6 黒い泥のモンスター

 光の中に、一つの影が立っている。その男の姿を、ピィは無表情に見つめていた。


「……ご安心ください。城の外の魔物達には、傷一つ負わせていません」


 一歩一歩、声の主がこちらに歩み寄ってくる。ジャラジャラと鳴る鎖の先には、彼の身の丈二倍はあろうかという巨大なモンスターが繋がれていた。


「ですが、半日は動けないでしょう。そういった魔法を施しましたから」

「……つまり、吾輩が素直に宝珠を渡さなければ、直ちに応援を呼び部下を殺すと」

「そういうことになります」


 ピィの赤色の目が不快に細まる。けれど、クレイスは気にした様子も無かった。


「だからピィさん。部下を思うのなら、俺に魔国の宝珠を渡してください」

「……断る」

「良いのですか?」

「ああ」


 ピィは、一歩足を踏み出した。


「お前が外に合図を送る前に、殺せばいいだけの話だからな」


 剣を抜き、一閃。魔力の伴った衝撃波がクレイスに向けて走ったが、彼は落ち着き払った顔でモンスターを引き寄せ盾にした。衝撃波はモンスターの腹に食い止められ、クレイスには届かない。

 ……まあ、こちらもこの程度の不意打ちで殺せるとは思っていないのだが。ピィは剣を握り直すと、モンスターの元へと駆けた。

 モンスターは全体的にぬらぬらとした黒色をしており、移動するたびに腐臭と泥を撒き散らしている。その強烈な悪臭のせいで、ピィは魔力を感知する鼻が効かず、魔物であればあるはずのコアの位置を測れない。

 だが、結局は斬れば済む話なのだ。ピィは剣を振りかぶった。


「……効きませんよ」


 間近でクレイスの声がする。咄嗟にそちらの方向に向けて拳を振るったが、あっさり避けられてしまった。


「なんだ貴様。魔王にヒントをくれるなんぞ、どういう風の吹き回しだ」

「滅相もない。俺はあくまで極力穏便に取引を進めたいだけですよ」

「吾輩の部下の命を盾にしておいてよく言う。ますます嫌いになるぞ」

「そんなこと言わないでください」


 一瞬、クレイスが本気で悲しそうな顔をした気がした。だがよく確認する前に、モンスターが割り込んでくる。

 モンスターの振り下ろした腕を剣で受ける。その隙に、またクレイスが話しかけてきた。


「ピィさん、あなたやヨロ国ではノマン王に敵いません。それは薄々勘付いてらっしゃるでしょう?」

「全然バリバリ勝てると思ってるが?」

「あの戦況でどうしてそんなに自信満々でいられるんですか。……フーボ国の宝珠が作り出したゴーレムは、今やかなりの精度と強度を誇っています。限りがある脆い人間兵相手ならば、長期戦になればなるほどこちらの有利となる」

「……」

「俺の見込みでは、あと一ヶ月もしない内にヨロ国は落ちます」


 モンスターの腕が、剣越しにピィに迫る。


「ですがピィさん、俺はあなたが宝珠を渡してさえくれれば、決して悪いようにはしないと約束します。魔国もヨロ国も、俺が直接ノマン王に口利きして良きように取り計らいましょう」

「……その言い方だと、さもノマンは世界を牛耳る気でいるように聞こえるが」

「ええ」


 クレイスは、淡々と返した。


「彼の目的は、世界の征服です。……そしてその目的を叶えるのが、各国に収められていた宝珠。“古のモノ”の力を封じた宝珠がノマン王の元に揃えば、彼はこの世界の全てを手に入れることができるのです」

