【第5話】路地裏再来白狐
お店を飛び出していた。
背後でカウベルがガランガランとけたたましく鳴り響いたけど構っていられなかった。道端には空き瓶や空箱やプラスチックのケースが相変わらず転がっていて、これ以上走りにくいものはない。
来た時とはまた別の路地だったことに十夜は舌打ちを溢したが今更あのお店に戻ってまで元来た道に戻ろうとは思わなかった。
(ここから離れなくちゃ)
これだけが今の十夜の頭を占めていた。
何度目かの曲がり角を一気に走り抜けようとして何か固いものにぶつかった。
「きゃ!」と短い悲鳴のあと、ぶつかった反動でバランスが崩れ倒れそうになった体を強引に腰ごと支えられた。
痛む足もあって全力で走った体を、息を、整える時間がしばらく必要だった。
さすがにこんな路地の地面には理由があっても転びたくない、と考えられるくらい頭が冷えた。
「ありがとうございました、助けてもらって……」
お礼を言って気付いた。
あれだけ長時間誰とも擦れ違わなかったこの路地裏で。
こうも簡単に人と出会えるものだろうか。
「あ、の。私、急ぐのでこれで…」
自然の成り行きを装いその人から離れようとした。
「ちゃんと前をみて走らないと危ないですよ」
聞き覚えのある声にバッと顔を上げると困ったように眉を下げる緋天が十夜を見下ろしていた。
「緋、天さん」
(嘘)
お店を出たのはついさっき、背後から追ってくるならいざ知らずどうして十夜の走ってくるより前にいたのか。
足音に気付けないほど周りが見えていなかったのかもしれないけど、それにしては緋天は一呼吸すら乱れていなかった。
「あ、怖がらないでください。けして無意味に追いかけてきたわけじゃありません。私は八花さんから貴女へ伝言を届けに来ただけなんです」
強張った体に気付いて十夜から離れた。
「伝言?」
緋天は自分のいた路地の先を指差した。
『このまま進んで突き当りを左に、少し行くと壊れた自動販売機があるからそのすぐ横に人が一人分の通れるくらいの隙間を突っ切れば大通りだ。道中絶対に振り返ってはいけないよ。それじゃあ、今度は迷わないように気を付けて』
「――と八花さんからの伝言です」
八花は気付いていたのだ。十夜が道に迷ってあの店を訪れていたことを。
「……あ、りがとうございます」
逃げ出したような手前気まずい空気感にさっさとお礼を言って緋天の横を通り過ぎようとした時、右膝に鋭い痛みが走った。よろめく十夜に緋天が咄嗟に手を貸そうとしてパシンと乾いた音が響いた。
「あ」
叩かれた手を呆然と見下ろした緋天は嫌な顔一つせず「すいません」と逆に謝ってそのまま手を引込めた。
「足元にはお気を付けください」
きっと好意で助けてくれようとした手を無下にも叩いてしまった。それに逆に謝らせてしまった。謝るのはこっちの方なのに。
「あ、あの」
「お店での貴女を脅かすような発言、店主の八花に代わり私が謝罪します。申し訳ございませんでした」
深々と頭を上げられた。
「え、そ、それじゃああれは嘘?」
『えらいものに憑かれてるね、黒いもやが君の足を中心に巻き付いてる』
『このままだと君は確実にこの世から消えてしまうよ?』
しかし緋天は顔を上げ悲し気に首を横に振った。
「脅かすような発言でしたが、けして八花さんの言ったことに嘘偽りはありません。このまま帰られるならばどうか日々細心の注意を払ってお過ごしくださいませ」
すり抜けるようにいつの間にか十夜の背後に立っていた。
「もしも貴女が私達共々あのお店を思い出すことがありましたら、いつでもあやかし堂のベルを鳴らしてください。私達はあやかしに困ってる人をいつでも歓迎します」
そう言って十夜の走ってきた路地を戻るように角を曲がっていった。
「待って緋天さん!」
ハッと我に返った十夜が曲がり角に戻った時には、緋天の姿は跡形もなかった。
「…え?」
暗い路地だけがそこにあった。
⁂
「嘘」
緋天のいなくなった路地で呆然と立ち竦んでいたら、カタッと目の前のゴミ箱の上に何かが飛び乗った。予期せぬ音に路地の壁まで飛び退いた。
その物音にも動じずゴミ箱の上のソレは動かず何故か十夜を見続けている。
「白い……狐?」
近くに山や自然があるはずもないこんな
動物園でも見たことのない白い体毛の狐。こんな薄暗い雑多とした路地では白の狐は恐ろしいまでに神々しかった。
ふと雪のように白い狐の首には一段と似つかわしくないものが巻かれていた。解れと汚れが目立ち、何年も使っているのか本来の色から遠く色褪せくすんだ茶色にも見える子供向けのキャラクターが描かれたマフラーだった。もしかすると首輪の代わりなのだろうか。
「もしかしてこれもあのお店の何かなの?」
ジッと見つめてくる狐に気味の悪さを感じ、緋天に言われた通りの道に戻りながら『子供と車には気を付けよ』そんな声がこの狐から聞こえたような気がした。
これ以上の不思議なことは御免だと耳を塞いで壊れた自動販売機まで一度も振り返ることもせず走り去った。
その後ろ姿を白い狐がいつまでも見続けていた。
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