16 ノマン

 剣に魔力を宿し、真横に薙ぎ払う。一瞬だけ上下真っ二つになる泥人形。しかしすぐにまた癒着すると、何事も無かったかのように蠢き始めた。


「む」


 振り下ろされた手を一歩下がって避け、ピィは部下に声をかける。


「ガルモデ、どうもコイツには剣が効かんようだぞ」

「おう、厄介だな。もしこれが魔物だっつーんなら、コアを狙えばいいんだが」

「しかし中にいるのはヴェイジルなんだろ? そんなものがあるわけ……」

「いや。それが近いものを感じるんだ」


 魔物の中でも一層鼻のいい彼である。どういう意味か追及する前に、また粘液の腕が地に叩きつけられた。


「とにかく、とっとと倒しちまおうぜ」


 難無く避けたガルモデが、ピィに言う。


「このままじゃ部屋が崩れちまう。急ごう」

「いっそ生き埋めにした方が早いんじゃないか?」

「それでコイツが死ぬ保証もねぇだろ」

「それもそうか」


 ピィとガルモデは目線を交わす。そして頷き合うと、二人は泥人形の両側に回り込んだ。


「行くぞ、ガルモデ!」

「おう!」


 ピィが目にも止まらぬ速さで泥人形を輪切りにする。しかし先ほどと同じく、泥は分離した側からまた元の形状へと戻っていく。

 だがガルモデの目は、その隙間に確かに人間の腕を見て取った。

 泥の中に頭から突っ込む。ガルモデはヴェイジルの腕に食いつくと、外に引きずり出そうと引っ張った。

 しかしヴェイジルは微動だにしない。あたかも、残りの部分が泥と一体化しているように。


「ガルモデ、一度引け! このままだと泥が戻るぞ!」

「……ッ!」


 ピィの声に、ガルモデは険しい顔をする。泥は今や自分の体にまとわりつき、飲み込もうとしていた。

 逃れようと足を突っ張ろうとしても、相手が泥ではそのままとぷりと沈むだけである。

 ガルモデは顎に力を込め、ピィの真っ赤な目を見つめた。


「――分かった。ガルモデ、ちょっと我慢しろよ!」


 ピィが剣を振りかぶる。そして、ホームランバッターのように大きく振り抜いた。

 衝撃波がガルモデを襲う。弾みで体が泥から押し出された大犬の魔物は、べちゃりと床に叩きつけられた。

 その彼の口には、人の腕が咥えられていた。


「無事か!? そ、その腕は……!」

「ヴェイジルの腕だ。……多分」


 ガルモデは、ぺっと腕を吐き出す。漆黒の泥が付着した腕はしばらく這いずるように動いていたが、やがて手のひらを上に向けくたりと脱力した。


「……クラーケン族でもねぇのに、取れた腕が動いてたまるかよ。こりゃやっぱ、ただの泥じゃねぇな」

「だがガルモデ、見てみろ! 泥人形の右腕が崩れてきている!」

「中身の状態が反映されてんのかね。だとしたら、やっぱ本体のヴェイジルを叩かなきゃなんねぇが……」


 ガルモデは、チラリと背後に控えるクリスティアらに目をやった。……この狭さの部屋で魔法を使おうものなら、確実に他の者が巻き添えになってしまう。ならば、剣で押し切るしかないが……。


「……ガルモデ、眷属召喚をするぞ」

「おう、わかった。この状況だとソードスター族か?」

「うむ。少しだけ吾輩を守ってくれ」

「ああ」


 ピィは両手を組むと、唇の前に持ってくる。彼女の全身から、ゆらりと青い炎が立ち上った。

 泥人形は、失った腕を取り戻そうとするかのように巨大な左腕を伸ばしてくる。それに気づいたガルモデは、腕を咥えると思い切り部屋の隅に放り投げた。

 それが怒りを買ったのだろうか。また泥から槍が突き出てくる気配を感じ取ったガルモデは、急いでピィの前に立った。

 そして、ふさふさの毛の中にしまっていた小さな立方体を取り出し、床に叩きつける。その衝撃をスイッチとした立方体は、一瞬眩いばかりの光を撒き散らし彼の前に分厚い光の壁を出現させた。

 無数の槍が乱れ飛んでくる。しかし全て光の壁が打ち返し、ガルモデとピィは全くの無傷であった。


「……思ったよりいいな。こりゃあネグラを褒めてやらねぇと」


 ガルモデはニヤリとする。この魔道具は、ネグラにより作られた“魔物(アホ)でも使える魔道具シリーズ・危ない時に使うやつその1”であった。

 なお開発には、ヨロ国随一の発明家ヒダマリも大いに携わっている。この半年間、何やかんやで負けず嫌いの二人は競うように魔道具の開発を続け、結果として革新レベルにまで技術が向上していたのだ。


