17 魔物と化する泥

「ネグラ君、これをつけてみてくれ」


 その日、ヒダマリは両手になんかガチャガチャした骨組みを持って、僕に言った。


「……何それ」

「君なら見れば分かるだろ」

「見て考えて分かんなかったから聞いてんだよ」

「絶賛開発中の君の翼の補助具だ」


 サラリと言ってのけられた一言に、僕は嫌な顔をする。竜族である僕の翼は生まれつきの奇形で、飛ぼうとすると酷い痛みが走るのである。


「いらないよ。っていうか今はそれどころじゃないだろ。早く空間転移装置の量産を進めないと」

「たまには息抜きも必要だ。ほらつけてみろ」

「だからやだって……」

「筋肉を直接補助する形にしようと思ってここに黄の魔力水晶を使ってみてるんだがな、そうすると左翼の水晶と競合してしまう。こっちに骨を増やしてみたんだがどうもうまくいかなくて」

「あーそれならここに緑の魔力水晶置いて力を流したらどうかな? 中和できると思うんだけど」

「しかしそれだと水晶を使い過ぎることになる。極力装着者に負担がかかるような仕組みは避けたいんだが」

「んなこと言ったってつけるのは僕だろ。ならこれぐらいは問題ないよ。あー、でもここに水晶があるのはまずいかな、巡回する魔力が遮られるから。これ外せないの」

「だったらここをこうやれば……」


 ――とまあ、こういう経緯でうっかり僕は空を飛べるようになってしまったのである。断じてヒダマリの口車に乗せられたわけではない。それだけは伝えておきたい。

 けれど、それで良かった。ルイモンド参謀長の遣いの鳥の魔物から、ガルモデ軍隊長が例の泥のバケモノと激突したと聞いて。僕らは、急遽サズ国に置いた空間転移装置(ポイント)から、ガルモデ軍隊長のいる場所へ向かわねばならなくなったのだ。

 人間形態より、竜の姿で空を飛んだ方が圧倒的に速い。だから僕は、不本意ながらも例の補助具をつけて竜の姿を取ったのである。


「……美しい」


 しかし、この無機質な骨組みだらけの僕の翼を見たヒダマリは、呑気にも目を輝かせて言ったのだ。


「ネグラ君。君は、世界一の竜だ」


 なんというか、コイツは性格だけじゃなくて美的感覚も残念なんだなと。僕はそう思った。

 けれど、あくまでこれは補助具である。本来のように翼を使えるわけじゃなく、痛みもゼロにはならない。生まれて初めて全力で羽ばたいた僕の体は、ノマン城にたどり着く頃には既に限界に近づいていた。

 それでも、泥のバケモノに取り込まれようとするガルモデ軍隊長が、尚もコアを破壊しようと抗っているのを見た時。僕は、歯を食いしばって泥のバケモノを翼で真っ二つにしていたのである。


「ナイス、ネグラ君!」


 その隙に、僕の背に乗るヒダマリが中にいたガルモデ軍隊長をさらう。僕の右翼は、泥に触れたことで真っ黒なシミが広がり始めていた。

 体が震えた。自身の体を異物に侵食される感覚。おぞましいその存在に、僕は恐怖していた。


「……ッ! ヒダマリ、僕の右翼はもう使い物にならない! 人間形態にもどるぞ!」

「ああ、分かった!」


 だけど、ここまで来て僕一人が怖気付くわけにはいかない。ヴェイジルから少し離れた所で竜の姿を解くと、ヒダマリは即座に鞄から治療具を取り出した。


「……なんて酷い怪我だ! ネグラ君、俺はガルモデ軍隊長を治す! 三十秒だけ時間を稼げるか!?」

「ああ、やってみる!」


 僕は頷くと、二人を庇って前に立つ。……言うだけなら誰でもできる。肝心なのは、そこから先だ。

 だが、敵は速かった。僕が奴を探そうとするより先に、ヴェイジルは眼前にまで迫ってきていたのである。


「……ッ!」


 ――速い。速すぎる。“適性”があるにしても、これは異常だ。

 けれど奴の薙ぎ払った手が僕に触れる寸前、持っていた魔道具が起動した。僕とヴェイジルの間に現れた超衝撃吸収材に、攻撃の威力は半減する。


「ぼげぶっ!」


 が、僕は呆気なく吹っ飛ばされた。壁に叩きつけられた衝撃で目の奥に火花が散る。指先まで痺れている。呼吸ができない中、僕は必死で意識を繋いでいた。

 半減でこれかよ! どうなってんだ!

