2 子供の死なない世界

 フーボ国で商売をする場合は、貴族の許可が必要である。もっとも、場所代やら何やらも掛かるので無視している奴も大半いるが。まあ後で虫の居所が悪い貴族のオモチャになりたくないのなら、とっとと払っておいた方が無難だとベロウは思っている。

 それに、ちょっと色をつけて払っていればその貴族が後ろ盾になってくれたりもするのだ。そんなわけで、少しでもランクが上の貴族に取り入ろうと必死になるのが、この国の商売人の常であった。

 だから、ベロウもそうなりたかったのである。旨い汁なら吸える方がいい。それは万物の真理だ。

 が、そういった舞台で貴族と渡り合うには、足元を見られてはならない。自衛として、彼らを上回るまでとはいかずとも、せめて“それっぽく見せられる”程度の知的さは必要だったのだ。

 けれどまともな学など、この国でそう簡単に得られるものではない。そうやって悩むベロウの前に現れたのが、クレイスという少年だったのである。


「……なぁ、あの看板に書いてんのは?」

「宿屋。泊まる所、という意味です」

「あ、そう。あそこは息するようにヤラしいお店なわけだけど、その“宿屋”ってのも元々ヤラしい意味?」

「いえ、違います。旅に疲れた人が一晩の寝床を得る場所です」

「ふぅん。じゃ、あれは?」

「風呂屋、ですね」

「あの店もヤラしい店なんだけど、その風呂屋ってのも……」

「ヤラしい意味ではありません。言葉通り、体の汚れを湯にて落とす場所です」

「ほほう」


 クレイスに出会った翌日から、ベロウは彼から文字を習っていた。そしてそれは買い出しの道中にも及ぶ。ベロウは積極的にクレイスを連れ出し、街中にある文字を読ませていた。

 今まで単なる模様だったものが、クレイスと歩くごとに意味を為してくる。その光景が、ベロウには面白く感じていた。


「しかしあれだな。知らねぇだけで、結構街にも字があったんだねぇ」

「はい。とはいえ、古語も多いようですが」

「古語?」

「この地方にある、昔ながらの言葉です」

「ふーん。あ、そういやオレ様の名前もフーボの古い言葉だったもんな。でもなんでそれが今は使われてねぇの?」

「……数百年前、一度全ての国が統一されました。その時に、言葉も同じく揃えられたんです」


 埃っぽい地面を蹴り進み、黒髪の少年は言う。


「けれど、そうすぐに新しい言語が人々の生活に馴染むはずもなく。こうして古語が並行して使われていた結果、未だ各国の至る所にこうして残っているんだそうです」

「なるほどねぇ。でもなんでお前、ンな昔のことを知ってんのよ?」

「……ある人から、教わりましたから」

「ほぉん。字もそいつから?」

「はい」

「なら相当賢い奴だったんだろうな。多分奴隷とかじゃねぇ。貴族とか?」

「……分かりません」


 意外にも、奴は少し驚いたような顔をした。もしかすると、今まで考えたことがなかったのかもしれない。

 そして数秒時間を置いたあと、クレイスは口を開いた。


「ですが、そうですね。言われてみれば、あの人の立ち居振る舞いは他の人より洗練されていたような気がします」

「たちい……せんれ……?」

「立ち居振る舞い、洗練。字はこのように書きます。意味は……」

「あー待って待って待って。え? 何この字。難し過ぎね? 古語?」

「いえ、共通語です」

「共通語ならなんだってこんなに難しくしちゃうのよ。あれか? バカをふるい落とす為か? カーッ、ヤんなっちゃうねぇ。みんなが使うもんなら、もっと簡単にするべきだろうに」

「言葉というものは、人に意思を伝える為の道具です。道具であれば、使われていくうちにどんどん便利になるよう複雑に変化していく。道具というものは、得てしてそうなっていくものなのです」


 クレイスは、とあるボロ家を指差した。


「例えば、家の壁の錆の色。ベロウさんなら、あの色をどう言い表しますか?」

「え? 時間の経った血の色」

「何故そんな怖い表現を……。と、とにかく、いちいちそうやって呼んでいては、面倒極まりないじゃないですか」

「まぁな」

「だから、人はあの色の為に“赤茶色”という言葉を作るようになるんです。時は金なりと言うでしょう。こうしてどんどん言葉は簡単に、かつ一つの単語に色々な意味を込めようとする為、面倒になっていくんです」

「んー、分かったよーな、分からねぇよーな」


 少なくとも、覚えなきゃならねぇ言葉は山ほどあるらしい。うんざりしたが、まあ結局の所なんとなく知的に見えさえすりゃそれでいいのだ。半年もありゃあ、だいぶサマにはなってくるだろう。


