13 怒り

 が、ベロウに辿り着く直前、ヴェイジルはつるりと足を滑らせた。


「ハッハー! かかったなぁ! オレ様がただ悪口言うだけなわけねぇだろバーカ!」


 ぬめついた床に這いつくばったヴェイジルは、苦々しげに顔を歪めてベロウを見上げる。

 しかし剣を床に突き刺すや否や飛び上がり、ベロウの首を掴んで壁に叩きつけた。


「ぐふっ……!」

「このチンピラめ……! 身分の低い、口だけの凡人が!」


 透明の宝珠を持っていた方のベロウの手は、蔓により拘束されている。それにも関わらず、ベロウはニヤニヤと笑っていた。


「ヒヒヒッ……そーだよ。オレ様は身分なんて無いし、センセの仰る通り口だけで生きてるような男だ」

「殺してやる! 二度とその口がきけると思うな!」

「あれぇ? 天下のヴェイジル様とあろうお方が、オレ様如きの戯言に動揺してるわけ?」


 ベロウの舌は止まらない。流れるように、彼は言葉を紡いでいく。


「つーか剣は使ってくれないのかねぇ。折角死ぬんだったらオレ様、お前さんの得意なエモノがいいのに」

「お前のようなクズに俺の剣は勿体ない」

「ひでぇ言われよう」

「……ああ。お前さんを見ていると、どうも奴を思い出すよ」


 ベロウの首に、指が食い込んだ。


「そういえば奴も、フーボ国の汚れ貴族の出だった。口しか使い物にならない癖に、何故ノマンは奴を重宝するのやら。さっぱり分からんよ」

「……ふーん。そいつ、なんて名前なの?」

「さぁな」


 更に質問を重ねようとしたベロウだったが、喉の苦しさに遮られる。いよいよヴェイジルが絞め殺しにかかってきたのだ。


「さあ耳障りなお喋りもここまでだ」

「……ッ!」


 血が耳の上まで上ってくる。どうやら気道を完全に塞がれたらしい。コイツの力なら首の骨をへし折る方が早いだろうに、ご丁寧に窒息死させるなぞとんだ悪趣味だとベロウは思った。

 息ができない。頭が熱い。苦しい。

 だが、まだだ。

 ベロウは最後の力を振り絞り、ヴェイジルの背後を指差した。


「……ハッタリだ」


 ヴェイジルは、髭面に嘲笑を浮かべる。


「安心しろ。お前を殺してから、ゆっくりと見てやるよ」

「……」

「終わりだ」


 ベロウの体が脱力し、くたりと指が下ろされる。それを見たヴェイジルは、仕上げと言わんばかりに力を込めた。

 だがその時。

 彼の後方から、凄まじい勢いで魔力が膨れ上がった。


「!?」


 咄嗟に振り返る。そこでヴェイジルが目にしたのは、魔力の化身であった。

 全身に禍々しいオーラを纏わせたリータが、詠唱を続けている。その手には、さっきまでは存在しなかった漆黒の宝珠。

 ヴェイジルはベロウの手元に目をやった。未だ透明な宝珠があることを確認した彼は、引きつった笑みを浮かべた。


「……チンピラめ。この俺を謀ったか」


 ヴェイジルが足を滑らせたその一瞬の隙をつき、ベロウはリータに向けて黒宝珠を転がしていたのである。その際は蔓に捕らえられていたリータだったが、ヴェイジルがベロウに執心していたことが功を奏した。リータは抜け出し、宝珠を手に取ると詠唱を開始したのである。

 ベロウの憎まれ口は、リータの時間を稼いだ。思わずたじろいでしまうような魔力は、詠唱が今や残り僅かとなったことをヴェイジルに悟らせた。


「おいおい……!」


 こうなるとベロウどころではない。ヴェイジルはリータに向けて魔法の蔓を放った。

 だが、リータが事前に張っておいた魔法壁が呆気なくそれを阻む。ヴェイジルは舌打ちし、ならば力尽くで捻じ伏せようと襲いかかった。

 リータは逃げなかった。それどころか、ヴェイジルに向けてまっすぐに顔を上げた。

 その、顔は。

 ――ベロウ直伝のその変顔は、元の顔の良さをよく知るヴェイジルにとっては思わず足を止めるほど衝撃的なものだった。


「しまった!」


 そしてその一瞬が、ついにリータの詠唱を完成させた。今やとんでもない力を得たミツミル国の王子は、突き上げた右手にブラックホールのような塊を乗せていた。

 しかし彼は、脂汗を浮かべ苦しそうに短く息を吐いている。まるで、黒い塊に生命力を吸い取られていくのを耐えるかのように。


「……殿下。もしや力の宝珠の魔力は、あなたという器には収まりきらないのではないですか?」


 今にも細い足を折ってしまいそうなリータに向かって、ヴェイジルはいやらしい声で言った。


「このままでは、魔力はあなたを喰らい尽くし暴走してしまうでしょう。そりゃあ俺こそ殺せるでしょうが、同時に大好きな師匠も道連れにしてしまいますよ」

「……」

「勿論、あなた自身の身も。……頭のいい殿下のことです。魔力を元に戻す方法もご存知でしょう。まだ間に合います、どうかそれを……」

「違う……」

「は?」

「僕という器は……僕自身のものじゃない……!」


 リータは、一度砕けんばかりに歯を強く食いしばった。それからダンダンと地を踏みしめ直し、胸を張る。

 その目には、ゾッとするような美しさが宿っていた。


「僕はリータ=ミツミルス! 数百年という時に渡り、安寧を紡いできた戦士の国の王族だ!」

「……突然、何を言い出すかと思えば」

「僕に流れる血は、民の血だ。僕の両の眼は、民の眼だ。……僕という器は、国だ。国が、たかが“道具”如きに呑まれるものか!」


 くるりと手首を半捻りさせる。黒い塊はより大きさを増したというのに、リータは揺らがなかった。

 一方のヴェイジルは、魂を抜かれたようにリータに見入っていた。


「――よくも、僕の体を奪ってくれたな。よくも、僕の体をたくさん殺してくれたな!」


 一切の混じり気のも無い怒りを滾らせて、リータは叫んだ。


「このウンコたれが!!!!」


 漆黒の波動が、部屋全体を揺るがせた。

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