10 騙し討ち
扉の向こうは、急な階段になっていた。なんとか体勢を維持しながら、ベロウはリータを抱えて転がり落ちるように走り降りていく。
「あああああああああああああ!!」
「し、師匠! もうすぐ階段が終わります! どうかスピードを緩めて……!」
「無理無理無理無理あああああああ!!」
結果。
二人仲良く壁に激突して、止まった。
「チクショウ……! オレ様がババアから習ったクッション魔法使ってなきゃ、顔が潰れてたぞ……!」
「すいません、師匠。僕が魔法を使えないばっかりに……!」
「別に使えねぇことはねぇだろ。正式な呪文を詠唱しねぇといけないだけで」
ベロウのフォローに、しかしリータはしゅんとする。
この世界では、程度の差こそあれ殆どの人が魔法を使うことができる。だがそれを使いこなすには、適切な教育と自身の体質との合致、手や杖の動きと呪文が必要になるのだ。とはいえ、この呪文に関しては省略されたり簡略化されているのが普通なのだが。
だというのに何故かこのリータ王子に限っては、クソ長ったらしい正式な呪文を唱えないと魔法が発動しなかったのである。
「この体質では、あまり魔法の恩恵を受けられなくて歯痒いです」
ぶつけた鼻をさすって、リータは言った。
「さっきみたいに咄嗟に魔法が必要になった時もそうです。こういう時、僕は役立たずだ」
「そう落ち込むなよ。人間向き不向きはある」
「うう……。僕も師匠みたいに、絶妙に鬱陶しい小魔法をバンバン使える人になりたかった」
「本気で言ってる? 足元をヌルヌルさせたり、なんか尻が痒くなるみたいな魔法しか覚えられねぇんだぜ?」
これには魔法を教えたクリスティアも閉口したものである。どうも魔法の適性は、本人の性格による所も大きいらしい。
だがそんな無駄口もここまでだ。ベロウらは、宝珠を手に入れるべく立ち上がった。
「師匠、こっちです!」
どういう仕組みか、通る側から点々と明かりがついていく通路を二人で走り抜けていく。だが道を三回曲がった所で、いきなり壁にぶち当たった。
……いや、壁ではない。ものものしい装飾を施された漆黒の扉である。
「リータ、開けられるか?」
「はい」
リータは一歩足を進めると、迷いなく自分の指を噛み切った。
「……我、リュリュウ・ミツミルスの子、リータ・ミツミルス」
ポタポタと扉に嵌め込まれた水晶に血を垂らし、リータは言葉を紡ぐ。
「連なる血と名において、命ずる。満たされし器を解放せんことを。空虚なる器を護することを。古の力を王の手に委ね、与えたまえ」
詠唱が終わると同時に、鈍い音が響いた。思わず一歩後ずさったベロウだが、扉は前に開くでも向こうに開くでもなく引き戸式に開いていく。あ、そっちすか。
「……あれだ」
リータがぽつりと呟く。冷たい石の壁に囲まれた台座に鎮座していたのは、世にも美しい二つの宝石であった。
「……え?」
そう。
真っ黒な水晶と、透明な水晶。二つの宝珠が、整然と並んでいたのである。
魔法は最低限。できるだけ人を傷つけぬように。自分も傷つかぬように。
自身の放った魔法による視界不良の中、クリスティアは小柄な体躯を生かして兵士達を撹乱していた。
「きっ、貴様は誰だ!? 何をしにここへ来た!?」
「ふむ、あたしの顔に見覚えはないかい」
煙を飛び出ししわくちゃの顔面を近づけてやったが、兵士は怯えたようにフルフルと顔を横に振るだけである。
……まあ、あれから五年も経っているのだ。いくら昔鳴らした魔法使いだったとはいえ、新任の兵士にとっては過去の人間だろう。
クリスティアはゴチンと兵士の頭を杖で叩くと、気絶させた。
「……人が増えてきたようだねぇ」
騒ぎを聞きつけたのか、ガチャガチャと足音が近づいてくる。しかし、未だ衰えぬクリスティアの聴覚は、混ざる異音に気がついていた。
……この悲鳴はなんだ? まさか、誰かから逃げて……!
「クリスティア=マーガレット!」
突然、煙の中からたくましい腕が伸びてくる。それはクリスティアの細腕を掴むと、へし折らんばかりに締め上げてきた。
距離が迫り、相手の顔を認識できるようになる。だが彼女は、その耳障りな声だけで敵が何者かを理解していた。
「貴様……ヴェイジル!」
「クリスティア“元”魔法大臣。ご機嫌麗しゅう」
わざとらしく歪んだ髭面に、クリスティアは憎悪の目で睨みつける。
昔のヴェイジルはまだ精悍な顔つきをしていたというのに、今となっては下卑た野獣のごとき形相だった。……この五年間、奴は一体どれほどのおぞましい行為に手を染めたというのだろう。
「……血の匂いがするねぇ。ヴェイジル、アンタここに来るまでに何人殺したんだい?」
「さぁなぁ。だが、チンケな手で侵入者を許すような能無し共だ。お灸を据えなきゃならんだろう?」
「――! 逃げな、坊や!」
何の前触れもなく、ヴェイジルの剣が背後で縮こまっていた兵士に振り下ろされる。間一髪、クリスティアの魔法によってそれは阻まれた。
「意外だな。勘は鈍っていないと見える」
ヴェイジルは、ニヤリと口角をあげる。
「だがなぁ、俺は老婆の内臓(なかみ)に興味は無いんだよ。死に近い人間の臓器は黒く澱んで、まったく見応えが無いもんでさ」
「あたしに一太刀も浴びせたことが無い奴がよく言うよ。もしくは寝言かい?」
「つれないババアだ」
兵士が逃げたことを確認し、クリスティアは身軽に距離を取る。そうして、目の前の男を再起不能にすべく炎の魔法を練り始めた。
しかし、ヴェイジルはふと何かに気を取られて目線を動かす。何かを見た男の口は、ニィと笑った。
「――おや王子。大きくなりましたねぇ」
クリスティアの魔法が放たれた。だが中途半端な威力の魔法では、ヴェイジルの剣に弾かれてしまう。
男は一気に間合いを詰め、クリスティアの懐に入る。剣を振るう直前、彼は間近にある彼女の顔に向かって言った。
「やっぱり、アンタの内臓には興味が無いなぁ」
血が噴き上がる。ヴェイジルは嫌そうな顔をして自分の頬に飛び散った血を拭うと、地に倒れ伏した老婆を見向きもせず歩いていった。
「……やはり、王子も来ているのか」
期待と喜びに胸を躍らせ、笑う。未だ晴れぬ視界を血に濡れた剣で払い、大柄な男は口を開けた扉に向けて足を踏み出した。
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