4 訪問者
何故、このタイミングでクレイスが来たのだ。まさか、こちらの仲間になってくれるつもりで……。
「楽観はいただけねぇなぁ、嬢ちゃん」
混乱するピィに、ゆっくりとベロウは言い聞かせる。
「ヨロ国に人手を割いて、今魔王城の守りは手薄になってんだろ? そこを狙ってやって来てるんだ。どんな顔してても、そいつはロクな奴じゃねぇ」
「で、でも……」
「そもそもクレイスって奴ぁ、お前さんと二人で話したい時に堂々真正面きって来るやつなのか?」
その問いに、ケダマを抱えるピィは少し考えた後に首を横に振った。
「……いや。今まで奴が二人で話したいと思った時、いつも吾輩の部屋に侵入してきていた」
「アイツヤベェな」
「なるほど、ベロウの言う通りだ。ありがとう、アイツには、何か別の狙いがあるのかもしれない」
ピィはヒョロルンに指示を出すと、ベロウの映る水晶玉を持たせた。そうしてマントをはおり、バルコニーへと向かう。
「それにアイツは、以前吾輩に言ったんだ。……もう二度と、自分の言葉を信じないように。次は吾輩の敵として討ちに来る、とな」
「そりゃあ難儀な約束事を交わしたもんで。……あれ、なんか水晶移動してね?」
「ああ、ベロウには吾輩と共にクレイスの言葉を聞いてもらおうと思ってな」
「なんで!?」
「あなたの言った通り、魔王城は戦力の大部分をヨロ国につぎ込んでいて今は参謀すらいない。しかし、吾輩一人ではクレイスの真意を見誤りかねんからな。そこでリータとクレイスの師であるベロウについていてもらえたら、大変心強いと思うんだ」
「た、大役ぅー」
「褒美も出すぞ。魔国でのみ採れる暗黒瑪瑙のブレスレットなどはどうだ」
「何それ」
「珍しいから高値で売れる逸品」
「やりますぅー」
まあ、それなりに魔力の相性が合っていないと呪われて死ぬらしいが。ベロウなら大丈夫だろう、多分。
「……さあ、行くぞ」
「はいよ」
バルコニーに続く窓を開ける。肌寒い風と、魔力の雲に覆われ常に薄暗い魔国の空。少し目線を下にやれば、城の正面扉に訪れた者の姿が視認できるようになっている。
そして今そこにいたのは、事前に聞いた通りの男。クレイス=マチェックが、魔物に囲まれて立っていた。
「……クレイス」
ピィの呼びかけに、クレイスの首が傾く。その灰色の目に自らの姿が捉えられたと分かった瞬間、ピィの胸奥がドキリと音を立てた。
だが、そんなことを悟られてはならない。ピィはあえて胸を張ると、堂々たる声を上げた。
「この裏切り者め! 何を今更おめおめと戻ってきた!」
「……ピィさん、ご無沙汰しております。あまり賑やかになされないでください。これでも秘密裏に来ているのですから」
「真正面から来ておいて秘密裏とは笑わせる! 貴様のような者に城を開けるものか! とっとと帰れ!」
「……なんか会話だけ聞いてたら、朝帰りした旦那を閉め出してる嫁さんみてぇだな」
「聞こえてるぞ、ベロウ」
余計なことを言う男を窘めておいて、クレイスの出方を窺う。彼を囲む魔物らは、かつての仲間の登場に動揺しているようだった。
「な、なぁ、クレイスぅ、どうしちゃったんだよぉー。そんな顔してねぇでさ、前みてぇに寝床でどんなメスツノが一番そそられるかみんなで楽しく話そうぜぇ」
「ギャギャッ! ギャッ!」
「そうだよ! お前、ツノはちょっと生えててそれを気にしてるのが一番可愛いっつってたじゃん! アレ聞いてオレ、人間にも見所のある奴がいるって思ったのに……!」
「むー! むー!」
「ぼくは、あなたが馬車から助けてくれたことを忘れていません! あなたは、本当は魔物の味方なんでしょう? 魔王様も待ってますよ! 戻ってきてください!」
「うきょきょきょっ!」
皆思いがあるようで、口々に彼を説得している。けれどクレイスは落ち着いたもので、それら呼びかけ全てを無視してピィを見上げていた。
「……ピィさん、俺の話を聞いてください」
「……」
