22 救いなど、どこにも

「……バカな。ノマン=サズエルなどという王子など、聞いたことは……」

「そりゃあね。大体五百年前の話だし」

「五百年……!?」


 五百年。人より長命と言われる魔物ですら、二百年生きるのがやっとなのである。もしそれほどの長い月日を生きることができているというのなら、彼は本当に……!


「何驚いた顔してるの? 知ってるだろ、僕は宝珠の力を得てるんだ」

「……」

「とりあえず君立てる? ……無理か。じゃあ僕が連れていくしかないねー」


 ノマンは身を屈めると、ピィが身につけていた剣を引き抜いた。そしていとも容易く真っ二つにへし折ると、遠くへ投げ捨てる。それから彼女の髪を鷲掴むと、強引に祭壇へと引きずった。

 ピィは呻いたが、さりとて抵抗できるわけもなく。


「……待ってください」


 だが、そんな二人の前にクレイスが立ちはだかった。……その体はダメージの蓄積により、剣を支えに立つのが精一杯だったが。


「……どいてくれない、クレイス君? 邪魔なんだけど」

「……一つ……気になることが、あります」

「は?」

「俺は……あなたの名を、知っています。サズ国の歴史書を紐解けば、あなたは確かに五百年も前に齢二十二で逝去したと記録されている……」


 ノマンの目が冷たく細まる。しかし、クレイスはなおも冷静に言葉を続けた。


「そして、次にあなたの名が書に現れるのは、サズ国からノマン王国が独立した三百年前です。これが正しければ、あなたが生まれた時より、二百年の時が経過していることになる」

「……」

「この長き間……一体あなたは、どこで何をしていたのです?」


 彼の問いに、ノマンは不快そうに唇を歪めた。向き直り、クレイスを何の色も無い目で見つめる。


「……別に。ただ単に幽閉されてただけだよ」


 ところが意外にも、あっさりと彼は答えてくれた。


「なんせ一国の王子が不老不死になったんだ。王族とはいえ……いや、王族だからこそ、姿形の変わらない者を永遠に表に出しておくことは許されないことだったからね」

「……それだけではないでしょう」

「……あ?」

「あなたのその知識量には、違和感を覚えます。ヨロ国の宝珠に収められた書物の中にすら、それほどまでに詳しい情報が書かれたものはありませんでした」


 ……そういやコイツ、ヨロ国の宝珠図書館に侵入してたんだったな。


「これは俺の推測ですが……サズ国は、宝珠の力を使いながら、歴史を口伝で残していたのではないですか?」

「……」

「つまり、何らかの事情で本として残せないものを口伝えにしていた。そしてあなたは、幽閉されながらにしてそれを継ぐ者だった、と」

「……君」


 ノマンがクレイスに近づく。かと思ったら、クレイスは蹴り飛ばされていた。

 床に打ちつけられた真っ黒な頭を先の尖った靴で踏みつけ、ノマンは彼を冷酷に見下ろす。


「嫌な奴。本当に嫌な奴だなぁ。知らなかった? 人の事情にずけずけ入り込んでくる奴は嫌われるんだよ?」

「……ッ、ぐっ……!」

「歴史の口伝? 書に残せないから? そうだよ、本にするだけだといつか消されてしまうかもしれないからね。だから本当に大切なことは、口伝えにしなければならないってのが、ジイさんの口癖だったなぁ」

「……ッぐ、あ」

「でもさぁ、ちょっと不老不死になってみたかっただけの王子に、その役目を背負わせるなんて酷いと思わない?」


 クレイスは、抗わない。否、抗う力も残っていなかった。


「僕はこの通り、とても見目麗しくてね。でも、人間誰しも年老いたらそうじゃなくなるだろ? じゃあ他のブサイクが不老不死になるより、絶対僕がなるべきだって思ったんだけど……」

「……」

「その結果、僕は全ての自由を奪われ、暗い地下室で幽閉されることになった。君の言う通り、サズ国王家は歴史を口伝する役割を担っていてさ。長命と健康を約束する宝珠の力を使いながら、歴史を後世に伝えていたんだ」

「……しかし、その力をあなたが全て使ってしまった。だから王家はあなたを幽閉し、“生ける歴史書”としようとしたと……」

「正解」


 足に力を込められ、クレイスが痛みに呻き声を上げる。その声に、やっとノマンは笑みを取り戻した。


「バカだよねー、そんなもん僕が真面目に伝えると思ったのかな? なのに来る日も来る日もジイさんが来ては、素晴らしい歴史とやらを語ってくんだよ。ほんと、お母様なんて泣いてたよ? ちょっとしたイタズラの罰にしては、重過ぎるってさ。……あー、そういや、僕に片想いしてたって子が人目を忍んで来てくれたこともあったなぁ」

