第19話 罪滅ぼしはたまご味

「おはようございます。二人とも早起きですね」


まだ日が昇って間もない頃。目を覚ました二人がリビングへと顔を出した。


 触り心地の良さそうなふわふわの寝巻きをお揃いで身につけた二人は、仲良く寄り添い合ってこちらへふらふらと近寄ってくる。


「ふぁぁぁ〜………………っ」

「すみません、起こしてしまって」


まだ眠たそうに目をぐりぐりと擦る二人に、自分は台所で常温の水をマグカップへと注ぎ、落とさないようにと念を押してからそっと手渡す。


「気分は悪くないですか?昨日はそれなりに飲んでましたけど」

「うん。わたしは平気だよ。でもね……」


カップを危なげなく両手で受け取った女の子は、一方で辛そうに頭を抱えている彼女へと視線を向けた。


「……頭いだいよぉ。気持ぢわるぃよぉ」

「もう、お酒苦手なのに無理するから……」

「無理なんてじでなっ……っっっぅ!」


女の子の指摘が気に食わなかったのか、彼女は撤回させようと口を開く。しかし、彼女は背後から頭を殴られたのかというように、唐突に頭を抱えては悶え苦しみ始めた。寝癖のついた髪の毛を更にグシャグシャにして、大きな耳も庇うことなく、両手で鈍痛をもぎ取ろうと必死になっている。


 そんな、彼女の痛みに耐えるのに精一杯の姿が見ていられなくて、仕方なく自分から彼女へと寄り、彼女の口元へとカップを近づける。


「ほら、お水飲んで。…………はい。そしたら、こっち来て。この席で大人しくしててください」

「うぅ…………」


軽く水分補給をさせた後、二日酔いでふらふらの彼女を引き連れて、椅子まで辿り着くのを手助けする。途中、段差も何もないところで躓いて、自分の足の甲を思いっきり踏みつけられたのは痛かったけれど、転ばせてしまうのだけはなんとか回避して、彼女を席へと運び切った。


「ぁ、朝ご飯作らないと……」


これでようやく安心かと、そう安堵したのも束の間。彼女は歩くことさえままならない状態だというのに、痛みに顔をしかめながら台所へ行こうと立ち上がった。女の子が無理をするなと静止するのも無視して、まるで強迫観念にでもとらわれているかのように、ゆっくりと一歩ずつ歩みを進める。


 けれど、今日という日に限っては、彼女が無理をする必要はなかった。


「もう出来てますよ」

「……何がかな?」


何が言いたいのかわからないといった表情の彼女に、自分は背を向けてからさらっと言う。


「朝ご飯ですよ。お口に合うといいんですが……」


味に過剰な期待をされぬよう保険をかけつつ、用意していた朝食をテーブルへと並べる。そんな自分を、二人はぽかんとした表情でしばらく眺めていた。


「こ、これはっ……!?」


一つ、一つ、また一つ。主食に、おかずに、汁物と。徐々に揃っていく朝食のメニューを見て、彼女は気が付いたのだろう。目の前の光景に感極まっている様子の彼女は、嬉しそうに尻尾を左右に振ってくれていた。


「台所に入ったときに、ちらっと味噌が目に入ったので作ってみたんです。勉強の参考になれば良いんですけど、どうでしょう?」


お酒が苦手な彼女は、年代物の一本を美味しく頂くためにと、日本食について色々と勉強していたのだろう。そんな彼女に、どうせなら本物を食べさせてあげたいなと、そう思っての気紛れだった。


 けれど、ここまで喜んでもらえると、作った甲斐もあるというもので。驚いて、感動して、嬉しそう。そんな落ち着きのない彼女の表情を見ていると、思わず顔がにやけてしまった。


 彼女はいつになくご機嫌な様子で、表情が柔らかくてわかりやすい。それが昨夜の酔いが抜けきっていないからなのか、あるいは、彼女の感情を読むのに早くも熟れてきたのかは定かではないけれど。同時に、彼女が気を許してくれているようにも感じられて、嬉しく思わずにはいられない。


