第17話 野菜ときどき霜降り肉
買い物から帰ってくると、店奥のリビングに一人置かれていた女の子が不貞腐れたような表情で迎えてくれた。
「ただいま、白。よく眠れた?」
「…………」
何か気に入らないことでもあるのだろう。女の子は不満気に頬を膨らませながら、プイッとそっぽを向いてしまう。
黙りこくって返事をしない女の子に、彼女は困ったようにこちらを見てきた。けれど、そう簡単に良い解決策が思いつくわけもなく、手持ちの話題から女の子の気を引けそうなものを適当に探した。
「……そうだ。いま晩ご飯用のお肉を買って来たんです。……ほら。今日はこれで焼肉パーティーですよ」
思い出したような素振りで手にしていた買い物袋から竹皮に包まれた肉を取り出して、女の子の前で焦らすようにその包装を解いていく。
趣のある包みを開くと、繊細で上品な霜の入った薄手の肉が人数分収まっていた。お腹を満たすには心許ない量ではあるけれど、普段食べているような森で拾った木の実や海で釣った小魚よりは何倍も満足感を得られそうだ。今までの食事に文句があるわけではないけれど、久し振りのまともな食材に思わず口元がニヤけてしまう。目でも愉しめる贅沢な食事というのも、たまになら悪くない。
女の子も、きっと同じような気持ちを抱いてくれる。そう思って見せた霜降り肉に、女の子は期待通りの反応を返してくれた。
「何、これ!?とっても美味しそう!!」
女の子は肉を見た途端目の色を変えて、興奮した様子で嬉しそうに声を上げる。その姿に、女の子の体調は悪くないのだという確信を今更ながらに得られてホッとした。
医者である彼女の言葉を信用していないわけではなかった。けれど、時に持つ者は持たざる者に漬け込んで、いい加減なことを言うことが往々にしてある。だからこそ、こうして実感を伴って女の子は大丈夫なのだと安心できたことは、とても幸運なことのように思えた。
「他にもですねぇ……。これと、これ!」
「わぁ!立派なお魚!こっちは、甘いお野菜だね!……あ!海亀亭で売ってる焼きプリンだ!!これね、わたし大好きなんだ!!!!」
食材が並べられていく机に手をついてぴょんぴょんと飛び跳ねる女の子は、元気が有り余っているかのようにさえ見えて、なんとも笑えてしまう。心配をしていた自分が馬鹿みたいだと思えるほど、女の子は無邪気にはしゃいでいた。
先程までの不機嫌はどこへ捨ててきたのやら。女の子は、机の上の食べ物達に目を奪われている。
しかし、女の子が飛び跳ねるほど喜び今晩の夕飯に心躍らせているのは、どうも自分とは違う理由のようだった。
「ミナト、今日はどうしたの?こんな贅沢なお肉、珍しいね!」
「……お肉が?でも、恒例なんですよね?」
「そうなんだけどね。聞いてよ、玲。ミナトってね、すっごくケチなんだよ。お店で売ってる中で、一番安いお肉しか絶対買ってこないんだから」
女の子は思い出したように口元を押さえながら、まるでゴムを食べているような食感ですごく美味しくないのだと嘆いた。
「……失礼なこと言わないで欲しいな。私はただ、無駄遣いはしない主義なだけだよ」
女の子からの散々な言われように、今度は彼女の方が不機嫌になる番だった。
「ねぇ、ミナト?ご飯は毎日食べるものなんだよ?せめて普通に美味しいのを食べようよってわたしが言ったの、覚えてない?」
「……私の買ってくるものが、不味いって言いたいの?」
流石に言い過ぎだと諭す自分に、しかし女の子は、そんなことはないんだと必死に訴えてくる。
「ミナトは少し味覚が変なんだ……。玲、玲。この前なんてね、いきなり人間の食べ物を作ってみたとか言ってね?みそと、まよねーず?を混ぜたぐちゃぐちゃが付いた緑の野菜を出してきたんだよ?それがね、もう酷いんだから!」
体を両手で抱えてぷるぷると震える女の子は、それを悪魔の料理だとまで言い切ってみせる。ここまでくると、逆に彼女の料理技術に興味が湧いてきてしまった。
「……もしかして、キュウリの味噌和えですか?」
「よく知ってるね。……人間の雑誌に載ってたのを見てね、美味しそうだったから作ったんだ。ちゃんとレシピ通りに作ったんだよ?…………ほんの少しだけ、美味しくなるように味付けを変えただけで……。」
