25 水晶玉の向こう
「な、なんだ……あの生き物は」
怒りよりも戸惑いが勝ったのか、ノマンはえらく拍子抜けした顔をしていた。が、ケダマの持っている水晶から呪文が流れているのに気づいた瞬間、彼の眉間に深い皺が刻まれる。
「このっ……!」
しかし、いち早くノマンの殺気に気付いたケダマは恐るべき速度で逃げ出した。そしてその間も、絶え間なく呪文は紡がれている。
「小癪な……!」
ノマンは見失ってしまったピンク色の毛玉を目線で探しながら、悪態をつく。
「貴様……遠隔視魔法水晶で、宝珠解放の呪文を継続させていたのか!」
「その通りです」
クレイスは、口元だけで笑っていた。
鍵となったのは、聖堂に飛んできた青い鳥。その鳥こそ、クレイスらの元に遠隔視魔法水晶を運んできた使者だったのである。(ちなみにノマンの攻撃を受けた後はケダマが頑張って治療した。)
そして水晶玉の向こうにいたのは、クレイスから文を受け取ったミツミル国王リータ。
……と、ババアと派手なシャツのチンピラだった。
「げっ! おいババア、ノマンのアホに気づかれたぞ!」
「構いませぬ! 王子、詠唱を続けてくだされ! きっと魔王様らが何とかしてくれます故!」
「……リル、サブリュアン、ブルルスゥ……」
クレイスから届けられた文には、長い長い呪文と、呪文の意味と、それを唱えるタイミングが記されていた。加えて、誰が唱えなければならないかも。
「……でもよぉ、ババア。リータの詠唱力って低いんじゃなかったのか?」
若干手持ち無沙汰なベロウが、クリスティアに疑問を呈する。
「コイツって、どんな簡単な魔法でも正式な呪文唱えないと発動しねぇじゃん。オレ様なんて、嫌がらせ魔法系は全部『オラッ!』で発動できるのに」
「それもどうかと思うがの。だがお主も知っての通り、基本的に魔法は全ての手順を踏んだ方が威力が上がる」
「あー、聞いたことあるな。だからこそ、術師の負担を減らすよう呪文の簡略化が進んだとか何とか……」
「ところでお主、雷の魔法は使えるか?」
「へ? 何よ突然。……いや、オレ様は無理よ。水ならちょっとはイケるけど」
「そうじゃろう。通常人は、体質ごとに使える呪文が限られてくる。……その点、ミツミルスの血は少し特殊での」
真っ青な顔をして呪文を唱えるリータに、クリスティアは自分の魔力を送り込みながら答える。
「たまに現れるそうなのだ。伝説の魔法使い、フーボシャヌと同じ能力を持った者が」
「あ? ミツミルスじゃなくて?」
「実は戦士ミツミルスは女性だったのじゃがな。大層モテ倒したそうで、とある文献によれば賢者ヨロロケルと魔法使いフーボシャヌに挟まれ泥沼の恋愛劇を繰り広げた結果、どちらも選びたいと二人の子を成したそうだ」
「待って待って待って待って聞きたくなかったそんな話」
「とにかく、フーボシャヌとの間に生まれた子の一人が、ミツミルスの血を継いだ。故に時折、フーボシャヌの力を継いだ者が生まれるというわけよ」
クリスティアは、労るようにリータの背を撫でた。
「――呪文さえ唱えれば、どんな魔法でも発動できる力を持った者がな」
「……それが、リータなのか」
「そう。それもあって、ノマンはリータ様を探していたのかもしれん。そういえば、かなり早い段階でフーボシャヌの血もノマンによって絶やされていたな」
「えええ……お前そんな凄い奴だったの。知らんかったわ」
「しかし魔力は有限じゃ! チンピラ、何をボサッとしておる! 王子の魔力が尽きぬよう、お主も加勢せんか!」
「え!? でも魔力の受け渡しってどうやんの!? 背中さすればいい!?」
「ええい、まどろっこしい! アタシがお前の魔力を無理矢理吸収するから、お主はそこでじっとしておれ!」
「イヤーッ!!」
……水晶玉の向こうのドタバタなど知るわけもなく。聖堂に跪くノマンは、今にも噛み殺さんとクレイスを睨んでいた。
「お前……お前ぇ! クレイス! 何故僕を裏切ったんだ! あれほど目をかけてやっていたというのに!」
「……少しあなたの意に沿わぬ発言をしただけで、どんな身分だろうと奴隷に落ち、命を落としていく。そういう意味では、いくらでも心にも無い事を言える俺は、彼らより上手くやれていたのでしょうね」
「何だと!?」
怒るノマンだが、対峙するクレイスの声色は落ち着いていた。しかしその息は荒い。体内に残るフーボの泥は身を侵し続け、今や手首にも真っ黒な痣を這わせていたのだ。
だというのに、それでも彼はノマンに向かって微笑んだ。
「……嘘をつくのも、人を疑い続けるのも。実に疲れることだと思いませんか、ノマン」
「……」
柔らかな声に、ノマンはしばし呆気に取られたようにクレイスを見ていた。
「……知るかよ」
けれど、やはり彼には何も届かないのである。
「嘘つきめ。この世の醜悪を煮詰めたような千枚舌め。お前の言葉など、もはや何の価値も無い! ……ああ、そうだ! いずれにしても、宝珠の力を全て得られることには変わりないんだ! お前の大事な大事な魔王様の命をもって、僕は第二の古のモノとして君臨してやる!」
「いいえ、ノマン。終わるのはピィさんではなく、あなたの命の方です」
「ハハッ、なら早くこの呪文を止めるんだね。もっとも、ここまでかなりの量の力をこの身に移したんだ。もう死んでるかもだけど」
「……ふふふ」
ここでクレイスは、声を出して笑い始めた。泥の侵食は頬にまで広がり、それが余計に彼の笑いの不気味さを際立たせている。
「……何故、俺がわざわざリスクを負ってまでこんな話をしたか。まだ分からないようですね」
「……はぁ?」
「あなたは俺のことを千枚舌と仰いました。本当の事を何一つ言わない、嘘つき野郎だと。……当たってますよ。俺は、ずっとこの舌であなたを欺き続けている」
クレイスは、べぇと舌を出してみせた。
「――今だって」
――そうか。時間稼ぎか!
直感的に理解したノマンは、勢いよく振り返った。自分の本体である、サズ国の宝珠を確認する為に。
だが遅かった。既に彼女は動いていたのである。
ノマンが見た時には、力を奪われて動けないはずの魔国の王――ピィフィル=ミラルバニが、宝珠目掛けて拳を構えていた。
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