「……ありがとう、ガルモデ。今詠唱が終わった」

「うっし」


 その言葉にガルモデが下がり、ピィが前に出る。全身に青い炎を纏わせた彼女は深呼吸をすると、右手を突き出した。


「出でよ、ソードスターの名を背負う者共よ! 我らの道を阻む者の体を、寸分の隙間無く串刺しにしてしまえ!!」


 号令と同時に、泥人形の周りに異次元空間が出現する。そこから銀色の刃先が覗いたかと思うと、一斉に泥に向けて射出された。

 ヴェイジルに突き刺さる無数の剣。泥人形は空気の抜けるような咆哮を上げた。


「……まだだ。まだ足りない! もっと深く刺せ、ソードスター!」


 しかしこの量の眷属召喚は、流石のピィでも辛いものであった。彼女は額に脂汗を浮かべ、歯を食いしばっていた。

 だが、ピィは更に魔力を送り込む。


「いけ……っ! 今度こそ、ここでコイツを殺すんだ……!」


 ソードスターがめり込んでいく。泥人形はそれらを振り払わんとすべく、腕や手足を振り回している。

 もう少し。もう少しだ。

 もう少しで本体を貫ける。


 だが、ここでピィの肩を叩く手があった。


「もう、そこまでにしといてあげたら?」

「は」


 振り返ろうとする。ところが首を絞められたかのように息が詰まり、足に力が入らなくなった。ピィがその場に崩れると同時に、力無く倒れたガルモデの姿が目に入った。


「やぁやぁヴェイジル、どうだい? 泥の鎧の着心地は」


 一方、突然現れた男は軽やかな足取りで泥人形へと向かっていく。センスの良いマントを羽織り、肩まで伸びたグレーの髪の毛は綺麗に切り揃えられている。ルイモンドやミツミル国の王子も美しいが、彼もそれに負けず劣らずの美貌の持ち主であった。

 男がパチンと指を鳴らす。するとあれほど巨大だった泥人形は、瞬く間に床に溶けて消えてしまった。

 そこに倒れ伏すは、右腕を無くしたヴェイジル。


「おや、ヴェイジル。ご自慢の右腕が無くなってしまってるじゃないか。可哀想に、後で代わりのものをつけてあげないとね」


 そう言う男の左手には、漆黒の宝珠が乗っている。これはベロウが捨てたのを拾い上げただけのものだったのだが、ピィがそれを知るはずもない。

 それより彼女が驚いたのは、優男の後ろに控える者の存在。


「……クレ、イス……!」


 半年ぶりに見た顔だった。相変わらず澄ました顔で、グレーの瞳を持つ男はそこに立っていた。


「あれ、クレイス君。この子、知り合い?」


 ピィの反応に、優男は嬉しそうにクレイスを振り返る。クレイスはあっさりと肯首して返した。


「はい。例の作戦の際に懇意にしていた魔物の一人です」

「そう。ならちょっとおしゃべりしていく?」

「不要です」

「あ、そう」


 素っ気無い態度を気にした様子も無く、男はヴェイジルを指差す。クレイスは黙って前に出ると、彼を肩に担ぎ上げた。


「待て、クレイス……!」

「回収物はその手の宝珠と彼だけでよろしいですか? ミツミル国の王子はどうします?」

「勿論、いたら持って帰るつもりだけど。どう? この部屋にいそう?」

「……いえ。ここにいるのは、二体の魔物と三人の死んだコソ泥だけですね」


 無論、クリスティアらは死んではいない。危機をいち早く察知した彼女がリータに指示し、ベロウ直伝の死んだフリを敢行していたのである。それはあまりにも見事な死にっぷりであり、ピィですら本当に死んでいるのではないかと焦ったぐらいだった。


「……帰りましょう。あなたはこの国がお嫌いでしょう」

「まぁねー。汚いし、臭いし。ま、ミツミル国の宝珠も手に入ったし、これで本当にこの国は用無しになったわけだけど」

「ええ」


 ここでクレイスは、男の視覚の外でそっと部屋に目をやった。気絶したベロウを見て、ピィを見て。

 ……その灰色の目が、どこか痛々しげに細まったのをピィは見た気がした。

 けれどすぐにその色は消える。男は両手を広げると、意気揚々とクレイスに言った。


「それじゃ、さっさと我らが理想郷に帰ろうじゃないか! クレイス君、ワープできるやつ出して!」

「はい、ノマン様」


 しかしクレイスの呼んだその名に、ピィの体がビクリと震えた。


 ――ノマン? クレイスは今、この男をノマンと呼んだのか?

 だとしたら、こいつが吾輩の父を……!


 血が沸き立つ。魔法によって封じ込められた体が、ぶつぶつと強力な戒めを解いていく。

 だが、ピィが動けるようになったその時。

 既に、クレイスとノマンの姿は部屋のどこにも無かった。




第4章 完

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