【第16話】願涙
「願えば叶うって神社のことは少し前に部員から噂で。その時は全く信じてなかったし、さすがにこうなってからは、ね。それで噂の事で隣町まで行ったの」
いてもたってもいられず自宅療養しているはずの十夜は両親に黙って、内緒でタクシーを使って隣町を目指した。
でも、と言葉を切った。
「……まさか、そんな続きがあったなんて…アタシ知らなかった。噂の言う通りやればただ願いが叶うってところだけで」
当時の事を思い出した十夜が怯えているにも関わらず、目の前から深い溜息が聞こえた。
「そんな都合の良い話あるわけないだろう。噂なんて一種の伝言ゲームだ、途中で尾ひれがついたり、君みたいに一番大事な部分が失くなって耳に入ることだってよくある。それは酷く曖昧なもの。
八花さん、と緋天が諫めたが十夜にはそれに応えられるだけの余裕はなかった。
「実際にこっちの側になってみないと分かんないよ。それに二人にはないの? 伝説でも噂でも何でも、騙されてるって知ってても都合のいい嘘でも……何か叶えたいって思ったこと八花君も、緋天さんも一度もない?」
「それは…――」
口ごもる緋天をよそに「私にはないよ」きっぱりと言い切ったのは勿論八花だった。
「そんなことを聞いて何になる」
歯牙にも掛けない八花に「ほらね」と十夜は自嘲気味に笑った。
「そんなもんだよ、何にも失ってない人にはこの気持ちなんて分かんない」
(分かってたのにどうしてこんなに落ち込むんだろう)
言うつもりのない
(だからって――)
何もせずにはいられなかったのだ。
話したことを後悔してると八花が狐のお面を急に被りだした。色もなく、ただの木彫りのお面を何の冗談かと思ったが
「私達が何も失っていないなんて、どうして君に分かるの?」
確かにそう言った。
「え」
緋天を見ると眉を下げ困ったように笑っていて、そう言った本人は狐のお面のせいで表情は分からなかった。
⁂
「ま、悲劇のヒロインぶるのもいいけどそろそろ本題に戻ろうか。結局のところ君は神社に行ったようだけど肝心の願い事はしてきたの?」
虚をつかれ、八花の質問を聞き逃していた。
「え、なに?」
十夜は自分が失言したことを今この時気付いた。
(さっきのは)
何事もなかったように話を進める八花の表情は相変わらず分からないまま。
「君、き~み、聞いてる? お~い。ちょっと緋天、キスの一つでもしてあげてよ。そうすれば起きるかも」
「「ええ!?」」
二人の声が重なった。
「なんだ聞こえてるじゃないか」とようやくここ狐のお面を外した八花の顔はニヤニヤと人を小馬鹿にしたような憎たらしい顔だった。
タクシーで隣町の小山の麓に辿り着いた十夜はそこで不思議な体験をした。
「いざ登ろうとしたら急に金縛りにあったの、アタシ金縛りなんて初めてだったからホントびっくりして。そしたら急に知らない人に声かけられたの。その人の顔も特徴も何も覚えてないけど確かに《行くな》って聞いた。それまでずっと焦ってた気持ちがなくなったわけじゃないけど、冷静になれたというか。これだけの傷さすがにインハイまでに塞がって今以上の記録を出せる筈がないってね。気付いたらその人もいないし、体も動けるようになったんだけど」
結局あれって何だったんだろう、と自問する代わりに八花が答えた。
「その人物が誰かと言うことより、これだけは言える。君がその忠告を聞かなければ今頃もっと早くに君の墓標が建てられていたことだろう」
想像するだけでゾッとした。
「そ、その、おかげって言うのかな、結局神社には行かないでそのまま乗ってきたタクシーに戻って家に帰ったの」
そのタクシーの運転手に「誰かいなかったか」と聞いたが首を傾げられただけだった。
「つまりここまでは十夜さんは何も願っていない、ということになりますね」
しばらくして噂の全貌を聞いた。
その時は行かなくて良かったとさえ思った。
「緋天さんアタシあれから一度も行ってません」
神社はおろか隣町に近付いてすらしていなかった。
改めて怪我の治療とリハビリに専念し前向きに向かおうとする十夜の邪魔をするように十夜の周囲ではおかしなことが起こり始めた。
「最初の頃はよく転んだり、物によくぶつかったりする程度だったんですけど、筋力も落ちてたし、片足生活だからそんなもんだと思ってました。学校に復帰するようになってからもでも誰もいない二階の空き部屋から鉢植えが落ちてきたり、階段から落ちそうになったり。あ、車に轢かれそうになったことも実はあれが初めてじゃないんです。それと車だったり自転車だったり、なんか強盗犯とかと鉢合わせたり。日が経つにつれて段々エスカレートしてって、そんなアタシの様子が自殺をしたがってるみたいに見えたらしくってしばらく友達が行きも帰りも一緒にいてくれました」
「それは、よく生きてましたね……あ、失礼」
「アタシもそう思いますので気にしないで下さい。それになんやかんやで生きてますんで」
座る位置を直し、改めて当時の記憶を遡る。
まるで死神に魅入られたような十夜の日常。気を抜けば足元を掬われそうな日々の裏には実は幾つもの偶然が重なっていた。
「植木鉢は当たらなかったし、車も自転車も運転手が間一髪で避けてくれたし、強盗犯は近くに警察が巡回してすぐに逮捕出来たし。今回だって緋天さんに助けてもらって」
ふ~ん、と八花が緋天を盗み見てほくそ笑んだ。
⁂
おかしいですよ、と異を唱えたのは緋天だった。
「願いを叶えてもらってない十夜さんがこれだけ危ない目に遭っているのは噂の内容と筋が通らない。それだとその神社に無意識に願いを持って近付いた人間全員が危険に晒されてることになりますよ」
大なり小なり願いのない者はいない。
隣町の山付近に住む住民は十夜と同じように誰かしら祟られてしまっていることになる。
「アタシもこれ以上怖い思いをするのは嫌だったし、それでまた怪我したくなかったから。あの日、よく当たるって噂の占いの館に行ったんです。どうすればいいか分からなかったから、対処法とかあるかと思ったけど」
その対処法も見つからず、今に至る。
「概ね事情は分かった。君の抱えている悩み、依頼主の話と合わせても十分な情報だ」
(依頼主?)
