第28話 ふたりだけの星空を

 七星祭の夜。本来迎えるはずのなかった祭の本番は、想像以上に綺麗な星空で飾られていた。


「ねぇ、玲。ちゃんと晴れたよ。玲といると良いことばっかりだ」


この世の全ての色を浮かべる夜空の下で、女の子は楽しげにそう微笑む。その視線にいっぱいの後ろめたさを感じて、自分は星空へと救いを求めた。


「約束、覚えてる?」


初冬の凍てつく寒さの中、女の子が浜辺で海水を蹴飛ばす音が、ここが彼方では無いことを教えてくれる。


「……何のです?」


記憶力に乏しい自分は、お手上げですぐに答えを求めた。


 そんな自分に、女の子は文句のひとつも言わずにヒントをくれる。


「昨日の夜に、言ってくれたよね?」

「……あぁ、あれですか」


恋をするのに臆病な女の子に、もしコウタに振られたら、慰めて、寝付くまで一緒に寝て、そして……。そんな背中を押すためだけの口約束を律儀に覚えているとはと、自分はほんの少しだけ驚いてしまう。


 でも、幸運なことに、コウタは思惑通り、女の子に想いを告白してくれた。


「おめでとうございます。良かったですね。……でも、コウタのところに居なくてもいいんですか?折角実った幸せです。それも、年に一度のお祭りの日ですよ?一人でいるならまだしも、別の男と一緒っていうのは流石にまずいと思うんですが……」


だから、この約束は当然破棄されるものと考えていた。そうでなければ、困ってしまう内容でもあったから。


 しかし、女の子は当然のことのように言ってのける。


「わたし、断ったよ」


その清々しいまでの言葉には、後悔は微塵も含まれていない。


「……どうしてですか?」

「なんでだと思う?」

「…………さぁ。わかりませんよ」


そう。


 自分は女の子の気持ちが理解わからなかった。


「コウタくんが好きになってくれたのは、本当にわたしなのかな?」


女の子は、聞く人が聞けばお弟子さんの想いを踏み躙っているとさえ取れるような、そんな捻くれた疑問を大真面目に口にする。


「それは、そうでしょう。そうじゃなきゃ、告白なんてしないはずです」

「なら、何で今まではしてくれなかったのに、今日になって突然告白しようなんて思ったの?」

「単純に、きっかけがあったからっていう、それだけの話です。ある日想いに気付いて、告白しようと覚悟を決めたとしても、そう簡単に踏み出せないのが普通でしょうから」


そんな勇気を振り絞ってしたはずの告白を、女の子はキッパリと断ってしまったのだ。


 その理由は、どうやら女の子たちの抱える呪いが原因のようだった。


「……今更だよ。わたしが普通になった途端にこれだ」


女の子の言う通り、確かに、半端者という要素が薄まったタイミングでの突然の告白は、あまり良い印象を抱かないだろう。


 でも、女の子とて半端者である自分を誇っていたわけではないはずだ。自身すらも嫌う汚点を相手が許容してくれないからと言って、それだけで相手の想いを否定するのは間違っている。


「それに、コウタは玲のことを嫌ってた。わたしが森の中に入ろうとした時も、すごく反対してきたんだよ。ようやく手に入れた普通を捨てるのかって。またボロ小屋での一人きりの生活に戻りたいのかって」


そして女の子は、村でのお弟子さんとのやり取りを思い出したのか、静かに怒りの炎を燃やしながら言うのだ。


「わたしの唯一の家族を取らないでっ!……勝手に玲を、殺さないでよ。玲はまだ生きてるし、わたしは一人じゃない。もう寂しくはないんだ。だから、他には何も要らないんだよ」

「……心配してくれてるんじゃないですか。実際危ない目にもあったんです。感謝こそすれ、嫌う理由にはならないでしょう?」


女の子も、トウコさんのようにもう少し器が大きければ、幸せへの一歩を踏み出せたのかもしれない。けれど、女の子は少々頑固が過ぎた。


 そもそも、最初から自分を全肯定してくれる相手など、この世に存在するわけがない。まして、言っては悪いが、女の子は魔者たちから嫌われる半端者だ。もしも自身の全てを受け入れてくれる、そんな優しい存在がいつか現れるなどと言う淡い夢に期待しているのであれば、それは今すぐにでも捨てるべき憧れだ。


