第25話 幼き頃からの夢
道とは、過去に誰かが通った足跡だ。
続く者たちが歩きやすいようにと綺麗に舗装され、分かれ道にはご丁寧にも看板まで設置されている。そんな、先人たちが遺してくれた優しさの贈り物は、今の世界を作り上げるのに大いに役立ってきた。
どう行けば、何に成れるのか。それはサッカー選手であったり、ピアノの演奏者であったり、世界の法則を見つけ出す科学者であったりと、本当に多種多様な道が用意されている。それは、人が種として成長し、また世界をより良くしていくための近道となってきた。
けれど、多くの人は、遺してくれた道を素直に歩くことを避けたがる。誰だって、自分らしい道を歩きたいという夢があるからだ。
ある者は先人よりも前を行くために、死に物狂いで努力するだろう。
ある者は別の道を開拓するために、全くの未知に裸で飛び込んで行く。
けれど、それはとても大変なことだ。すでに用意されている歩きやすい道を捨てた先には、文字通り茨の道が待ち受けている。
そんな、危険で溢れている真っ暗で先の見えない毎日に、疲れて立ち止まってしまう者も少なくはない。あるいは、邪魔者だ。自らの進みたい道を悪意に塞がれ閉ざされることで、人は容易く目的を見失ってしまう。
道は、何処かへ至るための過程に自然と出来上がる。だから、夢や理想を抱いた者の数だけ、辿りつきたい目的地が存在するはずだ。
ならば、夢を実現せんがために、人の道を外れる。他人と道を違えるのは、悪いことなのだろうか。その是非は、一概にはこれと言えないのではないかと、そう思う。むしろ、勇気がなければ、覚悟がなければ、選べない道だ。
同時に、たった一つの選択肢でもあったに違いない。
人の道の邪魔をするのは、いつだって同じ人だ。ならば、自分が抱いている夢もまた、誰かに強いられて見たものである可能性も否めない。
……つまり、自分が何が言いたいかと言えば。
ともかく、すごく暇なのである。
「……お、あれかな?」
潮風に吹かれながら歩くこと小一時間。ようやく目的地である村が見えてきた。
今日は女の子に頼まれて、近くの村へと簡単なお使いだ。
途中、あまりに暇すぎて、おもむろに横道に外れてみたり、縁石を飛び石のように渡り歩いてみたりと、退屈にならないようにと思うがままに体を動かしていた。
けれど、それももう終わりにしなければならないだろう。
「…………バレると思うんだけどなぁ〜」
女の子が生まれ育ったという村を目前にして、改めて自らの身なりを確認してみる。
頭には、女の子から借りた彼女お手製の帽子。顔には、一体どこから拾ってきたのやら。黒縁の安っぽい瓶底メガネが、申し訳程度にかけられていた。
村には半端者を食い物にするような人相書きが、隠されることなく堂々と張り出されていると聞く。だから、変装が必要だという女の子の言い分は、十分に理解できた。
けれど、流石にもう少し何とかならなかったものかと、そうため息をつかずにはいられない。
「これじゃあ、逆に怪しまれてもおかしくない。まだお縄につきたくはないなぁ」
迷惑な男による人相書きのせいで、気軽に村にも出かけられない。それは、なんとも息苦しくて、とても楽しくない。何かを気にしながら物事に取り組むのは、気が散って集中できないから苦手だ。
恐る恐る村に入ると、なんと言うことはない。誰一人自分を気にする者はおらず、皆忙しそうに駆け回っていた。
「お仕事ご苦労様です」
労いの言葉を勝手に言い残して、自分は目的の店へと向かう。
通りに立ち並ぶ石造りの頑丈そうな建物は、別の村の景色を思い起こさせて嫌だった。
だから、何か違いが見つけられないかと、周囲をざっと見渡してみる。
