回か迷いましたけど、鷹みたいな友人がいてですね。困った時は上から方向を教えてもらったので大丈夫でした」

「そうでしたか。良いご友人をお持ちですね。大切にしてあげてください」

「……誰が鷹よ。もう助けてあげないんだから」


そんな言葉と共に、背中に避難の視線が突き刺さっていたけれど、この場では無視をせざるを得ない。


 そう、仕方なく無視したのだ。


「今からご一緒してもよろしいですか?」

「はい、全然。自分となんかで良ければ」

「そうご自身を卑下するものではありませんよ。では、お言葉に甘えさせていただきますね」


店員さんが飲み物を注文しに行っている間、神様にはガミガミと文句を言われ続ける。


 そんな神様には、後で”体を貸す”ということで納得してもらった。


 そしてまもなく、店員さんがコーヒーを片手に戻って来る。


「前、失礼しますね」

「どうぞどうぞ」


先ほどまで神様が座っていた席に、店員さんはそっと腰掛けた。神様はと言えば、自分の席の肘掛けに体重を預けている。


「ギアフロータスは、見ての通りの街です。最近は待遇も随分と改善されましたが、まだ実態の見えない怪しい企業も少なくないですから、十分に情報を集めてから決めることをお勧めしますよ」

「この雑誌も変なんですよね。勤務時間が確定していないのは置いておくとして、業務内容の部分が空欄なのは不気味過ぎます。このお店なんて、一時間で他の場所の三倍のお給料ですよ?」

「あまり好ましくない内容なことは確かでしょうね。最悪、犯罪の片棒を担がされる可能性だって否定できません」


大通り周辺だけ見れば至って普通の街に見えるギアフロータスだが、一歩道を横に逸れれば、そこは無秩序なスラム街だ。


 そんな者たちの足元を見て奴隷のようにこき使う企業もあれば、強盗や詐欺で一発逆転を狙う住民もいる。どちらも悪事には変わりないのだが、一般人的には後者の方が印象に残りやすいに違いない。そのことに関しては、少しだけ思うところがあった。