 一言で言うならば、女の子はもっと現実を見なければならない。現実の中だけではなく、夢の中でも妥協を覚えるべきだった。


「……でも、自分で決めたことなんですよね?普通は要らない。本気でそう思っているのなら、別に構わないんです」


自分は勘違いをしていたのだろうか。


 いや、そんなはずはなかった。


 理不尽な不幸ばかりを引き寄せる呪いになど、嫌悪こそ抱けど、未練など覚えるはずがない。


 それなのに、浜辺に佇む女の子は、その呪いを個性として受け入れ始めてさえいるように見える。


「玲は、わたしが半端者だって知った時も、普通に接してくれたよね」

「まぁ、そうですけど……」

「ミナトともお友達になってくれた」

「友達と呼べるほどには、まだ仲良くはなれてないですよ」

「それでも、わたしはとっても嬉しかったんだよ。村のみんなに指を刺されてたわたしの尻尾を、街のみんなに蔑むような不機嫌な目線を向けられてたミナトのおっきなお耳を、玲はむしろ気に入ってくれた」


自らの白く長い尻尾を両腕で愛おしげに抱き締めながら、女の子は言う。


「わたしも、生きててもいいんだって、初めて心からそう思えた。玲はわからないと思うけど、これでもすっごく感謝してるんだよ?それだけは、信じて欲しいな」


ミナトもきっと同じ気持ちだよと、そう女の子は確信を持って言葉にする。


「わたしたちは多分……。うん、きっと優しさに弱いんだ。だからかな?今こうしておしゃべりをする相手がいるだけでも、泣いちゃいそうになるくらい、幸せなんだよ」


話すだけなら、相手は他にいくらでもいる。それこそ、仕事先の人や、村の人たち、お弟子さんや猟師さんもいるだろう。


「でも、わたしとお喋りをしようとしてくれたのは、玲だけなんだよ?話し下手なわたしに懲りずに話題を振ってくれるのは、他の誰でもなくて、玲だったんだ」

「…………そんなことないですって。全部、たまたまですよ」


自分は何か、ものすごく嫌な予感がした。


 同時に、それは今から回避できる類のものではないようにも感じられる。


「ねぇ、玲」

「……はい。なんですか?」


女の子の艶っぽい声に、嫌でも胸の鼓動が早まっていく。あまりの緊張で、口の中は乾き切ってパサパサになっていた。


 ごくりと生唾を飲み込む音さえ響いてしまいそうな、そんな静寂の占める夜の中。女の子は、肩が上がってガチガチだった自分を、打ち寄せる波が気持ち良いからと微笑みながら手招きしてくる。


「冷たっ!?」

「ね、気持ちいいでしょ?……わたしたち、まだ生きてるんだよ」


満天の星々に加えて、遠くの星々の鮮やかな七色が光る夜空は、しかし、地上を照らすほどの力はない。星々の淡い光は、こうして二人手を取り合うには都合は良くても、足下の海を照らすには少々心許なかった。


 海辺に民家がないこともあってか、明かりは空の星灯りだけだ。


 いや、それともう二つ。


 あの夜に見た綺麗な輝きが、今日も隣で優しく揺らいでいた。


「物騒なこと言わないでくださいよ。それじゃあまるで、これから死んじゃうみたいな言い方じゃないですか」

「ち、違うよ!そんなつもりじゃ……っ!」

「わかってますって。冗談ですから」


ばしゃばしゃと、何の気無しに女の子の真似をして水面を軽く蹴飛ばしてみる。骨身に染みる刺すような冷たさは、確かに、自分は生きているんだと自覚するには十分過ぎる痛みをくれた。


