16 VSヴェイジル

 キョオキョオと耳障りな絶叫に感覚を狂わされる中、丸太のように太い漆黒の腕が振り回される。しかし赤毛の大犬は、最小限の動きでそれを避け続けていた。

 だがヴェイジルの体から飛び散った黒い粘液が、ざっくりとガルモデの脚を裂く。同じ色の血が噴き出るのを見て、彼は舌打ちし距離を取った。


(……おかしい。黒い泥にこんな性質は無かったはずだ)


 自分がミツミル城で見た泥のバケモノも、ルイモンドが纏わせていた泥も。そのどちらも粘液に近く、このように凝固するものではなかったのである。

 ……変異している? だとすると、何故?


「――ンなもん、俺に分かるわけねぇだろ!」


 自らを鼓舞し、跳躍する。魔力を込めた爪で、敵のコアを狙って体ごと裂いた。

 しかしコアは器用に体内を移動し、ガルモデの攻撃を躱す。代わりに粘液部の泥は、ガルモデを取り込もうと彼の腕に群がり始めた。


「させるか!」


 あらかじめ鎧のように魔力を纏っていた腕である。腕を払うと、魔力諸共泥は飛び散った。

 間髪入れずにもう一度爪で体を貫く。だがやはりコアはぬるりと逃げ、接近したガルモデを潰さんと凝固した腕を叩きつけようとした。


(……落ち着け。コアがあるということは、コイツは既に魔物なんだ)


 ギリギリで避け、ガルモデはヴェイジルの背後に回る。ヴェイジルのギョロリとした眼球が、ぐるんとガルモデを向いた。


(だったら、俺の持ちうる知識で対抗できるかもしれねぇ)


 口の端が裂けそうなほどに大きく開く。その奥から、ウネウネとしたものが見えた。


「……ッ!」


 避ける暇も無かった。黒い鞭のようなものがヴェイジルの口の中から伸び、ガルモデの手足に絡みついたのである。

 しかし瞬時に全身から魔力の炎を放出し、ガルモデは無理矢理鞭を焼き切った。


(基本的に魔物のコアは、胸部や頭部内に固定されて守られている。脆い上、固定していないと魔力を練ることができないからだ。しかしコイツは、スライム族のようにコアを粘液の中で移動させることができる。粘液自体を魔力増幅装置とすることで、コアの役割を軽減させてやがんのか?)


 再び距離を取る。だが、やはりヴェイジルの目はガルモデを追ってきていた。


(つーことは、奴のコアを潰したきゃ粘液ごとコアを凝固させ破壊しなきゃなんねぇ。それか、コアが製造する以上のスピードで体内の粘液を吐き出させるか)


 さぁ、実現可能なのはどっちだ。だがそうやって考えている間にも、粘液はガルモデに降りかかり、鞭が伸びてくる。幸いなのは、凝固している部分の割合が多い為、粘液がガルモデの体を覆うには足りないという点か。


(……いや、ルイモンドは、コアから離れてただの泥と化したはずの粘液に襲われた)


 呼吸を整える。目を凝らし、ヴェイジルの魔力の流れを見る。


(コイツは、スライム族とは違いコアから離れた粘液も操れる! なら、俺のやることは……)


 ――泥を、コアごと凍らせる!


 大きく深呼吸をし、ガルモデは魔力の質を変えた。赤から、青へ。炎から、氷へ。

 けれど、これはあくまで一時的なものである。自身の体質に合わない魔力は、己への負担が尋常ではない。強靭な肉体と柔軟な魔力を持つガルモデだからこそ、為せる技である。

 血管が裂ける。流れる黒い血が凍りついていく。――凝固させるのは、コアの周りだけだ。加えて、コアを破壊するための余力も残しておかねばならない。


「――ッ!」


 目を見開く。練り上げた魔力を、ヴェイジルの腹部に拳でぶち込んだ。

 自身の腕を起点に、ヴェイジルの粘液が凍り固まっていく。……よし。これであとは、もう片方の腕で逃げ場を無くしたコアを潰せば……!


「キョオ」


 が、コアを凍らせば動きが止まるはずのヴェイジルが鳴き声を上げた。本能的な命の危機にガルモデ全身が総毛立つ。だが、離れようにも腕はヴェイジルの体から抜けない。

 コアは、凝固していなかったのである。――足りなかったのだ。体質に合わないガルモデの魔力では、尋常でない魔力を持つ怪物のコアを凍らせるまでには至らなかったのである。

 目玉がヴェイジルを見て、笑う。そして、ヴェイジルを食らわんと巨大な口が裂けた。










 俺の家系は、代々魔王に仕えてきたらしい。

 だから自分の父親が、前魔王を庇って勇者とやらの凶刃を受けた時も、父はそれが当然と恨み言の一つも言わなかったのだ。


「ガルモデ……お前は、兄弟の中で、いっとう強い……!」


 真っ黒な血を噴きながら、父は俺に言った。


「儂の跡を継いで……ブーニャ様を……お守りしてくれ……!」

「親父、もう喋るな!」

「ノマン王国には……ノマン、には……気をつけろ……!」


 そして、父は事切れたのである。

 それからノマンから派遣されたという勇者が親父の首を持って帰ろうとしたが、俺に代わりブーニャ様が阻止してくれた。……あの時のブーニャ様ときたら、見たことがないほどに恐ろしかったものである。全身の毛を逆立て、その先から高濃度の毒を漂わせて。結局勇者は、そんなブーニャ様に恐れをなして何もせずに逃げていったのだ。


