第24話 快刀鈍の付喪神

「この不良品がっ……!!」


バツン!


 できる限りの力を込めて、抜いた得物を振り下ろす。刃がまな板代わりの切り株にぶつかり、鈍い音が辺りに鳴り響いた。


「切れないものが切れると言われても、切りたいのは切れるものだけなんだよっ…………!!……っと」


文句たらたらに、けれど全力で叩きつけた刃は、三度目にしてようやく魚の頭を切り落とした。


 とは言っても、切り口は無残に潰れてしまっていて、さながら鮫に弄ばれ食い千切られたかのような痛々しい断面だ。いくら最後には胃袋に収まるとはいえ、この惨状は魚にとっては地獄に等しい拷問だろう。せめてもの償いとして、後で落とした頭を地面に手厚く葬ることを約束した。もちろん、身の方も美味しくいただくつもりである。


「カ〜?」

「あ、ごめん。うるさかった?」

「カー」

「もう少しでできるから、危ないから大人しく待っててね」


事の発端は、昼食に魚の開きを作ろうと考えたことだった。釣れた魚を早速捌こうと、彼女から買った魔杖を試しに使ってみることにしたのだ。


 医者の彼女から買った魔杖「バク」は、外見こそ骨董品のような見かけだが、それでも一応人斬りの刀の端くれである。柄の持ち難ささえ我慢すれば、半ばからポッキリと折れた刃は包丁としての役目を十分に果たしてくれるだろうと、そう思っていた。


 しかし、切れ味は全くの期待外れ。刃は鈍もいいところで、魚一匹すらまともに捌けない。これではただの鉄の棒だ。その上短いときたものだから、物干し竿にすら使えない。最早ガラクタも同然だった。


 仕方なく刀を鉈のように扱い、無理やり叩き切るというやり方を試していたのだが、それももう限界だった。想像を絶する切れ味の悪さを補填するべく力任せに刀を振り下ろしていた腕が、疲労でプルプルと震えながら悲鳴を上げてしまっている。


「はぁぁ……。休憩しよ」


若干苛つき始めていた自分は、手にしていた日本刀をその辺の地面にポイッと放ってしまった。


 ここは周りに遮るもののない青天井の下だ。通りがかった赤の他人や、天に召されたご先祖様たち、それに物好きな神様が自分のことをこっそりと見ているかもしれない。そんな者たちは、物を粗末に扱った自分を声なく非難して、乱暴な人だなと嫌悪の感情を向けていることだろう。


 しかし、どうにも繕う気が起きなかった。


 ……面倒くさい。


 この際、ご先祖様は住む星が違うから居ないとしてしまおう。神様に関してはいるわけがない。赤の他人に至っては、こんな辺鄙な場所まで来る者などいないことは知っている。


「カー?」

「あっ…………」


しかし、自分の粗暴な行動の目撃者は思ったよりも身近に居た。


 女の子が小屋の中で昼食後に出かける支度をしているからか、自分は他に人目はないものだと完全に油断してしまっていた。


「……見てた?」

「…………」


この沈黙は、きっと肯定だろう。


「……見損なった?」

「カー?」

「ははっ。…………なんて言ってるのかわからないよ」


……失敗した。


 決して見せてはいけない行動を、感情を表に出してしまった。自分の最も醜い部分を見られてしまい、動揺で嫌な汗が噴き出てくる。


 嫌われちゃったかな…………?


 焦りで鼓動が早鐘を打つかと、初めはそう思っていた。


 けれど、不思議とそうはならなかった。


 逆に、まるで魂でも抜かれたかのように、心音が弱々しいものへと変わっていく。全てを諦めてしまったかのような、そんな寂しい音色が小さく微かに鼓動していた。


 いや、きっとこれが本来の自分なのだろう。


 無理して繕っていた外装は、他愛無い一撃であっけなく崩れ落ちた。


 でも、だからなんだと言う話だ。


 こんな些細なミス一つで開き直り、安易に他人に心を曝すような、そんな易い生き方をするつもりはこれっぽっちもなかった。外装が不完全で見るに耐えないような穴の空いた張りぼてだろうと、心底見苦しくても、また繕ってみせよう。たとえ隠し切れていなくともいい。けれど、決して心の底の想いだけは曝してはならないのだ。他人に弱音を吐いてしまったら、繕うことをやめてしまったら、心は頼ることを覚えてしまう。甘えることの楽さに、きっと自分は溺れてしまうから。


