第5章 ベロウと黒髪の少年

1 ベロウとクレイス

 他方、クリスティアに回復魔法をかけてもらったベロウは、痛みと熱で朦朧とする視界をぼんやりと眺めていた。

 ――あー、痛い。背中痛い。知ってた? 回復魔法って傷は治すけど、しばらくはこんな感じで痛みが残るの。オレ様知らなかったねー。


「……王子、こちらへ。何者かの足音が近づいてきております。このチンピラの影に隠れて、死んだフリをなさってください」

「分かった」

「ベロウ、聞こえておるな? おぬしもちゃんと死んでおくんじゃぞ?」


 返事する気力も無くて黙っていたら、なんかリータが背中に潜りこんできた。やめろや、そこまだ痛ぇのに。

 しかし、死んだフリをしろとは言われたものの、どうせじきに飛んでしまう意識である。それがわかっていたベロウは、薄目を開けて部屋に入ってきた二人の男を見ていた。


「……?」


 そこに、なんとなく知った顔があった気がした。

 だが、血を流しすぎた体はもうまともに景色さえ映してくれない。やがてベロウは、ことりと気を失った。










 そういやあのガキに出会ったのも、なんか羽振りが良い日だったな。


「……」


 十年ほど前のこと。若きベロウの行く手を塞ぐように横たわっていたのは、薄汚れた黒髪の少年だった。

 イカサマで大勝ちした直後のベロウは、数日分の食糧が入った紙袋をぎゅっと抱きしめ、天を仰いだものである。

 ……いや、うん。これぐらいは別に全然珍しくない。この国で子供が生き倒れているのは、マジでよくある話だし。

 ……。

 ……見た所まだ息はあるな。服を見る限り、どこか別の国から来た奴かも。もしかしたらこの国にいる親戚を頼ってきて力尽きたのか? いやいや、それでもやっぱりオレ様には関係が無い。

 全く、関係が無いのである。


「……あー、りんごが落ちちまったぜー!」


 そうやって考え事してたら、ついりんごを落としてしまったのだ。たまたまガキの前に転がったようだか、リッチなオレ様としては一度地面に落ちたもんを拾うなんてあり得ない。残念だが、あのりんごは諦めるしかない。あーあー、ついてねぇなー!


 そんなことをやっていたら、少年が家までついてきたのである。


「……なんだよ、お前……」

「……」

「りんごやっただろ。帰れよ」

「……俺に帰る場所は、ありません」

「あ、そう」

「……」

「……」

「……」

「……あのー、何なんすか……?」


 別に奴の身の上話を聞きたかったわけではない。だが、勝手に喋り出したのを、わざわざ止めるほどのことでもないかとも思ったのである。とにかく、少年が言うにはこういうことらしかった。

 訳あって、とある国から逃げてきた。自分には帰る場所も生きていく場所もない。しばらくしたら出て行くから、それまではここにおいてもらえないかと。


「……でもさぁ、それをしてオレ様に何の得があるってわけ?」


 ベロウは少年にスープを出してやりながら、わざと大袈裟に顔を歪めてやった。

 奇跡的に今日ガキ一人分の食い扶持はあったものの、ここフーボ国においては一日食えない日だって珍しくないのである。利用価値の無い食い盛りをタダで置いてやるほど自分はお人好しではないし、他の奴もそうだと思う。


「つかオメェ、逃げてくるのはいいけどよぉ、なーんでフーボのスラムに来ちゃったのよ。一番ヤベェとこじゃん。せめてヨロとかミツミルとかの小せぇ村に行きゃ良かったのに」

「……」


 黙ってしまった。どうも、そこも何やらワケアリらしい。


「……明日には出て行けよ」


 何枚かボロの服を重ねて少年の寝床を作ってやりながら、ベロウは言う。


「オレ様の飯を減らすだけの役立たずはいらねぇんだ。金が稼げねぇなら出てってもらうぞ」

「……俺、あなたの仕事を手伝います」

「残念。オレ様ってばこの頭と舌で稼いじゃってんの。クソガキのちんまいお手手なんていらねぇんだ」

「で、でも……」

「ま、他に得意なことがあるってんなら別だが……」

「そ、それなら俺、字の読み書きができます!」


 その一言に、「お?」とベロウは顔を上げた。灰色の瞳を持った少年は、切羽詰まったような表情でこちらを見ていた。

 フーボ国の識字率はさほど高くない。教育機関もあるにはあるが、あくまで貴族用であり庶民の学び舎は皆無だったのである。

 かくいうベロウも簡単な文字の読み書きはできるが、複雑なものになるとさっぱりであった。

 これは常々、彼自身歯痒く思っていたのである。字を知っているということは、フーボ国において一種のステータスである。つまり、文字が書ければ貴族の前に立てる。ベロウの“商売相手”の幅が広がるのだ。


「……そりゃ、悪くねぇな」


 しかし、何故こんな奴隷のような格好をしたガキが字を知っているのか。疑問こそあったが、ベロウは気にしないことにした。たかが一人のガキに深入りするつもりはないのである。

 自分の顎を撫で、ベロウはニッと笑った。


「オレ様の名前はベロウ。フーボの古い言葉で“耳を塞ぎたくなるほどのおしゃべり野郎”って意味だ。お前は?」

「クレイス」


 それは、聞いたことのない響きの名前だった。


「サズ国の古い言葉で、“賢き者”という意味だそうです」

「へぇ、お前サズ国の生まれなんだな。どおりで変な名前だと思ったよ」

「……」

「まあいいや。とにかくそういうことなら話は違ってくる。とりあえず、明日からしばらく様子を見てやるよ」

「……ありがとうございます」


 そう言うと、クレイスは重ねた服の上で丸くなった。安心したのか疲れていたのか、すぐに寝息が聞こえてくる。別にどうでもいいので、ベロウもハンモックに這い上がった。

 窓から月の光が差し込んでいる。クレイスが首から下げた赤いペンダントに、この時のベロウはまだ気づいていなかったのだった。

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