第31話 大切な人に幸せを届ける才

 気付けば、日はとっくに暮れていた。


 とぼとぼと力なく歩む道は、幸い誰ともすれ違わずに済んでいる。


 月明かりに照らされてキラキラと光る静かな一本の雪道は、果てしなく長い道のりのように見えたけれど、それでも一人で考え事をするにはちょうどいい時間を自分にくれた。


 何をするにも、一旦気持ちの整理をしたかった。


 女の子は誰に殺されたのか。あの場で一体何があったのか。自分にはもう、想像する以外に答えを得る手段が残されていない。


「……なに綺麗事を言ってるんだ」


女の子は、引けなかったと、自分に確かに言ったではないか。犯人を特定するには、それだけであまりにも十分すぎるだろう。


「この星では、人間であるというだけで罪なんだ。……こんなことになるなら、半端なことはせずに、すぐにさよならをしておくべきだった」


そんな後悔は、もはや何の意味もなさない。失ったものの大きさと、代わりに残った下らない命に、自分はもう笑うしかなかった。


「なぁ、クソ野郎。お前の夢は何だ?」


ずっと、物語の主人公たちに憧れていた。困っている人を助けるために、全力を尽くす。そんな姿を見て、これからは自分に出来ることがあれば何でもしようと、そう心に決めていた。


 でも、物語と現実は違う。


 救われるべき人は一向に救われず、むしろ地獄へと叩き落とされていく。そんな様を、無力な自分は、ただ見ていることしかできなかった。


 だから、自分は探した。女の子を救える力を持った誰かに、女の子を託そうと考えた。


 寝ぼけた白馬の王子様の頬を思いっきり引っ叩き、不幸に囚われた姫の下まで引きずってでも連れて行く。それが、自分という存在に許された限界なのだと、そう気が付いてしまったから。


 しかし、現実は物語のように都合良くはいかなかった。


 白馬の王子は、想定外にも女の子の心を掴み損ねてしまったのだ。


 その原因を作ったのは他ならぬ自分だったのだから、まったく目も当てられない。自分が女の子を思っての行動は、悉く全てが裏目に出てしまった。


 与えられた役割に徹していれば、こんなことにはならなかったのだろう。


 でも、そんなのは、とても耐えられなかった。


 自分は欲張った。こんな自分でも誰かを救えると、そう信じたかった。


 誰にも嫌われたくなかった。何も突出するもののない、平凡で凡庸な自分を、少しでも良く見せようと頑張った。


 そしてなにより、自分は誰かのかけがえのない存在に、一度でもいいからなってみたかったのだ。


 それは多分、叶ったのだろう。


 けれど、自分が出しゃばったツケは、全て女の子の身に降りかかってしまった。


「……叶えたい夢なんて、そんなもの、ありませんよ。……ないんです、一つも。やりたいことも、目指すものも、将来も決めてない。そんな自分のために、なんで白さんが死ななきゃいけないんですか?」


ようやく夢を見られるようになった女の子は、空っぽの自分を守ろうとして命を落としてしまった。


 自分は、女の子が待ち焦がれていた王様なんかじゃない。むしろ、真逆の存在だ。


「……魔王」


律の予測した未来は、正しかった。


 自分は律の予測通り、一人の女の子を殺してしまった。その事実に、自分はどうしようもなく打ち拉がれる。


 もう、何もする気力が湧かなかった。


 自分のする事なす事が全て悪い方へと向いてしまいそうで、怖くて怖くて仕方がない。


 このままでは猟師さんやお弟子さん、医者の彼女まで息をするように殺してしまいそうで、そんな邪悪な自分に猛烈な殺意を覚えた。


「死にたい」


切にそう願った。何度目かもわからないその願いを、今回ばかりは叶えなければならないと拳を強く握る。


 自分は走った。課せられた義務を果たすべく、女の子が倒れていた場所を目指した。そこには、自分を殺してくれる希望があるはずだから。


 今のこの強い思いが冬の寒さで熱を失ってしまう前に、何としてでもその引き金を引かねばならなかった。躊躇ってしまったら、生き延びてしまったら、また誰かを傷つけてしまう。そんな未来は、絶対に迎えてはいけない。