「クロは焼き魚とお刺身だったらどっちがいい?さっきは生で食べてたから、今度は火を通した方を試してみる?」


だから、自分は至って平然を装う。他人が望む理想の人物像、その真似事を永遠と続けるのだ。


「カー。カー?」

「こんなのが生魚。で、こっちが焼き魚。…………わかる?」

「カァ〜……」


刀を木の枝代わりにして、地面にそれぞれの料理の絵を描いてみる。けれど、クロは困ったように首を傾げて鳴くだけだ。


 しかし、絵自体には興味があるのだろう。じっと絵を見つめているクロに、試しに近くに落ちていた細枝を咥えさせてみる。


 すると、クロは嬉しそうに飛び跳ねて、自分の真似をして何やら描き始めた。


「……………………。カー!」

「おぉ〜…………」


クロは嘴に咥えた枝で、器用に楕円を描いてみせる。引く線は落ち着きがなくぶれぶれだったけれど、それがまた味があって面白い。


「ん〜…………。これは、パンかな?」

「カー!!」

「あ、当たり?やったね!」

「カー!カー!」


その後も、クロと一緒にお絵かきを楽しんだ。特に何をと言うわけではなく、その場の思いつきで絵を描いていく。計画性の無いいい加減な線たちはとても不細工だけれど、なぜだか愛おしく思えるから不思議だ。


「クロは絵が上手だね。線が素直で、想いに正直だ。そんな絵を描く君は、きっと心もとっても綺麗なんだろうな」

「…………」

「お世辞じゃないよ?絵を描くのはね、心模様を描くってことなんだよ。瞳を通して見た物に、どんな想いを抱いたのか。人の心はね、嘘は描けないようにできてるんだよ」


それは、決して言い過ぎなどではない。人は心に抗えない生き物だ。無理に感情を押し込めようとしても、どうしても表現したくなってしまう。


 完璧を繕った気になっていても、どこかには必ず抜け穴を作っていて、自分の本質に気付き、醜い欲を理解して欲しいと願っている。


 それでもなお、自分を愛おしく思ってくれる。そんな相手を、人は生まれた瞬間から探し続けるのだ。


「…………クロ」


そう、ずっと探し続けている。


「……クロのことを分かろうとしてくれる。何よりも大切にしてくれる。そんな相手が見つかるといいね。……出逢えたら、素敵だね」


クロは黙ったままだった。けれど、その沈黙が不思議と心地よい。


 でも、その沈黙は言葉が理解できないが故のものなのだろう。


「……かー」


だから、思いつきでそう鳴いてみる。少しでも想いが伝わればなと、そう願いながら鳴いてみた。


 しかし、それでもクロは黙ったままだ。当たり前と言えば当たり前の結果に、けれど自分は落ち込んでいたように思う。


「人は、烏にはなれないや…………」


ほんの冗談のつもりで口にした言葉は、けれど、きっと少し震えていた。


「もし、もし」


不意に背後から声をかけられて、自分はひどく焦った。


 その驚きはなんとか心の内に隠して、声の方へと恐る恐る振り返る。


「はじめまして。…………どちら様ですか?」


声の主は、動きにくそうな和服を着た大人っぽい女性だった。


「はい、はじめまして。私はアメ。……用事があり遠くに出てたのですが、時間ができたので帰ってきたのです」


容姿だけを見るならば、年自体は自分とそれほど離れていないように思う。


 しかし、女性の淀みのない挙手動作や落ち着き払った様子は、自分たちの年代のそれではなかった。あまりに無駄のない動きは、こちらまで同じものを要求されているように感じられて息苦しさを覚えるほどだ。


「帰ってくる??でも、ここはあなたの家ではないですよ」

「……もしや、ミナトから何も聞かされていないのですか?」

「ミナトさんを知っているんですか?」

「当然です。前の持ち主の名前を忘れるほど、私は薄情な神ではありませんよ」

「……………………はい?」


訂正。アメと名乗った女性は、頭のネジが外れた危ない人だった。


 出会って間もない相手に自分は神などと宣う者が、まともな者であるわけがない。自分の中での女性の立ち位置が、見知らぬ他人から怪しい不審者へと変わる。


「…………。細かく説明しても良いのですが、今はその刀の付喪神とでも理解していただければそれで十分です」

「え、この刀のですか?」

「…………何か言いたいことでも?」

「い、いえ……」


自称神様(笑)の有無を言わせぬ迫力に、自分はすかさず口を閉めた。よく口は災いの元などと言うけれど、相手が神様クラスともなると、怒らせたらとんでもないバチが当たりそうで怖い。もちろん、女性が本物の神様ならという条件付きではあるのだが、それでも自ら火に入る必要はないだろう。


