夜尿虐待

はおらーん

夜尿虐待


「…またアンタは、…しょして!…一体いつまで!……」


今朝もか…と憂鬱になる。週の半分はアパートの隣に住む家庭から激しい怒鳴り声と、女の子が泣きながら謝るような声が聞こえる。先月このファミリーハイツに越してきた母子家庭なのだが、どうも厳しいしつけの域を超えているように思う。実際に他の住民が通報したのか、早朝にパトカーが来ていたこともあるようだ。実際私も心配になって匿名で児童相談所に電話をしたことがある。事情は聴かれたが、匿名ということもあり訪問まではしてくれなかった。


「ひぃっ!…んなさい…」

「…さいになったと思ってんだ、もう…つなんて買いにいくの」


詳しくは聞き取れないが、母親が何に怒っているかはわかる。小学校高学年になる娘のおねしょが原因だ。詳しい病状まではわからないが、おそらく朝怒鳴っているのがおねしょ要因とするなら、週の半分はおねしょをしている計算になる。怒鳴り声の中身にも、いくつになたったんだ!いう声もよく聞こえる。何より、大通りからもよく見えるベランダには、よく布団やシーツが干されているのを見かけるのだ。


「おはよう。今日は暑いね~」

「おはようございます…」


その子とは朝出かける時間が被ることも多く、あいさつを交わす。内向的な子だなと思っているが、怒鳴られた日は恥ずかしいのか余計に消え入りそうな声であいさつをするのだった。今日になって気づいたが、彼女は腕に登校班の腕章をつけていた。これは登校する際の班長であることを示し、班長はその地区の最高学年が務めることになっている。彼女はどうやら6年生らしい。あまり構ってもらえていないのか、会うたびに同じグレーのTシャツを着ている気がする。ただのお気に入りなのかもしれないけど。6年生にしてはすらっとして表情も大人びている。虐待の疑いがなければスラっとしたモデル体型だと思ったかもしれないが、あの朝の怒鳴り声を聞いてしまうと、きちんとごはんを食べられているのか心配にもなる。


「いってきます…」


小さな声だが、礼儀正しくあいさつをしてくれる。どうやら本人は真っ当に成長しているように見えるのが救いだ。




しかし、数か月経ち怒鳴り声の様子はエスカレートしているように感じた。今までは一歩的に母親が怒鳴り、娘は泣きながら謝るだけだった。それが、時折モノが壊れるような音がしたり、体を叩くような音がすることもあった。尋常じゃない泣き声と平手打ちの音が聞こえた時は、さすがにたまらず隣家のインターホンを鳴らした。しばらくすると音が止み、けだるそうな声で応答があった。


「なにか?」

「いえ、大きな物音がしたので、大丈夫かなと思いまして」


「あー、ちょっと娘が騒がしくてすんません」

「そうですか…」


早々にドアを閉められた。こういうときに弁の立たない自分が歯がゆい。大っぴらに言う勇気がなく、ただ傍観するしかないのだった。しかし、その翌日事が起こる。朝の6時過ぎだったが、いつものように母親の怒鳴り声が始まった。


「治す気がないんだろ!?だからその年でそんなんなんだろ!?いつまで赤ちゃんでいる気だよ!」


いつになくはっきりと罵声が聞こえる。今日はベランダの窓を開けたまま怒鳴っているようだった。


またか、と思って耳を大きくして様子を伺っていたが、突然怒鳴り声が止んだ。


「ママ、それだけはいや!許して…」


ベランダに人が出る音がして、ガラガラとベランダの窓が閉まる音が聞こえた。同時に女の子が泣き叫ぶ声も聞こえた。



ドンドンドン

「お願い、ママ、開けて…」


ドンドンドン

「もうしないから、ぜったい…」


ドンドン…

「お願い…」


最後は泣き崩れたようだった。ベランダの隣通しはに壁があり行き来することはできないが、隙間から様子を伺うことはできる。いたたまれなくなった私は、そっとベランダに出て彼女の様子を確認した。私はギョッとした。彼女の上半身は薄手の下着だけ、下半身に至っては赤ちゃんが履くような紙オムツ一枚だけの姿だった。このファミリーハイツは大通りに面しており、ベランダは通りからよく見える。通勤に向かうサラリーマンや、朝練に行く学生たちが彼女の様子を見たことだろう。思春期を迎える年齢の少女が、下着と紙オムツだけの格好でベランダで泣き叫ぶ異様な光景を。私はバスタオルを持って彼女に差し出し小声で声をかけた。


「大丈夫だよ、コレ使って」


彼女はハッとしてこちらを向いた。感情が高ぶって周りの様子に気づかなかったらしい。涙でグシャグシャになった顔をこちらに向けて、固まったようにこちらを見ていた。


「とにかくコレで体を隠して。すぐに警察に電話するから」

「……」


彼女は何も言わずに私の手からバスタオルをひったくり体に巻いてうずくまった。そのまま携帯で通報をしようとしたが、その必要はなかった。この異様な光景を見た人が他にもいたようで、私が連絡する前にアパートに数台のパトカーがやってきた。娘は婦人警官に保護され、母親はパトカーで事情を聴かれている。いつもの口調とは異なり、うなだれて警官に事情を話していた。




これであの親子はどうなるのだろうと、ずっと心配していた、1週間ほど隣家には人の気配がなかった。後から聞いた話だが、母親の方は一旦実家に戻り、娘は児童養護施設で生活するようになったらしい。母親と離れることで、おねしょも快方に向かってくれるといいのだが。

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夜尿虐待 はおらーん @Go2_asuza

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