20 ノマン戦

 クレイスを抱えたピィは、ノマン城の隠し通路の前に立っていた。


「真正面から行けば、見張りに見つかる可能性があります」


 城壁のブロックを外しながらクレイスは言う。五分ほどすると、なんとか人一人通れるぐらいの大きさの穴が開いていた。


「だから、ここを通ります。俺が先に行きますんで……」

「うん、頼んだ」

「万が一ピィさんの後ろをついてくるような不届き者がいたら、後ろ蹴りで顔の骨を砕いてくださいね」

「何を心配してるんだ、お前は」


 ツッコミながらも、クレイスの後に続いてピィは穴の中に入った。

 闇の中を這いずりながら、思う。……そういえば、ガルモデは無事なのだろうか。いや、あのヴェイジルと戦っているのだ。決して無傷では済まないだろう。

 もしかしたら、自分が逃げずに力を合わせていればすぐに勝てたかもしれない。そんな後悔が胸を苛んだが、何とか己を叱咤して前に進んだ。

 そうだ、自分はもう前に進むしかない。やり遂げるしか道は無いのだ。クレイスと共に、ノマン王を討つと決めたのだから。

 こもった匂いにむせそうになる。虫の死骸や動物の糞に手足が汚れる。それでも黙って前に進んでいた時、ふとピィは思い至ったことがあった。

 ――何故、ノマンは自分の逃げる場所にヴェイジルを差し向けたのだろう。ヴェイジルの強さは尋常でなく、ともすれば死んでしまう所であった。

 もし宝珠である自分が死ねば、魔国の宝珠は永遠に失われるというのに。


「着きましたよ、ピィさん」


 だがその思考は、クレイスの言葉によって途切れる。見えないだろうなと思いながらも頷いて、ピィは一度体を縮めて外へと出た。

 そこは、静謐な聖堂の中だった。

 薄暗い天井は目が眩むほどに高く、魔法で灯された青い炎が点々と浮いている。規則正しく置かれた長椅子は粗末なものだったが、その先にある祭壇には豪華で細やかな模様の布がかけられていた。

 それだけではない。両側の天井付近をぐるりと巡るステンドグラスには、幾人もの姿が精緻に描かれている。

 ……いや、少しおかしい。

 顔が、無い。

 ステンドグラスに象られた人間は、全て顔の部分だけが割れていた。

 ――たった一人、目の覚めるように美しい男を除いては。


「――やあ、ピィフィル=ミラルバニ」


 そしてその男は、祭壇の奥からゆっくりとこちらに歩いてきた。見目麗しく、見る者を虜にするような男が。

 だが彼を目にした瞬間、ピィはその場に崩れ落ちた。青い炎が身を包む。魂が絞り出されるような苦しみが襲う。ピィが胸を押さえて耐える中、それを見た男は声を上げて笑った。


「辛いかい? まあ、影越しでもあの影響力だったんだ、無理も無いんだろうけど」

「……貴様……!」

「ああ、そんな怖い顔をしないでおくれ。僕は、君が来てくれるのをずっと待っていたんだから」

「……待っていた、だと?」


 ノマンは頷くと、マフラーを口元に巻いて立つクレイスを一瞥した。


「そう、彼に頼んでね。適当に君の仲間を足止めさせた後、ここに来るよう案内させたんだ」

「……!」

「ご苦労様、クレイス君。約束通り、君の内に潜ませた泥は後で解放しよう」

「……ありがとうございます」

「ふふ、だから言ったろう? この泥は魔物を信じさせるのに役立つと」


 クレイスは、頷く。そして、ピィから離れてノマンの元へと歩いていった。


「待て! 行くな……!」


 それを見たピィは、持てる魔力を振り絞って体を動かそうとする。が、ピィの胸から出る青い光がノマンの身へと運ばれていくだけで、彼女自身は立ち上がることすらできなかった。