この星に来て最初に行き着いた村の様子と比べると、こちらの村は広々としていて良い。身を寄せ合うように家々が犇き、無駄にせせこましく感じられた向こうとは、この村は随分と毛色が違うように思えた。
石を薄く割り、板状にして重ねられた瓦のような屋根を背負う立派な家々が立ち並ぶ通りを、一人とことこと進んでいく。この辺りでは雨は珍しいのだろう。家には雨樋は設けられておらず、また雨水を流す水路の類も見当たらない。
そんな風に、景色を流しながら歩いていると、気付けば目的の店の前まで来ていた。
「とうちゃ〜く」
その店は、ごくごく普通の一軒家に見える。
けれど、ひと目見ただけで、ここが”猟師さん”の家だと確信できる看板があった。
「いのしし」
通りに面した家の大きなガラス窓からは、大きな猪の剥製が飾られているのが見えた。
猪の目は、死した今も魂が宿っているかのように、生前の獣の持つ獰猛な気性が爛々と瞳の奥で輝いている。
それに、かなり強い猪だったのだろう。体格は痩せることなくガッチリとしていて、日々の餌に困っていた様子は全くない。だからだろうか、他ならゴワゴワとして触り心地が悪そうな毛並みや艶も、稀に見る美しさを誇っている。
そして何より、その状態を完璧に保存して剥製を作る職人技だ。長年の経験が物を言うのか、それとも天性の才能なのかはわからない。どちらにせよ、猟師さんの技術が生半な物ではないことだけは確かだ。
「……お?」
ふと、剥製の横に置いてあった写真たちに目が引かれた。
「……写真かぁ。そういえば、最近撮ってないな」
写っているのは、若かりし頃の猟師さんだろう。いつも細身の女性の隣で、仕留めた獲物を嬉しそうに掲げていた。
「久しぶりだな」
不意に声をかけられて、自分は声の主を探す。
その声は、家の裏手からだった。
「あ、テツさん。こんにちは」
猟師さん、もといテツさんを見つけて、自分は静かに駆け寄る。猟師さんは先程まで仕事をしていたのか、微かに火薬と獣の匂いがした。
「俺に何か用か?」
渋い声でそう用件を尋ねてくる猟師さんに、自分は女の子が猟師さん宛に書いた手紙を鞄から取り出す。
「はい。白さんに頼まれて、弾を頂きに」
「そうか。なら、その前に少し付き合ってくれ。仕事道具の片付けの途中でな」
「はい。喜んでお手伝いします」
「助かる。こっちだ」
猟師さんは一言そういうと、一人さっさと歩き始めた。そんな背中に置いていかれないように、自分も早足でついて行く。
家の奥の仕事場には、今朝仕留めたのだろう獣が横になっていた。
滑らかで猛々しく鋭い角を持つ獣は、猟師さんが若かりし時の獲物と比べても遜色がない。それどころか、より繊細に、より確実に。猟師さんの銃から放たれた弾丸は、獣を苦しめることなく一撃で仕留めている。
その皮は高級な衣類へと変わり、その肉は村の者の糧となるのだろう。
しかし、そんな獲物を前にしても、猟師さんは笑顔を浮かべはしない。
「そっちを頼む」
「……はい。わかりました」
無言で黙々と作業するのは、決して嫌いではなかった。けれど、猟師さんから漂ってくる哀愁に当てられて、勝手に気持ちが沈んでしまう。
こんな時に、励ましてくれる人がいれば。仕留めた獲物に、共に喜びを分かち合えるような人がいればと。そんな風に願うことを、きっと猟師さんは許してはくれない。
「…………」
猟師さんは、窓から青空を静かに見上げている。
あの時も確か、猟師さんは”上”を見つめていた。
猟師さんとの出会いは、ボロ小屋近くの森の中だった。
両手を広げても抱えきれない巨木の、その根元。ひと一人がちょうど入れるほどの樹洞の中に隠れていた猟師さんは、足を怪我してしまったのか、止めどなく血が溢れる患部を強く押さえつけながら痛みに呻いていたのだ。
「だ、大丈夫ですか!?」
駆け寄ると、薄らと血の匂いがする。それと、妙な臭さが辺りに充満していたのが印象的だった。