「もうすぐだよ」

「何か起こるんですか?」

「昨日、才能のお話をしたよね?三つの才能。それがね、七つのお星様が並んだ時にだけ、見えるんだ」


自分だけでは見ることの叶わない、自分自身の命の光。女の子のそれを見ることが叶うのは、この場では自分一人だけだ。


「玲は、何を願うの?」

「……願う?どういう意味です?」

「ううん、なんでもないや」


そうはぐらかす女の子は、次には楽しそうに微笑んだ。


「わたしは、あるよ。ずっと、ずっとね、今日まで願い続けてきた夢があるんだ」


女の子はそう言って胸の前で祈ろうとして、しかし、片手が塞がっていることに気がつく。


「えっと……」


戸惑っている女の子の手のひらを、自分は面白がって離さなかった。


 その代わりに、自分の反対の手を女の子の手のひらにそっと合わせてやる。


「あっ…………」

「一緒にお願いすれば、きっと叶うと思うんです」

「……うん!」


女の子は少し恥ずかしそうに、でも躊躇いがちに指を絡めてくる。それに合わせるように、自分もすっと指を組んだ。


「……あったかい」

「そうですか?自分はまだまだ寒いんですけど」

「もう、そういう意味じゃないもん!」


そう言って意地悪と愚痴を漏らす女の子だけれど、不思議と今はキレが悪い。


「……始まった」


徐々に夜空が不思議な光で満ちていく。


 七つの星の、七つの色。それは、ありふれた色のように見えて、それでいて見る者を惹きつける美しさのような魅力があった。


 幾重に重なっても決して交わる事のない、そんな個性と呼ぶには強すぎる色たちは、きっと一つでは目立たないのだろう。いや、逆に悪目立ちする事だってあるかもしれない。


 けれど、似たもの同士で並べば、ほら、周りの小さな星々よりも何倍も綺麗に輝いて見える。


 そんな風に、世界から爪弾きにされてしまった自分たちも、周りを気にせず生きていけるのだろうか。


 きっとそれは、そう難しい話ではないのかもしれない。


「遠いな。……届くのかな。わたしの願い、叶うかな?」


長い長い時間をかけてお願いをした後で、そう不安そうに呟く女の子は、組んでいた指を解いて星空に手を精一杯に伸ばす。


 でも、もちろん星空が口を開くことは決してないし、手に取ることも叶わない。ただ、天高くで虹色に空を彩っているだけだ。


「玲っ……」


女の子が今まで夢見続けてきた願いとは、果たしてどんな願いなのだろう。


 どんな願いにしろ、叶って欲しい。そう心から思った。


「目を、瞑ってください」

「……わ、わかった」


いきなりのことに困惑しながらも、女の子は素直に言うことを聞いてくれた。


 そんな女の子の手を引いて、自分は真っ黒な海をゆっくり奥へと進む。


「……?ねぇ、どんどん深くなってるよ?行く方向間違ってるとかない?」

「こっちで合ってますよ。何があるかは、着いてからのお楽しみです。」


腰ほどまで浸かったあたりで背筋に悪寒が走るのも無視して、女の子がギリギリ足がつく深さの所まで来る。自分にはまだ余裕があったが、背丈が一回り小さい女の子には、この深さが限界のようだ。


 それに、目を瞑った状態では、流石に怖くもあるのだろう。自分が足を止めるよりも早く、女の子はおもむろに歩みを止めた。


「ぁ、玲……?これ以上行ったらわたし、溺れちゃうよ」

「そうですね。この辺にしておきましょうか」


自分とは違って女の子は寒さに強いのか、それほど苦しそうには見えない。余計な感覚に邪魔をされないのは、とても好都合なことだ。


「肩を叩いたら、目を開けてくださいね」

「う、うん」


何が起こるのか知らない女の子は、胸の前で拳を握りながら、体に力を入れて身構える。


 そんな女の子に、先程から密かに腰に巻きつけられていた尻尾を不意に撫でてやり、無理矢理に緊張をほぐしてやる。


「ひゃっぅ!?」

「さて、行きますよ!深呼吸して、大きく息を吸って…………止めてっ!!」

「…………っ!!」


息を止めるための自然な力みを見たと同時に、自分は女の子と共に海中へと身を沈めた。


 女の子を下にして、自分は海面側から覆い被さる。


 驚き過ぎて立っていた時の格好のまま固まっている女の子の肩に、そっと自分は手を伸ばした。


 そして、とん、と。凍てつく海の中で女の子に触れた手のひらからは、ほのかな熱が伝わってきた。


 その感触を合図に、女の子は恐る恐る瞼を開けた。


 そして、自分は言葉なく、女の子だけに特別な星空を贈るのだ。


「…………っ!」


海底を背に、仰向けで海中に漂っている自分たちの前には、ゆらゆらと揺らめく満潮の星空が手の届く距離に広がっている。


 月の空よりも遥か遠い、それこそ宇宙の果てにある星々でさえ、今だけは全て女の子のものだ。


「びべぃ……っ!」


海の中であることを忘れて誤って声を出してしまった女の子は、苦しさに慌ててじたばたと暴れ出す。止めていた空気が徐々にぶくぶくと漏れ出す音に、心底肝が冷えているに違いない。