もじもじと恥ずかしそうに言う彼女は、机の側で隠れるようにしゃがんでは目元から上だけひょっこりと出して、不安そうにこちらの様子を伺ってくる。その姿に、何かいけない衝動が心で生まれるのを感じた。
「いきなりアレンジとは、チャレンジャーですね……。と言うか、味噌和えで味付け変えたら、もうそれは別物ですよ。普通に味噌付けて食べれば良かったのに」
わざとではない失敗は、責めるようなものではない。だから、そんな思いを口にするつもりは毛頭なかった……のだけど。彼女の姿を見ていると、言ってはならないと思ってはいても、なぜだか口が勝手に開いてしまった。
自分の心無い指摘を前に、彼女はしゅんとした様子でこちらを見上げてくる。
「……なに?アキラまで私を馬鹿にするの……?」
「いや、そんなつもりは……」
こちらが頭を抑えながら誤魔化そうとするのに、彼女はジト目を向けてきた。その責めるような、そして今にも泣きそうな視線に耐えられなくて、早々に自分は頭を下げて謝る。
幸いなことに、彼女はすぐに機嫌を直して机の陰から出てきてくれた。
「ねぇ、本当にどうしたの、ミナト?やっぱり、何か良いことでもあったりした?」
「……別に、いつも通りだよ」
「そんなことないよ!だって、帰ってきてからミナト、ずっとニコニコしてるよ?」
女の子は、倹約家なのだろう彼女の大盤振る舞いの理由が気になって仕方がない様子で、問い詰めるようにしてそう尋ねた。
先程の女の子の話を信じるのなら、目の前の光景はさぞ異様なことだろう。卓上の食材達は、さながら友達を招いての誕生日会を催すために買い揃えられたちょっぴりの贅沢品で溢れている。普段は決してありえない品揃えを、女の子が不思議に思うのも致し方ないことだろう。
しかし、必要以上の穿鑿は得てして人を不快にさせるもので。
「……白、お肉は抜きがいいのかな?」
「あ!ミナトずるい!」
「意地悪する白が悪いんだ。自業自得だよ」
ああだ、こうだと。喧嘩をするほどなんとやら。二人のやり取りを見ているのは、不謹慎だがとても楽しかった。
彼女が食材に奮発したのは、きっと友人との久し振りの再開を楽しみたかったからだろうと想像する。彼女も口では怒っているように聞こえたけれど、よく見れば高揚に頬を薄っすらと染めていた。
それに気が付けない女の子はと言えば、彼女の言葉にうろたえ、この世の終わりのような表情を浮かべている。
「ミナトさまぁ〜、どうかお許しを〜!!お慈悲を〜!」
「……もう、わかったよ。機嫌がいい私に感謝して欲しいな」
「あ!やっぱり何かあったんだ!!」
こんなに賑やかな日はいつぶりだろうか。いつかの日常が戻ってきたようで、嬉しさに目頭が熱くなるのを感じた。
けれど、それは女の子がいるからだ。この輪の中に居させてもらえているのは、自分が女の子の知り合いだからだ。
「…………」
口を開いて会話に参加をする。そんな小さな願いは、しかし、どうにも叶えるには難しかった。親しい二人の楽しい時間に水を差してしまいそうで、怖くて。話したいことがたくさん、尽きることがないほどあったけれど、そのどれもが声になることなく消えていく。
「玲!一緒にお肉焼こ!」
「……いいですね。焼きましょ」
「やったぁ!」
そう言って女の子は、焼肉の道具を取りに行くためにキッチンの方へと駆けていく。
女の子からきっかけをもらえなければ動けない自分は、心底下らない人間で、別者だ。踏み出す勇気が、どうにも出ない。でも、これでいいのだと、そう信じた。
台所に行っていた女の子は、思いのほか早く帰ってきた。
なにやら重そうな装置を抱えていてふらふらとしているのが見ていられず、代わりにそれを持ってあげる。
「……これ、なんですか?」
「ミナトお手製の、お肉プレートだよ!」
必要以上にメカメカしい機械は、とてもではないが肉を焼く装置には見えなかった。
四人がけのテーブルのほとんど占拠する装置の大きさに呆気を取られていると、作った本人が女の子の言葉に対して抗議の声をあげてくる。
「私の”魔杖”を勝手に略さないで欲しいな。この装置にはちゃんと、本格炭火風火力無限段階調節機能搭載、まるで職人の手で焼き上げたような完璧な焼肉の味を再現可能な家庭用肉焼き機『お肉プレート』っていう、れっきとした名前があるんだから」
「「長すぎぃっ!」」
ってか、結局お肉プレートなのかいっ!