 けれどもたもたしていられない。壁を排除したヴェイジルは、ヒダマリとガルモデに向かって大きな口を開けていたのだ。


「まだ……だ!!」


 咄嗟に水色の翼を広げ、二人を覆う。走っては間に合わないが、自分の翼の大きさなら二人を庇うぐらいはできると判断したからだ。

 しかしヴェイジルは止まらなかった。大きく裂けた口は、そのまま僕の翼に食らいついた。


「――ッ!!」


 あまりの痛みに絶叫する。そうでなくても右翼から泥が侵食しているのだ。全身痛くて、苦しくてたまらなかった。

 ――ガルモデ軍隊長は、こんなバケモノを相手に戦っていたのか。しかもコアを固まらせる寸前まで追い詰めて。あの方も大概バケモノだな。

 ……いや、僕が弱すぎるだけか。


『――ルイモンドさんを襲った泥は、まるで生物の集合体だ』


 凄まじい痛みの中、かつてヒダマリが言ったことが脳内に蘇る。


『見ろ。泥の一粒一粒にコアがあって、蠢いているんだ。そしてこれが人の細胞に付着すると、宿主の細胞を利用して増殖を始めるようになっている』

『人の細胞? じゃあ魔物の細胞だったらそうじゃないのか』

『ああ。俺の皮膚片では変化が見られたが、ルイモンド参謀長の皮膚片では何の変化も無かった』

『すぐそうやって自分を実験台にするー』

『更に興味深い話があるぞ。この人の細胞から新しく作られた細胞は、魔物のそれとよく似ていた』


 ヒダマリは、無遠慮にルイモンドさんをジロジロと見ていた。


『だからもしかすると、この泥は人を魔物に変えてしまうの性質を持つのかもしれない』

『えええ』

『まあ荒唐無稽な論だと思うけどな。でもノマンが「人を魔物にするように」と泥に命令していたらどうだ? フーボの無限の泥は、主人の命によって自在に姿を変えるんだろ?』

『そりゃ確かにそうだけど……。でも、それだったらなんでクレイスさんが魔王城に連れてきた泥のバケモノにはコアが無かったんだ? 魔物だったらあるはずだろ』


 そう、あの後二人で魔王城に行き、泥の中に入っていた人間を調べてみたのである。しかし、魔物である証拠のコアはどこにも見当たらなかった。


『それについては二つ仮説がある』


 あるらしい。


『一つは、“魔物になる適性が無かった”。もう一つは、“変化する途中だった”だ』

『適性か、変化の途中?』

『俺の父様とて、適性が無ければゾンビになれなかった。可能性はあるだろ』

『でもさ、変化の途中だったら泥が全部飛ばされてるのはおかしくない? 少なくとも一部は一体化してないと道理に合わないだろ』

『あー、確かに。じゃあ前者なのかも。ルイモンド参謀長は既に魔物だから、魔物に変化する適性は無いと言っていい。けれど泥の方はそれが分からないから、同じく適性の無かった前の宿主を捨てて新しい宿主のルイモンド参謀長にこぞって向かった、と』

『つまりこういうこと? 泥は魔物適性のある人間に出会う為に、次から次へと宿主を変える』

『そうそう。で、適性の無かったルイモンド参謀長の前の人間は、泥の及ぼす体の変化に耐えきれずに死んでしまったんだ』


 では、耐えられることのできる人間なら? 適性のある宿主に泥が出会ってしまったら?


『……そうなると、厄介だぞ』


 僕の問いに、ヒダマリは難しい顔をしていた。


『人が魔物になる。心臓がコアへと変わる。それは要するに、人でも魔物でもない時間が存在するということだ』

『そうしたら、どうなるの?』

『魔王城での戦いを魔王様から聞いての推測だが……恐らく、この時の宿主の体はほぼ無敵に近いんじゃないかと思う』

『……無敵』

『そう。魔物は人間よりも遥かに丈夫だが、コアを潰せば確実に死ぬ。しかし、この時の宿主にはこのコアが無い状態なんだ。よしんば完成しかけのコアがあっても、これら生きた泥が全力で破壊されるのを阻んでくるだろう』

『じゃあ、倒す方法は無いのか』

『難しいと思う』

『……ならさ』


 僕が一つ提案する。それに受けて、ヒダマリが改善点を挙げる。そうだ、難しいなんて言ってる場合じゃない。魔物適性があろうと無かろうと、そいつが向かってくるなら倒さなきゃならないのだ。

 それが、僕らがルイモンド参謀長から託されたことなのだから。


「……ありがとう、ネグラ君。四十秒も持ち堪えてくれて」


 暗くなりかけた視界の中、ヒダマリの声が聞こえる。彼はいつの間にか翼の下から這い出て、ヴェイジルの横に立っていた。


「見た所、貴様は魔物化の適性はあれどまだ途中か。コアも未熟で泥も活性化状態。一番厄介な時だ」


 翼でも阻めなかったのか、白衣の所々には血が滲んでいる。そんなヒダマリを見下ろし、ヴェイジルは腕を振り下ろそうとした。

 けれどそれを魔道具と僕の翼が防ぐ。その隙に、ヒダマリは動いていた。


「……これは、細胞分裂を促進させる薬だ」


 ヒダマリの腕がヴェイジルに埋まっている。その手には注射器が握られていた。


「中途半端で倒せないのなら、いっそ完全に魔物にしてしてしまえばいい。そうすれば泥は不活性化し――魔物の弱点であるコアが完成する!」


 不気味な甲高い悲鳴が、ヴェイジルの体から放たれる。腕から泥が侵食し、ヒダマリの顔が苦痛に歪む。それでも、彼は逃げなかった。

 そして、ヴェイジルが纏っていた泥が完全に硬化したその時。


「ガルモデ軍隊長! お願いします!」


 ――空色の翼から現れたガルモデの鋭く重い剣が、ヴェイジルのコアを叩き斬った。

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