7 握手

 一週間後に会ったクレイス=マチェックは、やはりケロリとしたものだった。


「俺の実力を分からせてやりましたよ」


 うん、お前が元気ならそれでいいんだが。

 ツルモは、距離をとってこちらの様子を窺っている。一応、一対一でクレイスと話すことで現状を把握する為と言っているが、実際はベロウが奴ともう話したくなかったという面が大きい。

 ともあれ、ツルモとの親子生活は特に支障無く続いているらしい。脅しが効いているのか、はたまた単純にクレイスが使える奴だと認識されたのか。そこまではベロウには分からなかったのだが。


「ではベロウさん、ここでお別れです」

「おう」


 しかし、たかが一週間離れただけなのに、すっかり貴族の服が似合うようになってしまったものである。見慣れないクレイスの姿を複雑に思いながらも、ベロウはポケットに手を突っ込んだまま話を聞いていた。


「今日まで、どうもありがとうございました。お陰様で次に会う時までにはきっと、俺ははちゃめちゃに出世してると思います」

「その自信どっから湧いてくんの? ……ま、そん時ゃ賄賂贈るから色々融通してくれよ」

「嫌です」

「クソ可愛くねぇ」


 吐き捨ててやると、少し微笑んだクレイスにスッと右手を差し出された。金でも握られてるのかとしげしげ眺めてみたが、どうもそうではないらしい。


「……どうしました、ベロウさん。握手ですよ、握手」

「ん? ……ああ、そういうことね」


 あまりにも馴染みの無い行為なので、すぐに脳内で結びつかなかった。ベロウは一度ズボンで手を拭くと、クレイスの手を握った。

 手を握れば、何となく相手がどんな境遇か分かるものである。この一見凛とした佇まいのクレイスの場合は、自分と同じで案外固く、苦労を滲ませる手だった。

 ……でもこれも、ここから先は変わっていくんだろうな。そう思ったベロウは、今の彼のこの手を覚えておこうと強く握った。


「……そういやお前には、女の口説き方ひとつ教えてなかったな」

「いりませんよ、そんなもん」

「いや、案外重要事項だぜ。知ってるか? この世界の半分は女なんだぞ」

「はぁ」

「そりゃあ基本的にはどいつにも愛想良くしておいたらいい。男もそうだが、特に女にな。覚えとけ、女一人に嫌われるのは、イコール女五人に嫌われるってことだ」

「そういうものなのですか」

「なのですよ。つーわけで、だ。お前が生涯かけて口説く女は、たった一人に絞っておくべきだとオレ様は思う」

「まさかの一本狙い」


 少し笑われる。しかし、ベロウは真剣であった。


「年長者の言うことは聞いとけ。なんかオレ様の勘が、お前は初恋拗らせるって言ってんだよ」

「そんなことありませんよ」

「いーや、拗らせるね。絶対拗らせる。お前みたいなスカした顔の奴がうっかり一目惚れした日には、暴走してめちゃくちゃ厄介なことになるんだ。そんで今まで遊んできた女達を一瞬で蔑ろにして恨まれ、最後には背中から刺される」

「失礼な」

「でも幸いにしてお前は顔がいい。頭もいい。要領も、貴族社会に揉まれてこれから良くなるだろう。だからしつこく粘りまくれば、惚れた相手はお前に落ちてくれると思う。多分」

「褒めてくれていると思うのですが、全然嬉しくないのは何故ですかね」

「故にオレ様からの選別の言葉はこれだ。『女は一人に絞って口説け』。この一言に尽きる。いいか? 絶対周りに流されて誰彼構わず口説くなよ? こと女関係はあっさり身を持ち崩させるからな」

「それは普段のベロウさんを見ていれば自ずと分かります」

「オレ様反面教師になっちゃってたかー」


 ……さて、これで先輩風も吹かせられた。ベロウはようやく、笑ってクレイスと別れられる気持ちになったのである。


「そんじゃ達者でやれよ、クソガキちゃん」

「ええ。さようなら、ベロウさん」


 最後にもう一度強く握って、手を離す。豪勢な屋敷に帰っていく、貴族の服を着た黒髪の少年。まるで別人のようになった彼をベロウは一度だけ振り返ったが、向こうが振り返ることはついに無かった。


 ――そうだ。それから久しぶりに会ったんだった。何年ぶり? 十年ぐらいかね? わかんねぇけど、クソ生意気な面だけは変わってねぇもんだ。

 お前のことだ。どうせオレ様達に聞かせるために、わざと隣にいる男の名を呼んだんだろう。なるほどね、そいつがお前のずっと殺したいと思っていた男か。

 なんとも綺麗な顔をしてるもんだ。リータといい、王族ってのは綺麗な嫁さん貰い続けてそうなっていくもんなのかね?

 ……ああ、ダメだ。オレ様はまだ意識を飛ばしちゃいけねぇ。そうだよな、この十年世界は何も変わってねぇ。むしろノマンの手は広がり続けて、酷くなる一方に見える。で、お前はそんなバケモン相手に隣に立てる所まで来たのか。すげぇな。そこはオレ様としても、素直に褒めてやっていい。


 でも、世界でたった一人で生きてるような目まで、あの日のままなのか。


「……! 王妃様ーっ! チンピラが目を覚ましたにゃー!」


 ――どうすれば良かったのか。一緒に行ってやりゃあ良かったのか。ああ、どうにもオレ様は、かつての選択を後悔してるらしい。


「チンピラ! ニャニャ達の言うことが分かるかにゃ!? しっかりするにゃ! 今王妃様が来てくれるにゃ!」


 だが、自分はしがないチンピラである。どうにかしてやりたくても、どうすることもできない。

 クソッ、こんなことならもっと真面目にババアの魔法の授業を受けてりゃ良かったか――。


「あらあらまあまあ! ベロウさんが気付かれたんですか!? ニャンニャン医療隊さん達、教えてくださってありがとうございます!」

「ニャニャ達、魔物と人間の治し方しか知らないからにゃ! チンピラの治し方は難しいのにゃー!」

「大丈夫ですよ、チンピラさんも人間と同じです。ここまでよく頑張ってくれましたね」

「にゃー!」


 ……。


 いや、何事?


「ああ、よかった。本当に目を覚まされたのですね!」


 ベロウが目を開けると、バシセラル戦記に登場する女神様のように美しい女性と、そしてたくさんの猫がこちらを覗き込んでいた。

 状況に混乱する。まだ不明瞭な視界を瞬かせてベロウは尋ねた。


「……え? ここは天国ですか……?」

「まあ、まだ寝ぼけてらっしゃるのね」


 場所は、ヨロ国。彼の目の前には、回復魔法のエキスパートであるマリア王妃とニャンニャン医療隊。

 こうしてベロウは、一週間の長い眠りから覚めたのであった。




第5章

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