21 昔々の御伽噺
ノマンの放った壁の如く迫り来る水を、クレイスが正確無比な氷の針で撃ち抜き弱体化させる。そして残りをシールドで受け流すことで、彼は動けないピィを守っていた。
「……敵に回すと、まあまあ厄介なんだよね、君」
余裕の笑みをこぼしながら、ノマンは言う。
「いやらしいくらい急所を狙ってくる。魔法も人体も、どこを狙えば手っ取り早く壊せるか知ってるんだ」
「……偏に勉学の賜物ですよ」
「けれど、そんな君にも弱点がある」
一際大きな波が押し寄せる。クレイスは顔を険しくすると、魔力を貯めて数百本もの針を展開した。
波の威力が弱まる。けれどシールドでは全てを防ぎきれなかった。咄嗟にクレイスは自身の体を盾にし、ピィを攻撃から守る。
「ぐっ……!」
「クレイス……!」
「……君は、操れる魔力量が人より少ない。こんな細くて脆弱な魔法を使わねばならないのも、その為なんだろう?」
「……げほっ……誰にだって、得意不得意はあるものです。俺は、その中で……最も効率的で、効果的なやり方を……選んでいるだけに過ぎません」
「つまり自分にできることを、ね。まるで負けた犬が精一杯吠えているみたいだ」
ノマンは、再び魔法を撃ちだす。先ほどよりも、大きな波を。
「分かってると思うけど、僕は全然本気を出してないよ。でも君の体は、既に限界が近づいている」
迫り来る水の壁に、クレイスは歯を食いしばると氷の針で自分の体を刺した。氷の針には微弱な電気を纏わせており、こうすれば一時的に体に眠った魔力を解放することができる。
しかし、これは諸刃の剣だ。底が見えるまで井戸の水を汲み上げてしまえば、そこから先は泥を抉るしか無くなる。命に肉薄するのだ。
「……ッ!」
それでも、クレイスは氷の針を放った。威力を弱らせ、薄くなりつつあるシールドで魔法の流れを変える。魔法を学び尽くし、精密に操ることに長けた彼だからこそできる技だった。
「……まだこれも耐えるかぁ」
ノマンは綺麗に整った眉をひそめる。深く刻まれた二重の大きな目は、息を荒くしボロボロになりながらもピィを守るクレイスに向けられていた。
「不思議だよ。なんでそこまでするの? だって魔物じゃん。結婚とかしたら周りから白い目で見られるよ?」
「……そんなこと……知りませんよ……!」
「ま、分かんないし分かりたくもないけどね。僕は無駄だと思うってだけの話で」
「……それは、あなたが世界を滅ぼすから、ですか」
「……」
ノマンは小さくため息をつくと、魔法を引っ込める。同時に、クレイスは糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。
「そうだねー。古のモノの力を手に入れたら、結果的にはそうなっちゃうかもね。僕人間好きじゃないし。でも勘違いして欲しくないのは、人類はもともと滅びに向かってたってことだよ」
「……」
「……ひとつ、あまり愉快でない御伽噺をしようか」
睨みつけるピィをよそに、ノマンは悠々と祭壇に腰掛ける。そうして、思わず見惚れるような笑みを見せた。
「――昔々のことだよ。世界はもーっと広くて、信じられないぐらいのたくさんの人でひしめき合っていたんだ」
「……世界が……もっと広く……?」
「あれ、ピンときていないみたいだね、魔王様。んー……今最も離れている国であるノマン王国と魔国ですら、馬車で半年もかければ行けてしまうよね? けれど、昔の世界はそんなもんじゃない。陸は広大な海によって分(わか)たれ、その海自体もあまりに広かった。そうだなぁ……人間が五年かけて、やっと一周できるぐらいの大きさだって言われてたっけか」
「五年……え、一周?」
「うん。分かるかな、世界って本当はボールみたいに丸いんだよ」
――丸い? 丸いとは世界がか? でも、自分の転がっているこの場所はまったくの平らではないか。
意味がわからなかった。理解が追いつかなかった。ノマンの口から出る情報の多さに、ピィは返す言葉も無く目を丸くしていた。
しかし、無視してノマンは言葉を続ける。
「そして、人もすごく多かった。話によると今の世界人口の百倍以上はあったとか? とある国では、ひっきりなしに広い道路を肩がぶつかる距離で人が行き交いしてたそうだよ」
「……」
「……広い。広い。広過ぎる世界では、人も動物も気候も様々に姿が違っていた。成人男性はほぼ同じ髪型にしなければならなかった集落があったってイメージできる? 大陸ほどの氷の塊があったことは? 一日中太陽が出ている場所の話は? 雷が落ち続ける湖だってあったって理解できるかな? ……世界は、それはそれは素晴らしいものだった。けれどある日を境に、この世界は激変してしまう」
ここでノマンは、内緒話でもするかのように人差し指を唇に当てている。
「――強大な魔力を持つ巨大なバケモノが、空から降ってきた為にね」