 ともかく、彼女は自分の作った和風の料理を、食べる前から心底気に入ってくれたようだった。


「私、お味噌汁ずっと飲んでみたかったんだ!……あれ?でも、私が買った味噌は腐ってたよね?」

「あぁ。味噌は匂いがキツいですし、色味も怪しくは見えますけど、あれで普通なんですよ」


料理にはいつだって挑戦がつきものだ。彼女が腐っていて食べられないと判断した味噌だって、初めて口にした誰かがいる。そんな恐れ知らずな人たちがいたからこそ、今の自分たちは多種多様な美味しい食材を安全かつ自由に口にできるのだ。


 だからと言って、手を付けなかった彼女が臆病かと言えば、そんなことは全くない。むしろ、賢いとさえ思う。そんな危ない綱渡りは、飽くなき探究心を持つ一握りの先人達だけで十分なのだ。それ以外の者は、その恩恵に有難く預かればいい。


「それにしても……うん。こんなに落ち着く香りのする料理を作れるなんて、アキラは料理が上手なんだね」


彼女は、味噌汁を甚く気に入ったのだろう。立ちのぼる湯気に香る、重厚で粘りっ気のある発酵品特有の余韻に、穏やかな表情でしみじみと浸っていた。この様子だと、醤油は言うまでもなく、苦手な者も多い納豆もすんなり受け入れてくれるかもしれない。特に甘酒なんて、アルコールに弱い彼女にはぴったりだ。今度見かけたらプレゼントしてみようかと、そんな算段をつけてみる。


「玲はね、どんな食材も美味しくしてくれるんだよ。味気のない葉っぱも、歯が立たないような固い木の実も、変な匂いのするお魚だって、玲にかかればなんのそのなんだ。素敵なご飯に変身させちゃうんだよ」

「……いくらなんでも、それは大袈裟ですって」


そう言いながら、出逢ってまだ間もない頃の、女の子との初めての食事を思い出す。食べられる食材を集めるだけ集めて、やることと言えば、煮たり、焼いたり、そのまま食べたり。工夫は一切されておらず、お世辞にも料理とは言えない代物だった。


 女の子には、調味料を買うほどの金銭的余裕はなかった。そもそも、料理をするという選択肢が存在していないのだ。


 そんな簡素な食事を重ねるうちに物足りなさを覚えた自分は、思いつきで海水を使って塩を作ったことがある。砂浜に海水を撒き、陽の光で乾燥させ、また同じ場所へと海水を撒く。そうしてできた輝く砂は、海よりも濃い塩水をもたらしてくれるのだ。


 なかなかの重労働に投げ出そうかと思ったりもしたけれど、そんな時は、女の子が喜んでくれる未来を想像した。そうすると、諦めの気持ちはすぐに消えていってくれて、やる気で満ち溢れてくるのだから不思議だった。


 そんなこんなで、女の子に黙って完成させた大ぶりな塩の結晶を、その日の夕飯だった焼き魚へとこっそりと振りかけたのだ。その焼き魚に口をつけた時の女の子の表情ときたら、もう全部が報われたような気持ちにさせられるほどだった。夢見た以上に見事な驚きように、欲張って自分の分だった焼き魚をも女の子へとあげてしまったくらいだ。


 とはいうものの、所詮は塩を作っただけのことだ。誰でもできることを褒められても、あまり素直には喜べない。


 しかし、女の子はそうは思っていないようだった。


「玲は謙虚過ぎだと思うな。少しくらい威張ってもいいんだよ?そんな玲を馬鹿にする人がいても、わたしが勘違いだってわからせてあげるんだから」


そう言った女の子は、おもむろに立ち上がったかと思うと、軽やかにパンチの練習をし始める。


「白の言いたいことは分かるよ」


彼女も女の子と同意見だったのか、今も鈍痛が酷いはずの頭をわざわざ肯定のために縦に振る。


 けれど、彼女の目的は、女の子とは違ったようだった。


 先ほどの言葉に、でもね、と彼女は続ける。


「物騒な話は置いておいて、食事にしない?折角の料理が冷めちゃうのは、作ってくれたアキラに失礼になっちゃうよ。それに、昨日できなかった用事も済ませないといけないんだ。やることは山積みなんだよ」