「なぜ……お前のような子供が、森の中にいる……?」
「そんなことより、左足の傷が……!早く救急車を……って、ここにはないのか……。ともかく、森から出ないと!」
「焦るな。……大したことは、ない」
そんな猟師さんの途切れ途切れな言葉を、この時の自分は強がりだと思っていた。
だから、駄々をこねる怪我人を無理にでもボロ小屋まで運ぼうと、猟師さんの大きな体を背負おうと試みる。
しかし、女の子の体を抱えるのも精一杯の体では、大の大人の、それも筋肉のついた体格の良い男性を持ち上げることは到底叶わなかった。
「ど、どうすれば……」
「どうもしなくていい。もうしばらくすれば、この程度の傷なら、”快復”する」
そんな馬鹿なと、猟師さんの患部を注視した自分は、その異様な光景に唖然とした。
魔物の回復力は、自分の想像を遥かに上回っていた。流れ出るように溢れていた血は既に止まっており、獣につけられたのだろう爪で抉られたような傷も、少しずつではあるが埋まり始めている。その様子を眺めていると、身の毛がよだち、胃がひっくり返ったかのように猛烈に気分が悪くなった。
それと、たくさんの罪悪感が湧き上がってくる。
「……すみません。何もできなくて」
猟師さんが歩けるようになるまで、自分は大人しく黙っていた。
猟師さんは、おもむろに口を開く。
「……森を出る。荷物を頼めるか?」
その問いに、自分は即座に首肯した。
この森が一般人の立ち入りを禁止されているということを知ったのは、ボロ小屋についてからのことだった。女の子と二人、猟師さんに大きな声で叱られ、しばらく声も発せなかったことを今でも覚えている。
「……なんで禁止なの?」
理由を問うたのは、女の子からだったろうか。とにかく、自分たちには食事を確保する先が必要不可欠で、頭ごなしに禁止と言われて引き下がるわけにはいかなかった。
しかし、猟師さんは何も答えてはくれない。
「それを、俺に聞くな」
そう言って猟師さんは、ボロ小屋の屋根の隙間から覗く青空を、悲痛な面持ちで眺めていた。
その理由を知ることができたのは、”弟子”の口が無神経なほど軽かったからだった。
「あれ、師匠。帰ってたんですか」
噂をすれば何とやら。猟師さんよりも一回り小さい猟銃を背負ったお弟子さんが、獲物を抱えて仕事から帰ってきた。
「お、アキラじゃん。久しぶりだな。そのメガネ、似合ってないぞ?」
「コウタ、久しぶり」
顔を見てけらけらと笑うお弟子さんに、自分は苦笑しながら挨拶を返す。
「……それ、大っきいね。一人で仕留めたの?」
「もちろんだ。すげぇだろ?」
自信の権化のような、そんな元気で喧嘩っ早そうな印象を受けるお弟子さんは、猟師さんに負けずとも劣らない猟師の才能があるようだ。
よく見てみると、獣の胸が上下に動いている。麻酔銃でも使ったのだろう。寝そべる獣には、まだ息がある。
「あまり調子に乗るな、コウタ。狩りは殺し合いだ。それを肝に銘じておけと、何度言えばわかる」
「わ〜ってるよ。耳にタコができるくらい聞かされて、ウンザリしてるくらいだ」
「その口の利き方だけ直せば、自慢の弟子なんだがな……」
そんなやり取りをしながらも、お弟子さんの手はしっかりと動いていた。薬で深い眠りについている獣の命を、素早く一瞬で刈り取って見せる。
獣の意識は深く沈んでいても、痛みに体が反射的に暴れる。それを、お弟子さんは覆い被さるようにして、がっちりと強く抱きしめていた。
「……ごめんな」
お弟子さんは、一言そう呟いた。その言葉を聞いた獣は、ピタリと暴れるのを止める。
お弟子さんの様に、謝罪と感謝の一言を正直に口に出せる者が、果たしてこの世にどれだけいるだろうか。
「……本当に、そこだけなんだがな」
きっと猟師さんも、自分と同じことを感じているに違いない。