「最近は誘拐も多いようですし、アキラさんもくれぐれもご注意を」

「は、はい」


その後、休憩を終えた自分たちは、店員さんの厚意でおすすめのバイト先候補にまで案内してもらうことになった。


 途中途中で店員さんの買い物に付き合ったりしながら、目的のお店へとのんびりと向かう。


 そんな時、ふと路地裏に妙な声を上げる人影を見つけてしまった。


「……あの人、大丈夫ですかね?」


そんなことを言ってると、不意に目があってしまう。


 鮮やかな橙色の長い髪を後ろで二つに束ねた同年代に見えるその子は、目を輝かせて助けを求めるように駆け寄って来て言った。


「お、お……」

「……な、なにか御用ですか?」

「…………お腹が、空きました」

「……………………はい?」


自分は運悪くも、飢えた魔者に目をつけられてしまったようだった。


「正直で可愛らしい女の子ですね」

「どちらかと言えば、変な子って印象の方が……」

「まぁ、そう仰らないで。何か食べさせて差し上げてはどうでしょう。きっと喜んでくれますよ」


そんな言葉に唆されて、自分は近くの露店で売っていたものを適当に選んで、腹ペコ魔者に食べ物を渡してみた。


「良ければどうぞ」

「……なぜに味噌田楽??」

「美味しいですよ、味噌田楽」


首を傾げて珍しそうに田楽を眺める魔者の前で、ちゃっかり買っていた自分の分を口に運ぶ。


 それを見てお腹の獣が吠える魔者に、一度頷いてみせると、パァッと花が咲いたような笑顔を浮かべながら嬉しそうに田楽にパクりとかぶりついた。


「ん、おいひぃ!」

「でしょ?こんにゃくだから、お腹にもたまりますよ」

「おかわり!」

「早っ!ってか、いきなり図々しいな!」

「ちょっと、驚き過ぎて口調変わってるわよ。……あと、後で私にも食べさせて」

「……はいはい」


なんだかどっと疲れが出てきて、思わずため息が出てしまった。


 世の中には、理解の及ばない存在が数多いるだろうけれど、この魔者ほど珍妙な生き物はいないのではなかろうか。


「太っ腹ですね」

「笑わないでくださいよ。これでも結構手痛い出費なんです」

「そう仰る割には、とても嬉しそうに見えますよ?」

「…………否定させていただきます」


とにかく、長居は無用だ。これ以上は財布を空にされかねない。


 そう思って背を向けた瞬間、ポスっと謎の重みが背中へと覆い被さってきた。


「あら」

「……すぴ〜」

「他人の背中で寝るなぁ!!」

「あっはっはっ!妙な子に捕まっちゃったわね、あんた」


他人に聞かれないからと言って、お腹を押さえて遠慮なくゲラゲラと笑う神様に、この世に本当に神がいるのならば、どうか他の神はまともであって欲しいと切に思った。


 大通りは夕食時を前にして、更なる賑わいを見せている。そんな中で、初対面の人の前でぐっすりと眠れてしまう図太さに、一周回って自分は感心してしまった。


 不思議な人や面白い人は、決して嫌いではない。


 とは言え、あまりにいきなりのことに、どう対応するべきか迷った。


「どうしましょう、この人……」

「見覚えがあると思ってはいましたが、よく見たらこの方、土筆の制服を着ていらっしゃいますね」

「土筆というと、さっきカエデさんがお勧めしてくれたお店ですよね?」

「はい。これも何かの縁です。すぐ近くですから、そこまで連れて行って差し上げましょうか」


ぐっすりな魔者を背負って歩き始めようとした自分たちは、しかし、聞き馴染みのある電子音に遮られた。


 一言入れて電話を取った店員さんの横でしばらく大人しくしていると、話終わった店員さんが申し訳なさそうに口を開く。


「すみませんが、急用ができてしまいました。土筆は、ここの大通りを真っ直ぐ歩いていれば右手にありますので、お願いできますか?私が言い出したのに、途中で見捨てるような形になってしまって本当に申し訳ありません」

「いえいえ、そんな!この人は責任を持ってお店まで連れて行きますので」

「ありがとうございます。この埋め合わせは、近いうちに必ず。では」


軽い足取りでスタスタと去っていく店員さんの姿が大通りの人混みに消えた後、自分たちも目的の場所へと向かうことにする。


「忙しい人ね」

「それだけ頼りにされてるってことでしょ」

「どうだか」


ずり落ちてきた魔者をひょいと背負い直しながら、通りの端っこをのんびりと歩く。耳元で突然寝言を言い始めた時には、驚いて危うく落としかけもしたが、そこは意地一つで踏ん張った。


 数分ほど行った先に、その店はあった。


「串カツ店『土筆』。ここかな?」

「みたいね。見た目の割に繁盛してるじゃない。今晩は串カツかしら?」

「確かに美味しそうではあるけど、クロが待ってるから。持ち帰りができたらね」

「は〜い」


とてもお洒落な雰囲気とは言い難い、一昔前の商店街にありそうな老舗感を醸し出すその店は、甘味処の海亀亭に負けず劣らずの人気飲食店のようだった。


 しかし、無事到着したのはいいものの、一つだけ問題にぶつかってしまう。


「……予想以上に混んでるね」

「こっちは正当な理由があるんだから、列に律儀に並ぶことないわよ。ささっと刺さって、パパッと済ませましょう」

「ん〜、でもなぁ〜……」


神様の言い分は尤もなのだが、人の感情というものはそう単純にできていない。


 事情があるからと言って無理矢理割り込めば、待っていた者たちから不満を買うだろうし、火の粉がお店側に飛び火して逆に迷惑をかけてしまうかもしれない。そんな未来は誰も得をしないし、避けるべき道だ。