流石に口には出さなかったが、内心でそうツッコミを入れずにはいられなかった。
「……医者なのに魔杖も作れるなんて。多才なんですね」
魔杖。聞いたことはあるが、現物を見るのはなんだかんだでこれが初めてだった。
魔杖とは、その名の通り魔法の使える杖だ。魔物の持つ不思議な力を簡単に、魔物なら誰でも使うことができるようにした便利な道具は、人間で言えばシャープペンシルやボールペンといった文房具と同等程度に普及していると聞く。自分のものではない力を使えるようになるのは、さぞ便利な事だろう。
魔物用のそれを汎用化して人間でも使えるようにした人物がナンタラ賞をもらっていたような気もするが、もはや遠い世界の話だ。
褒められた彼女は、謙遜しながらも嬉しそうに口を開く。
「研究に必要な道具を買えなくて、足りないものを自分で作っていたら自然と覚えたんだ。他にもたくさんあるよ。見る?」
彼女は興奮して周りが見えていないのか、返事も聞かないうちに部屋の隅から自作の装置たち、もといガラクタにしか見えないそれらが収められた箱をズルズルと引っ張り出してくる。
あぁ、ご飯前なのに埃がたつ……。
この機械たちは、部屋の角でどれだけ放置されていたのだろうか。こんもりと積もった灰色を見て、嫌悪感に抗えず一歩後ずさる。
「し、食後にゆっくり聞かせてくださいよ!今はお肉焼きましょう?お腹減っちゃって倒れそうなんです」
「そうだよ、ミナト。目の前にご馳走を置いたままお預けなんて、わたしも耐えきれないよ」
かなり強引な手だったとは思うが、幸い女の子も自分の意見に同調してくれたおかげで彼女は思いとどまってくれる。
「そ、そうだね。興奮しすぎたよ。でも、約束だよ?ちゃんと私の話聞いてね?」
そう不安そうに言ってくる彼女に、大きく頷きながら返事をする。やったぁと叫ぶことはなかったが、表情が楽しげで幸せそうなものに変わるのに、こちらも思わず笑みが溢れる。
「玲、玲」
自分だけに内緒話でもあるのか、女の子が小さくちょいちょいっと手招きをしてくるのに、促されるままに身を屈める。すると女の子は、二人の間にあった僅かな隙間さえ詰め寄ってきては、自分の肩に手を添えながら囁いてきた。突然何事だと訝しげに思いつつも、楽しい話題かもしれないと期待しながら女の子の声に耳を澄ませる。
しかし、そんな淡い期待は、女の子の言葉で呆気なく否定された。
「……ミナトの話ね、始まったら長いんだ。頑張ってね!!」
「……それ、先に聞きたかったです……」
見捨てる気満々な女の子に、頭を抱えながら愚痴を漏らす。
けれど、女の子はなにも嫌がらせをしたい訳ではないようだった。
「ミナトはね、お話をするのが好きなんだ。いつもはわたしが聞き役なんだけどね。たまには別の人と話す方がミナトも楽しいと思うんだ」
だからお願いねと、女の子。
「……そういうことなら」
「うん。ありがとう」
女の子にとって、彼女はかけがえのない友人なのだろう。自分が仕方ないといった口調で返事をするのにも、女の子は我が事のように喜んでくれた。
「白、アキラ。私は食材の支度をしておくから、二人は魔杖に火を入れておいてくれないかな?」
女の子とのやり取りの間に割烹着に着替えた彼女が、棚から包丁を取り出しながらそう頼んでくる。
「……どうしたの?私の格好、どこかおかしいかな?」
「い、いえ!……ちょっとぼーっとしてただけですから。全然大丈夫ですよ」
小柄な彼女の割烹着姿は、言っては悪いが、容姿が幼すぎてあまり様になっていなかった。だというのに、妙に似合っているというか、なんというか。直視するのが憚られるような背徳感に襲われるものだから、気持ちが落ち着かなくて仕方がない。
「ミナト、似合わないよね」
女の子が隣で、クスリと小さく笑う。
「そんな失礼なこと言っちゃダメですよ」
「良い子のフリしてもダメなんだからね!ミナトの格好見てた時、玲微妙な顔してたもん。……もしかしてアレかな?幼妻なミナトに、見惚れてたりした?」
「どこでそんな奇怪な単語を……」
「えへへ。わたし物知りでしょ?前にね、ゴミ箱から拾った雑誌にね、書いてあったんだよ。あれって多分、ミナトみたいな人のことを言うんだよね?」