だから、少しだけお弟子さんの味方をすることにした。
「そこは、ほら、あれですよ。育て甲斐があるってことで、ひとつ」
「物は考えようってことか」
「腕が鳴りますね」
「さて、どうだか」
愛想なく呆れるように言う猟師さんではあったけれど、その口元は愉しげに笑みを浮かべている。案外、この二人は相性がいいのかもしれない。
「弾だったな」
「はい。お願いします」
猟師さんは解体作業が終わった後、約束通り銃の弾を用意してくれた。
「白はいいよなぁ〜。俺なんて、銃を持たせてくれるまで三年は修行させられたって言うのに」
「命の恩人に、俺ができることをしたまでだ」
「だからって、火器の扱い方も知らない白に、銃と弾をタダで渡すか?……それに、白は魔杖すらまともに使えないんだ。何かあったら危ないだろ」
話を聞くところによると、お弟子さんは女の子とは同い年の幼馴染みらしい。女の子がこの村に住んでいる当時は、よく一緒に遊んだのだと言う。
だからだろうか。お弟子さんは、女の子のことを心配して、不用意に銃を渡した猟師さんをそれとなく責めた。
「……なら、お前が二人を養うか?」
まるで八つ当たりするかのように、猟師さんはお弟子さんを責め返した。それが意外で、自分は驚いてしまう。
「はぁ?白たちを、俺が!?」
激しく動揺しているお弟子さんに、猟師さんは続ける。
「俺は、自らで食い扶持を稼げるようにと、仕事道具を譲った。お前が言うように、危険があることも承知でだ」
「だったら、何で銃なんだよ。他にも方法はあったはずだろ?」
「言ったところで、お前にはわからない」
「…………別にいいぜ?アキラはともかく、白一人くらい養える腕はついているつもりだからな」
猟師さんの煽るような口振りに、お弟子さんは見栄を張るように大口を叩いた。
話の流れが妙な方向へと進んでいくのに、止めることが叶わない。こういう時、余所者は爪弾きにされるのが世の常である。
……まぁ、当たり前か。
お弟子さんは隠せているつもりのようだが、どうやら女の子が気になっているようなのだ。
そんなお弟子さんを宥めようものなら、矛先が自分へと変り兼ねない。そう危惧して、既に終えている道具の手入れを、改めて黙々と再開した。
とは言っても、会話は嫌でも聞こえてくる。
「人の一生に責任を持つと言うことは、そんなに軽々しく口にしていいことではない。相手と面と向き合って、二人で話し合ってから決めることだ。違うか?」
「そんな話はしてねぇだろ。銃じゃなく、金を渡せば済む話だったろうって、そう言ってるんだ。だって師匠の家は……」
「……馬鹿にするのも大概にしろ」
言葉を被せるようにして言う師匠に、お弟子さんは慌てて口を塞ぐ。
しかし、猟師さんの機嫌は既に最悪だ。
けれど、幸いなことに、二人は息を殺していた自分の存在に気がついてくれた。
「客がいる。説教はまた後でだ」
「……ちっ」
喧嘩はやめて欲しい。それは偽らざる本音だ。
なら、自分はどちらの味方なのだろうと、ふと思う。
自力で稼ぐ術を与えてくれた猟師さんか、女の子のことを案じてくれるお弟子さんか。
悩まなくては決められない時点で、きっと自分はどちらの味方でもないのだろう。
「彼女は、あの銃を気に入ってくれてるかい?」
「はい。おかげで最近は毎晩お肉ですよ」
「それは良い。若者はたくさん食うのが仕事だ」
猟師さんから弾の入った紙箱を受け取り、お礼を言ってから鞄にしまおうとする。
しかし、猟師さんの節くれ立った手によって止められてしまった。
「……どうかしましたか?」
そう尋ねると、猟師さんは真剣な面持ちで、腰に隠し持っていた一挺の拳銃を自分の手のひらへと乗せてきた。
「本当に、要らないか?」
「……ええ」
「……そうか」
