5 ノマン王国

 チャンスは一度。決して逃してはならない。

 ピィは、サズ国で最も高くそびえ立つ時計塔のてっぺんから国を見下ろしていた。


「ケダマ、危ないぞ。隠れていてくれ」

「みょお」


 服の中からもぞもぞ出てこようとするケダマを、無理矢理押し戻す。いくらふわふわな体であるとはいえ、この高さから落ちたらひとたまりも無いからだ。

 冷たい時計板に触れる。昔はちゃんと動いていたのだろうが、国民が皆ノマン王国の奴隷に変わってからは誰も管理する者はいなくなってしまったらしい。

 ……もし、ノマンが死んだとしたら、この時計塔の針も動き出すのだろうか。

 そういえば、何故サズ国はノマン王国の属国となったのだろう。それなりの歴史もあると思うのだが、他の事に気を取られて調べ損なっていた。恐らくは、サズ国の宝珠がノマンに奪われたことと何か関わって――。

 だがそんなことをつらつら考えていたその時、ド派手な爆発音がピィを襲った。


「! 始まったか……!」


 時計台近くの工場で、もくもくと煙が上がっている。そして、奴隷軍のものと思われる咆哮も。

 目を凝らす。爆発した場所に向けて群がる兵を追う。そしてその中に、一人全く見当違いの方向に向けて走る男を見つけた。


「あれだな」


 脳に男の姿を刻みつける。人間離れした視力で彼に狙いをつけたまま、ピィは時計台を垂直に駆け降りた。










「――ブーニャさん、本当に良かったのですか」

「にゃ? 何をだ?」


 ダークスに迫る兵をちぎっては投げちぎっては投げ、ブーニャは彼の問いに振り返る。


「何をも何も、娘さんのことですよ。今彼女は魔力を使えないのでしょう? 任せてよかったのです?」

「なんというか、今更だな!」

「そ、それはそうなのですが」

「確かに、ピィの武器の一つは吾輩譲りの莫大な魔力であるがな! 案ずるでない、実は他にもあるのだ!」


 ブーニャは奴隷の一人に襲いかかっていた兵を吹き飛ばすと、カタカタと笑った。


「シンプルに、強いのである!」










「もー! 吾輩急いでるんだってば!」


 見つけた空間転移装置に身を任せ、飛んだ先はノマン兵がうじゃうじゃいる建物の中だった。

 当然である。いなきゃおかしい。

 が、その数をものともせずにピィは進んでいた。


「ヒィッ! バケモノ……!」

「なんだあの女は!? 全然歯が立たないぞ!」

「応援を呼んで……ぐぁっ!?」

「あ、すまん、踏んじゃった。なぁそこの兵士、クレイスがどこにいるか知らないか?」

「く、クレイス様を!? お前、クレイス様の何なんだ!?」

「うーん、何と聞かれたら非常に困るんだが」


 だが、ここでケダマがピィの服の中から顔を出した。そして、とある扉に向かってみょーみょーと鳴く。


「……そうか。奴はあっちにいるのだな」

「みょっ」


 ケダマもガルモデと同じく、魔力感知が得意な魔物であった。ピィは回し蹴りで辺りの兵を一掃すると、そちらに向かって走り出す。


「や、やめろ! そちらに行っては……!」


 兵士の焦った声が聞こえたが、ピィは無視して扉を蹴破った。すると途端に柔らかな香りが鼻腔をくすぐる。そこは、外に繋がっていた。


「……これは」


 ――彼女の眼前に広がっていたのは、それはそれは美しい光景であった。

 一寸の乱れも汚れも無い、麗しき街並み。花はあちこちに咲き乱れ、行き交う人々も笑顔で言葉を交わしている。

 まるで、この世の楽園のような。そこはそんな場所であった。


「……ここが、ノマン王国なのか?」


 振り返ると、もうノマン兵は追ってきていなかった。蹴破ったはずの扉は元通りに閉ざされ、まるで何事も無かったかのようである。

 その異様さが不気味に感じて、ピィはごくりと生唾を飲んだ。だけど、ピィの懐にいるケダマは相変わらず「みょーみょー」とある方向に鳴き続けている。

 街の先に見える、荘厳で清らかな城に向かって。


「やはり、クレイスがいるのはノマン城か」

「みょ」

「……分かった、行こう」


 恐る恐る一歩を踏み出す。周りの人は、ピィなど気にとめず陽気なおしゃべりや遊びに興じていた。

 よく見れば、男も女も美しい人間ばかりであった。けれど何故か、子供や老人は一人も見当たらない。


「ああ、今日も平和で美しい日だわ」


 艶やかな果実を手にした女性の話す声が、ピィの耳に届く。


「こんな豊かな暮らしができるのも、ひとえにノマン様のお陰……。ここで暮らせて本当に良かったわね」

「ええ、その通りよ。私達は、全てをノマン様に感謝しなくては」

「ところで、ノマン様は今日お姿をお見せになるのかしら。今から楽しみで胸がはち切れそうよ」


 ……えらく、慕われているものだ。確かに噂だけを聞くのなら、ノマン王国はとても栄えて王も名君と名高いとのことである。奴の黒い所業を知る自分からすると、鼻で笑い飛ばしてしまいたくなる話だが。


(ここにいる奴らも、どこか不気味だ)


 ピィは、ノマンに迎合し、過剰に褒め称える彼ら彼女らから逃れるように足を速めた。


(早く通り過ぎてしまおう)


 花の香りを振り払い、進んでいく。けれどその時、鋭い悲鳴が空気を裂いた。


「なんだ?」


 つい、声のした方に足を向ける。不思議なのは、周りにいたピィ以外の者は誰一人その悲鳴を気にした様子が無いことだった。


「ちがっ、違うんです、違うんです……! こ、このアザは、生まれつきのもので……!」

「……」

「い、嫌です! 奴隷になるのは嫌です! 見逃してください!! 痛い! 痛い!」


 悲鳴の主は、一人の女性だった。肩から肘まで青色のアザがあり、そこを兵士に掴まれて引きずられている。女性は抵抗していたが、兵士は顔色一つ変えずに彼女を連行していた。

 まあ、見て見ぬふりというのも寝覚めが悪い。だからピィは、ひとまず事情を聞こうと兵士の肩に手を置こうとしたのである。


「わっ!?」


 しかし肩に触れようとした瞬間、ピィは兵士に剣を突きつけられていた。


「な、何をするんだ!」

「それはこちらのセリフだ! 貴様……今私に触れようとしたか! 身の程を知らぬ下賤如きが!」

「げ、下賤!?」

「……む? よく見れば、貴様魔物ではないか。……醜い、醜い。何故、こんな醜い魔物が美しきノマン王国にいるのだ」


 兜の下から覗く目は、嫌悪に満ちていた。なんだかそんな目を、ピィは久しぶりに向けられた気がした。

 その隙に女性は逃げ出す。周りの者はこちらを見もせず、おしゃべりをし笑い声を立てている。平穏な日常が流れている中、自分達だけが異様だ。

 剣が再び、唖然とするピィに振り下ろされた。

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