14 立ちはだかりし者

「師匠!!」


 王子にあるまじき決め台詞でヴェイジルを倒したリータは、すぐさまベロウの元へと駆け寄った。


「師匠! 大丈夫ですか、師匠!」

「実は超元気なんだな、これが」

「ですよね! 死んだフリにかけて師匠の右に出る人はいたませんから!」

「オレ様ときたら、あらゆるジャンルの最右端にいるからねー。そんでも、もうちょっと心配してくれたって……」


 言いかけて、ベロウは口を噤む。彼の見たリータは、今にも泣きそうな顔をしていたのだ。


「……おい、泣くんじゃねぇよ。オメェの涙は民の涙なんだろ」

「師匠が無事でホッとするのは、民の総意です」

「ンなわけあるか」


 ズレていたサングラスを直し、立ち上がる。先ほどまで締められていた為まだ喉に違和感はあったが、こればかりは仕方ない。ぐるりと首を回し、ベロウはリータに声をかけた。


「さて、ズラかるぞ。今のお前なら、兵士ぐらい軽く吹き飛ばせるだろ」

「はい、問題ありません」

「うし」


 だが部屋を後にしようとした寸前、彼らの背後から抑えたような笑い声が漏れた。それにリータはピタリと足を止める。


「……ヴェイジル」

「おいリータ、放っとけ。どっちにしろ動ける状態じゃねぇだろ」

「ですが、僕の放った魔法は敵の魔力を殺し極限まで体力を奪うものでした。笑う余力があるとはとても思えなくて」

「何そのエグい魔法」


 けれどそうなると、今のヴェイジルは妙だということになる。ベロウが逃げようか様子を見ようか迷っていると、くぐもった声が聞こえてきた。


「……人に留まるか。力を得てバケモノになるか。らしくもなく躊躇っていたもんだが……こうなると、ノマンの言う通り……あらかじめ、体に馴染ませておいて良かった、か」

「……何の話だ?」

「――ッ! 危ねぇ、リータ!!」


 考えるより先に体が動いていた。ベロウはリータの体を抱え込み、床を蹴って大きく右に飛びのく。

 瞬間、鈍い衝撃と熱が全身を駆けた。ベロウの背中は、ざっくりと深く切り裂かれていた。


「師匠!?」

「……ぐッ、はっ……!」


 果たして、何が起きたのか。それはベロウにすら分かっていなかった。ただ彼は、長年培ってきた直感で動いただけだったのである。

 傷を庇いながら振り返る。その先にあった光景に、二人は愕然とした。


「なんだ、あれ……!?」


 そこに立っているのは、ヴェイジルのはずであった。だが、二人が見たものはまるで違っていたのである。

 ――真っ黒な粘液が、おぞましく蠢いていた。それは中央にいる何かを柱にして巨大な人型を形成し、みるみるうちに天井を衝かんばかりの大きさになっていく。

 絶えず肉が潰れるような音がしていた。腫瘍が弾けるたびに、部屋中に腐臭が広がっていく。

 人ですら、なかった。ベロウとリータが見ていたものは、鳥肌が立つほど醜悪な泥と肉の塊であった。


「リータ……リータ! しっかりしろっ……!」


 しかし麻痺していたリータの思考は、ベロウの声によって正気を取り戻した。


「今すぐ逃げろ……! あれは、今のお前でもヤベェ……!」

「し、師匠……。だ、ダメです! 逃げるよりまずはあなたに回復魔法を!」

「うるせぇっ……! お前、詠唱クソ遅ぇじゃねぇか……!」


 リータの服が、ベロウから流れる血で真っ赤に染まっていく。失われていく熱が恐ろしくて、リータは命を繋ぎ止めるよう必死でベロウを抱きしめた。リータの脳内に、父と母が殺された時の情景が蘇った。

 ――また殺される。また奪われる。僕の目の前で、僕の大事な人が。


 同じ男の手によって。


「……嫌だ……! 嫌だ!!」


 リータの目の奥にどす黒い炎が揺れた。漆黒の宝珠を握りしめ、死の呪文を唱えようと大きく口を開ける。


「……ッ!」


 だが宝珠は、ベロウの手によって弾き飛ばされた。

 カンカンと遠ざかっていく無機質な塊。それに呆気にとられるリータの胸ぐらを掴むと、血塗れのベロウは一気に顔を近づけた。


「逃げろ……っつたろ……! この期に及んで、何お前は……駄々をこねてんだ!」

「師匠……だって僕は……!」

「オレ様は……お前に生きろっつってんだよ!」


 ベロウのサングラスは、斬られた弾みで床に転がっていた。漆黒の目が、リータを捉える。


「もういい! 復讐とか、宝珠とか、王子とか、国とか……全部捨てちまえ! お前が生きるのに邪魔になるなら、一切合財捨てちまえ!」

「……師匠」

「もうお前は、一人で生きていける! 商売もできるし……泥棒もできる! 人を頼って、生きていける!」

「……ッ!」

「だからリータ。お前は、生きることを選べ!」


 ドンとベロウに突き飛ばされる。ベロウのいた場所に、粘液が硬質化した真っ黒な槍が雨のように降ってくる。


「師匠!!」


 時が止まったようだった。足の先まで痺れたリータの体は、最早指一本とて自分の意思で動かせない。それなのに、やたらと視界だけはクリアだった。

 リータの目の前で、無慈悲なる槍が地面に突き刺さる。ベロウの体は、無数の槍に貫かれた反動で何度も大きく跳ねた。


 ――かに見えた。


「……まったく、世話の焼ける」


 土埃が舞う中に、小さな影が立つ。

 響いたのは、しわがれた女性の声。


「魔法も体技も鍛えぬからこうなるのじゃ。……まあ、フーボのチンピラにしては踏ん張った方だがの」

「クリスティア!」

「ええ王子、ばばでございますよ。ご無事で何よりでございます」


 ベロウの前に杖を突き出して立っていたのは、我らがババア・クリスティアであった。彼女は大きなため息をつくと、泥の塊を睨みつけた。


「それに引き換えヴェイジルよ。貴様一体何という姿をしておるのじゃ。元より二目と見られぬ人相じゃったが、これはもうどうにもできんかのう」

「ババア……」

「うむ、チンピラ。やられたのは背中か? すぐに回復させてやるから、もうちっと耐えなさい」

「いい……それより、リータを……!」


 ベロウはクリスティアの手を振り払い、無防備なはずのリータを指差す。しかし、ババアは首を横に振った。


「心配無用じゃ」


 ヴェイジルだった黒色の塊が、蠢く。次の瞬間、彼の全身から再び例の黒い槍が放たれた。


「我らには、助っ人がおる」


 その言葉と同時に、大きな影が横切った。赤毛に乗った女は素早く剣を振るうと、片っ端から槍を払い落とす。

 薄暗い部屋の中でも、月色に輝く髪色。真っ赤な目を持つ魔国の王は、赤毛の大犬の上で剣を振りかぶった。


「――久しぶりに見(まみ)えたな」


 ピィフィル=ミラルバニが、ヴェイジルの前に立ちはだかっていた。


「貴様の相手は吾輩がするぞ、泥人形」

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