黒曜石のような素材で造られた遊底に、真鍮のような色のバレルを持つそれは、素人が見ても一点物だとわかる。それを、何度断ろうとも譲ろうとしてくる猟師さんの考えが、自分にはどうにも理解できなかった。
それに、自分たちに必要なのは、日々を生き繋ぐための手段であって、身を守るための武器ではない。
「考えが変わったら、いつでも言ってくれ」
「はい。そうさせていただきます」
銃を猟師さんへと返した自分は、しまい損ねていた銃弾を鞄の中に詰め込む。
女の子から頼まれた用事を終えて、そろそろ帰ろうかと考え始めた頃。外が何やら騒がしくなってくる。
「……ちっ。また隣村の奴らか」
お弟子さんは、苦虫を噛み潰したような険しい表情で、心底不快そうに言った。
「なんでまた、隣村の人がここに?」
「七星祭りさ。……奴ら、他人には早く選べって偉そうに言っておいて、自分たちの番になったら言い訳を言うんだぜ?馬鹿にするのも大概にしろってんだ」
何のことかと首を傾げていた自分に、猟師さんが簡単に事情を説明してくれた。
「…………森に主が棲んでいることは、知っているな?」
「はい。コウタから聞きましたよ」
「ここらの村では、十数年前から突如現れた森の主による人的被害が後を絶たなかった。そこで、年に一度行われる七星祭の日に、主が暴れないようにと、生贄を捧げることに決まったんだ」
猟師さんはさらりと言ったけれど、自分は悍しいその一言を聞き捨てることはできなかった。
「生贄、ですか……。それで、対策の効果はあったんですか?」
「そんなの、無かったら続いてねぇよ……と、言いたいところだが。実際は結果論ってやつだ」
「……なるほど」
以前に一度、生贄が儀式から逃げ出したことがあったのだと言う。その年の被害は、口にするのも憚られるほど悲惨だったそうだ。
それ以来、毎年欠かさず森の主に生贄を捧げる取り決めが交わされた。それは、納得できずとも理解はできる。
「……それで、何で隣村の人がこっちに?」
「祭りで差し出す生贄は、この村と隣村で交互に選出することになっている。今年は隣村から選ばれる番だ。ただ……」
含みを持たせた言い方に、自分は沈黙で続きを促す。
猟師さんは、赤い丸が記されたカレンダーを見ながら、村の行く末を憂うように神妙な面持ちで言う。
「例年通りなら、今頃儀式の予行演習が執り行われるはずなんだが……。未だに生贄が選ばれていないのが不安でな」
「お祭りの準備で、皆さん忙しそうにしていたんですね」
「祭りを取り仕切るのも、隣村と交代なんだ。持ちつ持たれつの関係を続けていたというのに、今更何をしようと言うのか……。そう思うのは、俺が年を取り過ぎたからなのかね」
日付とは無縁の生活を送っている自分には、今日が何年の何月何日かどころか、曜日すら把握できていない。けれど、壁にかかっているカレンダーには丁寧に斜線が引かれており、一目で七星祭までの猶予が見て取れた。
あと三日か……。
本来なら、森の主による被害を心配したり、生贄という悪しき風習を忌むべきなのだろう。
しかし、自分の心は、場違いな感情で溢れていた。
楽しみだな。
年に一度の七星祭。その夜は、空は虹色に輝き、空と海とが反転したかと錯覚するほどだという。そうまで絶賛される美しい景色に、自分は思いを馳せずにはいられなかった。
自分たちの世界は、あのボロ小屋と、海と森と、数人の友人たちでできている。
だから、この村のことなんて自分には関係ないと、そう思っていた。
「……奴ら、自分のとこから生贄を出すのが嫌なんだよ。だから、あんな嘘までついて……」
「嘘と言うと?」
「あぁ。人間を見つけたから、そいつを生贄にしようって言ってんだよ」
「…………人間、ですか」
