5 先生
それから半年後。異国の上等な服を身につけたベロウは、とある貴族の屋敷の前に立っていた。
「……ベローザ=ソラシドと申します。ツルモ=マチェック様とのお約束にて馳せ参じました」
偽名を使ったベロウのその一言に、門兵は頷き道を開けてくれる。……どうやら無事に話が通っているようだ。まずは一安心である。
その自分の隣には、これまた異国の装束に身を包みうつむく少年がいる。彼――クレイスの頭には、顔を覆い隠すように絹のスカーフが巻かれていた。
「おお、これはこれはベローザさん。お待ちしておりました」
屋敷に入ったベロウらを出迎えてくれたのは、恰幅の良い脂ぎった男であった。ベロウは一礼すると、クレイスの頭に被せられた布を摘んだ。
「こちらこそ、マチェック様。お約束通り、御所望の子をお持ちしましたよ」
布を取り払う。
そこにあったのは、いっそ神秘的なまでの美であった。陽の光を受けてなお月色に輝く髪色。全てを美しく映しこむ、人の血よりも赤い瞳。
まるで夜の宝石を体現したかのような少年に、ツルモ=マチェックは鼻息を荒くして近づいた。
「素晴らしい、素晴らしい、素晴らしい……! これが、希少人種・スノーコーラル族の突然変異種か!」
ツルモに両頬を包み込まれ、クレイスは真っ赤な目を覗き込まれる。その目には、何の感情も浮かんではいなかった。
「俺は昔、市場で売買されていた奴隷の一人だったんです」
場面は、半年前の夜に戻る。暗い目をしたクレイスは、同居人であるベロウに己の過去を話していた。
「けれどいざ売られようとした時、暴動が起きて市場が大混乱に陥りました。その隙をついて、俺は逃げ出すことができたんです」
「ああ、そりゃ大変だったな」
「はい。……そうして逃げた先は、奴隷国のサズでした。ご存知かとは思いますが、王を戴かない、今となってはノマン王国に搾取されるだけの哀れな国です。ですが、逆を言えば管理された奴隷でさえいれば毎日の食に困ることはない。俺はそれを当てにして逃げてきたのですが、異国の子供がすぐに働き口を得られるわけもなく」
クレイスの手が、左手首を撫でる。無意識の仕草だったのだろうが、ベロウはそこに手枷の幻覚を見た気がした。
「そうして力尽きて倒れていたところを助けてくれたのが、ダークスという名の奴隷でした」
手首を掴む手に、ぐっと力が込められる。
「彼は、盲目の老人でした。ですが不思議なほどの知識を蓄えており、時間があれば子供達に読み書きなどの勉強を教えている希有な人でした。……俺は彼から“クレイス”という名を与えられ、何人もの孤児と共に暮らすようになったんです」
「へぇ、いい人に拾われたじゃねぇか。じゃあお前が読み書きできるようになったのも、そのジーサンのおかげってわけだ」
「ええ。加えて、彼は何十冊もの本を隠し持っていました」
「ふーん、奴隷にしちゃ珍しいな」
「はい。特にサズ国の奴隷は本を所持してはならないので、見つかれば厳罰に処されます」
「ヤベェ奴じゃん」
「確かに、彼はとても変わった人でした。知識は独占すべきものではないと口癖のように言い、俺たちにも本を見せてくれていましたからね。……昼は奴隷として働き、夜はみんなと食事をして、先生の授業を聞く。決して自由ではありませんでしたが、俺にとっては初めて得た人としての時間だったと思います」
クレイスの声が楽しそうに弾んでいる。……きっと、彼にとっての当時はそれほどまでに楽しい思い出なのだろう。
それを向かいに寝転んで眺めていたベロウだったが、ふと頭を上げた。
「……けれどある日、先生はノマンに目をつけられました」
クレイスの目に、チリリと憎しみの炎が燃えたのだ。
「奴隷は、働く以外に生きる意味を持ってはならない。しかし先生は、惜しむことなく様々な知識を多くの奴隷に与えていました。……このままでは、生かさず殺さずで飼っていた奴隷の中から謀反者が出るかもしれない。それをノマンは恐れたのです」
「……そうか」
「ノマンは兵を派遣し、先生の住んでいた家を襲撃しました。そして彼に……“無限の泥”でできた枷を、つけたのです」
「無限の、泥?」
知らない単語に首を傾げる。クレイスは頷くと、自身の足首に触れた。
「ノマンは、“無限の泥”という怪しげなアイテムを持っているんです。なんでも先生が調べた所によると、その泥は一人の主人にのみ仕え、そして主人の望んだ通りの動きをするらしいのですが……」
「えーとつまりなんだ、それを足につけられたってことは奴隷としての動きしかできなくなるってことか?」
「はい。あまり複雑な動きはできないようですけどね。けれど奴隷の動きは単調ですから、それも可能だったのでしょう」
ベロウは、クレイスの爪が血が滲むほど足首に食い込んでいるのに気がついた。