「……!」
「バケモノは巨大な大陸を叩き割り、灼熱の炎で、夥しい水で、眩い光で、恐ろしい闇で、一瞬にして世界の生き物という生き物を殺し尽くした」
「まさか……それが」
「そう。“古のモノ”だよ」
ピィは息を呑む。その顔を見て、ノマンは薄く笑った。
「古のモノがどこから来たのかは分からない。宇宙……世界の外側からかもしれないし、もしかするとずっとこの世界のどこかで眠っていたのかもしれない。とにかく、人間達は長くこの古のモノに苦戦を強いられてきた。それだけじゃない、古のモノから放射される高濃度の放射線により人間の体にも影響が出始めたんだ」
「ど、どうなったんだ……?」
「多くの者は死んだ。けれど生き残った者――古のモノが変えた空気に耐えたは、少しずつその細胞を変異させていった」
ノマンは、チラリと後ろの宝珠に目をやる。
「……あたかも、古のモノと同じ細胞のように」
「なっ……!?」
「つまり一部の人達は、汚染された地球で生き残る為におぞましき魔物へとその身を変貌させた。……もう分かるよね? それが、今の魔物達のルーツだよ」
「……ならば……魔物は、元々人だったのか……!?」
「どうかな。あるいは、かつて魔物が人に変化したのかもしれない。要するに、古のモノの力が人間が眠らせていた遺伝子を呼び起こしたという……いや、こんな仮説はどうでもいいか」
「……」
「でも、変化があったのは魔物化した人間だけじゃない」
ノマンは、優雅に片手を広げた。
「古のモノは、そのほか生き残った人間にも影響を及ぼした。見た目こそは大きく変わらなかったけど、古のモノの力を蓄積した体は、やがてその力を循環させ利用できるよう進化したんだ。……これが、いわゆる魔法のルーツだね」
「……そんな」
「かのモノより、魔物が生まれた。かのモノより、人は魔法を使えるようになった。……故に、人々は件のバケモノを“古のモノ”と呼称するようになったのさ。皮肉もいい所だけどね」
「……」
「こうして僅かに残った人間は、ありとあらゆる力の全てを使ってようやく古のモノを封じることができた。だってただ倒した所で処理できない巨大な死体が残るし、そもそも本当に死ぬかどうかも分からなかったからね」
「……」
「その過程でたくさんの人が犠牲になり、たくさんの魔物が命を落とした。中でも最も活躍したとされるのが、勇ましき者サズエル、戦いし士ミツミルス、賢きなる者ヨロロケル、魔法使いフーボシャヌ、魔を統べし王ミラルバニだ」
ノマンの指が、一つ一つ宝珠を差す。
「彼らは、生き残った人間たちを一つの大陸に集めた。それから力を合わせて、大陸全体を魔力のバリアで覆い、古のモノに汚染された空気から残った人間達や魔物を守ったんだ」
「そんなことを……」
「そして大陸を五つに分けて、かつ古のモノの眠る宝珠を互いに分けて持つことにしたんだ。……かの強大なものが二度と目覚めることの無いよう、二度と人同士で争わぬよう約束を交わしてね」
「……。そう……だったのか……」
……驚いていた。大いに動揺もしていたと思う。けれどピィは、不思議とすんなり腑に落ちていた。
ずっと違和感はあったのだ。フーボの泥が作った泥人形が、真っ黒な体液を滴らせていたこと。魔物の血が黒いこと。魔物化に適性のある人間がいること。
これら全ては、古のモノから繋がっていたのだ。
「……けれど、残念ながら人は滅びる。というか、今もなお滅んでいる最中なんだ」
「どういうことだ?」
「実はね、古のモノは封じられても、魔物や魔法が使える人間からは変わらず古のモノの放射線は出てるんだ。だから今いる人間は、耐えきれず早死にしてしまうか、細胞が完全適応し全て魔物化してしまうしか未来が残されていない」
「!」
「……昔は、百歳まで生きる人間もいたらしいけどね。今はせいぜい六十生きたらいいとこだろ? ま、いずれにしても人類は滅びてしまうんだ。逆にこの放射線のお陰で大陸の生態系が狂いに狂って、人や魔物が生きていけるほどの環境が整ってしまったのは意外だったけどね」
ピィは、少し国境が違うだけで全く気候の違う魔国とヨロ国を思い浮かべた。そういえば、フーボ国はやたらと暑い地方だったな。
「……人は滅びる。そう聞いた時、なんてこの世界は無意味なんだろうと僕は思った。そして、そこに生まれ落ちてしまった僕も」
ノマンが祭壇から飛び降りる。そして、彼はゆっくりとピィの元に近づいてきた。
「だから、僕はこの世界を玩具にして、僕にとっての意味を付与してあげようと思ったんだ」
彼は、片手でピィの顎を持ち上げた。
「僕の名はノマン=サズエル」
サズエルという名に、ピィの真っ赤な瞳が揺れる。
「――ご存知の通り、由緒正しき勇者サズエルの血の者だよ」
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