自分は関係ないと思っていても、魔物の側はそうは思っていないようだった。むしろ、隣村の魔物たちにとっては、見殺しにしても後腐れのない都合が良い生贄を見つけたと、心から大喜びしているに違いない。
「……馬鹿馬鹿しいだろ?こんな辺境に人間なんているわけねーっつーの」
「……もし、本当にいたらどうします?」
「そんなの、聞くまでもないだろ。……誰も嫌な思いをしなくて済むんだ。全員ってわけじゃないだろうが、少なくとも生贄に選ばれた血縁の奴らは、人間を血眼になって探し出すだろうよ」
「……確かに、理想ではありますね」
浮かれていた心が不意打ちを受けて、自分は不細工に笑うことしかできなかった。不安で怖くて仕方がないのに、出てくるのは涙でも嗚咽でもなく、ひたすらにへらへらとした笑いだけ。それは、なんとも自分らしいなと、そう思った。
こうなることはわかっていたはずなのに、どうにも悲しくて仕方がない。
結局のところ、自分と普通に接してくれていたのは、人間である事実を知らなかったからという一言に尽きるのだろう。そう改めて気が付いて、心が急激に冷めていくのがわかった。
人は、努力すれば何者にもなれるのだと言う。
そんな戯言を信じる気は、毛頭ないけれど。でも、一縷の光であることには、変わりはない。
なら、目指そうではないか。足掻こうではないか。
何者にもなれない空っぽな自分を、誰かのための贄としよう。
それが、昔から抱き続けてきた、自分の心からの望みなのだから。
「隣村の奴ら、張り紙の男を探してるみたいだったぜ。ひと1人助かるからって、賞金までつけてる」
それに、と。お弟子さんは自分のメガネを掻っ払ったかと思うと、近くに置いてあった人相書きと見比べ始めた。
しかし、それは疑いを晴らすための行為ではなかった。
「気を付けろよ。アキラ、あの絵に少し似てるからな。勘違いで生贄にされたら、それこそ笑えねぇ」
「怖いこと言わないでよ……。そんなに隣村の人は見境いないの?」
「まぁな。匿ってたら何されるかわかったもんじゃないぜ。なんなら、自分の子を売るような下衆もいたって噂だ。それだけの大金を賞金として用意してるあたり、この星に人間がいるっていうのも、あながち嘘じゃないのかもな」
隣村の者たちは、人相書きを利用して人間を探していると言う。それは、自分としては不利なことこの上ない状況だ。
しかし、懸賞金の額があまりに高額なために、魔者を人間だと言い張って、不正を働く者も少なくないようだ。その点で言えば、人間である自分の面が割れているのは、決して悪いことばかりではない。
「……まぁ、その辺のいざこざは村長が上手くやってくれるだろうさ。なんたって、半端者の白のことを気にかけてくれる器の広い人だからな」
お弟子さんは、誇らしそうにそう言ったけれど。なら、なぜ女の子は、あんなボロ小屋で生活しているのだろう。
そんな疑問を、不信感を抱いているのは、自分だけではなかった。
「どうだか」
そんな猟師さんの小さな呟きは、きっとお弟子さんには聞こえていない。
「そうだ。白は元気か?あいつ、たまにヘマするから心配なんだよ」
女の子のことを気にかけてくれる、数少ない魔物であるお弟子さんは、少し恥ずかしそうにしながら自分に尋ねてきた。
「はい、元気だと思いますよ。人相書きの件が落ち着いたら、また遊びに来るって言ってました」
「本当か!?なら、白が喜びそうなものたくさん用意しておかなねーと!」
「それなら、前に焼鮭が食べたいって駄々を捏ねてましたから、よかったら食べさせてあげてください。きっと喜んでくれますよ」
「まじか!そうとわかれば、早速鮭を釣ってこねーと!サンキューな、アキラ!」
そう言ってお弟子さんは、持っていた瓶底メガネと人相書きを自分に押し付けると、お礼を残して立派な釣竿を背負って駆け出していく。
「気を付けてね」
「ああ!そんじゃ、またな!」
