27 よもや寂しかっただけ、などと

 青い聖堂に、一溜まりの静寂が落ちていた。誰も何の音も発さず、あたかも一切の存在が消えたかのような。

 けれど間も無く瓦解する。サズ国の宝珠が割れると同時に、ぴしりとノマンの顔に亀裂が走ったのだ。


「クレイス!」


 けれどピィは、何よりも先にクレイスの元へと駆け寄っていた。


「泥はどうだ!? 体は……!」

「ええ……もう、大丈夫なようです」


 ピィに抱き起こされたクレイスは、そう言って腕を見せる。そこに広がっていたはずの痣は綺麗さっぱり無くなり、元の肌色にもどっていた。

 思わず安堵のため息をつく。そんなピィに驚いたように目を瞬かせるクレイスだったが、すぐに柔らかな表情になった。


「……クソ野郎共が……!」


 が、二人の背後から怨念に満ちた声が響く。


「……ノマン」

「……ピィさん、下がっていてください。とどめは俺が……」

「いや、いい」


 ――もう、コイツは戦えまい。

 弱々しい魔力の流れから確信したピィは、クレイスを遮って前に出た。

 ノマンの体は、顔から始まった亀裂が枝分かれしながら少しずつ広がっていた。そこから、どろどろと黒い魔力を流しながら。


「クソッ……なんで僕が、貴様如きに……! おぞましき変異体、ミラルバニめ……!」

「……何か言いたいことがあれば、聞いてやるぞ」

「……」


 見下ろしたピィを、床を這いつくばるノマンは憎々しげに睨みつける。だが、彼はひび割れた唇を動かした。


「……なんで、お前らばかり……!」

「ん?」

「なんでお前らばかり……手に入れられるんだよ……!」

「……」


 クレイスは、ノマンの言う“手に入れた”ものが何か見当もつかないらしく、首を傾げている。しかしピィは、一つ息を吐くとノマンの前まで歩み寄った。


「なんだ。そう言うってことは、お前も分かっていたんじゃないか」

「……何?」

「欲しいものをだ。……なぁ、ノマン」


 彼女は、ぐるりと聖堂の天井を見上げる。


「もしかしてお前は、ただ誰かと一緒にいたかっただけじゃないのか」


 ステンドグラスには、仲睦まじく体を寄せ合う顔の割られた人々の姿があった。手を繋いだり、誰かを呼んだり。

 その中央では、美しい青年が両腕を広げていた。


「この城は、サズ国を滅ぼしてから建てられたんだろう? だから吾輩は不思議に思ったんだ。顔を潰すぐらいなら、どうしてあんなもの作らせたのだろうと」

「……」

「ノマン王国なんて国を作って、国民に無理矢理自分を褒め讃えさせて、信奉させて。……挙句の果てに、クレイスみたいな奴のおべんちゃらにすら、まんまと騙されて」

「ピィさん、今俺の計略を挙句の果てにと言いました?」

「黙ってなさい。……えーと、だからあれだ。つまりお前、ずっと寂しかっただけなんじゃないのかなって思ったんだ」


 話しながら、ピィはまるで自分自身に対して言っているように感じていた。……そうだ。結局は、自分だってずっと寂しかったのだ。

 だけど自分には、父がいた。外に引っ張り出してくれるガルモデがいて、叱ってくれるルイモンドがいて、遊んでくれる魔物達がいた。そしてクレイスが現れて、初めて人間の友達もできたのである。

 生まれた時には、少しも祝福されなかった自分だというのに。気づけば、これほどたくさんの手に囲まれていたのである。

 だからピィは思ったのだ。ノマン=サズエルは、誰にも会えなかった自分なのだと。差し伸べられた手を掴まなかった、自分そのものなのだと。


「……でも今のお前は、売り物の玩具が欲しいあまり、持っているおもちゃを地面に叩きつけて泣いてる幼児だ」


 だからこそ、ピィは悲しかった。彼が全てを殺したことが。排除し続けてきたことが。


「愚かで、乱暴で、哀れな幼児だ。誰かが抱きしめようにも、暴れられてはそれもできない」

「貴様……僕になんて愚弄を!」

「そうだな。吾輩は何を偉そうに言ってんだろう。……すまない」


 ピィは、ノマンに頭を下げた。


 ……否定せざるを得なかったのだろう。人との繋がり全てを。

 手に入れることが恐ろしかったのだろう。血の通った愛情を。

 世界が憎むべき対象であり続けなければ、彼の五百年は無意味となる。

 最も欲しかったものは全て自ら壊してしまったのだと、そう気づいてしまうからだ。


「……なんだよお前」


 そしてノマンは、もはや見る影も無くなった姿で彼女に零したのである。


「なんだよ……なんで僕じゃなくて君みたいな小娘が、そんなことを言えるんだ。そんな……悟ったようなことを」

「……ノマン」

「そんなの……ズル過ぎるだろ……」


 ノマンの崩れかけた指が、ピィに向かって伸ばされる。それが親を求める子供のように見えて、ついピィは手を伸ばしていた。


 ――もしかしたら。

 もしかしたら今なら、自分が魔力を注ぎ込めば彼を助けられるのではないか。

 そんな甘い思考が、ふと彼女に宿ったのである。


 指先が触れる。頭に浮かんだ提案を口にしようとする。しかし次の瞬間、ノマンはニヤリと凶悪に笑った。


「ピィさん!!」


 クレイスにより腰に腕を回され、ピィの体は後ろに引っぱられた。けたたましく笑うノマンは、その身を瞬く間に膨れ上がらせる。

 凄まじい破裂音。その身を弾け飛ばしたノマンの場所には、真っ黒な魔力の塊が顕現していた。


 ――蠢く、闇の塊が。数百年前、一度世界を滅ぼしかけた力が。


「……クレイス」

「ええ」


 クレイスは、ピィを抱く手に力を込めた。


「ノマンは死にました。……故に、これが最終決戦です」


 ――ついに古のモノの力が、ノマンの体より解き放たれたのである。

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