 そんな疑う気持ちを察してか、女性は面倒くさそうにため息を吐いた。初めこそ落ち着いていて清楚な印象だったが、意外と感情に素直な一面もあるようで、とっつき難かった女性にほんの少しだけ親近感を抱いた。


「疑っているのなら、試しに私の手を取ってみなさい。それが一番手っ取り早いわ」

「その心は?」

「私が常ではないことの証明になるからよ。……ほらっ!男ならさっさと覚悟を決めて、バッとかかってきなさい!!」

「……なんかキャラ変わってません?」

「き、気のせいですわ!」

「動揺し過ぎですよ……」


本人が隠したいと思っているのなら、根掘り葉掘り穿鑿してまで本性を暴くつもりは自分にはない。それに、穿鑿して手に入るものはと言えば、得てして一般的な意味だけが一人歩きする中身のない答えだ。そんなガワだけでは、ステレオタイプな考えしかできない。そう言った思い込みや決めつけ、偏見という類のものは、赤の他人が誰かを評価するときに起こりやすいものだ。本人の性格や過去を知らずして相手の人間性を語るのは、失礼で無責任な行為だろう。


 とは言え、あまりに杜撰な張りぼては、見ていて不安になる程だ。そんな女性を心配しての言葉だったのだが、当の本人は自信満々な表情を浮かべていて、バレているとは露ほども思っていない晴れやかな笑顔だ。そして、少し恥ずかしそうにしているようにも見える。


「では、失礼して……」


女性にあそこまで言わせた手前だ。待たせてしまっても悪いかと、恐る恐る女性へと手を伸ばしてみる。


 しかし、女性に触れるはずだった自分の手は、なににも触れることなく突き抜けてしまった。


「うわっ、なんじゃこりゃ!?……え?幽霊?」

「私、神様っていったわよね!?」


女性は確かに目の前にいるはずなのに、この手で触れることは叶わない。それでいて会話は成り立つのだから、心底不気味な現象だ。


 実は、本当に神様だったり……?


 無知だった人類が外の世界には魔物という埒外がいることを知ったように、神様も架空の存在ではなく実在している可能性も否めない。


 とは言え、目の前の不可思議を「神様だから」と安易に思い込めるほど、自分は信心深くなかった。神様が実在するなんて全く信じていないし、居たとしても敬う気にもなれない。


 だから、女性の不思議の答えを探した。何かトリックがあるのではと、蜃気楼のようにあやふやな女性の身体を弄る。


「…………腑抜けね」

「はい?」

「別に。……変なところ触ったら殺すから」

「だからキャラが……。って、もういいや……」


自称神様のいい加減さに呆れながらも、面白いからいいかと指摘をやめた。


 反応が過激な話し相手は新鮮だった。それはもう、女性との他愛のないやり取りが楽しく感じられたほどだ。女の子との穏やかな日々に不満があるわけではないけれど、こうして思いを率直に言葉にしてくれる相手は気軽に話せて楽で良い。これでおふざけや絡みを許容してくれるような心の広い相手だったら、いつまでだって雑談に花を咲かせられそうだ。


「……いつまでやってるのよ」

「謎が解決するまで……?」

「カー?」

「……あんた達、随分と良い根性してるじゃない」


女性に文句を言われながらも、自分は仕掛けを暴くために思考を巡らす。途中からはクロも手伝ってくれて、一緒に隅々まで調べ尽くした。


「ダメだぁ、な〜んもわからん」

「カ〜……」


結局、最後まで面白いくらいに手応えはなかった。


 けれど、それでも不思議に触れるなかで、少しだけ女性の言い分を受け入れようという気持ちが芽生え始める。


「……気は済んだかしら?」

「はい。ありがとうございました」

「全く……。魔物なら、その眼で神かそうでないかくらいの見分けくらいつくでしょうに……」


女性、もとい神様は、大層大袈裟にため息をついてみせた。


 ため息を吐くと幸せが逃げるなどと言うけれど、神様のため息なら逆に御利益があるかもしれない。そんな変態じみた考えが浮かんだのは、もちろん二人には内緒である。


「……。それよりもお願いがあるのですが、よろしいかしら?」

「はい、構いませんよ?」


突然神妙な面持ちでそう切り出してきた神様は、容姿相応に危うげで弱々しく見える。


「…………刀に付いた血を拭って、刀身を綺麗にして欲しいのです。もちろん、それが魚の血だとはわかっているのですよ?しかし、それでも、どうにも耐えられないのです……」