「は~い」
お弟子さんの背中が見えなくなるまで、小さく手を振って見送った。
青春だなぁ〜。
あの行動力の源は、女の子への愛情そのものだろう。それを、このタイミングで確かめられたのは、本当に幸運なことだ。
「忙しい人ですねぇ」
「考えなしに動いてるだけだ、アレは」
「それも才能の一つと言いますよ。考え過ぎて身動きが取れなくなるよりは、幾分かマシなのではないでしょうか」
「また、物は考えようってやつか」
「それはそれ、これはこれですよ。悩むのはテツさんじゃなくて、コウタさんの仕事です」
「自分の身は自分で守れる、か。俺は心配し過ぎなのかもしれん」
「それが大人の仕事ですよ」
子供には子供の考えがあり、大人には大人のそれがある。そんな違いに悩むのもまた、人生の楽しみ方の一つなのだろう。
ともかく、女の子から頼まれた用事は無事に済んだ。
「……さて、コウタもいなくなっちゃいましたし、そろそろ自分もお暇させていただきますね」
差し当たりこれだけの弾があれば、食料を確保するには十分事足りるだろう。猟師さんの厚意に甘えてばかりはいられないが、こればかりは自力ではどうにもならない。猟師さんの欲しいものはわからないけれど、近いうちにお礼をしようと心に決めた。
「コウタも言っていたが、十分気を付けろよ。それでなくとも、この時期は皆んなピリピリしているからな」
「はい。……では、また」
「ああ」
再び瓶底メガネをかけ直してから、来た道を大人しく戻る。
その途中、不意に目を引かれるものを見つけた。
「すみません。これ、いただけますか?」
子供たちが喜びそうな、秘密基地のようにこじんまりとした駄菓子屋。その中から幾つかを手にとり、店員のおばあさんに勘定を頼んだ。
女の子には、無駄遣いだと怒られるかもしれない。でも、それでも欲しいと思ってしまったのだから、どうにも思いとどまれなかった。
欲しいものをお金で買えるというのは、とても素晴らしいことだと、ふと思う。特に、自分の欲しいものは、なかなか作れるものではない。
村を出て、しばらく。徐に立ち止まった自分は、ゆっくりと右腕を持ち上げた。
「…………待ってて」
先ほど駄菓子屋で買ったライム色の水鉄砲が、右手に一挺。優しそうなおばあさんに頼んで、少しだけ水を入れてもらってある。
「人は、引き金を引く勇気さえあれば、世界を簡単に変えることができる」
握る銃の真っ赤な照星の先には、義務遂行の希望だ。だが、こうして銃を構えなければ見えないほどの、頼りない微かな光でもある。
「……任せてください。あなたを不幸にするものの全てを、きっと倒して見せますから」
星は、昼にも輝いている。ただ、そうと気づかないだけで、静かに、確かに、そこにあるのだ。
ちゃぷちゃぷと揺れる水面が、ライムの銃を瞬かせる。その引き金に、そっと指をかけた。
そして、それを思い切り引いてみる。
「…………冷たっ!!」
放たれた水の予想外の冷たさに、驚いた体が勢いよく銃を投げた。
カランと、軽い音を立てて落ちた水鉄砲を拾いに走ると、その理由がキラキラと輝いていた。
「これは、一本取られたなぁ〜」
水鉄砲の中にこめられた弾には、細かく砕かれた氷の粒が混じっていた。今思えば、この水鉄砲を渡してきた駄菓子屋のおばあさんは、にんまりと楽しげに笑っていたようにも思う。あの年で、こんな子供っぽい悪戯を仕掛けてくるなんて、なんともお茶目なおばあさんに出会ったものだ。
「これは良いものをもらった」
自分は、帰り道を全力で走る。欲しいもののため、その輝きをより一層強くするためにと。氷の溶けぬ内に小屋にたどり着くために、なりふり構わず駆け続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます