3 詐欺指南

 こんな国とはいえ、日銭を稼いで真っ当に生きている奴も多くいる。かつてはベロウも、そうした者の一人であった。

 父親は出奔し行方が知れず、母親も殆ど帰ってこない日々。たまに戻ってきたとしても、彼女が連れてきた男と共にすぐ自分と弟は追い出されてしまう。

 その頃のベロウは、六つ年下の弟と生きていく為、靴磨きやら小間使いなどで必死で日銭を稼いでいた。そうするしか方法が無いと思っていたのだ。母親だって自分の体で稼いでおり、決して犯罪者であったわけではない。だからベロウも、綺麗な手で金を得ねばならないと思っていたのである。

 それを知ってか知らずか、体の小さかった弟も毎日物乞いをしてはベロウを助けてくれていた。

 ――いつかまとまった金ができたら、絶対に弟を連れてこんな国など捨ててやる。そうベロウは心に決めて、日々を過ごしていたのである。


 しかしそんなある日、あっさりと弟は死んだ。


 病だった。当然医者にかかる金などあるはずもなく、弟は腐った匂いがする部屋の中でただの肉の塊に成り果てた。

 ……人間は死んでも、やりようによればそれなりの値段で売れる。それを知ったのもこの時である。こうして小金が入ったベロウは、腑抜けたように毎日を過ごしていたのだ。

 その商人を見かけたのは、それから数日後のことだったか。彼は以前、弟を騙し質の悪い野菜を高値で売り付けた奴だった。

 しかし今、そんな彼の尻ポケットからは重たそうな財布が覗いていた。それは今にも落っこちそうで、見ていられなくて。

 気づいた時、ベロウは財布を引き抜いて走り逃げていたのである。

 幸い誰にも捕まることなくその場を離れられ、息を切らせて路地裏で中を確認した。……手が、震えた。そこには、かつて見たこともないような額の金が入っていたのである。

 それこそ、自分が弟の病を治す為に四日間駆けずり回り稼いだ五倍以上の金が。


 ――ああ、こんな所にあったのか。


 それを見た瞬間、ベロウは肩の力が抜けてしまったのである。急に全てがバカらしくなって、壁にもたれて天を仰ぐ。落ちてきた雨粒が、自分の頬を叩いた。

 それでようやく、自分は弟が死んでから一度も泣いていなかったと思い出せたのだ。


 ――一日かけて稼いだ金を、たった五分の暴力で奪われたことがあった。泥水をすする前で、腐った肉を投げつけられたことがあった。


 ベロウは金を全て抜き取った財布を、地面に叩きつける。穴の開いた靴の踵で何度も踏みつけ、泥の中に沈めた。


 ――そうだ。二度と食われてたまるものか。


 少年は、薄汚れた布袋に向かって唾を吐き捨てた。


 ――これからは、自分がそいつらを食ってやる。


 そんな怨念で、ベロウという男はここまで生きてきたのである。


 だからだろうか。彼はなんとなく、自分と似た目をしている子供を放っておけない性分だった。といっても、そこまで深く関わりたかったわけでもない。ベロウは自分の身を削ってまで、誰かに奉仕しようなどとは考えない男だった。


「……信用と交渉。詐欺を働くにはこの二本の柱が重要だ。そして交渉は信用で動く。つーわけで、ドデカく騙したい時はまず相手を信用させる所から始めなきゃいけねぇ」


 ……うん? じゃあなんでクレイスをここに置いてもう二年以上経ってるかって? そりゃお前、コイツは頭が良くて便利な奴だからだよ。そうじゃなきゃとっくに追い出してるね。絶対。


「信用させるには、“見せてもいい”自分の腹を見せるのがいい。あえて弱みを見せるって奴だな。鎧を着込んだ奴と、寝巻きで足挫いてる奴。どっちに油断するっつったら、まあ後者だろ?」

「えーと……要するに、自分の情報を開示しろってことですか? それはリスクが大きいのでは……」

「ま、嘘をつけるに越したことはねぇな。だが後で辻褄が合わなくなるぐれぇなら、いっそ本当のことを喋っておくといい。そんでもバレた所で『だから何?』ぐらいの情報がベストだが」


