-Another View- 雨 1

 私の新しい所有者は、不思議な雰囲気の男の子だった。


 たしか、アキラとか言ったっけ?


 彼のことを、ミナトはそう呼んでいた気がする。彼女のそういう馴れ馴れしいところは苦手だったから、所有者が変わることに私は大歓迎だった。


 でも、不安がなかったっていえば、それは嘘。彼女のことは苦手だけど、安心できる場所ではあったから。不意に血を目にしてしまうことはあっても、それは患者の治療のために流れる血。害意や殺意のために溢れる命でなければ、私は少しなら耐えられた。


 ある日、ミナトの友達の白って子が、見知らぬ男の子を連れて店にやってきた。冴えない顔で、背丈も普通か男にしては少し低いくらい。声も心なしかなよなよしていて、とても貧弱そうな人だった。


 何も危ないことはないとは思ったけど、一応神様な私だから、彼女に害を及ぼす存在でないかを確かめるために、しばらく彼を観察することにした。


「……おかしな人」


結論から言えば、一日だけではよく分からなかった。


 優しいかと思えば、悪戯を仕掛けたり、相手の感情に鈍いかと思えば、やけに鋭い言葉を狙ったように口にする。


 夕食の時なんて、特に困ってしまった。二人との会話を楽しんでいたはずなのに、用事で二人が遠くに行くと辛そうな表情を浮かべる彼に、私は心配になって思わず声をかけたくなった。その時の彼の感情は、元が何色だったか分からなくなってしまうくらいに、真っ黒でぐちゃぐちゃな色をしていた。いくら”心が読める”私でも、彼が何を考えているのか、苦しむ理由を正確に知ることはできなかった。


 その日わかったのは、彼が悪い人ではないってことだけ。それが彼への印象の全てだった。


 だから、次の日も私は観察を続けることにしたんだ。彼のこと少しでも知れればいいなって、店の隅から彼の様子を眺めてた。


 所有者以外には姿の見えない私だから、ミナトの邪魔にならないようにって、商品が雑に並べられたテーブルの上で一人静かに黙って過ごした。


 すると、ミナトと不意に視線が合った。


「このお店にある魔杖で気に入ったのがあったら、遠慮なく持っていって欲しい」


そう提案する彼女は、私の方へと走って来て。


「何か御用ですか?」


神様を演じて話すのはあんまり好きじゃないから、多分私は素っ気なかった。


「気になるんでしょ?」


一言、彼女はそれだけを言って、私の刀を持っていってしまった。


「気を許し過ぎないで。下手したら喰われるよ」


ミナトは、私の力を秘密にしてくれた。それは、医者である彼女なりの最大限の譲歩なんだろうと思う。




「カー?」

「……ごめんね。少し昔を思い出してたのよ。……そういえば、あなたは私が見えるんだっけ」

「カー」

「試したことはなかったけど、動物の心の方も案外何とかなるものね。……ううん。独り言よ」


そう言って私は、クロと名乗る烏の横にゆっくりと腰掛ける。


「……あなたにとって、アキラは何?」


彼に質問したように、”彼女”にも同じ質問をしてみた。


 好奇心?違う。ただ、確かめたかっただけ。


「………………」

「……悪いわね。黙ってても、私は分かっちゃうのよ」

「ガァ…………」

「なっ!?ごめん、ごめんって!悪気があったわけじゃないのよっ!本当よ?」


よっぽど知られたくなかったのか、クロは少し怒った様子で私に襲いかかってきた。


 もちろん、実体のない私に触れることはできない。でも、痛むモノはちゃんと私にもあるんだ。


「私も、あんたも。大変な人に想われちゃったわね」

「かぁ〜」

「あら、満更でもないみたい」


くすりと、想いに触れてにやけてしまう私の頬を見て、クロはまた不満そうに口を半開きにして抗議してくる。


 けれど、私は全く別のことを考えていた。


 こんなに自然に笑えたのは、いつぶりだったかな……?


 なんだろう。心が軽い。今なら何でもできてしまいそうな気がした。


 もしかすると彼は、私よりも強い力を持っているのかもしれない。彼は人間だというのに、そんな風に本気で思えてしまうことに、私はまた笑ってしまった。


「お互い身の程を弁えずに、好きに生きてやろうよ。誰かが心なく咎めてきても、少なくとも、あいつだけはわがままを許してくれる。そう言う相手が近くにいるって、とっても安心できる。……でしょ?」

「カー!」


新しい主人と、烏の友達。他の人とは違って、神様ではない方の私を選んだおかしな二人。だけど、今までに感じたことがないほどに、この場所はとても居心地が良かった。


 だからこそ、私は不安だった。この関係がいつか壊れてしまうような気がして、怖くて怖くてたまらなくなる。


 人殺しの刀なんて、あんたは持つべきじゃなかった。


 でも、あんたの優しさに触れてしまったから。


 だから、たとえ彼が悪夢を願ってしまったとしても、残らず私が”取り去ってあげよう”。他の人のは嫌だけど、あんたのならいくらでも構わないと本気で思えた。


 なのに、そう心から思っているのに、当の彼は私の気持ちに、私たちの想いには応えてはくれない。


「……あれ、また出かけちゃうんですか?」

「うん。野暮用でね。しばらくしたら戻ってくるから」


そんなあんたが心配だから。


 ……嘘つき。


 そう、私は嘘つきだ。


 私はただ、自分のために戦いに行く。


「お土産は何がいい?金平糖?」

「あぁ……。別ので、お願いします」


……まただ。


 彼がこの表情をする時は、決まって心から嫌な音が聞こえてくる。鎖がギリギリと軋むような不快な音に、私の心はどうしようもなく不安にさせられてしまった。


「もしかして、甘いものは嫌い?」


そう改めて尋ねる私は、きっと少し嫌らしい。


「違います違います。……でも、金平糖って苦手なんですよね。見てくれが綺麗なだけで、全然美味しくないから」


どうして彼はこうなんだろう。何が彼をここまで捻じ曲げてしまったのか、私は不思議で不思議で、それ以上に憎く思う。


「……私は好きなんだけどな」

「カー!カー!」

「……少しくらい、許してよ」

「…………」

「大丈夫。心配しないで。……私はただ、あいつを守りたいだけだから」


私は知ってる。嫌という程、知っていた。


 優しい人は、弱い人だって。


「……あんたは、私の叶えたくない願いを抱かないと信じてるから」


彼は、いつか魔王になる。


 世界には四人の魔王がいる。暴虐非道の限りを尽くす、それはそれは最低の奴らだ。


 あんたも、あんな風になっちゃうの?……それは、すごく嫌だ。


 彼の心を覗き見た時、その秘密に触れてしまった時点で、私の心は決まったように思う。


「……さてと。行ってくるわね。留守中は頼むわよ」

「刀の手入れはよくわかりませんが……。はい。できる限り頑張ってみます」

「うん。それで十分だから」


そう言って消えようと思った矢先。


「気をつけてね」


波の音にかき消されてしまっていてもおかしくなかったその声を、私は幸運にも聞き逃さずにいられた。


 照れ臭そうにしている彼を見ていると、私の方まで恥ずかしくなってしまう。


「心配されるほど、私は貧弱な神じゃないわ。……じゃあね」


だから、少し強引に挨拶を切り上げて、彼らに勢いよく背を向けた。


「……物には当たるくせに、私には優しいのね」


その優しさが、どうか刃に魅入られませんように。


 そう彼の心の言葉を真似て、私は神を殺しに行く。



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