「わかってるよぉ。わたしだって、玲の料理は美味しいうちに食べたいもん」


未だ興奮気味な女の子ではあったが、朝食の開始を邪魔するのは不本意なのだろう。彼女の提案に、女の子は大人しく席に腰掛けた。


 朝食をとり始めると、二人は言葉を発さなくなってしまった。漬物を咀嚼するシャクシャクという水々しい音色や、温かな味噌汁を飲んでホッと息をつく音だけが、食卓に心地よく響く。そんな静かな朝もたまにはいいなと、自分も二人に倣って食事を口に運び続けた。


 そうしていたにも関わらず、自分を置いて二人は、あっという間にご飯を食べ終えてしまった。


「ご馳走様でした!」

「ご馳走様。美味しかったよ」


二人が早食いかどうかと言えば、そういうことはなかったように思う。単純に、自分が食べるのが遅かっただけなのだろう。


 二人は、食事中の分を取り返すかのように、少し耳が痛くなるほどの声量で会話を始めた。満足そうな笑顔で、絶え間なく、賑やかに。その内容がひたすら食い気なのは、流石にいかがなものとは思うが。


 ……でも、まだだよ。


 そう内心口にすると、口角がわずかに上がるのがわかった。


「特に、この油揚げの味噌汁!とっても気に入ったよ」

「わたしもだよ!出来立ては熱くて飲めなかったけど、時間をおいても美味しい料理なんてあるんだね!」


味噌汁が気に入ったのだろう二人は、その美味しさに受けた衝撃を、事細かく自分へと報告してくれた。


「暑い日には、氷を入れて冷や汁なんかにしても美味しいんですよ。ネギときゅうりの薄切りに、大葉の千切り、それとミョウガを入れるんです。シャキシャキの食感と食材独特のエグミは、ハマると中々抜け出せませんよ」

「「……ゴクリっ」」


味を想像したのだろう二人が、揃って涎を飲み込む。食事を終えてから数分も経っていないというのに、よくもまぁそこまで食欲が湧くものだなと、呆れを通り越して感心してしまった。


 気を伺っていた自分は食事を中断して、無言で席を立ち上がる。それを訝しげに思う二つの視線が背中に刺さるのを気にもせず、冷やしていた二つの”卵”を取りに向かった。


「デザート、いります?」


台所から勿体つける様に言うと、リビングから椅子を引き摺る音が一つ聞こえてくる。口より先に体が反応するとは、よっぽど女の子は甘いものが好きなのだろう。


「デザートっ!?うん、欲しいなっ!あ、でも勘違いしないでね。玲の作ってくれたご飯に満足はしてるんだよ?でもね、デザートは別腹なんだ」

「あれ?デザートになる様な物、私、買った覚えないんだけどな……?」

「ミナトはいらないの?なら、わたしが貰っちゃおうかなっ!」

「……いらないとは言ってない」


女の子との会話から彼女も食べるだろうと判断して、勝手に二人分のデザートを食卓へと出す。何も特別な物ではない。自分が持ってきたのは、昨日と同じプリンだった。


「やったぁ!海亀亭のプリンっ!二日続けて食べられるだなんて、夢みたい!」

「ん〜〜〜。やっぱり記憶にない……」


女の子は両手を上げて喜んでくれたものの、彼女の方はと言えば、うんうんと唸りながら、買った記憶のない食べ物に訝しげな視線を向けている。このままでは、口もつけてもらえなさそうだ。


「まぁ、細かいことはいいじゃないですか。それに、冷えてるうちに食べた方が美味しいですよ」

「……そうだね」


適当に彼女の疑心を誤魔化しつつ、自分は残った食事をささっとお腹の中へと片付けた。


 二人は美味しいと言ってくれた料理だけれど、久しぶりにしたまともな料理の味は、とても褒められるようなレベルではなかった。味付けが全体的に濃過ぎたのだろう。一品一品の主張が強く、それぞれの料理の味が混ざってしまって、途中から何を食べているのかわからなくなってしまったくらいだ。


