【第9話】十夜過去
●〇●〇●
去年の夏、インハイ出場が決まった大会の後の予期せぬ事故だった。
帰宅した十夜が文字通りボロボロになって玄関先で倒れていたのを家族が見つけたそうだ。頭から血を流し、至る所に打撲痕や擦過傷、特に右膝の傷が酷かったらしく、しばらく入院するほどだった。
発見時の状態からどうやら自動車に轢かれた可能性があり、すぐさま警察が介入していたが目ぼしい目撃情報もなく犯人も見つからず、曖昧な結果に終わってしまった。
そうなった原因の一つとして頑なに十夜が何も話さなかったからだ。
噂では「男に襲われてその時の記憶を失くしている」だとか「同じ短距離走の選手から報復」中には「自作自演」とまで言われ、根も葉もない噂が後を立たなかった。
十夜の名が有名であればあるほど噂などという見えない凶器に晒され続ける。そのせいか十夜は実際に放っておいたら何をしでかすかわからないそんな状態だった。
幼馴染みとして自然と亮平は学校のある日は毎日十夜を家まで迎えにいくようになっていた。
同じくして噂から守る様に隣のクラスだった真莉も心配で昔のように三人で過ごすことも少なくなかった。
それを周囲にはよく茶化されていたが全て無視した、それに冗談でも人の不幸を喜ぶような奴とは縁を切った。
(馬鹿にみたいに明るくて、煩くて、精神図太い根性持ちの
兄妹のように育った仲だ。親しい人がそうなれば誰でも手を伸ばすのが普通だと思っている。男も女も関係ない。
(ってそう思わせたのがあいつだったしな)
最近じゃ少し戻ってきた十夜でもたまにオドオドしたり、何かに怯える姿をみることもある。
(一体あいつは何を見たんだ)
今でも陸上を諦めてないと思ってるのは俺だけか。
しつこいと言われても仕方ないくらい「部活に戻らないか」と会うたびに聞いている。それが十夜を苦しめていると分かっているけれど拒否されることはない一方で十夜からは未だに返事はない。
「――い、聞いてるか~?」
「……あ、
肩をすくませて足立がクイッと首を動かした。
学校の敷地を囲うように植木が何本も生えていてその隙間から見え隠れする外を走る女子生徒達。その中で本来の十夜の実力ならたかだか5周の外周を風のように駆け抜けてくのだが――今は。
植木から見えるだけでもどんどん他の女子生徒に追い抜かれていく十夜の姿だった。
「怪我……完治してるんじゃなかったのか?」
「完治してるって本人は言ってるぞ」
「ならなんであんな――」
「余裕だな」
振り向くとサッカーボールを持った桐谷だった。
授業をサボっている自分達のことかと思ったがどうやら違うらしい。
「夏目のあの走り…見てられない」
「またお前は、余裕がないからあの走りなんだろ」
「どうかな。足の怪我が治ってるなら練習すればいい。俺なら走れなくても練習には出る、お前もそうだろ? なのにあいつは部活すら来ない」
見ろあの体たらく、と運動が苦手な真莉にも抜かれていた。
「あいつの本来の実力なら絶対抜かれる筈のない奴にも抜かされて。あいつは陸上部のプライドすらないのか」
馬鹿にしてる、と憤慨していた。
「えっと…」
足立が首を傾げて亮平に助けを求めた。
「これ桐谷。見て分かる通り陸上部なの、こいつは高校から短距離走るようになったやつだから過去の記録はそんなにないけど今はもう群を抜いて速い奴」
雑な説明にも陸上部のことは何となく知っていたらしく「あの桐谷君か」と納得していた。
「俺は足立、俺も中学時代陸上やってたんだ。よろしく」
友好的な足立に対して桐谷はスッと鋭い一瞥をくべただけだった。
「そうか。あんたも陸上部だったみただけどなんで今はやらないんだ?」
「親に進学しろってさ。俺も続けたかったけど……ここなら進学にも力入れてるし、部活する時間があるなら勉強しろって、まあそんな感じ?」
(あ、ヤバイ)
聞いた瞬間、桐谷は侮蔑を込めた目で足立を見た。
「お前は親に言われれば自分のやりたいことでも曲げるのか?」
「は?」
「おいおいやめろって二人とも」
不穏な雰囲気を察知した亮平が間に割って入ったが効果はなかった。
足立も桐谷の言葉にカチンときて苛立ったように言った。
「……なんであんたにそんなこと言われなきゃならないんだ? 俺には俺の事情がある。中学陸上やってたら高校でも陸上をやる奴ばっかりじゃねぇよ」
「――そうだな残念だ。お前らもサボってないでやれよ、真面目に」
そう言って意外とすんなり輪から外れていった。
足立の「何なのあれ?」という顔には見覚えがある。それに突っかかる普段通りの桐谷にも。思わず亮平の口から溜め息が漏れた。
「悪いな、あいつ超が付くほど陸上馬鹿なんだ。何と言いますか――陸上競技を少しでも齧ってた奴に対して異様な敵対心を出すというか、ライバル視するっていうか……ちょっと面倒くさい奴なんだけど。まあだからああして部活に来ない十夜に対しては評価がかなりシビアなのよ。それに対して言い返さないのも
「なんでそんなに?」
「
