【第6話】別人襲撃
⁂
夜のランニングは汗ばむ肌に夜風が気持ちよく吹き昼間とは違い静かで人も少ないから足も進むというものだ。
郊外近くまで走ってきた帰り、交差点で信号待ちをしている間にも軽く屈伸したりして全盛期よりもまだまだ固くなっている筋肉を解す。さすがに落ちた体力、筋力で前のメニューは些かハードワークすぎたか。額から落ちる汗を拭いながら信号を待った。
商店街のメイン通りとはまた違い旧道と呼ばれる元々人通りが少なく走り込むには持って来いの通りがある。あまり治安がよろしくないのだがここを通ると自宅への近道でもあるので、あまり遅い時間に通らならなければさして問題はないので急いでいるときなどは十夜もよく使っている。
足が思うように動かなくても十夜はランニングを欠かしたことはない。
それで何度も挫折を味わうのだが、家にジッとしていても同じことが頭を巡る。
居ても立っても居られない性格が十夜にシューズを履かせるのだ。
ランニングしながら通りを行くと前方から笑い声が聞こえてくる。
二十代くらいのいかつい若者達が人目も気にせず横並びで歩いてきた。周り、といっても人通りなく道も狭くはないので十夜が少し避ければ問題はなかった。
擦れ違い様にジロジロと好奇な視線を向けられたけど全て無視した。彼等は近所迷惑になりそうなほどの馬鹿笑いと、きつい香水やら煙草の匂いをさせながら横をすり抜けていった。
その中に女性が一人隠れるように混じっていたのが目に入った。
フワッとした髪を片方耳にかけ、肩甲骨からV字に開いた背中を見せんばかりの体にフィットした露出の多い服装。
如何にも十夜とは正反対の女子。
擦れ違う瞬間、咄嗟に手首を掴んでいた――
「な…にやってんの……」
驚いてそんな言葉しか出なかった。
周囲の男達も付いてこない女子に気付いて此方を見ていたけどそんなこと気にしてられなかった。
「マリちゃん何してんの~?」
野太い声で彼女の名前を呼ぶ。
「すみません、今行――」
十夜の腕から抜け出そうとしたが絶対に離すものかとさらに力を込めた。
「……離してもらえない?」
眉をひそめた顔も
困った顔も同じ
(嘘)
服装も何もかも違っているけど――
(なんで?)
学校を休む前に見たやつれた頬も、顔色の悪さも全て化粧で誤魔化しているけど――
「……こんなところで何やってんのかって聞いてるの真莉!」
別人のようになってしまった真莉の姿だった。
⁂
「誰この子?」
「マリちゃんの友達?」
わらわらと集まってきた男達に囲まれてしまったがこの時十夜には周りは見えていなかった。好き勝手言う男達を無視して真莉の言葉を待った。そんな真莉は掴まれた手首を見て溜息を吐き、周囲の男達に親し気に話しかけた。
「今日は先客があったのを忘れていたわ。悪いけど今日はここでお開きにしてくれない?」
その瞬間周囲の男達が落胆の声を上げた。
「ええええ~…今日はいいって話だったじゃん」
「その子も一緒でいいからさ~」
(一体何のこと?)
口々に言い募る男達にも動じずに芸者のようにゆっくりとした動作ですり寄った。
「ごめんなさい、埋め合わせは今度するから」
色香を漂わせる真莉に魅入られたように男達は黙り込んで次々と名残惜しそうにその場を後にしていった。
「あれから一週間も学校の無断欠席、家にもほとんど帰らないっておばさん泣いて電話してきたよ?」
気の強い真莉の母親は教師であるが故に子供に厳しい母親というイメージだったが、泣いて十夜の自宅に電話をしてきたときには心底驚いた。
電話口では子を心配するただの母親だった。
「家に、帰ってないの?」
髪の毛先を弄って十夜の話を聞いていないように見えた。
「おばさんごめんって。厳しくし過ぎたのかもって、凄い謝ってたし。真莉がそうなったのってそれが原因なの?」
ふぅ、と溜息を吐かれた。まるで答えを間違えた子供を呆れるように。
「あの
ようやく発した言葉は静かに怒気を含んでいた。
⁂
「変だよ、そんなの真莉じゃない」
普段の真莉からは想像出来ないような肌の露出が極端に多い服。化粧も普段のナチュラルなメイクとは程遠いがっつりラインの入った目だ。
「変だなんて、冷たい事を言わないでよ十夜」
脳が違和感を全神経を通して訴えていた。
「……冗談止めてよ。一体どうしたのよ」
「ふっふふふ、何言ってるのどう見ても私は貴女の知る真莉でしょう?」
手で口を隠しながら目を細めて笑う姿は、休んでいる間の数日で急に大人になってしまったかのような信じられない光景だった。
「……違う、アンタは真莉じゃない」
目の前にある彼女を拒絶した。
「お主に真莉の何がわかる」
「え?」
(今のは?)