「……」

「でも」


 演技かかった仕草で、彼は大袈裟に両腕を広げる。


「だーれも僕を地下室から出してくれないの。可哀想可哀想って好きなこと言うだけで、みんな口ばっかり。檻越しに閉じ込められた僕を勝手に憐んで、そのくせ面白がって。そうやってかわるがわる同じものを見せられてさ、ほんとろくでもない二百年だったよ」


 だが、ここでノマンの薄ら笑いが止まった。何かを思い出すような間の後、小さく息を吐く。


「……サズ国の姫君と、出会うまではね」

「……姫君?」

「そう。……バカな子だったよ? 生ける歴史書として僕を紹介された日から、毎日飽きもせず会いに来るんだ。そして歴史に何の関係も無い話をするんだよ。やれ何色の花が咲いただの、やれ今日も空が青いだのって」


 本当、よく続いたもんだ。

 彼は、静かにそう零した。


「その挙句に、彼女は何て言ったと思う? ――『彼をここから出してください。私は彼と結婚します』だとさ。あの子は、こともあろうに二百年の時を生きた不老不死の男との結婚を望んだんだ」

「……お前は、それを……」

「受けたよ。当然じゃない?」


 ピィの言葉を継いだノマンは、つまらなそうに吐き捨てた。


「そして長い議論の末、とうとう彼女の両親は首を縦に振った。……あの子は一人娘でね、長き囚われの身から一転、僕はサズ国の王となる運命になったんだ」

「……」

「二百年ぶりに浴びた太陽の下で……僕は束の間、人間らしい暮らしができたと思う」


 そう語るノマンの目に、ピィは僅かに柔らかな色を見て取った気がした。


「……でもね、魔王様。どんなに普通の人間っぽい生活を送れたって、所詮僕が“生ける歴史書”であることに変わりはないんだよ」

「……ノマン」

「ひとときの王としての役目が終われば、僕はまた地下室に逆戻りとなる。……僕は思ったよ。こんな未来の無い世界で、自分が最後の人間になるまで地下室に閉じこもらなきゃならないのかって」


 ノマンの声は、微かに震えていた。


「……そんなの受け入れられる? 誰が受け入れられると思う? 僕のことを人間じゃなく“歴史書”としか思ってない奴らの都合の為に、なんで僕は生きてやらなきゃいけない? ……なぁ! 答えろよ!」


 突如ノマンが力任せにクレイスの頭を蹴る。しかしそれにピィが反応する前に、ノマンは再び彼女の髪を鷲掴みにした。


「だから、僕はサズ国を滅ぼしたんだ! ありもしない噂を流して、軍を奪ってさぁ! 大いなる革命と称し、王を、王妃を、家臣を――妻さえも殺して! 僕は、全てを手に入れたんだ!!」

「……ッ!」

「世界は散々僕に好き勝手な役割を押し付けた! だから、僕も押し付けてやるんだ! この世界全てを僕の玩具にして! ろくでもない、矮小な、滅びるだけの何の意味も無いお前らを踏みつけて! 僕は、僕の為だけの世界を作り上げるんだよ!!」


 そう叫び散らすノマンは、まるで我侭を吐き散らす幼児のようだった。

 ――どこで、彼は破綻したのか。

 何が、彼にとっての決定打だったのか。

 ピィには分からなかった。ただ、きっと彼は五百年の間ずっとひとりぼっちだったのだろうと。世界中の人が、自分の敵に見えて仕方なかったのだろうと。

 未だ何もかも許せず、全てを憎み続けているのだろうと。

 自分を祭壇へと引きずる愚かな男を、いつかの自分に重ね合わせたピィは、同情とも憐れとも言えぬ感情に胸を詰まらせていた。


「……なんだ?」


 しかしその時、あまりにも清涼な鳥の声が響いた。


 クレイスは倒れ、ピィがいよいよ宝珠台に置かれようとする時である。何故か、小さな青い鳥が聖堂に現れ、見事な弧を描いたのだ。

 美しい鳥だった。羽には一筋の赤い線が入り、尾は長く後ろに靡いていて。


「……鬱陶しい」


 だがノマンが腕を一振りすると、呆気なく鳥は落ちた。それからノマンは一言も発さず、ピィを宝珠台へと叩きつける。


「終わりにしよう」


 広すぎる聖堂に、温度の無いノマンの声が反響した。


「何、案ずることはないよ。僕にとっては……つまり世界にとっては始まりであるのだから」


 ノマンが息を吸う。宝珠を解放するおぞましき呪文を唱えるために。

 世界を滅ぼすほどの力を、手にするために。


 ピィの体から、青い炎が立ち上った。

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