 内心文句たらったらで、それでもなんとか食べ切った頃。二人もデザートを食べ終えたのか、幸せそうにため息をついていた。


「今度こそ、ご馳走様でした。朝ご飯ありがとう、アキラ」

「気にしないでください。大したことはしてないので」


自分には微妙な出来だとしても、二人は笑顔で「美味しかった」と言ってくれる。お世辞かもしれないとはわかっていても、褒められて悪い気はしなかった。


「そういえば、ミナト。プリンの味、ちょっと変じゃなかった?」

「そう?普通だったと思うけど。」


舌触りの滑らかさや、ほのかな優しい甘い香り。女の子が挙げたそれらはおそらく、海亀亭のプリンの売りなのだろう。女の子は普段とは違う味だったと、不思議そうに首を傾げていた。


 しかし、そんなこと自分には分かるわけもない。


 女の子に問われた当の本人も、反応は自分と同じだった。そんな彼女の様子に、女の子は思い出したように一つ嘆息を漏らした。


「そうだった……。ミナトは舌がおかしいから、わからないんだったね……」

「……どう言う意味?」

「わーっ!ミナトが怒ったぁ!逃げろ〜!」

「白?もしかして馬鹿にしてる?馬鹿にしてるよねっ?」


喧嘩するほどなんとやら。リビングから楽しそうに逃げていく女の子に、彼女も付き合って部屋を出て行ってしまう。


 わーわー、ぎゃーぎゃーと。じゃれ合う二人の賑やかな声が、静かなリビングまで響いてくる。そんな音に耳を澄ませながら、そっと静かに目を瞑った。


 ……もっと上手くやれてれば、二人はもっと喜んでくれたのかな。


 昨夜に食べた、海亀亭のプリン。その空き容器を再利用して、自分なりに頑張って作ったつもりだった。


 けれど、女の子の言う通りだ。自分の味は、本物には遠く及ばなかった。


 少しでも美味しく作ろうと、一晩あれこれと工夫した。けれど、出来上がったのはすだらけの粗悪品。本家の滑らかさとは掛け離れたしっかりとして固い舌触りは、正直安物のそれだった。


 自分は、なぜこんなことをしたのだろうと、ふと思う。そもそも、努力したところで本職にど素人が敵うわけがないのだ。それなのに、作らないという選択肢は、昨夜の自分には不思議と無かったように思う。その衝動の出所を、心の中に探した。


“綺麗事を言うな”


 しかし、心は無視することを許してはくれない。忘れることを、赦してはくれない。


 あぁ、言う通りだ。昨日の自分は、紛れもなく悪だった。女の子のわずかな幸せさえ奪う、心無い人でなしでしかなかった。


「……魔王、ね」


 “あなたの未来は魔王だ”


今でも鮮明に覚えている。揺るぎない確かな未来。誕生日に貰った律の言葉は、嫌という程心に刻み込まれていた。


 ”奪い、壊し、殺す。非道を意味するすべての言葉は貴方にこそ相応しい”


初めてその未来を聞いた時は、自分に限ってそんなことは有り得ないと、そう考えていた。たとえ悪を強いられる状況に陥ったとしても、頑なにそれを拒否する心づもりでさえあった。


 だと言うのに、こんなにも、心はままならないものか。


「……いつか、人を、殺す」


言葉にしたところで、全く実感は湧かなかった。命を奪いたいと思えるほどの感情を、その考えを実行に移してしまえるほどの激情を自分が抱く未来が、これっぽっちも想像ができない。


 きっと、自分は昨日の女の子の時と同じように、無意識のうちに傷つけてしまうのだろう。ただそこにいるだけで、他人を不幸にする。それは、世界に溢れる悪達よりも、よっぽど質が悪いではないかと、そう思った。自分の手を汚さず、罪を犯す覚悟もなく、ただ勝手に”そう”なってしまう。しかも、それに自身は気がつかない。あぁ、クズにも程があると言うものだ。