十夜の部活に来れない理由にそれもあるんじゃないかと思う。
(お互い変に頑固だからな。隼も戻ってきて欲しいならその態度と言い方止めればいいのに)
部活に来い来い言っている亮平が言うことでもないが。
「お前よく見てるな。さすが幼馴染ってやつか?」
何故か感心された。
「でも本当に何も知らないのか夏目さんのこと?」
「だからわかんねえって。初めは部活に来たこともあったんだけど、そのうちあいつは来なくなった。何度聞いても『怪我が悪化したから』なんて言って逃げるんだ。最初は本気にしてたけど、これだけ経てばさすがに分かるだろ傷は治ってる。あと幼馴染の勘だけど十夜は走ることは諦めてねぇと思う。だから俺は頻繁にあいつを部活に誘ってるんだけど中々な~」
「走るのに邪魔」と言っていたショートヘアが亮平の知らない内に肩まで伸びていた。それに怪我を境に対人恐怖症とまではいかないものの人と話すことが苦手になっていた。仲のいい友達とはそれが見られないが誰にでも物怖じしない十夜にしては口数もぐっと減った。
怪我以外にも十夜にはそういう変化があった。
性格が変わってしまうほどの何かがあった。それは分かっているのに。
「よく見てても何も出来ないのは歯痒いわ」
「何か言ったか?」
何でも~、と言いながらふと気になった。
「ところで足立君はさ」
「足立でいいよ、もしくは
この歳で君とかさすがにキモイよな、と大袈裟に笑っていた。
「……じゃあ和で、俺も島風でも名前でもどっちでも呼んで」
「はいよ亮平、でナニ?」
「なんで急に十夜のこと知りたいなんて思った訳?」
何の悪意もなく普通に質問をしただけだった。
直ぐに返事が返ってくると思っていた亮平は和の「グェッ!」と蛙が潰れたような声に動揺した。
「え、何だよ大丈夫か?」
「え、あ、いやその…急でもないっていうか…」
「今更聞くなよ」と口の中でもごもご呟いた。
聞き耳を立てていた和と同じクラスの生徒が聞いてもいないのに亮平に耳打ちした。
「こいつな、夏目のファンだってよ」
「……………………………は?」
「ちょッ、待っ、お前!」
心の準備もないままいきなり暴露された和は「馬鹿野郎!」と顔を赤くしてその生徒の口を塞ぎにかかった。
「ファン?」
亮平の耳に入った後ではその行動は今更遅かった。亮平は信じられないものを見る目で和を見た。
「ファン?」
もう一度言った。
「いや、まあ……そうなんだけど、別に好きとかじゃなくてだな。昔一度だけ走ってる姿を見たことあってそれがすげぇ綺麗な走りだなって、だから別に夏目さんが好きなわけでは……」
早口で捲し立てる姿に亮平は合点がいった。
(分かりやす)
「夏目は何というかアスリートだよな。なんかもう無駄な肉とかない感じ?」
和の話から十夜の話にすり替わる。
「そうだなスレンダーだし。前から女女してないけど、今は割と大人しいよな? 髪が伸びたからそう見えるだけかもだけど」
「じゃあ足立の一番は夏目っと」
誰かが茶化して和はさらに顔を赤くしてそっぽを向いた。
おかげでこっちに視線を向ける体育教師にいち早く気付いた和と釣られてこの場を去ろうとした亮平は立ち上がった。
グラウンドに戻った二人は何事もなかったように
チラッと体育教師を見るとまだグラウンドの隅でたむろしていた生徒の輪に怒鳴り込んで行ったのをみて、内心ホッとしていたところに和が神妙な顔して言ってきた。
「俺さあ中学の頃の夏目さんの走りが忘れられないんだ。それほどあの人は凄かったし、当時の短距離勢のカリスマだった。俺はファンとして夏目さんに早く戻ってきて欲しいのが本音なんだよ。繰り返しになるけど俺には俺の理由があるように、夏目さんにも夏目さんなりの理由があるんだよな――陸上部に戻れないって理由が」
「……そう、だな」
それは亮平も、口にはしないけどきっと桐谷だってそれはわかっている。あの走りを知っている人なら誰しもが十夜にまた期待してしまうだろう。
幼馴染が言うのも何だが十夜は【走っている時が一番】だと言える。
(一生言うつもりはないけど)
「ちなみにさあ、お前の一番は?」
和の言う一番というのはイコール好きな人と言いたいのだろうが。
「言う訳ないだろ?」
「ってことはいるわけだな?」
和がニヤニヤする。
「どこかのお前と違って誰にも言ってないからな俺のは。バレる心配もないってことだ」
「ほお~大した自信ですこと」
誰かなぁ、と考え込んでいる和をほくそ笑んでいると足元にサッカーボールが転がってきた。クラスメイトが「そのまま入れろー」「蹴れー」と口々に言ってきた。和には悪いがこのまま初得点のゴールだ。
あまりサッカーは上手くないが蹴るだけなら出来る。
転がってきたボールを向こうのゴール目掛けて蹴り飛ばした。
「あ」
そういえば俺のチームのゴール、こっちだった。
まさかのオウンゴールを決めそのまま終了の笛が鳴った。
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