そんなことを自信満々口にできるあたり、女の子は言葉の意味を正確に理解できていないのだろう。
聞かれてはいまいかと一瞬焦るも、彼女は台所で洗い物をしていてこちらの会話は聞こえていないようだった。幼妻などと言う言葉が万が一にも彼女の耳に入っていたら、今頃二人して夕食抜きだったに違いない。
「それはともかくとして、仕事済ませちゃいましょうか。……火入れ、お願いできますか?」
「わかったけど……。でも、玲は?」
「よく分からないまま触って壊しても悪いので、大人しく見てますよ」
「うん、そう言うことなら任せて!」
女の子が装置を起動している間、自分はと言えば、独り静かにホッと胸を撫で下ろしていた。
魔物じゃないってバレたら、一大事だ……。
とはいえ、どういう仕組みで動いているのかは知らないが、魔物の力は実に魅力的で興味深い。自分は知的欲求を満たすため、女の子が魔杖を操作するのをすぐ側で見守ることにした。
「……ここをこうしてぇ〜、こう!」
「お!火、着きましたよ」
「もっといくよ〜!ふぁいや〜!」
「ち、ちょっと二人とも!?火力強すぎだよ!!」
小型のガスボンベが内蔵されているわけでもなく、また電気のコードが繋がっている様子もない装置は、しかし、女の子が念じるようにスイッチを押すだけでいとも簡単に火がついた。ゴーゴーと音を立てて燃え盛るお肉プレート(略称)ではあるが、まだまだ余力がありそうに見えるのが不思議でならない。
駆けつけた彼女は、焦りながらも素早く鎮火を済ませた。流石は製作者といったところだろう。
結局、火の微調整も彼女が全て一人でやってしまった。
「…………ふぅ。まったく、もう……。白は力の制御が下手なんだから、魔杖を使うときは気をつけてよね」
装置の無事を確認した彼女が、呆れたようにそう呟く。彼女は怒っているというよりは、単に怪我の心配をしているだけのように見えた。
「下手なわけじゃないんだよ!」
しかし、彼女の言葉に反論するかのように、いきなり女の子が大声を上げた。
たとえ一瞬とはいえ、女の子がこんなにも声を張ったのを聞いたのは初めてで、呆気にとられて声を失ってしまう。
「ただ……、わたしはね。……こんな力、これっぽっちも、要らないんだっ……」
必死に否定するように叫んだ女の子は、しかし、徐々にその勢いを無くしていく。鼓膜を不意打ちし、耳の中で響くような女の子の声から力が抜けていくと、大声の裏に隠れていた悲痛な想いに気が付いて心が痛かった。
大声を張り上げた女の子は、それっきり黙り込んでしまう。二人が纏う空気がどっと重たくなったのを肌で感じた。
沈黙の中、第一声をあげたのは彼女だった。
「今ので少し寿命が縮まったよ……。びっくりさせないでよね!」
彼女はふざけるようにして、しかし、女の子の様子を伺いながら、恐る恐るといった具合で言葉にする。
女の子も、重たい空気感は嫌なのだろう。そのノリに合わせて、気の抜けた台詞を口にする。
「ミナトは大げさだよ~」
「他人事だと思って……。やっぱり、白はお肉抜きかな」
「…………別に。わたしは、いいよ…………」
けれど、やはり様子のおかしい女の子は、先程あれほど喜んでいた肉を引き合いに出してもまったく反応を示そうとはしない。辛そうな表情を浮かべながら、おもむろに何か話そうとしては、また唇をきつく締め直す。そんなことを、何度も何度も繰り返していた。
黙ったままの自分はといえば話し始めるタイミングを見つけられず、ずっと棒立ちで二人のやり取りを傍観していた。それだというのに、この重たい空気が早くなくならないかと期待しているのだから身勝手なことこの上ない。
いや、それは少し違う。
“こんな力、これっぽっちも、要らないんだっ……”
女の子の言葉が心の中で、何回も執拗に再生されていた。
力。魔物の持つ、不思議な力だ。それを女の子は、要らないと言う。そんな言葉が耳について離れてくれず、それにつられてか、心の底からじわじわと黒色が滲み出してきた。
……なら、くださいよ……。
心がそう吐露する声にハッとして、意地の悪い考えを意識から追い出そうと濁った頭を強く振った。
下衆がっ……!