 ……え? それでなんでクレイスに詐欺指南をしてるかって? そりゃお前、コイツから頼んできたからだよ。オレ様の弁舌に感動して、自分も身につけてみたくなったんだとさ。可愛いとこあるよな。


「で、信用させる方法その2ね。一番地味だが手っ取り早いのは、毎日そいつに顔を見せるやり方だ。知らない奴についていっちゃダメだけど、知ってる奴にはついてっちゃうだろ? そういうもんだ」

「ですが、もしそこから金銭を伴う取引ともなればそう簡単にはいかないのではないですか? 毎日顔を見せる牛乳配達員といえど、金塊の絡む取引はできないでしょう」

「いい質問だ。だからお前が相手をデカく騙してぇと思ってんなら、お前は牛乳配達員じゃなくてVIPにならないといけねぇ」


 クレイスは、こくこくと素直に頷いている。ちゃんと聞いているらしい。それに気を良くし、ベロウはますます饒舌に指導する。


「人間ってのは、呆気なく肩書きに騙される生き物だ。小せぇものを売りたいなら小せぇ肩書きを、デケェものを売りたいならデケェ肩書きをだ。といっても、これはそこまで難しいことじゃねぇ。自信満々でそれっぽく見えて、それっぽいことを喋ることができりゃあ大部分は騙されてくれる。ダメ押しで別の人間に証明させれば、まず疑ってくる奴はいなくなるな」

「なるほど、勉強になります」

「おう」

「つまりベロウさんの妙な馴れ馴れしさは、ある意味では強力な武器だったのですね」

「なんでいきなり悪口言ったの?」


 いや、やっぱコイツはダメだ。クソ生意気だ。あー、素直な生徒が欲しい。自分の言うことなんでもうんうん聞いてくれる従順で金持ってる生徒が欲しい。

 まあ、始めたからには最後まで先生ごっこはしてやるのだが。


「……んで、信用を得たら次は交渉ね。もっとも、それが初めての取引だったり、でけぇ価値が動くもんだとなかなか難儀するけど」

「はい」

「最初に言ったが、交渉ってのは信用で動くんだ。つまり交渉が動かねぇってことは、まだこの信用の嵩が足りてねぇってことになる。で、これを埋めるのが……」

「……言葉、ですか」

「ザッツラーイツ」


 ベロウは、指を鳴らして優秀な生徒を褒めてやった。


「金だったり、情だったり。とにかくありとあらゆる“言葉”を尽くして、相手に“自分が損をしない取引”をしていると思わせるんだ。だがこれが難しい。会話の風をうまく掴めねぇと、一気に詐欺師の烙印を押されちまうからな」

「会話の風、ですか」

「ああ。熱気みたいなもん? まあお前もオレ様にくっついて色々聞いてんだ。なんとなく分かんだろ」


 心当たりがあるのか、クレイスは小さく頷いた。


「あとは、目の動きも結構大事かな。オレ様がただイケてるってだけでサングラスをしてると思った? これはね、気を抜いた時にオレ様の本心が目から零れねぇようにする為だよ」

「あ、そうなんですか。完全に格好つけてるだけだと思ってました」

「おん? 破門にするぞ? 今すぐ破門にするぞ?」


 目は、相当訓練していないと頭の動きが漏れてしまう器官なのである。これに気付いている者は少ないが、知っているベロウとしては防護策としてサングラスをかけるようにしていた。


「……ですが、流石ベロウさんですね。百枚舌という異名も納得できます」


 一通り講義を終えた後のクレイスは、感心したようにため息をついた。……こういう面では、やはり素直なのである。年相応といった所か。

 だがそんな彼を見ているうちに、ふとベロウは思い出したことがあった。


「……なぁ、クレイス」


 それは、初めて会った時のこと。クレイスの目を見た時から、ベロウには直感していることがあった。


「はい」

「一つ聞いていい?」

「なんでしょう」

「お前さ」


 人差し指を突きつけ、ベロウは彼に向かって言い切る。


「誰か、殺したい奴がいるだろ」


 クレイスの灰色の瞳が、揺れた。

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