「俺は今、国王ノマン様の為に宝珠を集めています。宝珠の持つ力の強大さは、もうご存知でしょう? ……あんなに素晴らしい力が大人しく封印されているなんて、実に勿体ない。解放し、然るべき方により適切に行使されるべきです」
「で、その然るべき方とやらが、ノマンというわけか」
「はい。彼こそ、この世界の頂点に立つお方です」
「……ベロウ」
「嘘をついてるな」
クレイスには聞こえないぐらいの声量で、ベロウは言う。
「アイツの昔からの癖だ。嘘をつく時、ちょっと声の波が大きくなる」
「……しかし、奴は今その嘘をつかないといけない立場というわけか」
「ああ。つまり秘密裏に来てるなんて真っ赤な嘘だね。んで嬢ちゃん、その宝珠ってのは魔王城にあんの?」
「いや、私が取り込んでる。故に宝珠は吾輩そのものだ」
「はぁ!?」
「クレイス!」
ベロウとのやり取りを打ち切り、ピィはまた声を張り上げた。
「ならば貴様の望みは、魔王城に眠る支配の宝珠! それで間違いないな!?」
「はい、その通りです。今や魔王城の宝珠以外は、全てノマンの手にあります。ピィさんが宝珠を差し出してくれたなら、俺はすぐにでもここを去ります。ですが、もし抵抗すると言うのなら――」
クレイスの唇が小さく動く。すると、彼を囲んでいた魔物の数匹がその場に崩れ落ちた。
「シプロ! オンツェッラ! ドジーフォル!」
「なっ……恩人さん、何をするんだ!」
「――」
「……ッガッ……息、が……!」
彼らを先頭に、バタバタと魔物が倒れていく。クレイスは剣を抜くと、その内の一匹の胸に刃先を当てた。
「ピィさん、ご決断ください。あなたが宝珠を持ってくるまで、俺はここにいる魔物のコアを一匹一匹破壊していきます」
「……ッ!」
「それだけではありません」
クレイスの後ろから、ゆらりと巨大な影が揺らめく。その巨大のバケモノはおぞましい咆哮を上げると、耳まで裂けた口で倒れた魔物の肉を引きちぎろうと覆いかぶさった。
「“待て”、ですよ」
しかしそれをクレイスが阻んだ。彼の手から伸びた鎖は、真っ黒な巨体のバケモノに食い込んでいる。
「……ピィさん、宝珠を俺に渡してください」
「……」
「あなたの部下が、彼に食い殺されるのは見たくないでしょう?」
ケダマが小さく鳴く。それでようやく、ピィは自分が恐怖に震えているのだと分かった。
水晶玉を持った部下も、眼下の光景にガタガタと震えている。「何!? 何が起こってんの!?」とベロウの焦る声がやけにクリアに聞こえていた。
……最初から、クレイスを殺していれば良かったのだろうか。魔物達に命じて、言葉を発する暇も与えず。
いや、そうすれば後ろのバケモノが暴れていただろう。……しかし、あれは何者なんだ? ヴェイジルが変化したものに似ている気がするが、それにしては……。
とにかく、クレイスはともかくあのバケモノに敵う者は今この城にはいない。
――自分以外には。
「……舐めるなよ、勇者」
半年前のクレイスの言葉を信じるなら、奴は自分を討ちに来たのだろう。ならば、本来自分は逃げるべきなのかもしれない。
しかし、こうなってしまったからには道は一つだ。ピィは拳を握ると、顔を上げた。
「吾輩は、魔王だ! 勇者に伝説のアイテムを渡せと言われて、易々と下る魔王がいるか!」
「……」
「だが、魔物ですら顰蹙する卑怯極まるその振舞い! 良かろう、貴様を我が腹に迎えてやる!」
魔王城の正面扉が開く。しかしそれには目もくれず、クレイスはピィを見つめていた。
「……貴様も勇者の端くれなら、力尽くで奪いに来るがいい」
水晶玉の向こうでは、慌てたベロウがヨロ国王妃に状況を説明している。……ここから先は、少々面倒なことになるだろう。自分としても、できれば避けたかった展開だ。
けれど、自分の身は自分で守れと言うだろう。
「ケダマ、ついてこい。装備を整えるぞ」
ピィは深呼吸をすると、身支度を整える為に自室へと向かった。
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