女の子の抱える、持て余すほどの孤独はさっぱり無視しておいて、自身の欲しいものだけを都合よく奪う。そんな身勝手かつ強欲極まりない考えに、自分が卑しい者のように思えて殺意を覚えるほどに猛烈に憾んだ。
自分がするべきは女の子の望みを叶えることであって、自身の僻んだ欲を満たすことでは、決してないのだ。
「……はい!お説教はこれで終わりだよっ!!折角のご飯が台無しになっちゃうからね!白、お皿運ぶの手伝って?」
重苦しい空気を切り替えるべく、彼女はポンと手を叩きながらにそう言った。
それに合わせるようにして、女の子もぎこちないながらも笑顔を取り戻す。
「アキラは火の番をお願いね。すぐに準備済ませるから」
「はい。ゆっくりでいいですよ」
二人が台所へと向かいリビングに一人残された自分は、装置の中で控えめに燃えている炎を虚ろに眺めながら時間を潰すことにする。
トントントン、トントントントン。彼女がテキパキと食材をカットする音が、小気味よく奥から響いてくる。
軽やかでリズミカルな包丁の音色は、昔の記憶を思い起こさせた。
元気にしてるかな……。
脱走した自分の愚行で、家族が世間から叩かれてはいまいかと気が気でならない。特に、マスコミ達だ。あの手の者達は、火種を執拗に燃え上がらせることに関しては一流だが、そこから先は我関せずと他人のフリだ。弄ぶだけ弄んで、大勢の他人に大義名分を与えて嬲らせた挙句、手のひらを返して今度は可哀想だと泣き真似を始める。心底軽蔑するし、胸糞悪いことこの上ない連中だ。
もちろん、全員がそうだと非難するわけではない。良心を持っている者達は、性根の悪い者よりも圧倒的に多い。だが、マスコミのやり方を見ていると、働いている者は皆漏れ無く心無い機械なのではと、そう思えてならないのだ。入社時に、幹部達によって一人ひとり丁寧に心を壊されているのではと、そう疑ってしまうほどだ。
そもそも、人が不幸になるような報道をなぜ好き好んで彼らは発信しているのかが理解できない。パンダが生まれたとか言う平和なニュースをやっていた方がよっぽど精神に良いことだろうと、そう思えてならないのだけれど。
まぁ、”そういうこと”なんだろう。
人は、単純に好きなのだ。他人が不幸の中にあるのを、安全なところから眺める。そんな享楽な心の在り方が、人には生まれながらに備わってしまっている。
「要らない、か…………」
女の子の言葉が未だに耳元で悲しげに囁いてくるのに、確かにそうだなと、そう思う。女の子の思いを分かってしまって、自身への嫌悪が更に強まるのを感じた。
「お待たせ」
不意にかけられた声に、思考を棄ててから顔を上げた。
するとそこには、野菜が山のように盛られた大皿を抱える二人の姿があった。
「…………野菜、多くないですか?」
「お肉一に、野菜十が基本だよっ!好きなものばっかり選んで食べたらダメだからね!」
「は、はぁ……」
偏食は良くないという言い分はわかるものの、あまりに暴論過ぎる彼女の言葉には流石に頭を抱えざるを得ない。
「ミナトは、いつもやることが極端過ぎるんだよ……」
「この量は食べ切れないかもですねぇ……」
仮に野菜を主食として食べるとしても、全てを平らげる自信が全く湧いてこない。今晩が鍋物だと言うのならいざ知らず、鉄板で焼肉をするには生野菜はあまりに嵩張り過ぎる。
なにより、みんな肉を食べたくて焼肉をしているのだ。好き好んで野菜ばかり食べる者でもいなければ、残ってしまうことは必至だろう。
「私も、やり過ぎかなって思うんだよ?でも、足りないよりは余る方が良いとも思うんだ」
とは言え、彼女のこの言葉だ。お腹が減ったままなのは悲しいことだからと微笑みながらにそう付け加える彼女の優しさを、自分には非難することはできなかった。
「ねぇ、もうご飯にしよ?」