「……はっ。だったら、尚更貴様の提案は呑めんな」


 ピィは笑うと、剣を持つ腕に力を込めた。


「知ってたか? 吾輩の目的も、世界征服なんだよ」


 モンスターの腕を跳ねのける。そうして剣を漆黒の巨体を脳天に叩きつけると、体を真っ二つにした。

 右と左に分かれて、ゆらりと崩れる泥。しかし、その断面にピィは信じられないものを見た。


「……なんだ、これは……!?」


 まず気づいたのは、限りなく黒に近い赤色と白い塊。そこからずるりとこぼれた肉が、べちゃりと音を立てて床を汚した。

 そろそろと、モンスターの顔にあたる部分に目をやる。腐りかけた眼球と、まばらな歯が、ピィを見下ろしていた。


「人……!」


 だがそこまでだった。巨大は互いの腕で自分の体を引き寄せると、再び癒着させる。それから、何食わぬ顔でまたピィに手を伸ばしてきたのだ。


「クレイス! これはどういうことだ!!」


 モンスターの攻撃を避けたピィは、声を張り上げた。


「なんで、なんで中で人が死んで……! いや、そもそも死んでいるのか!? 何なんだアレは!?」

「……それは、俺にも分かりません」


 ピィの見たクレイスは、初めてはっきりと分かるほどの苦渋の面を示していた。


「わかるのは、これはノマン王が“フーボの無限の泥”で作った何かだということです。……宝珠の力で生み出された泥を人の体内に入れて、馴染ませれば。そうすれば、人知を超えた力を手に入れることができると」

「……その馴染まされた人間に、意思はあるのか」

「それも分かりません」


 巨大な腕が、誰もいない空間を掴む。それはまるで、苦しみにもがいているかのようにも見えた。


「……ですが、人をベースにしているからでしょうか。ただの泥人形より、そして単なる野生動物を馴染ませた時より、賢く、強い」

「……!」

「……ピィさん。もしこれが、兵として投入されようものならどうなるか。あなたには分かりますよね」

「貴様!」


 ピィは、鋭い爪でクレイスと真っ黒な泥人形を繋ぐ鎖を断ち切った。そしてクレイスを掴むと、部屋の隅にまで追い詰める。


「どういうつもりだ! 同族を……仲間を何だと思ってる!?」

「……」

「しかも吾輩が宝珠を差し出さなければ、こんなモノに成り果てた同胞にヨロ国や魔国を襲わせると言うのか! こんなモノに、我が部下や同盟国の人間を殺させると!? 答えろ、クレイス!!」


 壁に追い詰められたクレイスは、しかしなお落ち着いた目をしていた。


「……その可能性は、高いでしょう。だが俺も、極力そのようなことはしたくない。だから、ピィさんが最後の宝珠を差し出してくれれば、あなた方を優遇しようと提案しているのです」

「バカ言え! 身内にすらこんな仕打ちをする奴らの元になど下れるか! 大体――」


 ピィは大きく息を吸い込んだ。


「魔国の宝珠は、既に吾輩に同化しているのだ! どうしても持っていくというのなら、吾輩の身をふんじばって連れて行け!」

「……は?」

「だが言っておくが、我輩は絶対大人しく貴様なんぞに連れてかれてやらんぞ! そんなことするぐらいなら、自分でコアを砕いて死んでやる! 覚えておけ!」


 クレイスは唖然としている。一方ピィは、肩で息をしていた。

 ……言って、しまった。

 自分が、宝珠そのものであることを言ってしまった。

 珍しく自分なりにたくさん考えて、我慢して力も使わなかったのに。でも頭に血が上って、気づいた時には言葉が勝手に口から出ていたのである。出させる方が悪いと思う。

 対するクレイスは、真っ青な顔をして立ち尽くしていた。なんだその顔。


「……その話は、本当ですか。いや……可能性はある、とは思っていましたが。ですが、それだとあの時ベロウさんが持っていた宝珠は……ああ、だけどそんな……!」


 明らかに動揺している。ここでピィは、彼の体を白い煙が漂い始めていることに気がついた。

 クレイスは、唇と声を震わせてピィの真っ赤な目を見る。


「――ピィさん。何故、それを今の俺に言ったんです」


 クレイスの顔の横に、別の顔が現れる。それはまるで、彼を取り巻く煙から生じているようだった。


「……クレイス君、よくやったね……。やはり、君を交渉役として送って良かったよ」


 その顔を、ピィは見たことがあった。


「貴様……ノマンか!」

「あれ、君はあの時に部屋にいた女の魔物じゃないか」


 睫毛の長い美麗な目が、ピィを捉える。その瞬間、彼女の息が止まった。

 ……いや、違う。これはもっと、何か別の……!


「とにかく、話は聞かせてもらったよ」


 彼の朧げな人差し指が、ピィを指す。

 ――これは……魂が、体から剥ぎ取られようとしている?


「つまりは君を、うちの国に持ち帰ればいいんだね」

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