 しかし、女の子は逃げられない。


「……っ!?!?」


自分は、じっと星空を眺めていた。


 そしてそれは、手を伸ばせば届く距離にある。


 なら、掴めばいい。


 ”夢は努力次第で、叶えることができる”のだから。


「「…………」」


……意地悪。


 そう、女の子が目で訴えてくる。


 自分は何のことかと、笑いながら知らんぷりを通した。


 そして、お互いに限界が訪れて、勢いよく海面へと顔を出す。


「ねぇ、玲……」


苦しさに上がった息が、冬の空気で白く煙って海面を優しく撫でる。けれど、女の子は息を整えるよりも先に、残された息を使い切ってまで自分の名前を呼ぶのだ。


「わたし、変だよ。冷たい海の中なのに、心臓がどくんっ、どくんって。熱いんだ」


そう言う女の子は、これ以上ないと言うほどの満面の笑みを幸せそうに浮かべていた。




「くしゅん!」

「……ちょっと長居し過ぎましたね」

「ごめんなざい……」


七星祭の夜を名一杯楽しんだ自分たちは、ガクガクと震える体を両手で抱きながら、やっとの思いでボロ小屋へと戻って来ていた。


「体調は大丈夫そうですか?あれでしたら、今からでも温かい飲み物でも作りますけど」

「ううん。……だいぶあったまったから、きっと大丈夫」

「……そうですか。なら、よかったです」

「……うん」


隙間風甚だしい部屋の中で、お互いに身を寄せ合いながら寒さに震える。それは、出逢った夜の状態に少し似ていた。


 あの時と違う点を挙げるとすれば、いくらか女の子に気を許せるようになるくらいには仲良くなったと言うことだ。


「今度はわたしの番だね」


背中合わせに横になっていた女の子が、おもむろにそう言って寝返りを打つ。温かい吐息が首筋を優しくなぞって擽ったい。


「わたし、玲にもらった普通で頑張るよ。ちゃんとしたお仕事に就いて、お友達をたくさん作って、そしていつか、ここにちっちゃくてもいい。お家を建てるのが、今のわたしの目標だ」

「自分も手伝えたら良いんですけど……すみません」

「ダメだからね。もし他の人たちに見られたら、大変なことになっちゃうよ」

「……わかってます」


生贄の儀式で死んだことになっている者が、普通に外を出歩けるわけもない。更に言えば、自分は人間だ。生贄の話を抜きにしても、いつ命を狙われてもおかしくない。


「その代わりに、ここでずっと待ってますから」

「うん」


かさかさと鳴る寝藁の音が、心に安らぎをくれる。そんな風に思えるのも、あと少しの辛抱だ。


 これから色々なことが良い方へと変わっていく。温かくて美味しいご飯に、広くて柔らかい布団。そして、隙間風の入らないきちんとした一軒家。


 それらを全て揃えるには、それこそ途方もない努力と時間が必要だろう。


 でも、不思議と今日という日を良い思い出として語れる日は、そう遠くはない気がするのだ。


「一緒に頑張ろうね」

「はい」


夢は、努力次第で叶えることができる。改めてその言葉を心に深く刻みつけ、信じることにする。


「……今夜は薬は飲まなくてもいいんですか?毎日飲まないといけないんですよね?」


ふと女の子の習慣を思い出して、確認するために尋ねた。


「ううん、いいの。……今日は、飲みたくないんだ」

「そういうの、体に悪いですよ。ミナトさんにも言われたじゃないですか」

「いいんだよ!!もう、これもわたしの夢の一つなんだ。なかったことにはしたくない」

「……わかりました」


ともかく、今日は薬の服用をサボりたい気分なのだろう。少し心配ではあるが、一日くらいは大目に見てあげても良いかもしれない。


「ふぁ〜〜…………っ」

「ふふ。もう寝よっか」

「ですね」


 心配ごとが解決したからか、一日の疲労が押し寄せてきて、重たい眠気が襲ってくる。


 それは、後ろの女の子も同じようだった。


「おやすみなさい」

「……うん。おやすみぃ……」


良い夢を。


 全ては明日から始まる。


 だから、今は何も考えずに、安心してぐっすりと眠れますようにと、そう願った。




 その夜、待てど暮らせどボロ小屋にクロが帰ってくることはなかった。

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