第1話 兆し

 世界は今”終点”と呼ばれ、あらゆる分野に関して末期。最期の時代へと足を踏み入れていた。


 それは技術や文化が発展の限りを尽くしたことで、人の想像力が時代に追いつけなくなり停滞してしまったから……、なんてことは全くなく、飽くなき夢を持つ人間たちには、まだまだ実現したいことが数え切れないほどあるけれど。そんな人の欲望をまるごと全て叶えられるほど、もうこの星には余力が残されてはいない。


 終わりを待つだけの物悲しい時代に生まれてしまったことを、嘆く者も少なくはなかった。それでも、世界にはまだ数千年という、一個人には途方もなく思えるほどの猶予が残されているのだという。


 そんな終点なんて物騒な言葉を無視すれば、この世界は至って平和だ。戦争なんて言葉は教科書でしか見たことがないし、政治家が不正をしては申し訳なさそうな顔で謝罪会見を開いている景色も知識としてしか知らない。


 とにかく、終点に間違いは”絶対”にあり得ない。故に、人は終点に入ってから考えることも悩む必要も全くなくなった。


 ”未来視”。そんな夢物語のような概念を真剣に研究した科学者がいた。そして作り上げられたのが、因果律予測装置だ。量子力学に基づき製造されたと言うこの空間演算装置が有するは、先に訪れるあらゆる事象を予測して出力できるという何とも馬鹿げた性能だった。それも知りたい事柄だけを的確に抽出してくれる機能まで付いているのだから、もう文句の付け所がない。極めつけに、装置の予測が外れた事は、これまでたったの一度もないと聞く。


 そんな圧倒的信頼度の未来を手に入れたことにより、人による不確かな政治は速やかに終わりを迎え、命を懸けた争いが起こることもなくなっていった。揺るがない未来を知ることが出来る、万能とも言える因果律予測装置は、今や世界のあらゆる物事の決定権を担っていた。


 ……だったよね、確か。


曖昧な記憶に自信が持てず、自分は誰にともなく言い訳を呟いた。


 とにもかくにも、そんな小難しい話を一学生が割と詳しく知っているのかと言えば、嫌でも情報が耳に入ってくるからだ。


「朝のニュースの途中ですが、速報です。未来予測の装置でありながら、同時に国民的アイドルとして名高い未来予知AIの律ちゃんが、本日の十三時から動画配信サイトにてLIVEを行うことを先ほど発表しました」


我が国が誇る三大発明品の一つにして、今では世界中のあらゆる決め事を司る因果律予測装置、もとい愛称“律ちゃん”は、製作に莫大な費用をかけて研究され実現された装置だ。そこには並大抵ではない額の国民の血税が注ぎ込まれており、成果を明確に提示できなかった開発の初期段階では、少なくない人々が税金の無駄遣いだと強く批判した。


 これに対して、印象操作を行うために考案されたのがアイドルとしての律ちゃんと言う訳だ。


「皆さん、おはようございます。本日は演算領域に余裕ができましたので、皆さんと楽しくお昼を過ごせたらと思い、LIVE配信をすることに決めました。律の『八卦』、是非遊びに来てくださいね。皆さんが来てくれるのをお待ちしています」


そう言って律ちゃんは、お茶の間の者たちに向けて満面の笑みを浮かべる。誰が見ても良い印象しか持ちようのない完璧な表情は、彼女が人間では無いことをありありと示していた。


「玲、そろそろ学校でしょ。遅れないように準備しなさいよ」


頭を使わずに見れる内容を探してチャンネルを滅茶苦茶に回していると、母がお節介を焼いてくる。


「もう出るだけだから。あと三分」

「まったく、相変わらず細かいわね……」


肩を竦めて苦笑する母に、自分も心配になって時計を確認するも、まだ家を出るには早すぎる時間だった。仮に短針の位置を一つ読み間違えていたとしても、遅刻だけはしないだろう。


「あ、ゴミ出しお願いできる?今日おばあちゃんの病院行かなくちゃだから」


 ……三分くらいかな。


 ゴミ出しにかかる時間を推定し、母からゴミ袋を受け取って家を出ることにする。


「行ってきま~す」

「いってらっしゃい。夜はちゃんと帰って来てね」

「うん」


今はまだ静かな朝。燦々と降り注ぐ眩しい陽光に眉を顰めつつ、首にかけてきた小さなガラス管に視線を落として、中でできた結晶の模様を観察する。


 ……今日の夕方は雨、かな。


空いた方の手でリュックのドリンクホルダーに折り畳み傘が刺さっていることを確認してから、古い木造アパートの急な階段を一歩一歩慎重に降りる。


「もっと遅くてもよかったなぁ」


早速狂い始めてきた目算に意味もなく愚痴りながらも、頼まれた仕事を済ませるべくゴミ捨て場へと向かう。


 するとそこには、あってはならないはずの物がスペースを大きく占有していた。


「わぁお」


コンクリートブロックで囲われたゴミ捨て場には、巨大なスピーカーが我が物顔で鎮座している。


 ……これって普通に捨てて良いものなのかな?


