【第3話】 妖堂謎


「あ、あやかし?」

 聞き慣れない店名だった。それだけでは何の店なのか分からない十夜へと教えるようにこう言った。

「ここは人に飲食を提供するような憩いの店ではないということです」

 まあ人によっては憩いの場かもしれませんがね、と笑った。その笑みさえ眩しい。

「え、っと……あ、店員さんってもしかして外国の血が混じってますか?」

 得体の知れない雰囲気オーラで迫る店員に動揺を見せまいと曖昧に笑い返しながら、必死で話題を逸らそうとしていた。

「なんか生粋の日本人には見えないかな~って」

「おやよく分かりましたね、その通りです。と言っても4分の1程度のものなのですが私には色濃く外国の血が出てしまって。これでも一応戸籍上は日本人ですよ私」

 4分の1、つまりクォーターだと言う店員は急な話題替えにもすぐさま対応する有能さを持っていた。しかも店員はその手の話題には慣れているようで困った様子を微塵も見せなかった。

「そ、そうなんですね、だからそんな素敵な見た目をなさって……!」

 手元の感触が変わった。

「震えてますねそんなに怖がらなくてもいいのに。怖いことなんて、むしろ貴女にとっては都合のいい話だと思うのですが」

 今まで手の甲にソッと乗せるだけだった店員の手が十夜の手を持ちあげたのだ。それはまるで絵本や映画のシーンでよく見る王子様の仕草。

(――手、手、手!!)

 店員が何を言ってるのかもうさっぱり理解出来なかった。普通の恐怖と似てるけどどこか違う、よく分からない感情を前にして十夜にはこの刺激は強すぎた。見知らぬ大人の男に対する耐性はあまりにも低く軽く限界値を超えていた。

「私、か、帰ります!!!」

 耐え切れずイスから飛び上がって「ありがとうございました!」と自分でも何を口走ってるか分からないほど取り乱していた。

「もうですか? まだ来たばかりじゃないですか」

 十夜の手は店員の大きな手にすっぽりと納まり身動きが取れなくなっていた。

「は、離してください」

「この手を離したら貴女はここにいてくれますか?」

 縋るような目。まるで見捨てらた子犬のようじゃないか。

(大人の男の人なのに、なんで…なんで、そんな目するの)

 これ以上見ないように目を逸らしてしまった。

 冷静になれ、と十夜は自分を叱咤した。

 そうじゃない、今のこの状態を冷静に判断しろ、と自分に投げかけた。 

 今思えば路地裏にひっそりと隠れるようにあるお店がこんな時間から営業を始めること自体がおかしいのだ。しかも女を逃がさないという今の状況を繋げた今。

 十夜の脳裏に嫌な想像が巡った。

「……この店ってどういう人が来るんですか?」

 唐突に質問してくるお客にもすぐに対応するのはさっきの件でよく知っていた。

「ここですか? う~ん、そうですね……言われてみれば、人には言えないような悩みを抱えた方が多いですかね?」

 十夜の脳髄に電撃が走った。

 すっぽりと包まれている十夜の手が知らず知らずに小さく震えていく。

「どうされました?」

 その震えは当然店員にも伝わり心配そうに顔を覗き込んでくる。

 (やっぱりこんな路地裏のお店で道を聞こうとしたのがいけなかったんだ)

 人身売買か薬か、売春か。もしかしたら今日この日にも。

(お父さんお母さん、姉ちゃん兄ちゃん、親不孝、姉弟不孝な私をどうか許してください)

 大の大人に高校生の自分が敵うわけない。逃げられないと観念した十夜が逃げ出そうとしていた手の力を弱めた。

 ホッとしたのも束の間、十夜の顔を見た店員がギョッとしたように目を見開いた。

(なに?)

 十夜の視界は涙ですっかりぼやけてしまってもうすぐ決壊寸前だった。今まで余裕すらあった店員のオロオロと困った様子が逆に意味が分からなかった。

「ちょ、なんで泣いて」

「緋天、誰かいるの?」

 ぼやけた視界の中、店員が最初に現れた店の奥から年若い声を聞いた。


 ⁂


 店員の背後から見知らぬもう一人の人物が現れた。

 十夜よりも少し年下のように見える。襟足に揃えられた短い黒髪は寝ぐせのせいか、ふわふわとして何処となくその子に黒猫のような印象を受けた。

 店員と同じ無地のシャツを着てはいるが見るからに長く大きすぎる袖からは指先しか出てなかった。しかも下にはスキニーやパンツは愚か何も穿いていないその姿に二人は同時に固まった。

 その子が十夜と店員を交互に見て何故か鼻で笑った。

、君もそういう年頃なのは分かるけどせめて私がいない時にやってくれ」

 ふあぁ~っと欠伸を噛み殺す。いち早く我に返ったのは店員で十夜からその子を隠すように視線を遮り詰め寄った。

「ち、ちが…違うんです、誤解です! ってそうじゃない八花さんお客さんの前でなんて格好してるんですか!」

「ふあああ~…え、なに? 別にそれ自体否定するつもりはないし、保護者として君の年齢だってちゃんと把握してるつもりだよ。女の四人や五人いても問題ない、まあ泣かせるのはどうかと思うけど…あ、もしかしてそーゆープレイだった?」

 際どいことを言う子に対して「プレイって!」と店員が耳まで真っ赤に染めていた。

「し、四・五人は多いと思いますし。っていうかそもそもが考えてること自体が誤解で」ごにょごにょ言い訳をしている店員にとうとう我慢できず悲鳴をあげた。

「……――こ、こんな子供まで…。なんて酷い!」

 その子に散々手を焼いていた店員にさらに追い打ちをかけるような十夜の叫びに「貴女も何を言ってるんですか!?」何処か余裕のあった店員からそれは消えた。

 そんな店員を無視して素早く駆け寄った。

「ねぇはっか君だっけ? 君も一緒に逃げようそれで交番に行ってこの場所のことも店員さんのことも全部話して、逮捕してもらお?」

「いや、私は……」

 寝起きだった目は今は大きく見開かれていた。

「そういう風に言えって言わされてるの? 大丈夫だから私が何とかするよ。あ、そんな恰好じゃ人目につくよね」

 鞄に入っていたジャージをシャツ一枚だけだった八花に羽織らせた。

「酷い目に合ってきたと思うけどもう少しだけ我慢してね」

「……」

 肩に掛けられたジャージを珍しいものでも見たようにしげしげと眺めた。

 十夜はそんな八花の手を掴んで――

「ちょ、ちょっと待って下さい!」

 八花の手を掴んだ十夜の手をさらに店員が掴んだ。

「貴女は何か勘違いしてる!」

「勘違いなんてしてませんよ。この店の本当の姿、喫茶店と思わせてイケメンな店員さんを使って女の人を売る怪しげな、大人の…そういうお店なんでしょ! この子の恰好を見れば一目瞭然です」

 「いえ、だから…」

 尚も言い募る店員を押し退けようした時、背後で盛大に噴き出した。

「あははははははは、き、聞いたかい緋天。この店風俗か何かと勘違いしてるよ、この私を捕まえて、一緒に逃げようって…」

 面白過ぎる、とヒィヒィ言いながら腹を抱えて笑っている八花に「笑い事じゃないです」と溜息を吐いて額に手を当てた店員。

 ポカンと正反対の反応をみせる二人を前に呆然としていると店員が控えめにこう言ってきた。

「えっと…私達の間には大きな隔たりがあるようですね」

 ポンッと優しく肩を叩かれた。


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