【第4話】予想外店
「八花さんの紛らわしい恰好のせいですよ」
「私のせいじゃないよ気付いたら自分の服がなかったんだ。しょうがなく君の服を借りたんだけど、君、また大きくなったんじゃないか」
「昨日洗濯するっていいましたよ、ちゃんと聞いてましたか?」
沢山空いているテーブルに二人共々座って口喧嘩をしているのを他所に十夜といえばカウンターで突っ伏していた。自分の考えていたことが間違いだったと気付かされ、恥ずかしさのあまり顔を上げられなくなっていた。
どうやらここは喫茶店であった場所を内装はそのままで新たに別のお店を構えたらしい。一階全体をそのまま応接間として使っているのでテーブルやイスが片づけられていたそうだ。十夜の勘違いしていたことも店員から綺麗に訂正され恥ずかしい思いをさせた。
「うちの二人がすまなかったね」
突っ伏していた顔の横にコトッと湯気の立った湯飲みが置かれた。
「いえ…その、こっちが勝手に勘違いしただけですので。あ、お茶ありがとうございます」
ずずず、と熱いお茶が喉に沁みる。
実はもう一人この騒動を聞きつけてお店の奥から現れた着流し姿がよく似合う朧という男だった。この中では一番の年長者であった。
「八花いい加減に着替えてきなさい」
未だにシャツ一枚だけの八花にカウンターから声をかけた。
「分かったよ、あとでね――」
「緋天あとはお願いしますね」
有無を言わさず朧にそう言われ緋天もイスから立ち上がった。それに後回しにしたら絶対にしないのを知っている身として着替えについて全くの同意だった。八花を無理やり立たせ共に奥へと連れていかれた。
(きっとこの人が店主なんだろうな)
大人のように振る舞っていた緋天すらも八花と関わると精神年齢が下がってしまうのだろうか。その二人を意図も簡単に言うことを聞かせている技量からして一目瞭然だった。
ジッと着流しの朧を見た。女なら誰でも憧れる艶のある真っ直ぐな長い髪を一括りにして肩から前に垂らす姿が様になっていて緋天同様に見惚れてしまう。
人畜無害そうな朧に少しだけ安心したのも束の間。
「……」
「………」
シーンと静まり返った店内に朧と二人だけ。
「………」
「………………」
お茶をすする音が異様に響く。
(会話がない)
急に静かになった店内であまり喋らない人なのか朧も静かに微笑んでいるだけだった。
(そもそもアタシなんでここでお茶なんて飲んでるんだろ)
結局喫茶店でないことが分かったが具体的に何をする店なのかは未だに知らないままだ。
沈黙でいるのにも耐え切れなくなった十夜は控えめに朧に聞いていた。
「あの朧さん、このお店って結局何のお店なんですか?」
「……」
朧はただ黙って笑って見つめ返すだけだった。
「あの…朧さん?」
待てども待てども一向に返事がない。まるでネジが切れてしまった人形のようにそこに立っている朧に遅れて違和感が襲ってくる。
「あの」
手の中に納まる湯飲みは喉が渇いてたせいで知らずに飲み干してしまっていた。
「……あの、私帰りますね。二人には勘違いして、本当にごめんなさいって伝えてください」
「……」
頷きもせずにただただ微笑み返すだけの朧に無理やり口の端を上げた。鞄を掴み急いでお店の玄関まで走った。
「ねぇ君」
ビクゥと体が跳ねた。
今の声はカウンターにいる朧のでも緋天の声でもなかった。
肩越しに振向いたらいつ戻ってきたのか店内には着替えた八花が立っていた。
「もう帰るの?」
「うん…もう遅いし。家の人が心配するから、あ、さっきは勘違いしてごめんね」
それじゃあ、とそそくさと入り口にいく十夜の背中に向けられた。
「そのままで何もせず帰ったら近いうちに――君死ぬかもしれないよ」
それはあの占い師にも言われた台詞とほとんど同じだった。
今日の事は誰も知らない。勿論十夜も言った覚えはない。今すぐ出ていくという選択肢もあった。すでに手にしている入り口の扉の取っ手、しかし得体の知れない八花にまるで操られているかのようにドアの取っ手から手を離した。
「どうして君がそれを知ってるの?」
「なんでって、それがこの店だから」
それですべてが解決すると思っているのか、質問の答えになってない。
「朧もういいよ、店主のフリご苦労様」
何を言われることかと思っていた十夜ではなくカウンターにいる朧へと向けられた。ずっと話しかけても石のように動かず喋らなかった朧が、主人の命に従うように恭しく頭を下げ緋天と入れ違いでお店の奥へと消えていった。
「どういうこと?」
これじゃあまるで――
「君はよく見た目に騙されるね。その騙されやすさも目を逸らしたくなるような正義感も嫌いではないし、それは別に悪いことでもない。だけどここでは自分の見えるものも、感覚も、常識も全て当てに出来ない」
八花が可笑しそうに笑っていた。
「どいうことなのか説明してよ。あの人が店主じゃないなら、誰が一体」
一瞬の
(緑色?)