 気になってスピーカーへと近寄ってみると、案の定「回収できません」という赤文字がでかでかと書かれた貼り紙が付いている。アパート前のゴミ捨て場と言うものは、どうしてこうも無秩序なのだろう。


「うっ……。びちょびちょだ……」


一般ゴミ用に設置されているカラス避けの籠の中に、朝露か、はたまた夜雨か。しっとりと濡れているゴミ袋が数個、乱雑に放り込まれていた。緑には映える露ではあるけれど、流石に廃棄物までは美しく飾ることはできなかったのか、むしろ近寄り難く感じられる。後に回収に訪れるだろう人たちのことを思うと、少しばかり申し訳ない気持ちになった。


「……関係ない、か」


閉まった蓋をひょいっと開けて、空いている籠の隅っこの方へと、そっとゴミ袋を下ろす。簡易的な鍵の設けられている籠は、やはりと言うべきか施錠されてはいなかった。


「…………ん?」


ふと、視線を感じたような気がして後ろを振り返る。


 するとそこには、一羽の烏だ。アパートへと引かれた電話線の上から、こちらを黙って見下ろしていた。


 艶やかな漆黒の体が爽やかな朝に嫌に浮いて見えるその子は、力なく嘴を開いては、こちらに何かを訴えるかのように期待の眼差しを向けてくる。


 しかし、その期待に応えることはできそうにない。 

    

「……ごめんね。それは無理なんだ」


彼か、はたまた彼女なのか。空腹を訴えているのだろうその子は、少し痩せているようにも見えた。


 蓋を開けたままにしようかと逡巡したけれど、どうやら自分には実行する度胸は無いようだった。ゴミを漁る君たちのことを快く思わない人は沢山いて、それを助長するような行為もまた、彼らの怒りの矛先となる。そんな未来に、恥ずかしくも怯えてしまった。


 空腹の相手に、ご飯を食べさせてあげる。そんな簡単な未来すら進んで選べない自分の弱さに気付くと、恥ずかしくなった。


 ……本当に、ごめんね。


 謝罪の言葉とは裏腹に、自分は無慈悲に籠の鍵を閉めた。人にとっては鍵の役目すら果たせない脆弱な金具だと言うのに、そんな些細な小細工一つで、動物たちは中のものへと手が出せなくなってしまう。


 人は意地悪だなと、ふと思う。人はもしかすると、動物たちをおちょくることを楽しんでいるのかもしれない。飢える動物たちをあざ笑っては、あたかも正しいことをしたかのように満足気に胸を張る。そんな人の心模様を想像してしまい、思わず不快な気持ちになってしまった。


 人はよく「相手の気持ちになれ」というけれど。だとしたら、どうだろうか。飢える黒い君は、かわいそうないじめられっ子だ。それに加えて、周りにいる誰もが、君に悪いことをしているという自覚が欠片もない。何とも救いのない、冷たい世界である。


 ……なぁ、人間。その者が不快に感じたのなら、それはもういじめなのではなかったのか?


 誰にともなくそう問うも、答えは当然返ってくるはずもない。


 けれど、もし他の人も自分と同じ結論に至ったのだとしたら、それは世の中皆等しく”ひとでなし”ということになるのではないだろうか。


 君をいじめる悪者と、手が届くのに救おうとしないその他大勢しかいない、無慈悲な世界。そんな世界で生きるのは、そんな冷たい人間であるのは嫌だなと、想像の話だとしても嘆かずにはいられない。加えて、想像だというのに困った者を救いに来る英雄がいないのも、また余計に現実味があってタチが悪い。


 そんな勝手な想像はともかくとして、だ。仮に鍵をどうにかできたとしても、君の期待しているような御馳走には”今日は”ありつきようがないのだ。そんな現実もまた、君にとっては酷な話である。


「またね」


身勝手な言葉だと分かってはいても、そう言わずにはいられない。


 願わくは、いつか君をお腹一杯に満足させられる機会がありますようにと、心の中で小さく祈ってみる。


 そんな想いを知らないその子はと言えば、真っ黒な瞳を真っ直ぐにこちらに向けながらに小首を傾げていた。


 ……“ルール”だから。


 苦しい言い訳を唱えながら、逃げるようにその場から足早に立ち去る。


 結局、頼まれた仕事を終えるまでには二分とかからなかった。


 相変わらず慎重過ぎる時間感覚に頭を抱えながらも、登校にはまだ早い時間、ひと気の少ない通学路を脇目も振らずに突き進む。周りには、運動部だろうか。朝練と思われる生徒たちが登校する姿がちらほらと見られた。


 そんな日常の中で、自分とは違うモノを見たのはいつぶりのことだっただろう。


 だと言うのに、自分はまた待ちわびた”機会”を逃してしまった。

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