 だから、これで終わらせよう。律の揺るがぬ未来予測を、自分の命をもって否定してみせる。


 そう、決めていたのに。


「…………」


白がちょうど倒れていた場所に、一人の女の子が、ふかふかな雪の絨毯の上にちょこんと座っていた。


 この寒さの中、一糸纏わぬ姿でいるその子は、とても奇妙な容姿の魔者だった。


 雪の白に染められてしまったかのような、真っ白な肌と長い髪。


 背中には濡羽色の艶やかな翼が生えていて、頭と腰には猫を思わせる耳と尻尾。


 そして、胸元には見覚えのあるガラス管が、月の光を浴びて淡い光を放っていた。


「…………クロ?」


無意識にその名前を口にしていた。


 お願いだから、振り返らないで欲しかった。別人だと、今すぐに言って欲しい。


 でも、白い女の子は、自分の声にはっきりと応えた。


「……玲?」

「…………っ!!」


自分はその場に崩れ落ちた。


 先ほど胸の中に押し込めた感情が一気に爆発して、喉が詰まってしまって声も出せない。


 もう一人になってしまったと思っていた。この生には何の未練もないと、そう、言い聞かせていたのに。


「大丈夫だよ」


ゆっくりと近づいて来た綺麗な銀色の瞳は、真っ直ぐにこちらを見つめていた。


「……白がね、玲のことをよろしくねって」


決めたばかりの覚悟が、ガラガラと崩れ去っていくのを感じた。


「…………死んじゃ、やだよ」


その言葉に、枯れたと思っていたはずの涙がまた溢れ出てくる。


 折角守ってもらった命だというのに、自分は何と愚かなことをしようとしていたのだろう。そんな後悔と罪悪感で、心臓が押しつぶされてしまいそうだった。


 でも、それでも、心はどうにもままならない。


「…………クロ。どうすればよかったのかな?どうすれば、助けられたのかな?」

「……わからない。わたし、人になったばっかりで、まだ何も知らないおバカだから。でもね、わたしは玲がしたいことなら、何でも応援するよ。……それが、わたしが白から頼まれたお仕事だから」

「……したいこと、見つかるかな?」

「きっと見つかるよ。だから、玲の夢を、一緒に探そう?」


いつかの夜に女の子へとかけた言葉を、クロは自分に寄り添いながら優しく言ってくれた。


 未来が光に溢れていると信じて疑わない、頼もしくも危うい優しさに、いい加減しっかりしなければと、なんとか心を奮い立たせる。


「二人の夢が良い」


それは、今までとは違う。何も意識せずに自然と口にできた、心からの正直な思いだった。


「たくさん、たくさん大変なことがあったけど。わたしね、玲。玲とならどんな夢でも叶えられるって、そう思うんだ」


そんなクロの声を聞いていると、不思議と安心できた。それは、クロは人のように嘘はつかないと、そう信じられたからのように思う。


 クロの前では、何も取り繕わなくてもいい。そう思うと、体がふわふわと浮かぶようだった。


「……買い被りすぎだよ。今にわかる」

「それでも、わたしは玲の隣にいたい。ずっと、白にもらったこの命が尽きるまで、玲と一緒に生きたいんだ」

「後悔しない?」

「うん」


きっと、自分はこれからたくさんの人に迷惑をかける。


 それでも、生きたいと思った。自分と一緒に生きたいというクロの笑顔を、ずっとそばで見ていたいと、そう願ってしまった。


「クロ」

「なに?玲」


クロのおっとりとしてやわらかい声が、空っぽの心を優しい熱で満たしてくれる。


「失望されないように、たくさん頑張ってみるよ。……でも、今は少しだけ休ませて欲しいんだ」

「……そうだね。大変だったね。頑張ったね」


クロは自分の体をそっと倒して、まるでそうするのが正しいかのように、何も言わずに膝枕をしてくれた。


 そして、今更ながらクロのあられもない姿に、自分は羞恥を抱いてしまった。


「……寒くない?」


目線を逸らして、至って平然を繕って尋ねてみた。


「わたしは平気だよ。雨に打たれたり、風に吹かれたり、雪に降られたり。そんな寒いのは、もう慣れっこだ」


でもと、クロは続ける。


「そんなわたしを、玲は助けてくれた。それだけでわたしね、ここがとってもあったかくなったんだ。だから、ほら。今も、胸がドキドキで痛いくらい」


そっと胸に手をやり、その温もりを確かめるようにクロは微笑む。


 その表情に、自分は、今度こそこの笑顔を守り切って見せると、白とクロから貰ったこの命にきつく、きつく誓った。

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