 片やノマンは、両手を広げてクレイスを迎え入れる。


「……やぁおかえり。ノマンの勇者よ」

「嘘を、つくな……! クレイスは、勇者じゃない……。貴様の所の、部下だろうが……!」

「そんなことはないよ。彼とは正式に、勇者としての契約を交わしている」

「……」

「ああ、もしかして彼がノマン王国の諜報大臣だったことを言ってるの? でも大臣だろうと関係ないよね。僕が任命したなら、誰でも勇者になれるんだから」

「……それだけ、じゃ……ないだろ……」

「ん?」

「貴様が……クレイスを勇者にした理由だ……! 最初から、魔国の宝珠を狙うつもりだったんだろうが……!」

「……」


 ノマンはフゥと気怠げにため息をつくと、気障な仕草で前髪をかき上げた。


「仕方ないだろう? 魔国にも、“古のモノ”を封じた恐ろしい宝珠が眠っていると知ってしまったんだ。よりにもよって、君のような野蛮で愚かな魔物達の国に、だよ? だから僕は、勇者たちにその統帥たる魔王を屈服させるよう頼んだんだ。世界中の人々の心の安寧を考えれば、賢くかつその力を適切に行使できる人間が宝珠を得る方がいいに決まってるからね」

「……元々勇者とは……魔物達が悪さをしないよう、国の持ち回りで見回る監査のような役割だった……!」

「そうだね」

「それを、貴様は……悪用して……!」

「悪用じゃないよ。人は魔物を恐れているものだ。言い換えれば、僕はその恐怖を取り除く手伝いをしただけさ」

「……この法のせいで……人は、ますます魔物を恐れるようになった……! 人と魔物の隔絶は、広がったんだぞ……!」

「それ僕のせいかなぁ。っていうか、なんで魔物が人間に近づこうとしてるわけ? 餌の確保?」

「……」

「そもそもを考えればさ、魔物というイキモノが凶暴で凶悪であること――魔物が魔物であること自体がいけないんじゃないの? いずれにしても、僕は勿論、人間のせいにするのは的外れだよ」


 ノマンの嘲笑に、ピィは歯を食いしばる。クレイスは、やはり俯いたままノマンの隣に立っていた。


「とにかく、君の願いはここで終わるんだ」


 ノマンは、手のひらを上に向けて祭壇の奥を指す。そこには、四つの宝珠が規則正しく並べられていた。

 真ん中に、もう一つ分のスペースを空けて。


「さぁクレイス君、魔国の宝珠を持ってきてくれ。そして、あの場所に据えるんだ」

「……待て……やめろ……!」

「そうすれば、約束通り君の中の泥を解放してあげる。……一度裏切ったんだ。二度目は無いよ?」

「クレイス……!」


 ピィは何とか頭を持ち上げて、クレイスの名を呼ぶ。しかし彼は、迷うことなくピィの元へと歩いてきた。

 そして、乱暴に腕を掴む。冷たい目が、ピィを見下ろした。


「……」

「どうした? 早く連れてこい」


 クレイスのグレーの瞳が、揺れる。その時、巻いていたマフラーがずれ、口元が露わになった。

 彼の唇は、小さく呪文を唱え続けていた。


「……何? クレイス君、君は何を呟いて……」

「……ひとまず、ここまでですね」


 大きく息を吸う。それから突如、クレイスは身を翻した。


「なっ!?」


 クレイスが腕を払った先から、針のように細い氷の棘が無数に放たれる。それら棘は全て、ノマンと彼の周辺へと向けられていた。


「……フン」


 ノマンは一瞬目を見開いたものの、すぐさま平静に戻ると黒い水の壁を出現させて阻む。そのまま間髪入れず、クレイスにその壁を差し向けた。

 だがそれより前に、クレイスはシールドを完成させていた。身動きの取れないピィを抱え、彼は最小限の力で水を受け流す。


「……なんだよ、君たち二人は“そういうこと”か」


 指を鳴らして水を消し、ノマンは唇の端を吊り上げた。


「結託して何を企んでいるかは知らないけど……せいぜい好きな子が死なないように抗ってるって感じ? だから僕を殺そうとしたと」

「……そんな所です。いくらあなたが不老不死とはいえ、あれほどの数の攻撃を避けるのは難しいでしょう?」

「君の目は節穴かな? そう思うなら、見てご覧よ」


 ノマンはパッと両腕を広げる。全身の皮膚の中から先ほどクレイスが放った氷の針が生え、音を立てて地に落ちた。

 その肌には何の痕もなく、きめ細やかさが保たれている。


「……!」

「ね? 僕、君の攻撃なんて全く効かないんだよ。……まあ、でも」


 ノマンの指から水の弾が発射される。それをクレイスが的確にシールドで阻み、氷の針を差し向ける。


「……こうなってくると、もう君は本当にいらないかなぁ」


 ノマンとクレイスによる、魔法の撃ち合いが始まった。

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