 だから、一旦路地裏から建物の後ろに回ってみて、従業員用の裏口があるかを確認してみることにした。


「あったね」


店舗壁面に設置された黒ずんだ空調から吹き出す生暖かい風に吹かれながら、不快に顔を顰めつつも奥へと進むと、期待通り裏口らしき扉が設けられていた。


「日陰でジメジメして居心地悪ぃ」

「その体で湿度とかわかるの?」

「…………気分の問題よ」


神様はため息をつきながら話を流したけれど、視覚と聴覚だけが感覚の全てである以上、こう言った類の想像は日々を生きる上での楽しみの一つなのかもしれない。


「足元は少し不安定かな。鼻はあんまり効かないからあれだけど、中から美味しそうな匂いがしてくるよ」

「胃がもたれる感想をどうもありがとう。……さ、ノックよノック」

「は〜い」


神様の真似をしながら、自分は背中の魔者を落とさないように扉を軽く数回叩く。


 中の様子を探るために耳を澄ませると、人が慌ただしく動き回っている音が扉越しに聞こえてくる。


 もしかすると、気が付いてもらえないかもしれない。そんな不安は、案外早く消えてなくなった。


 扉にはめられた磨りガラス越しに近づいてくる人影に身なりを正していると、もう間も無く裏口の戸が勢いよく開け放たれた。


「モミジさん、どこをほっつき歩いて……!?」


ノックに応えてくれたのは、背中の魔者と同じエプロンを身につけた目つきの鋭い小柄なアルバイトらしき女の子だった。


「どうも、はじめまして」

「……関係者以外は立ち入り禁止ですが」


愛想のかけらもない冷めた対応に苦笑いを浮かべつつも、悪事を働いているわけではないのだからと、これ以上怪しまれないように自信を持ってハキハキとした声を心掛ける。


 とは考えるものの、小さな虎のような威を放つバイトさんに気圧されてしまった。鋭い視線は牙の如く心に刺さり、よからぬことを企み近寄る者を蹴散らさんとするその様は、さながら店の番犬だ。


「あのですね、この人、お店の従業員さんみたいだったので運んできたんですが」

「……は?人が道端に転がっていたとでも言いたいんで……モ、モミジさん!?」


嫌悪の眼差しを向けてくるバイトさんだったが、しかし、背中で涎を垂らして眠りこけている魔者の姿を見つけた途端、驚きのあまり素っ頓狂な声を上げた。


「い、忙しい子ね」

「ははは」


そんな中でも、魔者は気持ち良さげに寝言をつらつらと垂れ流していた。




「今日は本当にありがとうございました」


突然深く頭を下げてくるバイトさんに、自分は気にしなくていいと声をかける。


「感謝されるほどのことはしてないですから。むしろ迷惑じゃなかったですか?」

「とても初めてとは思えませんでした。高級レストランの給仕を任されていたと言われた方が納得がいきます。どんなお客さんに対しても挨拶は丁寧でしたし、挙手動作も洗練されていました」


訪れた際、混雑のピークを迎えていた土筆は、睡魔により戦力外となった魔者、もといモミジさんが欠けてしまったことで、人手不足でてんやわんやの状態だった。その穴を一時的に埋めるために、微力ながら自分は助っ人に入ることにしたのだ。


 その提案に、最初こそ店長に断られはしたが、その理由が遠慮だけだと気がついた自分は、適当な嘘をついて店長を強引に頷かせることに成功した。


 そして無事ラッシュを乗り切った今は、今度はお客として店に立っている。


「大袈裟ですよ……。前に少しスーパーでバイトしてただけです」

「すうぱぁ?……聞いたことのない名前の店です」

「遠い所にあるお店ですから」


揚げたての串カツを人数分包んで手渡してくれるバイトさんに、商品のお代を差し出す。


 なかなか受け取ろうとしないバイトさんに無理矢理お金を押し付けて、その足で一日限りの仕事仲間に一通り挨拶してまわる。


「今度はお客さんとしてのお越しをお待ちしてます。あの……、お疲れ様でした」


そのまま流れるように帰ろうとする自分に、律儀にまたバイトさんは声をかけてくれた。


「自ら進んでタダ働きなんて、恐れ入るわ」


店の表ドアが閉まり切った後、どこからともなく神様が姿を表す。


「いいかね?人という字は……」

「はいはい、いちいち誤魔化さなくていいから。急がないと電車乗り遅れるでしょ」

「……そうだね。乗り遅れないように気をつけないと」

「まったく、今日の件はツケにしておくから」

「お願いします」


もやもやした気持ちを抱えながら、駅へと繋がる夜の大通りを歩き始めた。


 店内は暖房が効いていて暑いくらいだったが、外は夜風が伸び伸びと吹いていて程よい涼しさを届けてくれる。高揚していた気持ちも徐々に落ち着いてきた。日常に戻る時が来たようだ。


 そんな時、ブチっと何かが切れる音がした。


 神様と二人して、思わず鼻で笑ってしまう。


「いつまで寝てるんですか!!」

「ふぁ〜……。おはよ〜、ヒナタちゃん」

「おはよ〜、じゃないですよ!買い出しに出かけたと思ったらいつまで経っても帰って来ないし、ようやく戻ってきたと思えば、知らない他人の背中で涎垂らしながら寝てるって、一体どういう神経してるんですか!」


夜のギアフロータスに、愉快な怒号が響き渡る。それを聞いて、自分たちはゲラゲラとお腹を抱えながらしばらく笑ったのだった。

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