恐る恐る口を挟んだ。
「どういうこと、何するの?」
「勿論現場を見ないことには何も始まらない」
(現場ってあの神社?)
「もしかしてアタシの回りで起こる変なことも、この足も――?」
治る、と軽々しく口に出来なかった。それほどこの単語には裏切られてきたから。
「かもしれないし、そうじゃないかもしれない。まあその神社とやらが関わってるのは明白だろうし、現に君の足にはずっと黒いもやが巻き付いているのも気になるし」
すうっと八花の瞳の色が移り変わった。
「そのもやが不幸を連れてくる、君を死神へと追い立てるモノの正体」
「え」
「普段は何も悪さはせずに小さくしているんだけど。皮肉にも走ることが全てだった君が――例えば走ろうとする意志、実際に走るとそのもやが蛇のように膨れ上がり君の足を蝕んでいく。不幸を連れてくるもやに足を締め付けられるんだ、それはきっと他者には想像出来ないほどに辛く、苦しいことだっただろう」
(あ、これヤバイ、かも)
「君も含め常人には見えないんだ。言っても誰にも信じてもらえないのは――とても辛いことだと、私も緋天も知っている」
グッと唇を噛んだ。滲んでくる目を見られたくない。
俯いた。
誰にも言えない訳じゃなかった。
実際に医者も教師にも話したことだ。
だけど誰も十夜の話を真摯になって聞いてくれる人はいなかった。
誰も理解しようとしてくれなかった。
痛かった。
こんなに痛いのにどうして分かってくれないの?
なんで嘘だって顔するの?
頑張れって、待ってる人の為に頑張れってなに?
アタシを何だと思ってるの?
アスリートでもなければプロでもない。
走るのが好きな普通の高校生に周囲の期待は重過ぎた。
痛むのは足だけではなかったのだ。
十夜の心も限界でずっと悲鳴を上げていたのだと。
だから人に何か言うことが怖くなった。
だから誰にも言わなくなった。
俯く十夜の肩にソッと手が触れた。
「十夜さん今日までずっと一人で辛かったでしょう、もう無理しなくていいんですよ」
ただそう言って欲しかった。
「だいじょうぶ」じゃないのに自分にすら嘘をついて「大丈夫」なフリをしていた。
悔しい
「これは君の精神的問題でもましてや身体問題でもない、れっきとした私達の管轄だ」
顔を擦った。
これだけはどうしても聞いておきたかった。
「どうして。どうして急に、やってくれるなんて思ったの? ここがそういう変…変なお店だっていうのは分かったし。絶対慈善でこんなことするはずないもん」
以前立ち寄った時にはそんな話はしてこなかった。
「それにお金……」
「報酬のことなら必要ない、すでに半分貰ってるから」
(貰ってる??)
「待ってもう一つ」
「まだ何か?」
「なんでアタシの名前」
八花はきょとんとしてからフッと笑った。
「そのうち分かるよ」
意味深に笑うと強引にこの話を終わらせた。
⁂
「今夜行くから緋天、準備しておいて」
何処か少年のようにキラキラした目で「はい」と頷く。
「あのアタシはどうすれば……」
そうだね、と肩肘をついて十夜を見た。
「君についてはすでに依頼のこともあることだし、何もしなくていい。日が上っている内に家に帰りなさい」
「でも」
「それと」
十夜を遮って「今日一日は絶対家の敷地から出ないこと」と付け加えられた。
「アタシも行っちゃダメですか?」
おずおずと聞いてみた。
その瞬間。
「どうして君を連れて行かないといけない? 君は自分の足にあるものすら視えてない、足手纏いのその足はいざという時に仲間を置いていけるほど速く走れるのかい?」
氷のような八花の言葉が突き刺さる。
「君は言われた通り家にいて」
念押しされこれ以上の言葉は必要ないとでもいうように八花はお店の奥へと消えていった。
静けさの戻った店内。
「……」
何も言い返せなかった。
スカートの上でギュッと拳を握った。
「十夜さん申し訳ございません。口が悪いですが八花さんは貴女のことを心配してるんです。いつも言葉が足りないし、きついので誤解されやすいですけど、あれはあの人なりの気遣いなんです」
八花の言った通りだ。
自分には何も出来ない。足手纏いになるのが目に見えている。
だけど。
(そんなこと百も承知で言ったんだよ)
「ねえ緋天さん…――――」
俯いていた顔を上げた。
その顔は憑き物が落ちたような清々しいものだった。
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