空っぽのお腹を摩りながら女の子が懇願するように提案してくるのに、彼女と自分は顔を見合わせて笑ってしまった。
「なにぃ?お腹減ってるのはわたしだけなの?」
「ごめんねっ。違うんだよっ」
そう言いながらも、可笑しそうに笑っている彼女に、女の子は不服そうに頬っぺたを膨らませる。食い意地を張っていると思われて恥ずかしいのか、その頬は少し赤らんでいた。
「白は、可愛いね」
「うぅ……。そんなこと言っても、わたしは騙されないんだよっ!」
とまぁ、そんな一悶着はあったものの、空腹なのは彼女も同じだったようだ。クルルゥと控えめな音を鳴らす。
「ご飯にしましょ」
「う、うん…………」
今度は彼女が、恥ずかしそうに俯く。
彼女はとても不服そうな表情を浮かべながら、意図せず空腹を訴えてきたお腹を両手で隠すようにして覆った。
「ミナト、可愛いっ!」
「……白。根に持ってる?」
「なんのことかなぁ〜」
お互いをいじり終えた二人は相手を執拗に責めるのは止めて、待ちわびた食事を始めることにしたようだった。
二人には定位置でもあるのだろう。そそくさと席に着いたかと思うと、あぶれていた自分を呼び寄せるように可愛らしく手招きをしてくれた。
けれど、その席に自然と座るのはなかなかにハードルが高かった。
「自分はこっちでいいですよ」
四人がけのテーブルの、その一辺。椅子に腰掛ける二人の真ん中に自分のための空席はあった。二人でも少し窮屈に見えるのに、そんな場所に三人並ぶのはいくらなんでも無理がある。……と言うのも、一つの理由だけれど。
もちろん、拒む理由はそこではない。
「なんで?並んで一緒に食べた方が、きっと楽しいよ?」
「いやぁ、でも…………」
こちらの心情を知らない女の子は、寂しそうな表情で言うけれど。
二人に挟まれるのは、流石に気まずいんですよ…………。
女の子とは同棲しているのだから、今更な言い分だとは自分でも思う。しかし、それはそれ、これはこれだ。異性の肩や手に触れてしまうかもしれない距離に、そうホイホイと向かっていくような軽い男には自分は決してなりたくない。
だと言うのに、女の子はハッとしたような表情を浮かべたかと思うと、テーブルの端へと席をずらしては、これでいいよねと笑顔を向けてくる。それに加えて、彼女の方も言葉なく女の子に合わせるものだから、用意していた断る理由が途端に使い物にならなくなってしまった。
「…………わかりました。真ん中、お邪魔しますね」
「やったぁ!」
些細な意地を捨てるだけで、女の子が嬉しそうにはしゃいでくれる。こんなに喜んでくれるのなら、初めから大人しく座っておけば良かったなと後悔した。
全員が席に着くと、彼女が慣れた手つきで調理を始めた。彼女は先ほどの宣言通り、野菜ばかりを鉄板の上へと運んでいる。肉の量を考えると、野菜炒めを作っていると言われた方がしっくりくる光景だ。最早呆れを通り越して、自然と笑みが溢れてくる。
火の通った野菜を黙々と食べていると、彼女がマグカップに飲み物を用意してくれた。
「はい、白」
「ありがとう」
白い猫をモチーフとした可愛らしいマグカップを、女の子は彼女から両手で受け取っている。
そして、自分には狐のマグカップだ。
「……ごめんね。お客さん用の器、持って無いんだ」
「でも、自分の分が無くなっちゃうんじゃ……?」
「心配しなくても平気だよ。紙コップがあるからね」
家主である彼女は、そうすることが当然かのように言ったけれど。申し訳なくなった自分は、すかさず交換を要求した。明らかに彼女が普段使いしているのだろうマグカップを渡されて、当の本人は即席の紙コップなど、彼女が許したとしても自分は絶対に許せない。
「君がそこまで言うなら……」
流石に悪いからと遠慮する自分に、彼女は渋々といった様子で応じてくれた。
「……アキラも気に入ってくれると思ったんだけどな……」
