6 地下にも

 ――いや、普通に避けるけどな。

 ピィは素早く剣の軌道から身を逸らすと、素手で兵士に強烈な一撃をくれてやった。


「なんだお前。初めて会った者に対していきなり醜いとか失礼だぞ」

「ぐっ……う……?」

「吾輩は事情を聞きたいだけだ。なぁお前、何故さっきの彼女を奴隷にしようとしていた?」

「……あ……あ、血? お、俺の顔から……血が、出ているのか?」

「うん、吾輩お前を殴ったからな。口の中切るぐらいはするだろ。それより質問に……」


 答えを急かすピィだったが、兵士の様子は明らかにおかしくなっていた。ブルブルと震え、何度も血を確かめて。

 そして、跳ねるようにその場から逃げ出した。


「お、おい待て!」


 だが逃げた先で、別の兵士がその兵士を捕らえた。よく見れば、先程逃亡したはずの女性も捕まっている。

 兵士も女性も、何とか逃げ出そうと暴れていた。しかし何やら耳打ちされるなり、彼らはくたりと脱力する。


「……ヤバい」


 直感的に、ピィはそう思った。……あそこにいる兵士達は、何か普通じゃない。嫌な感じの魔力を感じる。できることなら、相手にするべきでない。ピィの魔物としての部分が、頭の中で次々と警告を発していた。

 しかしピィが立ち尽くしている中、兵士らの視線が一斉にピィへと集まる。次の標的に狙いを定めたのだ。


「……みょ」

「……ああ、分かってるよ、ケダマ」


 そうだ、ここで時間をかけているわけにはいかない。こうしている間にも、クレイスの身に危険が及んでいるかもしれないのだ。

 だから、あの二人は見捨てなければならない。大事の為に多少の犠牲と切り捨てるのは、王として適切な判断である。

 ……。


「……んだああああああああもおおおおおおっ!!」

「う、うわっ!?」


 しかし、彼女の体は全身全霊をもってその身を兵士らに突入させていた。

 いやだって仕方ないだろ! 見ちゃったんだもん! 見ちゃったんなら無視できないじゃん! 気にするじゃん! 何が王だ、吾輩はまだなりたてホヤホヤなんだ大目に見ろ!!


「だぁっしょい!」

「ふぐぅっ!」


 そして勢いのまま、一番手前にいた兵士の顎を下から蹴り上げてやった。怪我をすることを極端に嫌がるのなら、まず先手必勝で攻撃するのが敵を怯ませる良い手段である。咄嗟にピィはそう判断したのだ。

