第2話 二者択一

 終点になってから、多くの物事が取り返しがつかないほどに変わった。


 三大発明。そのものが世界にもたらした影響は絶大だ。今人類からそれらを取り上げたところで、この終点からは後戻りできないだろう。引き返すことができるギリギリの境界、エンドラインは、終点の入口にこそ引かれていた。


 故にここは終点であり、時には終焉とも呼ばれる時代。大袈裟な表現ではあるけれど、なんてことはない。口にしてしまえば他愛ない変化でもある。


 けれど、終点と呼称する人間たちはきっと、それ以前に持っていたナニカを大切にしてきたのだろうし、できることなら手放したくはなかったのだとも思う。因果律予測装置曰く「ソレは必要な犠牲だ」とのことではあったけれど、終点しか知らない自分にとっては関係のない話だ。


 そんなことよりも、今は目の前の紙の空白を埋めることが、自分が取り組むべき目下の課題である。


「はぁ……」

「おいおい、まだ悩んでるのかよ。進路希望表の提出期限、今日だぞ?いいからテキトーと決めてチャッチャと先生に出しちまえって」


午前の授業を終えて、時はお昼休み。購買から帰ってきた友人の佐藤は、戦利品であるぱんぱんに膨れあがったビニール袋をごそりと音を立てて自分の席へと置いてきた。他人の席だというのに遠慮をまったく知らない彼に、進路希望の用紙が汚されてはたまらないと、咄嗟に用紙を引っ込める。


「でもさ〜。文系とか理系とか言われてもピンとこなくて。……ねぇ、佐藤はどっちが向いてると思う?」


袋の中身をホイ、ホイっと、我が物顔で机に広げる彼に呆れつつも、空腹だった自分も昼食に移ることにした。


水城ミズキがか?ん~、やっぱ理系じゃないか?今期の定期テスト、総合で4位だったろ?」

「学校の勉強が出来るからって、別に頭がいいわけじゃないんだよ……」


彼に褒められたことは、素直に言えばとても嬉しかった。


 けれど、記憶力も学力も並以下の自分でも点が取れるのは、偏にこの学校のテスト形式が自分に合っているからでしかない。実際、以前受けた全国統一テストでは、どの学校も受かるわけがないと宣告されているかのような惨憺たる結果が返ってきた。それでいて校内推薦はほぼすべてを受ける資格があるときたものだから、時々自分の努力はなんだったのかと悩んでしまう。


 ……これじゃあまるで、ズルをしているみたいだ。


 なんだか胸がモヤモヤとして、この気持ち悪さを無理矢理押し流したくて、水筒の中身を大げさに呷ってみた。すると、からんという不穏な音色と共に、水筒の中身が勢いよく飛び出してくる。


「うわっ!」


広い飲み口に器用につっかえていたのだろう氷たちが音を立てて姿勢を崩し、せき止められていた緑茶が滝のように自分に襲いかかってくる。


 溢さないようにと受け止めようとするも、口に入りきらなかったお茶を顔から派手に被る。おおもとの水筒も起こしたものの、時すでに遅く、胸元や膝に溢れて制服にじわりとシミを作ってしまっていた。


「何やってんだよ……」

「ははっ。ごめん」


何でもない時に飲み物を溢してしまい、いい年して情けないなと悲しくなる。


 彼は呆れたように、また面白いものを見るような目で自分のことを笑った。友人に醜態を見られて恥ずかしくはあったけれど、その笑顔に幾分か救われたような気にもさせられる。


 とにかく、今は中身が甘い飲み物でなくてよかったと、そうポジティブに考えることにした。


「じゃあ文系か?いっつも読書してるし。本、好きなんだろ?」


溢してしまったお茶の水分をハンカチで適当に取っていると、彼は焼きそばパンを頬張りながら話を戻した。


「嫌いではないかな。でも、進路にするかと言われると、それは違う気がするんだよね……」


ぐちぐち、ぐちぐちと。自分が進路を決めかねる中、彼は早くも一つ目のパンを食べ終えたかと思うと、フルーツ緑茶なる怪しい商品名のパックジュースに手を付けて一息で中身を飲み干してみせた。