ずっと黒かった八花の瞳は鮮やかな翡翠色に変わっていた。
「紹介が遅れたね。私がこの店、あやかし堂の二代目店主、
以後お見知りおきを、と翡翠色の瞳を細めながらほくそ笑んだ。見た目にそぐわない大人の笑みが背筋をゾクッとさせる。
全てを見透かすような神秘的な瞳が十夜をしっかりと捉えていた。
⁂
夕暮れのような照明に照らされる不思議な空間で、交わることも霞むこともなく、異彩を放つ翡翠色の瞳に見惚れていたのを隠すように。
「あんたさっきまで目、黒かったよね。カラコン? それとも手品?」
驚かされたのもなんだか癪で小馬鹿にしたように言い返した。
視線の意味に気付き「ああこれか」と目元に手を翳した。
「昔チェンジリングにあってね、向こう側に行って以来ずっとこの目だ」
は?
「向こう側? チェンジ、リング?」
意味が分からなかった。
「知らないかい? チェンジリングは日本語で取り替え子といって生まれたばかりの人間の子供を妖精が攫っていく代わりにその妖精の子供を置いていく。それがチェンジリング、私は幼いころに妖精に連れ去られ、そして助け出された
それが常識だとでも言いたいのか。緋天に助けを求めたが、八花の言うことを咎めるわけでも話を割って入る様子もなかった。
「……妖精って本気で言ってるの?」
「君に嘘を言って何か得でもあるかい?」
十夜は何も言わなかった。聞いた話は到底信じられないし信憑性もない。
「どうでもいいけど結局このお店は何なの? 手品のお店? それともその目で未来でも見通せるような占いのお店なの?」
十夜が座っていたカウンターの席に腰を下ろした八花がくるくるとイスを回転させた。
「ここはね必要だと感じた人が訪れる店なんだよ」
「は?」
十夜の質問には答えず、さらに意味不明なことを言い続ける。
「君みたいに人に言えないようなことを抱えてる人が来る。ヒト以外の悩みを抱えてる人が来る。その中にはヒトだけじゃなく妖もいるけどね」
「一体何を言ってるの?」
まるでチェシャ猫の笑みのように、にんまりと笑った。
「――君、何か困ってるんだろう。他人に言っても鼻で笑われてしまうような、相談しても絶対信じてもらえない、そんな内容で」
十夜の強張った表情を見た八花が可笑しそうに歯を見せて笑った。それは先程と打って変わって子供らしい笑い方だった。
「……なんで、そう思うの?」
自分で自分の首を締めている気がする。さっきまで潤っていた筈の口の中が緊張でカラカラに乾いていって唇から出るのは掠れたような声だった。
「何故って? それは私が真実を見通す目を持ってるから」
言っていることの半分も理解出来ないのに、この少年に底知れない何かをひしひしと感じていた。
「君には一体何が見えてるの?」
口が滑った。慌てて口を塞ぐがもう遅い。
「この世に生まれ落ち、そこに
スッと翡翠の瞳が細められ十夜の右足を捉えた。
「えらいものに憑かれてるね、黒いもやが君の足を巻き付いているよ」
「!!」
今度こそ声は出なかった。よろめいた拍子に背中が扉にぶつかってカウベルが一つ鳴った。
「放っておけば君は確実にこの世から消えてしまうよ?」
十夜の恐怖は音を立てて限界を迎えた。
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