「……すまぬ、ガルモデよ」


 そしてブーニャ様は、まだ幼かった俺に頭を垂れたのである。


「お前の父は、人に殺された。だが吾輩は、人との和平を諦めることはできない」


 わかってますよ。親父もブーニャ様も自分も、生まれてこの方一度も人を襲ったことはない。魔物は怖くねぇやつも多いって分かってもらわねぇと、また人間に殺される魔物が出てくるんだろう。

 わかってますよ。親父はブーニャ様の信念に殺されたんじゃねぇ。人の思い込みに殺されたんだ。


 理解はしていた。ちゃんとわかっていたのだ。なのにその時の俺ときたら、それらを一言も言えずに魔王に向かって口汚く喚き散らすばかりだった。

 だけどブーニャ様は、そんなクソガキの俺を抱きしめて言ったのである。


「にゃー! そうだ、お前の言うことは何も間違っていない! ぶっちゃけると吾輩も、さっきの勇者だけは背骨引っこ抜いて殺してやりたかった!」

「……ッ!」

「人間は嫌いだ! 吾輩らを恐れるだけ恐れて蔑んで、個々を見ようともしない! だけどそれは魔物とて同じだ! そして魔物と同じなら、人間だってみんながみんなそうじゃないだろう!」

「……ブーニャ様」

「今は見えないだけだ! いつか! 続けていればいつか! 向こうにだって吾輩のことが見えるようになるかもしれない! 人間の誰かが、魔物の誰かの手を取る日が来るかもしれない!」


 ただでさえくしゃくしゃの顔を涙に濡らし、魔王は叫んでいた。


「だからガルモデ! 人に絶望するな! 人の個々を憎んでも、人そのものを嫌うな! お前は魔物の誰よりも強くなる! 誰よりも強いお前がそうなれるのなら、他の魔物だって皆そうなれるのだ!」

「……俺が……誰よりも強く……」

「ガルモデ! 吾輩と一緒に頑張るぞ!! すんごく、すんごく頑張るのだ!! お前の父は、本当に立派であったのだから!!」


 かくして、俺は誰よりも強くあろうと鍛錬を続け、魔物軍隊長にまでなったのである。

 そして俺の目の届く所にいる魔物は、人を襲わなくなっていた。どんなに人から恐れられても、蔑まれても、俺と共にブーニャ様の信念を心に持って耐え続けていた。(もしかしたら、単に気にしない性格の奴が多かっただけかもしれないが。)

 ――ひょっとすると、いつか本当に魔物と人が手を取り合える日が来るのかもしれない。そう思い始め、希望が見えた矢先のことだったのだ。


 ブーニャ様の死が、届いたのは。


 ……本当は、とっくの昔に疲れていたのだろう。父を失い、ブーニャ様も失い。自分の大き過ぎる失望は、そのまま怒りに転じていた。

 同じ形だったなら。同じ血の色だったなら。このような争いや憎しみなども、起こらなかったのだろうか。


「起こりますよ」


 そんなある日、白い長髪をなびかせて、自分よりすこぶる賢いその年下の魔物は言ったものである。


「どうしたって何をしたって、生き物は敵を見出し争います。特に人間は欲が深い生き物です。魔物が生きている限り、真の意味での和解は不可能でしょう」


 バルコニーに立つルイモンドがこちらを向く。その美麗な顔は、何故か柔らかく微笑んでいた。


「それでもまあ、折り合いぐらいはつけられるんじゃないかと私は思うんですよ」

「そういうもんかな」

「ええ。だってほら、何も夫婦として一生過ごすわけじゃないんですから。その時々で互いが互いにいいように、上手いことやっていくってのは大いにアリでしょう」

「ふーん」

「時に利益を求めたり、時に不平等に怒ったりしながら。それでも交流を保ち、個々では友人になれたりと。……そんな世界なら、我々の代で実現できるのではないかと思うのです」


 ――今になって思う。あれがどれほど、核心をついた言葉だったのかを。


「ガルモデ軍隊長ーっ!!」


 黒の世界の中、突如目の前に青空が広がる。――いや、これは翼だ。空色の翼の竜が、前を横切ったのだ。

 その背に乗るは、人間の発明家。動けなくなる間際に、ルイモンドが託した二人である。

 違う種族と文化、血の色。恐れと蔑み。

 ――ああ、それでも。


「……なんて酷い怪我だ! ネグラ君、俺はガルモデ軍隊長を治す! 三十秒だけ時間を稼げるか!?」

「ああ、やってみる!」


 ――ブーニャ様やルイ、そして我らが出した答えは、きっと何よりも正しく、そして人も魔物をも救うものだったのだと。

 種族を超えた手を握るネグラとヒダマリの声を聞きながら、ガルモデはそう確信していたのである。

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