気分が優れない様子で顔を伏せる神様を見ていられず、自分は頼みを即座に了承した。


 神様の反応を見るに、生理的に受け付けないというほどの過剰なものではないのだろう。あくまでも理性的に、理由があって避けているように感じられた。


 神様がそこまで血を嫌悪する理由がどこにあるのか、それは今出会ったばかりの自分には知りえない。


 けれど、厳かで堅苦しい雰囲気を纏っていた神様が、時々本音が漏れて、それを慌てて繕うような、そんな愛嬌も持ち合わせる神様が、だ。眉根を寄せて顔を顰め、心底辛そうに苦悶している。神様をここまで変容させてしまうほどの理由とは、果たしてどれほどの地獄なのだろうかと、そう心配せずにはいられない。


「血が苦手なんですか……。血が得意という人はそうはいませんが、魚の血でダメとはまた深刻ですね。食事もままならないじゃないですか」


なのに、口から出るものはと言えば、なんとも安っぽい言葉の羅列だ。心配しているとさえ思われないような、そんな冷たい言葉しか出てこなくて、もどかしい。


「私は物に触れられない、知っているでしょう?……食事も致しませんので、その点は問題ありません」


そう言う神様ではあったけれど、内心はどう思っているのだろうか。きっと、悔しさに歯噛みする生活を過ごしてきたに違いない。ものを掴むための手があり、食べ物を食べる口があり、匂いがわかる鼻もある。それなのに、目の前の食事を味わうことができない。それは、自分には耐えがたい苦痛に思えた。


 神様は、より一層眉間のシワを深くしたと思うと、過去の惨劇を忌々しげに語り始める。


「……ですが、依代の刀は違います。持ち主次第では、幾千万もの命を奪うことを強いられる……。それが正義のためであろうと、悪のためだろうと、後ろに残していくものは同じ……」


刀を睨みつける神様は、しかし、刀自体を見てはいないのだろう。その瞳に映るのはきっと、狂気に支配された以前の持ち主と、それを止めることができなかった自分自身だ。


「……堆く屍を築く。そこに、私の意思は関係ないのです。私は止められず、ただ見ていることだけしかできなかった。刀への加護を解く、それすら叶わなかったのです……」


神様が吐露するのは、ひたすらに後悔だ。悲惨な未来を変えたくて、もう二度と繰り返したくないと頑張って、けれど人に敵わなかった神様のお話。


 しかし、冷酷な現実は、神様に後悔すら許してはくれない。


「人の願いを叶える……。それが、神の存在意義なのだと理解しています。主人の望むままに、私は在るべきなのでしょう……」


言わなくていい、全てわかっているからと、神様の苦しげな表情が告げていた。


 けれど、神様とて心ある者ならば、思いを口にせずにはいられない。目前にある可能性の光に、縋らずにいることはできない。


「……ですが、もしあなたが私のわがままを許してくれるのなら、どうか、お願いです。血に濡れた凶器になるのだけは、嫌なのです」


肉の繊維をぷちぷちと切り裂いていく感触は、気が狂いそうになるほど悍しくて、理性が壊れてしまいそうだ。


 ぬるりとへばりつく腥い血は、生温かく鉄臭くて、気持ちが悪くなって吐きそうになる。


 痛みに上げる絶叫は、絶命前の呻きは、呪詛がこめられた怨嗟の声だ。私に向けられた怒りに向き合うのは堪らなく辛いのに、耳を背けることができない。その声は、今は亡き者の代わりに、心を壊しに襲いかかってくる。それから逃げることさえ、私には無理だった。


 それだけじゃない。命を奪えば奪うほど研ぎ澄まされていく自分が、心底嫌いだ、不愉快だ。お前の本性は、奪う者だと言われているようで、両手で耳を塞ぎたくなる。


 そして、なにより。


 神様ですらなくなったら、私はどうなるの…………?


 たくさん殺して、殺し続けて、その先の私はどうなるのか。そんな大きな不安を、神様はなんでもない素振りで吐露して見せる。


「結局、それが怖いだけの自分が嫌で嫌で、たまらなく大嫌いなんだ」


そう締めくくる神様は、両腕で強く体を抱きながら、その痛みを味わうような嫌な笑みを浮かべた。


 …………アメ。そんなことをしても、何も変わりはしないんですよ?誰も、あなたを赦しては……。責めては、くれないんです。


 生きることはこうもままならないものかと、嘆かずにはいられなかった。


 神様は、独り言のように、譫言のように、自身の思いを曝け出した。他人に、少なくとも初対面の自分なんかに知られるべきではないそんなアレコレを、神様は苦しみのあまり口走ってしまっていた。


