7 許してやる

 息ができない。思考が止まる。少しでも力を抜いたら、すべてが持っていかれそうになる。

 ピィは喉を押さえて膝をつき、その場に倒れ込んでいた。


「おや、こちらに置いた宝珠に共鳴しているのかな」


 煙から、少しずつ形を成してきたノマンが笑う。だが、あくまでこれは影である。ノマン王国にいる彼を映しているに過ぎない。

 しかし、存在していることに変わりはないのだ。ピィの体と一体化した宝珠の力は、かつての同胞と一つになろうとざわめいていた。


「……ピィさん」


 クレイスがピィの体を支えている。だが、今の彼女には返事をする余裕すら無かった。

 体が熱い。青い炎が立ち昇る。魂が、“あちら側”に行きたがっている。

 ――我が身だというのに、意のまま操ることができない。ピィは、歯を食いしばって己の中で暴れる何かを必死で押さえ込もうとしていた。


「……うん、確かに宝珠と一体化しているみたいだね」


 その様子を観察していた煙の塊は、得心したように言う。


「念の為聞くけど、クレイス君はこの事を知らなかったんだよね?」

「はい」

「まあ前例も無いことだし、分からなくても仕方ないけど」

「恐れ入ります」

「何、ここで知れてよかったよ。さあクレイス君、一刻も早く、僕のために煙を伝って彼女を連れ帰っておくれ」

「わかりました。……ですが最後に少しだけ、彼女と話をしてもよろしいでしょうか」


 クレイスの要望に、ノマンはあっさり肯首した。

 王からの許可を貰ったクレイスは、ゆっくりとピィを見下ろす。彼女を支える手は、少しだけ震えていた。


「……ピィさん。残念ながら、貴女はここまでです」

「……」

「俺は今から、ノマン王のもとに貴女を連れて行きます。恐らくあちらに飛んだ瞬間、あなたは宝珠の力を失い絶命するでしょう」

「……」

「最後に、何か言っておきたいことはありませんか?」


 クレイスの問いに、ピィはよろよろと顔を上げた。

 ……最後ってなんだ、最後って。今から死ぬのに喋ることなんてあるわけないだろ。つーかお前、ほんとに吾輩が宝珠と一体化してることに気づいてなかったのか。アホだな、案外。

 ところで、自分を連れて帰ったとしてコイツはどうノマンを殺すつもりなのだろう。全ての宝珠が揃うならば、ノマンは莫大な力を得るはずだ。殺すことは余計に困難になるのに。

 ……ああ、もしやとっくの昔にノマン側に寝返っていたとか? そういやそれも考えられるな。むしろなんでその可能性を考えなかったんだろう。アホだ吾輩。アホ。


 正直、聞きたいことは山ほどあった。だけど全てを問うには、時間も体力も足りない。一言二言がやっとだろう。

 ああでもないこうでもないと考える。するとふいに、これは使わないだろうと深い所に押し込んでいた言葉が、勝手に彼女の喉を這い上がってきた。


「……て……やる……」

「……え?」


 その言葉があまりにも小さなものだったので、クレイスは耳を近づける。だからピィは、ベロウ曰く彼の弱点らしいその耳を摘んで、もう一度だけ言ってやったのだ。


「……今なら、謝れば……許してやる」

「……」


 その言葉に、クレイスはキョトンとしてピィを見た。それから、数秒。クレイスはピィの胸に目を落とし、初めて気づいたように言った。


「……貴女、まだ、俺のペンダントを持っていてくれたのですか」

「……」

「……うわー、あー、うわー……」


 クレイスは、手で口を覆い何やら呻き出した。なんだコイツと思って眺めていたピィだったが、突然強く抱き締められて息が止まった。

 その状態で、早口で呪文を囁かれる。途端にピィは楽に息ができるようになった。


「……かけられた魔法を、そのまま術師に跳ね返す魔法をペンダントにかけました。これを身につけている限り、宝珠の近くにいてもピィさんから漏れ出た魔力の大半は貴女の体に帰るようになります」

「……お前」

「こんな俺を信じてくれて、ありがとうございました。ようやく心が決まりました」


 クレイスはピィから体を離す。そして微笑むと、胸元から美しい水晶がはめ込まれた器具を取り出した。

 それを見たノマンの影が、目を見開く。


「クレイス君、何を考えている!? 早くその魔物を連れてこい!」

「どうも事情が変わりまして。いや、もしかするとだいぶ前から変わっていたのかもしれませんが」

「その装置を壊してみろ! これは裏切りにあたる! 僕は裏切り者は決して許さないぞ!」

「知ってますよ。あなたは少しでもご自身の意に沿わない人間がいれば、即刻亡き者にしてしまう。俺とて、何度もその光景は見てきましたから。……ですが」


 クレイスが呪文を唱えると、辺りに散らばっていた煙が器具に集まり始めた。


「――すいませんねぇ、俺は“千枚舌”なもんで」

「クレイス、貴様ぁ……!」

「クレイス!」


 クレイスの体は、煙と共に消えかけていた。どうやら影を戻す際、連動して彼の体も強制的に元の場所に戻されてしまうらしい。


「クレイス! 今戻ってはダメだ! ノマンに殺されるぞ!」

「ピィさん……! 嘘ばかり、ついて……すいませ……!」

「いいから抵抗しろ! クソッ、体が動かん……!」

「……ッ! ピィさん! 後ろ!」

「え」


 突如迫り来る殺気に振り返る。そこには、本来ではあればクレイスと共にノマンに帰るはずだった泥人形が立っていた。

 しかし、途中でピィが鎖を切ったせいでその因果は壊れ、かつクレイスが消えかけている今コントロール下から完全に外れてしまったのである。

 ピィが愕然としている間にも、クレイスはかき消えていく。今やバーサーカーとなった泥人形と二人、まだ体が動かないピィは残されてしまう。

 それでも彼女は、クレイスに向かって声を張り上げた。


「待ってろクレイス! 絶対吾輩が助けに行くからな! 気合いで生きろよ! 死ぬな!」

「……!」


 返事は無かった。ピィの背後に、ついに泥人形の腕が振り上げられる。

 だが、この時ピィは、城に近づいていた二体の魔物の存在を感知していた。


「……まったく……不甲斐ない王ですまんな」


 彼女の声に応えるより先に、泥人形の上半身が一瞬にして消し飛んだ。

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