気に入っていたのだろう狐のマグカップを返されてしまった彼女は、悲しそうにそう呟く。彼女のしゅんとした表情に胸がギュッと締め付けられて痛かったけれど、お客だからと言って相手の厚意を見境なく受け取るのは良くないことだ。彼女にはさりげなくフォローは入れつつ、今回は我慢してもらうことにした。
そんなこんながあった後、ようやく今晩の主役が登場する。
「わぁ!ねぇ、玲!お肉が綺麗に輝いてるよ!」
女の子は勢いよく立ち上がったかと思うと、おもむろに自分の肩に手を置いては、喜びでぴょんぴょんと飛び跳ねる。間近で女の子の目の輝きようを見ていると、自分まで心が踊り始めるから不思議だ。
協力してなんとか片付けた鉄板の上には、最早野菜の面影すら残っていない。それだけ二人が、霜降り肉を楽しみにしていたということなのだろう。
「ミ、ミナト!早く早く!」
「急かさないで!落としちゃったらどうするの!」
「ちょ、手が震えてますけど!?」
「だって!!良いお肉をダメにしちゃったらって思うと、怖くなっちゃって……」
まるで歴史的価値の高い芸術品を扱っているかのように、彼女は怯えながら慎重に肉を鉄板へと運んでいく。
ぷるぷると小刻みに震える手を女の子に両手で支えられながら、ようやく一切れ目が鉄板へと降ろされた。すると、スタジアムで観衆が湧き上がるかのように、ぶわっと、ジュワっと。盛大で賑やかな音の波がリビングに気持ちよく鳴り響く。
「こ、焦げてないよね?」
「た、多分……」
鉄板の上の肉を凝視する二人は、至って真剣な目つきだ。
その装置、全自動で勝手に焼いてはくれないのね……。
焼き加減に細心の注意を払うためか、二人してテーブルに手をついては身を乗り出しながらに肉の状態をじっと観察している。その本気さ加減には、半ば狂気を感じるほどだった。
だから、もう二枚も一緒に焼いてしまわないかなどという言葉は、場の雰囲気的に言い出せなかった。
「……や、焼けた…………」
「お疲れ様、ミナト!頑張ったね!」
肉一枚焼き上げるのに気を張り過ぎな二人は、心身ともに憔悴してしまっていた。だというのに、表情は異様に晴れやかで全てをやり切ったかのように満足気な笑顔を浮かべているものだから、食事をするという目的を忘れているのではと少し心配にもなってくる。
けれど、そんな不安は杞憂だったようだ。
「切って、三人で分けよ!」
「わかってるよ。少し待ってて」
焼いて縮んだ小さな肉を、彼女は食品用の鉄鋏で三等分にカットする。
「小さいね……」
「もしかして、高いお肉って中身スカスカだったりするのかな?」
「そんなことはっ!…………ない、よね?」
初めは手のひらほどの大きさだったというのに今は切り落としかと疑うほどの小さな欠けらとなってしまった肉片に、二人は絶望したような表情を浮かべていた。
確かに、単価の高い商品には二人が言うような疑惑が常に付いて回るように思う。世の中に出回っている所謂高級品と呼ばれるものは、大抵の場合は嗜好品だ。
高級品に対して満足感を得られないのは、きっと損得勘定でものを見ているからなのだろう。良いモノだから高いのではなく、高いモノだから良いものという商品が、往々に良品として罷り通るのだから世の中は酔狂で面白い。
そんなことはともかくとして、不必要で益の少ない贅沢で愉しめるほど自分たちには余裕がないという事実の方が悲しいことだろう。
「ま、まぁ、美味しければそれで良いじゃないですか」
「……うん。玲の言う通りだよ。食べる前から決めつけるのは、良くないよね!」
そう言って女の子は、自身の席に深く腰掛けた。
お行儀よく手を合わせながら挨拶を済ませると、これまた上品な所作で口元へと肉を運んでいく。
「…………っ!!おいひぃっ〜!」
小さな肉片の端っこを小鳥が餌をつつくかのように口にした女の子は、嘘くさいと思えるほど大仰な声をあげた。