「その時の俺は、たまたま彼の秘密の図書館にいて見つかりませんでした。ですが、先生と他の子供は全員泥の枷をつけられどこかへ連れて行かれ……残ったのは、これだけでした」
クレイスが胸元に手をやる。そこには、赤いペンダントがしまわれていた。
「……あの時のみんなの悲鳴は、未だ俺の耳の奥に残っています。だから俺はノマンを打ち倒し、先生達を助けなければならないんです」
「いやでも、そりゃ極端じゃねぇか? だって泥を外したら済む話なんだろ? 何も殺さなくたって……」
「泥は、主人が命じるか死なない限り、その縛を解くことはありません。そして、ノマンが命令を撤回するとは考えにくい。……ならば、その主人の命を奪うしか手立てが無いでしょう」
真剣な目をしたクレイスを前に、腕組みをしたベロウはううんと唸った。……事情があるとは思っていたが、やはりコイツは相当しんどい思いを重ねてきた奴らしい。
でも、やっぱりこの歳で誰かを殺さねばと覚悟を決めて生きていくのはいただけねぇ。そう思ったベロウだが、さりとて引き止めるほどの理由も無い。だから代わりに、深いため息をついた。
「……ノマンのやつが、都合良く病とかで死んでくれりゃいいのにな。そうすりゃぜーんぶまるっと解決すんのに」
「ええ、本当に。……ですが、それも望めないんです」
「え? すげぇ健康体ってこと?」
「いえ。……ノマン=サズエルは、死なない体なんですよ」
クレイスは、やはり冗談を一つも言わない口で静かに言う。
「彼は、不老不死なのです。その証拠に、ノマン王国が建国されてからの二百年間、ノマンは皺一つ増やすことなく生き続けています」
「……は?」
いや、何それ。バケモンじゃん。
とても驚いたし、そもそもそんなもんをどうやって殺すのかがベロウには気になった。が、時間を無駄にしないクレイスによって話題は上書きされていく。
「まあそういうわけで、俺はノマン王国に乗り込み直接奴を殺す必要があるのです。しかしその足掛かりとして、あなたが言う通り貴族の後ろ盾が欲しい。よって、ベロウさん」
「はひっ!?」
「あなたはまず、奴隷商人に扮してください。そして、それなりの地位にある貴族に俺を売りつけて欲しいんです」
「展開早ぁい……」
「あ、その際ノマンに対して後ろめたいことがある変態性小児愛者なら尚都合がいいのですが。そういった人に取次は可能ですか?」
「いるわけねぇだろ、そんなピンポイントなド変態!」
――ところがどっこい、いてしまったのである。
なんでこんな奇跡みたいなクズ野郎がいたかは分からないが、いてしまったのなら仕方ない。ベロウは変態貴族の信頼を勝ち取るべく、この半年間足繁く貴族のもとに奴隷商人として通ったのである。
そうしてついに、奴が“美しく珍しい異国の少年”を養子に求めていることを引き出したのだ。
「オレ様の手腕ヤベェ」
「ええ、流石ベロウさんです。普通の人なら視界に入れることも躊躇うような人を相手に、粘り強く半年も通い続けたんですから」
「言っとくけど、お前そいつの養子になるんだからな?」
だが、問題は貴族の出した条件だ。異国の少年は通っているが、“美しく珍しい”ときたら……。
「大丈夫ですよ。俺結構見た目いいんで」
「自分で言うかね」
「自己陶酔しているわけではありません。ただ、自分を客観的に見て使えそうなものを理解しているだけです」
「へいへい。そんで、“珍しい”の方はどうクリアするわけ?」
「……こんな話を読んだことがあります。ヨロ国の外れにある村に、かつてスノーコーラル族と呼ばれる少数民族が住んでいたそうです。そこでは、ごくごく稀に月色の髪をした赤目の子供が生まれたと」
そういえばこの話をした日も、月が出ていた夜だった。クレイスは、膝を抱えて半分になった月を見上げていたものである。
「もっとも、大抵は魔物の子としてすぐ殺されたそうですが。……でも、たまたま生き延びたと見られる子供に、俺は奴隷市場で会ったことがあります」
「ふーん」
「そこでどうでしょう、俺がその生き延びた子という設定にしておくのは。これなら貴族も食いつきませんかね?」
「少数民族に生まれる珍しい子供、ね。ああ、それならいけそうだ。髪は適当にカツラ作りゃいいし、目は、そうだな……アカルリの実の皮を貼りつけりゃいけるか」
「では、それでいきましょう」
「おう」
こうして話は決まり、オレ様たちは今その貴族――ツルモ=マチェックの屋敷を訪れているのである。
……さあ、ここからが正念場だ。
高価な装束を身につけたベロウは、人知れず深呼吸をし胸を張ったのである。
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