 けれど、ならば、神様の言葉を忘れてしまえばいい。


 それに、神様にだって、懺悔する権利はあるはずだ。


 罪とは、自ら背負うものだ。自分ではない誰かに裁かれて、無理やり押し付けられるものではない。


 けれど、それが自分が原因で起こったことではないとしたらどうだろう。


 抵抗も出来ずに、延々と、永遠と。望まぬ人殺しの片棒を担がされていた神様は、それでもたくさんの後悔をしていた。死に行く者の無念を思い、周囲で悲しむ者たちの怒りに触れた神様は、誰一人助けられなかったと、今でも過去を悔いている。優し過ぎる神様は、全てを背追い込んでしまったのだ。


「……自分のことを嫌いだなんて、そう口にするものではありませんよ」


神様には、いなかったのだろう。過去に囚われ、無力感と罪悪感で前に進めなくなってしまった神様は、小さな希望にすら出逢えなかったのだ。


「”次は、守れるといいですね”」


未来は、たくさんの不安で溢れている。けれど、決してそればかりではないのだと、そう言ってくれるような相手に、神様は恵まれなかった。


「”止められると、いいですね”」


刀は、人斬りの道具だ。だから、神様を手にする者は、大なり小なり違いはあれど、皆同じ願いを秘めている。


 しかし、それは一番ではない。そう願う理由が、必ず別にあるはずなのだ。


「”夢を叶えられると、いいですね”」


 救いたい。

 

取り戻したい。


 そんな強い願いを、刀はいつだって捻じ曲げてしまう。殺す。それしかないと、持つ者の視界を著しく狭めてしまうのだ。


 そして、刀で切り開かれた未来は、総じて真っ暗な地獄へと繋がっているものだ。求めたものなど何一つない、破滅への一方通行。


 そんな光景を、誰よりも間近で見てきただろう神様に、少しでも希望を贈れればと思った。過去も、現実も、そして未来も。この世界に変えられるものはないけれど。それでも、変えられるのがあるとするならば、それは、心の在り方なのだろうと、そう思ったから。


 ……刀ではなく、神様のことを大事にしてくれる。そんな素敵な人との出逢いに、神様が恵まれますように。


 拙い言葉に想いを込めて、神様の幸せの願うのだ。


「…………どうしたんです?そんなに驚いたような顔をして」

「う、ううん!なんでもない……」


突然神様は目を見開いたかと思うと、口をぽかんと開けたまま固まってしまう。何事かと視線を追ってみるも、背後にはなんの変哲もない海が広がっているのみだ。


 けれど、神様の瞳は青一色だ。それは突き抜けるような青空のようであって、また澄み切って輝く水面のようにも見える。そして、困惑と、動揺と。それ以上の感情は、自分には見当がつかなかった。


 だから、何とは無しに尋ねてみることにする。


「……もしかして、自分の顔に何かついてたりします?」


すると神様は、今度は呆れたように口を開けて笑い始めた。


「…………そうね。ついてるわ。虫歯になりそうなくらい甘いお砂糖が、たっぷりとね」


 悪戯っぽく言う神様は、艶然と目を細めながら続ける。


「でも、嫌いじゃない。……気持ちが押し付けがましくないし、境遇を哀れんでいるわけでもない。まるであなたは金平糖ね。色とりどりのそれは星空のように綺麗で、口に入れるとほろほろと崩れてしまうほど繊細で。…………そしてなにより、とっても優しい味がするわ」


口調がころころと変わる神様は、どちらか本物なのだろう。あるいは、両方とも素なのかもしれない。


 どちらにしても、今見せてくれている神様のままであって欲しいと、そう思えるような素敵な笑顔を浮かべていた。


 だから、自分ははぐらかす。神様の言葉の意味を考えたくなくて、会話を適当に流すのだ。


「……神様からのお願いなんて、生まれて初めてです」

「あら、それは光栄ね」

「……神様は、趣味とかあるんですか?」

「唐突に何よ……。そんなもの、あるわけないじゃない。刀に憑くだけが取り柄の神に、変なこと聞かないでくれる?」

「もっと欲張ってもいいんですよ?昔の持ち主がどんな人だったのかは知りませんけど、今は自分の手元にあるんです。どんなわがままでも、気軽に口に出してみてください」

「簡単そうに言ってくれるわね……。それに、あんただって困るんじゃない?私みたいな神様に、どうして優しくするのかしら?」

「面白そうだから、と言う理由では足りないですか?」

「……それだけ?」

「ええ、それだけで自分には十分ですよ。神様の好きなように、やりたいようにしてみて下さい。自分は極力合わせますから。興味があることを見つけたら、遠慮なく言ってくださいね」