「玲〜!目を瞑ってて!」


奥から楽し気な女の子の声が聞こえてくる。これほどの救いは、今の自分にはない様に思えた。


「いつまでですか?」

「わたしがいいって言うまで!」

「わかりました」


気持ちを切り替えるために一瞬だけ目蓋を開き、またすぐに目を瞑り直す。


 すると、とことこと。軽い足音がこちらへと近づいてくる。


 傍まで来たのだろう女の子は、華やかな香り連れていた。


「もう目を開けてもいいよ!」


女の子の許しを得た自分は、ゆっくりと目蓋を開けていく。


 次の瞬間、自分は目の前の光景に目を見開いた。


 そこには、別人と思えるほどに様変わりした女の子が、まるで春の野に咲く花のように、美しく艶やかに咲いていた。


 女の子が身に纏っていたのは、お洒落なデザインの可愛らしい洋服だった。


「……どうかな?」


一言感想が欲しいのだろう。女の子は自分の目の前でくるりと回って見せては、こちらの反応を待っていた。


 自分は女の子が求めるままに、矯めつ眇めつ見てみることにする。


 女の子はとても、”女の子らしかった”。


 ひらひらと揺らめくスカートは、甘い蜜で蝶を誘う様なあざとさを。比較的暗めな色味のシャツは、まるで女の子のために仕立てられたかの様な、絶妙な縫製が施されている。普段の子供っぽい格好を見慣れていたせいか、今の女の子の姿はとても刺激的で、直視するのが憚られるほど女性らしい魅力であふれていた。


 そんな青春真っ盛りといった一人の見知らぬ町娘を、共に暮らしている女の子なのだと納得できるまでには、不覚にもわずかに時間を要してしまった。


 それに加えて、真っ白な髪だ。普段は跳ねっぱなしでぼさぼさな猫っ毛が、今はサラサラになるまで梳かれていた。窓から流れ込むちょっとした潮風ですら、ふわりと舞い上がる細い絹糸の様なそれは、部屋の明かりを反射してキラキラと七色に輝いている。その髪に指を通したら、さぞ心地よいことだろう。


 素人目だが、簡単な化粧もしているに違いない。優しい色味の口紅は、決して血色の良い方ではない女の子のことを、多少なりとも健康的に演出してくれていた。


 そんな、普段は感じ得ない艶かしい肉感と、それでもやはり弱々しくて危うい雰囲気を纏う女の子に、自分はドキリとさせられてしまった。


「普段から、そうしてたらいいのに……」

「え?なあに?」

「あ、あぁ。な、なんでもないですよ」

「ふふっ。そう?」


まだ感想は言っていないはずなのに、女の子は嬉しそうに微笑む。その笑顔がまた心を強く揺らして、動揺が隠せずに困ってしまった。


「玲は、攻められるのは苦手なんだね」

「……なんの話ですか?」

「ほっぺたが引き攣ってる。玲は嘘がつけないね」

「…………」


心の内を見透かされまいと、動揺を隠して知らん振りをしたにも関わらず、残念ながら女の子には全て筒抜けのようだった。


 平静を繕うつもりが、頬が細かく痙攣をしているのを見抜かれてしまった。女の子をしっかりと見てあげるために必死に固定したはずの視線も、今はあらぬ場所で泳いでしまっている。今更どう足掻いたところで、女の子の勘違いだと思い直させることは叶わないだろう。それほどに、自分の表層はズタボロだった。


 それでも、知らん振りだけは最後まで続けた。嘘がバレたからと言って、心の内が暴かれたわけではない。ならば、見苦しかろうと足掻き続けるまでのことだ。


 幸いなことに、醜態を晒すのは短時間で済んだ。


「着替えも済んだことだし、お店に出て取引を始めようか」


仕事着に着替えた彼女の声に、女の子の意識は自分から外れた。


 二人は、お店のある表へと仲良く並んで歩いて行く。


 その影で、黒く粘ついた胸のモヤモヤを、肺にあったありったけの空気でめいいっぱいに希釈してから、世界の誰にも気付かれないように、そっと、ほっと。自分は音もなくため息を漏らす。


 全くもって、自分は甲斐性なしだ。

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