欠けらを口にした程度で味など分かるものかと女の子へと疑いの視線を向ける自分に、女の子は「本当だよ」と抗議の言葉を返してくる。
「ほらっ!玲も食べればわかるよ!」
「ちょっ!何してるんですか!?」
興奮した様子の女の子は、今すぐにでも感動を共有したいのだろう。食べかけの肉を自分の口元へと向けてきた女の子の顔には、”今食べさせてあげるね”とありありと書かれていた。
「ねぇ、口開けて?少しで良いから、ね?」
「いやいやいや、ちゃんと自分の分を食べますよ!気にしなくても大丈夫ですから」
「そ、そう?」
餌付けを断られた女の子は、今度はじっとこちらを見つめてきては肉を食べるのを催促してくる。
食べづらいんだけど……。
女の子からの視線がくすぐったくて素直に食べるのが少し癪に思えてしまった自分は、天邪鬼のように雑に肉を口に放り込んだ。
「…………ぉ。美味いかも」
「だよねっ!美味しいよねっ!」
口の中で上品な脂がジワリと広がり、肉とは思えないほどの華やかな香りが鼻から気持ちよく抜けていく。あまりに柔らかな舌触りは、飲み込んでしまうのが惜しいくらいだ。
「ミナト!まだあるよね?次焼いちゃおうよ!」
「わ、私には無理だよ……。こんな贅沢続けてたら、私が私で無くなっちゃいそうで怖いんだ……」
「なら、自分が焼きましょうか?上手にはできないかもしれませんけど、焦がしはしないと思うので」
「ま、任せてもいいかな?私は少し休憩してるよ……」
目眩がするのだと頭を抱えながら悶えている彼女に代わり、残された二枚の肉を託された自分は、特に気負いをすることなく一遍に焼いてしまうことにする。女の子からは”豪快だ”などと評されたりしたけれど、誰かがご飯を食べている横で一人だけ手元が空っぽなのは悲しいことのはずだと、そう思うから。
「はい。運良く良い感じに焼けましたよ」
「本当だ!ほんのり赤みがかってて、艶々してて美味しそうだよ!」
「これなら、初めからアキラにお願いしていた方が良かったね」
思いのほか上手く焼き上がった二枚の肉を、両隣のお皿に一枚ずつ置く。先程の小さな肉片の時とは違って、大きな一枚肉は迫力だけでも満足感を得られそうだ。
「これじゃあ玲の分がなくなっちゃうよ!」
「別に気にしなくていいですよ。自分はもう、野菜でお腹いっぱいですから」
「ごめんね……。次からは野菜、減らすことにするよ……」
二人が遠慮なく肉を食べれるようにと、適当に思いついた理由を口にする。実際、野菜で胃の中が埋まっているのは嘘ではなかった。
「そうだ!わたしと半分こしよう?それなら玲も一緒に食べれるよね?」
「なら、私の分も半分あげるよ」
だと言うのに、二人は欲を通すこともせず、自身の取り分を削ってまで肉を食べさせようとしてくる。
その優しさは、果たして厚意なのだろうか。それとも、心に染み付いてしまった悪い癖なのだろうか。そう考えてしまったから、二人から半分も幸せを受け取るという選択肢は自分の中から自然と消え去っていった。
「お腹いっぱいなんですって。美味しく食べれる人が食べる方が、食材も嬉しいはずですから。だから、自分のことは気にせずに遠慮なく食べてください」
二人は長々と駄々を捏ねていたけれど、それでも最後には首を縦に振ってくれた。
大きなお肉を口に頬張った二人は、心底幸せそうな表情を浮かべていた。その幸福に酔い痴れる二人の笑顔は、何にも代え難いもののはずで、価値のあるものだから。
……でも、野菜飽きたなぁ。
だから、残された野菜の担当は自分が甘んじて受けるべきなのだと、そう何度も言い聞かせる。
とは言え、両隣の肉を見た後では野菜ばかりの食事は惨めだと感じずにはいられなくて。しばらくの間、考えることを放棄して黙々と野菜を食べ続けた。
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