 そして、彼は態とらしく、大きな大きな、そして甘ったるい溜息を一つ吐く。


「面倒くさいな~、お前。そんなに不安なら、初めから大人しく占って貰えばいいだろうがよ」


微かな笑顔を浮かべながら言う彼に、自分は思わず顔を背けた。


「……八卦でしょ?やだよ。なんて言うか、そう言うのに頼りたくない」

「なぁ、水城。なんでお前はそんなに律ちゃんのこと嫌いなんだよ。あんなに可愛くて、完璧な彼女のどこがダメだって言うんだ。……何か?二次元は受け付けないってか?いや、お前は三次元にも興味ないように見えるが……。で、水城。そこのところどうなんだよ」

「うるさい、廃課金のアイドルオタクめ。」


そんな罵倒は、こと彼には何の効果も発揮しない。むしろ、彼のエンジンが少しずつ温まっていく感覚に、水を差すべく素っ気ない態度を示すも、悲しきかな。既に焼け石に水のようだった。


「失礼な。ただのいちファンだ」

「ただのファンが年に100万円もつぎ込むか!そんなに無駄遣いして、親に怒られたりしないの?」

「貢ぐためにバイトしてるんだ。誰からも文句言われる筋合いはない!……あ、そうだ、聞いてくれよ!最近やっとゴールド会員になってよ!ほら、これで月に一回、好きなタイミングで一対一で八卦してもらえるんだぜ!あぁ〜、ここまで来るまで長かったよ……!」


スマホに映る律ちゃんを眺めながら遠い目をする彼は、いつの間にかクラス中の生徒から白い目線を集めていた。しかし、当の本人は気にした様子もなく、悦に浸るような満面の笑顔を浮かべている。


 彼の能天気さを自分が欠片でも持ち合わせていれば、高校の進路程度でこんなに悩むこともないのだろう。とは言うものの、それで彼のように能天気が過ぎて、頭の大事なネジが外れてしまうのだとしたら、それはそれで悲惨だとも思うけれど。


「そうそう、今日LIVEあるらしいね。時間大丈夫なの?」

「その辺りは万全さ。なんだよ、水城もちゃんと調べてるじゃんか」

「違うって。朝ニュースで見かけただけで……」

「皆まで言うな。俺もお前みたいな時期があったよ……」


彼の的外れな共感はともかくとして、だ。いつの間に封を切ったのか、彼は三つめのパンに手を出している。三つめに食すは、具がこぼれそうなほど挟まれた卵パンのようだ。


 ……二つめはなんだったのかな?


どうでもいいことではあるけれど、自分は無性に気になった。


「そうだ。これも何かの縁だ。ゴールド会員初の八卦、律ちゃんにお前のこと聴いてやるよ」

「なんで?自分で使いなよ、勿体ない」


彼の話を適当に聞き流しながら、机に残されたパンの包装を拾い上げてタグを見る。


 ……お、コーンクリームパンだ。


 温めたら美味しそうだ。


 そんな不可抗力の想像にやられて、帰りはコンビニに寄って帰ろうと心に決める。


「まぁ、聞けって」

「あぁ……」


彼の手によって奪い去られたコーンクリームパンの包装は、雑にレジ袋へと押し込められてしまう。


 興味が惹かれる対象がなくなった自分は、仕方なく彼の話相手を再開することにした。


「……で、なんで譲ってくれる気になったの?」


月十万円のアルバイトの稼ぎを余すことなく律ちゃん、もとい因果律予測装置の維持費につぎ込む彼である。そんな彼からの意図の読めない善意が怪訝に思えてならなかった。


「面白いこと思いついたんだよ。感謝しろ、今すぐ占いたいことがなかった俺にな」

「まぁ、悪いことじゃないならなんでも良いけどさ」


そうは言ったものの、彼は悪巧みを隠す気もないようだ。ニヤニヤと不気味な表情を浮かべながらスマホに視線を落としたかと思うと、それっきり黙り込んでしきりに指を動かしている。


「ほんと、変なことはしないでよね」


自分のことなのに蚊帳の外である現状に、今は静かに苦笑いをするほかなかった。

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