 案の定、兵士らはピィを中心にザッと円状に距離を置く。唇が動いた。魔法を放とうとしているようだが、そんな余裕を与えてやるはずがない。

 女性と怪我した兵士二人を雑に背中担ぐ。それからピィは、真上に向かって跳躍した。


「……!?」

「じゃ、さらば!」


 適当な民家の屋根に着地する。ピィは、脇目も振らずにノマン城に向けて逃げ出した。










 ノマン城の手前の森にて。ピィは、魔草から作ったアホほどよく効く薬を気絶した兵士に塗り込んでいた。


「……なんで、私を助けてくれたんですか」


 そう尋ねたのは、腕にアザのある女性である。彼女は、ピィと兵士から少し離れた場所でうずくまっていた。


「んん……放っとけなかったってのが、一番の理由なんだがな。吾輩部外者だけど、あの状況だと兵士の方が悪者に見えたし」

「でも……これであなたは、ノマン様の反逆者となってしまいました。このままだと、あなたまで処分されてしまいます」

「大丈夫だよ、元々吾輩はノマンに反逆してるし。……よし、できた」


 両手をパンパンとはたき、立ち上がる。これで、数分後にはこの二人の兵士の傷は跡形も無くなっているだろう。問題無く部隊に帰れるに違いない。

 しかし、こちらの女性は別だ。流石に生まれついてのアザは、薬じゃどうにもならないからである。


「しかし奇妙だな。何故アザがあると捕らえられるのだ? 別にいいだろ」

「そ、それは……醜いアザがある体を持つ者は、美しいノマン王国にふさわしくないからでございます」

「しかし、あなたは綺麗な人だ。アザも醜いとは思わない。むしろ他の人間と区別できて便利なぐらいだ」

「え、ええ、そんな……その、ノマン王国民は、あの国にいる限り完璧でないと許されないのです」


 女性は、疲れたようにぽつぽつと話し始めた。


「……男も女も、ノマン様と彼の王国にふさわしく美しくあらねばならない。……故に、老人のように衰えたり、身体に不具が出ればたちまち奴隷に落とされてしまうのです。……いえ、元はといえば、私も奴隷の一人だったのですが……ノマン様に認められ、王国に召し上げられたのです」

「ああ、そうなのか? だったら、別に奴隷に戻った所で問題無いだろ」

「……ノマン王国民がなる奴隷とは、サズ国の労働奴隷ではありません。ノマン王国の地下に幽閉され、死ぬまでそこで働かされるのです」


 女性は、震える両手で顔を覆った。


「一度、脱走してきた地下国の奴隷民を見たことがあります。痩せ細って、髪も髭も伸び放題で……汚らしく、おぞましい人間でした。まるで、人の言葉も忘れてしまったような」

「……」

「ああはなりたくない。落ちたくない。醜くなりたくない。……だから私は、美しくあり続けなければならないのです。……ああ、アザさえ、アザさえ無ければ……こんなことには……」

「……そうか」


 同族に対する女性の差別的な目を、ピィは責める気にはなれなかった。……その地下から逃げてきたという人間は、明日彼女そのものになるかもしれないのだ。恐怖のあまり、少しでも別物と思い込もうとしたとしても仕方のないように思えた。

 膝の上のピンク色のふわふわを撫でる。……かつて人間だった頃の自分も、同族から醜いと蔑まれ恐怖されていたのだ。


「……しかし、何故ノマンはわざわざ地下など作ったのだ? 奴隷に落とすだけなら、サズ国で働かせれば良かろうに」

「その理由は単純です。……“元”ノマン王国民という人間は、決して存在してはならないのです。夢の王国は、夢であり続けねばなりません。そこに、一点の汚れもあってはならない」

「“元”王国民が、汚点とはな。自らが引き入れておいて、勝手なことをいうもんだ。訳がわからん」

「……」


 さて、あまり長居しているわけにもいかない。ピィはスイと立ち上がった。


「吾輩は行く。あなたはこのまま東に向かって逃げ、ヨロ国から来た連中に事情を話して匿ってもらえ。ピィフィルに指示されたと言えば通じるから」

「で、でも、そんなことしても時間稼ぎにしかなりませんよ。どこに逃げようとも、必ずノマンの手は伸びてきます」

「問題無い。何故ならノマンは今から吾輩がぶち倒すからだ」


 ブンブンと肩を回すピィに、「は」と女性は顎が外れそうなほど口を開けた。


「え!? は!? え!? 正気ですか!?」

「正気も正気だとも。まあそんなわけだ。うまく逃げろよ」

「で、で、でも、ノマン様は不老不死と言われてるんですよ!? もう百年以上同じ姿のままだと……!」

「何とかなる。いけるいける」

「そんな緩い展望で!?」


 あわあわとする女性であるが、ピィもこれ以上は時間をかけられない。とびきり飛ばしていこうと、脚に力を込めた。


「あ、あの!」


 けれど、最後に女性の声に振り返る。陽の光に照らされたピィの月色の髪が、煌びやかに靡いた。


「私にこのアザがあると知っても……美しいと言ってくださったこと! 本当にありがとうございました!」

「別に。本当のことだし」


 それだけ言い残し、その場から一瞬で姿を消す。後に残された女性は、混乱したように両手で火照る頬を押さえて立ち尽くしていた。

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