ノーガード作戦、もしくは女子大生が真理を得るまでの過程について
きさらぎみやび
ノーガード作戦、もしくは女子大生が真理を得るまでの過程について
相変わらず洗面所の窓が開いている。
大学生になって初めての一人暮らし。母親と一緒に不動産屋を3軒回り、悩みに悩んで決めたアパート。
白い外壁と落ち着いたトーンの壁紙が決め手だった。壁際にベッドを置いて、カーテンはこの色。本棚は迷った末に冷蔵庫の脇に収まった。
初日こそ自分のことを誰も知らない街にひとり、人の生活音が聞こえない環境にちょっとだけ涙目にもなったけど、大学が始まってからはやることが多すぎて若干パニックになりつつ寂しさを感じる暇もなくなって、気が付けば5月も半ばを過ぎていた。
「生活」というものを改めて一人でこなすようになって、憧れはあっという間に日常となり、家事というものの本質的なわずらわしさに気が付くと同時に実家というもののありがたさが身に染みるようになった。
ここでは誰も面倒を見てくれない。知らぬ間に誰かが気が付いて片づけてくれていたちょっとしたことも、全て自分でやるしかない。
目下の懸念は勝手に開いてしまう洗面所の窓である。
最初に夜中にバタンと大きな音を立てて開いた時は飛び上がるほどびっくりしたものだけど、慣れてくると「ああ、またか…」とあきらめというかうんざりとした気持ちが先に立つようになった。
「生活」をしてみないと分からないことがある、というのがわずか2か月弱の新米女子大生が得た真理である。
とにかくこいつをなんとかしなくてはならない。
幸いにもスーパーだのホームセンターだのは徒歩圏内にある恵まれた環境だ。自動車で20分も走らないとそれらにたどり着けない実家のロケーションとは異なり、対抗手段の準備には事欠かない。
敵は洗面所の窓。縦に長く、窓の下側が蝶番になっており、上側の留め具でばちっと嵌める方式のやつである。もちろん開いたとして90度倒れるわけではなく、スライド式の金具である角度で留まるようになっている。この角度が問題で、別にきちんと測ったわけではないが、60度くらいまで開くのである。うかつにも物件の下見の際にはノーマークだった箇所であるが、改めて開いた状態をまじまじと眺めてみて思うのだ。
この角度、開きすぎでは…?
そこで私はこの問題をなんとかすべく、以下の順序で作戦を実行した。
<作戦その①:つっぱり棒作戦>
窓が開いてしまうなら、途中で止めればよい。単純な話だ。
窓枠の幅を測り、適切な長さのつっぱり棒をホームセンターで購入(¥780)。
窓を開けた状態で角度を慎重に見極めながら上から10cm、下から30cmのベストな位置で水平方向に設置する。仮に窓が開いたとしてもつっぱり棒で止まるという寸法だ。風は抜けるが、手までは通らないという状態とあいなった窓を見て私はよしよしと頷いた。
しかしこの作戦はさっそくその日の夜に破綻した。
少々蒸し暑い日でベランダ側の窓を全開にしていたのがよくなかったのかもしれない。聞きなれたバタンという音がして嫌な予感に包まれながら洗面所を覗くと、やつは悠然といつもの60度を維持していた。
つっぱり棒は?と近づいてみるがどこにも見当たらない。
まさか、と思い窓の正面に鎮座する洗濯機(¥35,060)の下を覗くと、いた。哀れつっぱり棒は窓が開く勢いに敗北して窓枠から外れ、よりによって洗濯機の下へとダイブしてしまったものと推測される。どこから手を突っ込んでも届かない絶妙な位置につっぱり棒はとどまっており、映画なら非常に緊迫感のある展開である。
その日はふて寝を決め込んだことはいうまでもない。
<作戦その②:つっぱり棒+なんかの網作戦>
先日の敗北はつっぱり棒のみでは強度が足りなかったことに由来すると思われる。そこで更なる補強をもくろみ、再びホームセンターでつっぱり棒(¥780)、加えてなんかの網(¥264)、そしてガムテープ(¥293)を購入した。地味に高いぞつっぱり棒(¥780)。
新メンバーのなんかの網(¥264)は本来は園芸用に使うものらしい。まさか網も窓枠につけられることになると思わなかったろう。再びつっぱり棒をベスト位置に固定。更に窓枠を覆うようにして網をガムテープ(¥293)でペタペタと貼り付ける。無様にガムテープを貼られた落ち着いたトーンの壁紙が物悲しい。こんなはずでは無かったのに。
この作戦はうまくいったと思われた。最初の3日間は。
設置して3日目にサークルの飲み会から帰ってきた私が部屋の入り口で目にしたのは、全開となっている洗面所の窓だった。
もしや泥棒…?と恐る恐るドアノブを回すが、カギはしっかりとかかっている。そっとドアを開け、洗面所を見た私が目にしたのは失われたつっぱり棒(¥780)と下側のガムテープ(¥293)がはがれてプラプラと揺れている網(¥264)と誇らしげに全開(60度)となっている窓だった。
これでも強度が足りなかったか…。がっくりとうなだれながらむなしく用済みとなったガムテープをぺりぺりと剥がす。
つっぱり棒は再び洗濯機の下に潜り込んでしまった。覗くと先客のつっぱり棒と仲良く並んでいるのが見えた。彼らが再び日の目を見るのはおそらく私がこのアパートを去る時になるだろう。それまで私は洗濯機の下につっぱり棒を2本持つ女として過ごすことになる。この先彼氏ができてこのアパートに来る日が来たとしても、洗濯機の下にはつっぱり棒が2本あるのだ。悲しい。
<最終作戦:ノーガード作戦>
早くも最終作戦である。
先の失敗によりすっかり心を折られた私は最終作戦に出ることとした。すなわちノーガード作戦である。もはや何もしない。やつにまさにノーガードで挑むのである。
いちおう窓は閉めてしまえばいったんは閉まるのだ。必要な時に閉めて、仮に開いたとしてもまた閉めればいいのである。
考えてみればこのアパートはオートロック式の女子専用アパートなのだ。普通に考えて不審な人物が入り込む余地は少なく、加えて2階の端っこに私の部屋はある。あえて気にしなければどうということはないのではないか、というのが私がこの1週間のむなしい戦いで得た結論だった。
失われたもの(つっぱり棒×2(¥1,560))は大きいが、気持ちを切り替えてしまえばなんだか爽やかな気分となってくる。
…いや逆にこれはちょっとした飲み会のネタになるんじゃないか?
私に興味を持った男子がこの窓を見に来ることを口実に部屋に訪れるかもしれないじゃないか。
災い転じて福となす。生活の知恵とはまさにこのことかもしれない。
このように「生活」をしてみないと分からないことがある、というのがわずか2か月弱+1週間の新米女子大生が改めて得た真理である。皆様にもぜひお伝えしたい。
ちなみに閉まった状態から窓をさらに押し込むと「カチッ」と音がして、窓がしっかりと固定されることに気が付いたのは、私に初めての彼氏が出来てからのことだった。その時も変わらずつっぱり棒×2は洗濯機の下にいるままであったことはもちろん言うまでもない。
ノーガード作戦、もしくは女子大生が真理を得るまでの過程について きさらぎみやび @kisaragimiyabi
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