「……よく回る口だこと。流石に慣れてきたわ」


会話の流れを無事そらすことに成功した自分は、小さくほっと息をついた。


 ……神様、ね。


 未だに信じきれてはいないけれど、そうだったらいいなと期待している自分も確かにいる。馬鹿馬鹿しいと、あり得ないと理性が訴えてくるも、それ以上にこの状況をめいいっぱい楽しみたいと、心が早鐘を打ちながらはしゃいでいた。


「神様が人の望む神の形に拘るのなら、それはそれで構いません。ただ、それはとてもつまらない、寂しいことだと自分は思ってしまうんです……」


もっと楽しい明日を。それより素敵な明後日を。そう望む心に逆らえないのは、きっと相手が神様だからだ。人ならざる存在だからなのだろう。


「……だから、こういうのはどうでしょうか?神様が一つ願いを叶えてくれたら、自分も一つ、願いを叶える努力をしようと思います。……でも、一つだけ。決して終わらせないこと。それだけは、約束ですからね」


そこで満足して終わらせてしまったら、神様は一生報われないままだ。


 誰も、他人に割く余裕などない。だからこそ、人は相手に優しくして、困っていたら助けるのだろうから。


 ……神様。人は、他人の幸せを願う時、相手の願う望みが叶うこと自体を願っているわけじゃないんです。その先にある、相手の幸せを見ること。その隣にいられることを、言葉なく密かに望んでいるんです。


 相手の小さな手のひらが、いつか自分のためだけに開かれることを夢見る。それは、いけないことなのだろうか。


「……。そんな大口叩いといて、後悔しても知らないわよ?」

「任せてください」

「……あんたと話してると、調子が狂うわ」

「確かに、キャラ崩壊に拍車がかかってますね」

「よくも、いけしゃあしゃあと。あんたのせいでしょ、あんたのっ!……ですわ!」

「いや、それは流石に無理が……」


どうやら、口の悪いこちらの方が神様の地のようだ。だからなんだという話ではあるのだが。


 ともかく、ガードの弱いポンコツ神様には、人並みの夢を持ってもらおう。そして、それは存外容易に叶うものなのだと、そう知って欲しい。


 そのためには、神様が未来を向く必要があった。誰とて、無い夢を叶えてあげることはできない。それが無力な自分なら、尚更だ。


「心配しなくても大丈夫ですよ。この刀、相当な鈍ですから。適当に振り回したところで、人っ子一人傷つけられませんって」


だから、神様の不安を取り除きたくて、そう言葉を口にしたのだけれど。


 しかし、どうやら自分は、神様の癇に触ってしまったらしい。


「な、なっ……!あ、あんた、”ついに口に出した”わね!!」


神様はとても悔しそうに、こちらをギロリと睨みつけてきた。自身が憑いている刀を鈍と言われて、心底不服そうにご立腹している。


「大体ね、あんたは物をぞんざいに扱い過ぎなのよ!黙って聞いていれば、鈍、鈍、鈍!使い方を間違えているのはあんたの方なのに、なんで私が罵倒されなきゃいけないわけ?それに、物に当たって刀を地面に投げた挙げ句、そのまま放置とか、正気の沙汰じゃないわよっ…………!!」


神様は息絶え絶えに、小さな肩を上下させながら不満をぶちまけた。それは全て正論で、また事実であるから、なんとも耳が痛い。


「……それなのにあんたときたら、その子と楽しそうにお話してるのよ?ようやく労る気になったかと思えば……。……あぁ、思い出すだけで腹立つ……。刀を木の枝の代わりに使う人がいるなんて、今でも信じられない!」

「す、すみません…………」

「謝罪なんて聞きたくないわっ!……でも、そうね。こうなったらもう、実力行使しかないわよね……!」


何やら勝手に納得して物騒な企みを始めた神様に、けれど、自分は口を挟むことができなかった。


 とはいえ、触らぬ神に祟りなしと言う。それに、この状況を作り出したのは、紛れもなく自分の軽率な行動である。ここで文句を垂れようものなら、それこそ神様もお冠だろう。


「切るわよ」


大人しくしている自分に、神様はそう言った。


 何をと聞くのも憚られる勢いの神様だったけれど、しかし、自分はどうしても確認せずにはいられない。


「……いいんですか?そんな、自分から唆すようなこと……」


神様は自ら告白したはずだ。血に濡れた凶器になるのはごめんだと、それだけは絶対に嫌なのだと、心の底から叫んでいた。


 それなのに、自ら刀の力をひけらかすような真似をして、神様になんのメリットがあると言うのか。甚だ理解に苦しんだ。


 けれど、当の本人はと言えば、あっけらかんとした様子で、だからなんだとすら言い出しそうな勢いだ。


 そんなことを考えていると、まるで自分の心を読んだかのように、神様は疑問に答えてくれた。


「貶されたままなんて、私のプライドが許さないもの」

「……際ですか」


全く、滅茶苦茶な人だと、そう思わずにはいられない。自分はどうやら、とんでもない物を押し付けられてしまったようだ。


 不意に、彼女の言葉を思い出す。


“気を許し過ぎないで。下手したら喰われるよ”