真莉から発せられた声だったのだろうか。真莉はただ微笑んでいるだけ。
「そんなに真莉に会いたいか」
急に口調が変わった。雰囲気すらも十夜ですら気付けるほどに。
「そこまで言うのなら会わせてやろう」
フッと立ち眩みのようにふらついた。
「真莉!?」
咄嗟に体を支え……られずにそのまま一緒になって地面に座り込んだ。
「……? と、や?」
今目が覚めたとでもいうように眠たそうな目を擦った。
「あれ?」
その目には自分が今どうしてここにいるのか分かっていない不安と困惑が見て取れた。
「私なんでこんなところに? さっきまで部屋にいたのに」
(いつもの真莉だ)
口調も元に戻っていた。しかしホッとしたのも束の間、真莉の表情が陰った。
「――…どうして?」
どうして?
「どうして、あの時……たの?」
「え、何て言ったの?」
純粋に聞き返しただけだけなのに
「しらばっくれないで!」
突然の金切り声が夜の静寂を切り裂いた。
「いないって言ったのに。あれは嘘だったの……この嘘吐き!」
急に取り乱したように十夜を押しのけ「嘘吐き」「泥棒猫」と非難し始めた。
「待って何のことかわからないよ、真莉! ねぇ……あっつ!」
避けていく真莉の腕をようやく掴んだが、瞬間弾けるように手を離した。
熱された鉄を直接触ってしまった時のように掌がヒリヒリする。熱さから痛みへ。手首を押さえ痛がっている十夜を見てハッとした。
「あ、ちが……あ、私、違うの。また、怪我させるつもりなんてなかった」
やつれて窪んでしまった普段よりも大きく見える目を見開いて、愕然としながらその目は十夜の掌に注がれていた。
「真莉落ち着いて…、アタシは何ともないから」
嘘、嘘だ、いやだ、その目はもはや十夜を見てはいなかった。
「そんな目で、私を見ないでよ十夜……」
怪我をさせたという事実が余計に真莉を追い込み、自身の頭皮を掻きむしり指と指の隙間には抜けてしまった髪が何本も絡まっていた。
「何やってるの!? 止めて、止めてよ真莉」
不思議と熱いということも忘れて真莉の両腕を掴んで止めさせた。
「……責めるの? やっぱり私を責めるのね、十夜。私…だって。そうよね――私のこと私じゃないって言うものね」
充血させた目を潤ませた。
その時。
火の気のない場所で突然真莉を取り巻くようにポツ、ポツと青く光る炎の玉が浮かび上がる。
(これ!)
「離れて」
突然の声に思わず手を放してしまった。
闇から抜け出すように小さな影が真莉に向け弾丸のように突進した。
「あああああああああああああああ」
ザシュ、と切り裂く音の後にまるで動物の咆哮を思わせる叫びに耳を塞ぎたくなった。真莉の口から発せられたものだと思いたくなかった。憎悪という憎悪を目に宿して切られた腕を隠すようにして真莉は十夜達から距離を取った。
「チッ、浅かったか」
腰が抜けて座り込んでいた十夜がゆっくり視線を上げると黒の衣装に身を包んだ八花が立っていた。
――時代錯誤も甚だしい刀の抜身を相手に突き付けて。
態勢が整わない真莉の隙を見逃さず二撃目を浴びせようとした八花の足に咄嗟に飛びついた。
「止めて切らないで!」
「ッ」
八花が動けないその隙に真莉は腕を押さえながら踵を返してこの場から走り去った。
⁂
「逃げたか」
淡々と刀に付いた汚れを払い鞘に納めた。追いかける意志がないと判断すると同時に十夜の足を掴んでいた拘束の力も緩んだ。
「立てるかい」
手を差し伸べる八花の手を逡巡したのち、結局その手を取らずに自分の力だけで立ち上がり――次の瞬間。
「……なんの真似だい?」
頬を叩かれたという事実を理解するのに少し間があった。
有り得なかった。
何の躊躇もなくその刀で人を傷つけたことに。
初めて人に手を上げた。その手も今はブルブルと震えている。
それは八花に対しての怒りがまだ持続しているせいなのか、それとも恐怖ゆえなのか、それとも初めて人を叩いたことに対する後悔なのかは分からない。
「アンタ真莉を殺す気なの!?」
絞り出すように言い放つ、が。
「何をそんなに怒っているんだい? 私は自分の仕事をしたまで、君に叩かれる云われはないはずだが」
無表情なその翡翠色の眼には実は何も映っていないのではないか。
(もしかしてアタシがなんで怒ってるのかも分かってない?)
人成らざる緋天よりもずっとずっと距離を感じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます