【第15話】真実過去
「やめてよ!!」
テーブルを強く叩いた。
十夜は青褪めて血の気のなくなった顔でわなわなと震えていた。
「なんで……そんな話聞かせるの? 私は聞きたくないって何度も言ってたじゃん」
尋常じゃない様子の十夜をみても少しも心を乱すことなく淡々と言った。
「君の見た話と噂の内容に似ている所があったからね。耳に入れておいてもいいかと思ったんだ。それが君の為にもなる」
「君の為になるって何がよ」
白々しい、何でも見透かしたように。
「私は噂自体あまり興味はないんだけど、こういう仕事をしてると知人からそういう類の情報が回ってくるんだ」
「それで?」
「その様子からして君もその噂を信じてその廃神社に行った口かな。そんな危ない噂があるっていうのによく行ったねたかが噂なのに」
(――たかが?)
その言葉にカッとなった。
「たかがって言った? たかが噂って、アンタに、アンタに何が分かんのよ何も知らないくせに!! ……ただ、アタシは、あそこに行っただけで願いごとなんて……あ!」
口が滑った。
八花の「やっぱり」という顔に悔しそうに唇を噛んだ。
「君、性格悪いって言われない?」
「特に言われたことはないかな」
嫌味すら届かなかった。
さらなる追い打ちに急に体から力が抜けて抜け殻のようにソファに座り込んだ。
「……――その人の願い事は叶ったの?」
「その知人は神社に行ってないよ。職業柄そういう話が聞こえてしまうらしいけど、何人かは本当に願いが叶ったとは言っていたし、ちゃんと生きてる」
「そう、だよね。そりゃそうだよね……願ったんだもん」
俯く十夜に「話してくれますか?」と緋天が優しく聞いた。もう腹も立たなかった。
ここまで取り乱した以上もう隠す必要もない。
(この店ってなんだっけ、祓い屋とか言ってなかったっけ?)
不思議なお店に不思議な店主、美形な店員。
(ここならもしかしてどうにか出来る? この足のこと……)
「……――今から話すことは誰にも言ったことない。ずっと隠してたことだし、思うように言えないかもだけど、それでもいいよね」
⁂
十夜と陸上競技の出会いは遅く十夜が中学に上がってからだった。
興味本意で足を踏み入れ単純に走ることの楽しさを知ってしまった世界こそが、十夜の今後の人生を決めてしまった。
十夜は中学在学時、様々な大会に出場しては優勝を飾り【彗星の如く現れた期待の新星、夏目十夜!】と地元の新聞にも大きく取り上げれたほどだった。
「アタシ中学からずっと陸上部で自分が飛び抜けて足が速いとか考えたこともなかったけど、周りからは期待のエースなんて呼ばれてた。アタシはただ走るのが好きで、兎に角走れれば何でもよかった」
走ることに快感を得た十夜は当然高校に上がっても走ることは止めなかった。勝つことに酔いしれていた。その負けん気の強さ、貪欲さにある者は恐怖すら覚えたらしい。
しかしその速すぎる成長の裏では同じ部活で切磋琢磨する筈の生徒からは羨望と嫉妬を向けられていたことも十夜は知っていた。けどそれは勝ち続ける者の副作用なのだと教師から教わりそういうものだと思っていた。
「まあ今思えばそれを鵜呑みにしてすごく天狗になってたんだと思う。勝つことと先頭を走ることばっかりで、こうなってからはアタシの周りには何も残らなかった」
十夜はソファから立ち上がって、二人に見えやすいよう移動した。
「笑えますよね、その結果がこれです」
履いていたハイソックスを一気に足首までずらした。
右膝から足首にかけての大きな手術痕。目を背けたくなるような傷に十夜は忌々し気に右足を叩いた。
「インハイに行けることが決まった大会の帰り道、アタシ……怪我しちゃった」
去年の春の終わり、約一年前。
陸上インハイ出場をかけた数々の大会を破竹の勢いで周りの高校生を圧倒しながら成績上位者の枠に食い込み、見事インハイ出場の切符を得た帰りの出来事だった。
当時見晴らしのいい歩道を歩いていた、空も陰っていたくらいでそれほど天気が悪いわけでもなかった。そのあと急に前から物凄い衝撃が襲ったことしか覚えていなかった。
その日どうやって家に帰ったのか覚えておらず、目が覚めたら病院のベッドの上だった。
「怪我の割には筋肉とか思ったほどダメージはなくて、骨は折れてたけど育ち盛りだし直ぐにくっつくって医者に言われた。二度と歩けないとか、もう走れないとか、そんな大それた怪我じゃなくて家族も皆ホッとしてた。それでオペしてリハビリして…、リハビリして…――そんなことやってるうちに、インハイ終わっちゃってた」
二人は口を挟まず黙って聞いていた。
「最初は一日でも早く足を治して部活に行くつもりだった。でも入院して落ちた筋肉は中中元に戻らなくて、一度だけ先生に内緒で部活に出てグラウンド走ったの。最初は痛かったし、凄く楽しかったし、久しぶりに走れて入院してジメジメしてた気持ちも吹き飛ぶくらい。だけど普段だったら何ともないところで息が切れはじめて、前までアタシと張り合ったこともないような子にも簡単に負けちゃって。凄く……ショックだった。その頃かな、いざ走ろうとすると足が急に重くなるの。何かに巻き付かれたように重くなって、痛くない筈の足が痛くなってきて。思うように走れなくなった」
医者からは事故にあった
「酷い傷が残るのはしょうがないけど靴下で何とか隠せるし別に気にしないし。陸上以外の生活は普段通り問題なく過ごせてるのに」
一見すると怪我をした前とほとんど変わらない。
そう、走ることさえしなかったら。
そんな状態の十夜だとは誰も知るはずもなく「エース」に期待をしていた外野が黙っていなかった。陸上部の生徒からしたら「やる気はあるのか」「練習しなくてもあいつは余裕なんだ」とそう思われても仕方なかった。
見た目には治っているから。
「前から部員の陰口は聞こえてたけど気にしたこともなかった。でもまさか先生にも甘えてるだとか、頑張れとか言うだけでアタシの話なんて誰も聞こうともしてくれなかった、全然理解してくれなかった。アタシだって行けるもんなら部活行きたかったって言い返したかった。だけど色んなことがありすぎてホントに……きつかった」
走れない自分に一番腹が立っていたのは他でもない自分なのに。
聞こえてくるのは親友や幼馴染の心配な言葉よりも、圧倒的な他者の誹謗中傷だった。
弱った
「ま、そんなわけで逃げ出したアタシは退部届を出す勇気もなくて、今や陸上部の幽霊部員となったのでした。よく分かんないものに悩まされてるのに自分が幽霊部員とか、ハ、ハハッ…なんか笑えますよね」
自分からこんな笑いが出るのかと、自嘲を帯びた悲しい笑いだった。
そうでもしないと自分が自分を保っていられないような気がした。散々人に迷惑をかけた十夜が編み出したのは「何でもないフリ」をすること。陸上を諦めたフリをすることだった。そういう風に無理して自分を偽っていた。
「十夜さんは陸上部に戻りたいんですか?」
どうでしょう、と困ったように笑った。
「走るのは好きだったけど段々大会に出て良い成績出さなきゃっていう他人からの見えないプレッシャーが半端なくて。あ、一つ良かったのはそれが無くなったことですかね」
はは、と乾いた笑いが零れた。
「いつの間にかこんなに伸びちゃったな」
肩まで伸びた襟足を切なげに触れた。
高校生という限られた時間の中でそれはあまりにも残酷で、無情にも過ぎてしまった証だった。
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