 彼女がどのような意図で発した言葉なのかはわからない。けれど、神様の在り方をここまで見る限り、危険な存在ではないことだけは確信できた。要するに、刀の魔力に魅入られるなと、そういう類の忠告だったのだろうと想像した。


「ほら、さっさと刀を持ちなさいよ」


拾った刀を強引に押し付けてきて急かしてくる神様からは、もうお淑やかで大人しかった頃の面影はなくなってしまった。それでいて容姿は変わらないのだから、今の神様は違和感の塊である。


「大人っぽい口調は、もうやめちゃったんですか?」

「好きでやってたわけじゃないわよ!……性格が大人しくて言葉遣いが堅苦しい方が、今の私より神様っぽいでしょ?」

「逆に、その台詞で胡散臭さが増しましたよ……」

「それだけじゃない。下手に出ていた方が、色々と都合が良かったから……。今だってそうよ。見ず知らずどころか、触れることもできない私のお願いを、あんたは快く受け入れてくれようとしてる」


項垂れて気落ちした様子の神様は、そうぼやきながら嘆息を漏らした。それを見ていると、どうにも胸が痛んで困ってしまう。それは、自分にも思い当たる節があったからなのかも知れない。


 どんな人にも”らしさ”という物があるけれど、それを意図して演じるのはなかなかに骨が折れることだ。それが神様クラスの存在ともなれば、らしさの束縛は計り知れないほどの重荷だったに違いない。


 それが故意であるならば、一向に構わない。何かしらの目的があって、それを達成するために必要なことならば、猫被り程度のことは誰だって日常的にやっていることだと思うから。


 けれど、もしも悪意により強いられているものであるならば話は別だ。雁字搦めの不自由は、いつか本当の自分を殺してしまう。たとえ、その出所が自分自身であってもだ。


 目の前の神様は、きっとそんな類の悪意を抱えている。心が作り出したら悪い夢を永遠と見続けているのだろうと、そう感じた。


「……あんただって、神様神様している方が都合がいいでしょ?」

「いえ、そんなことないですよ」


だからだろうか。神様の諦めに満ちた同意を求める質問に、自分は反射的に否定していた。


「即答!?…………あんた、物好きね」

「最近よく言われます」

「まぁ、私はどっちでもいいんだけど。……でも、私としてもこっちの方が楽だから。あんたが嫌じゃないって言うなら、神様の演技はやめよっかな」


神様は渋々といった様子で、けれどとても嬉しそうに笑った。それはまるで、雨上がりの晴れ間のように綺麗で、不覚にも目を奪われてしまう。


 そんな、雲の切れ目から覗いく眩しい表情を見ていると、嗚呼、なぜだろう。自分という人間は、言い知れぬ怒りを覚えてしまうのだ。


 ……なんで、なんですかね。世界はこんなに広いのに、誰も助けてはくれないんだ。


 女の子は、ずっとひとりぼっちだった。


 彼女は、患者からの死の懇願に苦しめられていた。


 神様は、持ち主に人殺しを強要され、更には自分らしさまで奪われている。


 嗚呼、全く理不尽な世界だと、そう嘆かずにはいられない。


 ガウルさんやクロだってそうだ。自分なんかよりももっと良い人と出逢える未来があったはずなのに、救いの手を差し伸べられる機会くらい無限にあったはずなのに、それなのに、そのすべてに尽く裏切られてしまっている。神様に至っては、初めて顔を合わせる自分なんかに気持ちを吐露してしまえるほどに、心が衰弱しきってしまっていた。


 だから、これは、演技である。酷く醜い三文芝居だ。


「なら、そのままでお願いします」

「……仕方ないわね。そこまで頼まれちゃったら、神としては聞き入れてあげないとだものね」

「そんな、無理にとは言いませんから。……ただ、四六時中肩肘を張らなくてもいいんですからね?」


それは、心の底から湧いてくるような自然なものではなく、文字に書き起こされた紛い物のように、相手を思う気持ちだけは精一杯込めてはいるつもりだけれど、本物には絶対に敵わない。そんな、偽物の優しさだ。