「お」


 そうやって歩いていると、ベロウは道端で子供が物乞いをしているのを見つけた。さりげなくポケットを漁り、指先で銅貨がいくつかあるのを確認する。それからクレイスに見つからないよう、いそいそと彼はその子供に寄っていった。

 手に握り込んでいた銅貨数枚を、子供の前に転がす。そうして子供の反応を見ることもせず、ベロウは元の道に帰ろうとしたのだが。


「……子供がお好きなんですか」

「うぉぼぁっ!!」


 ばっちり見つかっていた。

 驚き過ぎたベロウが何も言い訳ができないでいる内に、クレイスはまたスタスタと歩き出す。

 急いでその背中に追いつき、ベロウは大仰な手つきで弁解した。


「ちっ、違うからな!? たまたま足がよろけて運悪くポケットの中の銅貨が落ちただけだから!」

「そのポケットの中には銀貨や金貨も入ってましたよね。よくもまあ銅貨だけ落ちたものです」

「このポケット、オレ様に似て賢いんだよ!」

「なら今日からポケットに字を教えることにしましょうか」

「意地悪すんじゃねぇ!」


 恥ずかしい。こういう所を見られるのは、ぶっちゃけイカサマがバレるより恥ずかしい。

 そしてその感情は、クレイスが小さく微笑んでいるのを見たことでより深くなった。いっそ殺せや。


「いい人なんですね、ベロウさん」

「マジでやめて。そういうんじゃねぇのよ、アレ」

「分かりますよ。俺と会った時もそうでしたが、あなたは施す子供の顔を見ない。一時的に助けはしても、継続して保護下に置き面倒を見ようとはしていません」

「……」

「でも、ただの偽善でやっているわけでもない。それぐらい俺にだってわかります」

「ギゼン?」

「……」


 どう説明すればベロウに伝わるのかと、クレイスは言葉を選んでいるようだった。頭はいい奴だが、相手がオレ様となれば会話の難易度が上がるらしい。ムカつく奴である。

 やがてクレイスは、説明を諦めた。


「……やっぱりあなたは、子供好きということですよ」

「いや、オレ様のタイプはバインボインの年上のネーチャンですが」

「そういうことではなく」


 ないらしい。

 クレイスはわざとらしく息を吐くと、背の高いベロウを見上げた。


「ベロウさん、そんなに子供が好きならもういっそ先生でもやってみればどうですか? この国なら、字の読み書きができるだけで十分にその資質があると思いますよ」

「はぁー? 貧乏相手にセンセイ? やだよ、一文にもならねぇじゃん」

「子供は未来を作る存在です。よって先生になることは未来への先行投資とも言えます」

「だから難しい言葉使うなっつーの。つーかオメェもまだガキじゃん。あとさっきから決めつけてっけどさ、そもそもオレ様ガキんちょは好きじゃねぇんだよ」


 ベロウは、かけたサングラスをぐっと押し込んだ。


「子供はすぐ死ぬ。すぐ死ぬ奴らに、期待なんかしてらんねぇ。分かんだろ?」

「……」


 クレイスは、何も答えない。

 一方ベロウの脳裏には、幼かった弟の顔が蘇っていた。

 ――昨日まで生意気なほどに元気だった子供が、翌日には物言わぬ肉袋になっている。餓死であったり、殺されたり、病であったり。この国は、子供が生きていくにはあまりにも過酷な環境なのである。

 だからベロウは、そんな子供らに関わりたくなかったのだ。顔を知れば、次の日も探してしまう。名を知れば、つい呼んでしまう。しかし肝心の自分は、たまに一日を凌ぐ金は出せても次の日の命の面倒までもは見られない頼りない身の上なのである。

 そしてこの国には、そんな立場の子供がごまんといた。


「……じゃあ、子供に期待できる世界なら、どうですかね」


 そんなベロウに、クレイスは前を向いたままで言う。


「子供がそう簡単には死なない世界なら。多くの子供が普通に成長し、大人になれる世界ならどうですか?」

「……そりゃあ」

「そこなら、ベロウさんも先生になれるんじゃないですか」


 キョトンとしたベロウは、クレイスに目を落とす。だが、目を合わせようとしない彼の表情を窺い知ることはできなかった。


「……ま、そりゃそうかもだけど。何、できんの? そういう世界」

「さぁ」


 クレイスは、つとめて足を速めたようだった。


「言ってみただけです」


 その声色は、ひどく沈んでいたように聞こえた。

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