「……神様だからって、人の願いを叶えない権利くらい、自由はあるんです。何もしなくてもいいんです。むしろ、邪魔をしてくれたって構わない。それが神様にさえ許されないのなら、自分たちには何が許されるのでしょうね」


そう口にした言葉は、他の誰にも聞かれていないだろうか。神様を邪険にし、蔑ろにする者たちに、盗み聴かれてはいないだろうかと心配になる。


 こんな自分なんかにでも、神様の求める言葉は容易に想像できた。それはもう、小説に登場する主人公に人生の勝利が約束されているかのように、考えるまでもなく確定していたように思う。


 なのに、それなのに、誰も神様に真剣に向き合ってはくれなかった。目前に開かれた物語を、たった数行の文章を読み上げるだけで救われる心があるというのに、皆が皆背を向けるのだ。


 嗚呼、酷く腹立たしい。恨めしいと、そう思う。


「本当に、変な男。……そんなこと言われたら、私もいいのかなって、思っちゃうじゃない……」


そんなことで神様が真剣に悩んでしまうのは、きっと過去に出会ったたくさんの人でなしとの、辛く寂しい記憶のせいだ。


「……考え過ぎですよ。良いも悪いも、他人が決めることじゃないでしょう?……ね、クロもそう思わない?」

「カー!」


同意をくれたクロに笑顔を向けてから、自分は言葉を続ける。


「……でも、独りでは難しいことだと思うから。クロが自分にしてくれたように、今度は自分が神様を暗がりから連れ出してあげますよ。……なんてことを、恥ずかしくも思ったりもするんです」


柄にもなくそんなセリフを吐いてしまうのは、きっと相手が埒外の神様だから。


 そんな、人ではないからという単純な理由は、しかし、神様に冷たかったその他大勢と同じように、いつか神様を傷つけてしまうのだろう。そんな嫌な予感がした。


 だから、甘えるのはこれを最初で最後にしようと、そう心に決めた。


 膝上で大人しくしているクロのことは、必死に考えないようにして。


「……あんたにとって、クロは何?」


だから、神様のそんな言葉に、自分は驚いてしまった。最後と決めたはずなのに、もう少しだけならと、後先考えずに欲張ってしまう。


「……世界は、意地悪だとは思いませんか?」

「なによ、急に……」


ああ、尤もだ。神様にはわかるはずもない。


 だから、これはただの、独り言だ。


「……いいえ。…………でも、それでも構わないんです。だって、そうでしょう?どんな姿形だって、クロはクロなんですから」


「…………そうね」


願いは叶わないと知っている。想いは届かないと、わかってはいる。


 でも、それでも、諦めたくない夢の一つくらい、自分にだってあって。叶ったら良いなと、秘かに願っている。


「……私も大概だと思ってたけど、あんたも相当なものね」

「そうでもないですって。自分は普通ですよ」

「……そうかもね」


呆れられても仕方がないと思っていた。むしろそうなるものだと、疑わなかった。


 けれど、神様は否定すらしなかった。何も言わずに、ただ普通に接してくれる。その絶妙な距離感が、自分にはとても心地が良かった。


 この神様とは、きっと仲良くなれる。打算なくそう思える出逢いに、自分は心から感謝した。


「……じゃなくて!ほら、さっさと刀を構えなさいっ!神宿りの魔杖の切れ味、嫌という程見せつけてやるんだからっ!!」

「ぁ、覚えてましたか」

「あんたねぇ……」


眉根をひくつかせる神様を宥めるべく、自分はそそくさと鈍の日本刀を両手で構える。刃が半ばから折れていて格好はつかないが、今は神様が満足すればそれで良しとしよう。


「まぁ、いいわ。使い方のコツを教えてあげるから、少し体を貸しなさい」

「気持ちはありがたいんですけど……。でも、その必要はないですよ」

「何よ。そこまでして、私を鈍だって馬鹿にしたいわけ?」


今にも怒り狂いそうな勢いの神様に、自分は本音を正直に言葉にする。


「自分、魔杖使えないんですよ」

「だから、それを今教えてあげるって……」

「……自分が人間でも?」

「……え?」


自分の告白に驚いたのか、神様は一瞬固まってしまう。


 それもそのはずだ。魔物に紛れて人間が生活しているなど、誰も考えもしないだろう。


「…………今、なんて?」


言葉は聞こえているだろう神様は、しかし理解し難いのか、改めてそう尋ねてくる。


 けれど、そう何度も口にするほど軽い告白ではないつもりだ。


「神様だってことを疑ったお詫びです。…………内緒ですよ?」


そう悪戯っぽく言う自分に、神様はまた固まるのだった。

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